古屋敷の中で
青竜が屋敷の中へ侵入すると、ちょうど奥の部屋の扉が空き、中から小太りの妖魔が出てきた。太い腕の中に桜をがっちりと掴んでいる。青竜は長い廊下を素早く突き進むと、妖魔の足元へ向かっていった。
「今慶杏が調理の準備をしてるからな。支度が整うまでここで待つとするか」
妖魔は そう言いながら廊下を渡って、向かいの部屋へと移動し、青竜は妖魔の足元から素早く部屋へ入り込む事に成功した。
部屋に入るとすぐに、ドサリと乱暴に妖魔の腕から桜が投げ出された。桜は手足を縄で縛られ、口を塞がれている。意識の方はどうやら戻っているらしく、細い体を震わせ、目には涙を浮かべていた。 青竜は今すぐ助けてあげたくなったが、妖魔の手前、姿を現す訳にはいかない。苛立つ気持ちを抑えながら桜の足元の影に隠れた。
「ふふん、成るほど。慶杏の言ったとおりだな。こいつは特上の娘だ」
そう言って妖魔は桜の体を上から下へじっくりと眺めた。
「お前なら、この慶塊様のコレクションに加えてやってもいいぞ」
密かに魂を失った美女の肉体をコレクションしていたのだ。実を言うと、魂を食べる事よりもコレクションの方に熱中しているのは慶杏には内緒である。慶塊はコレクションに加えられた桜の姿を想像して、満足そうにぐふふと笑った。
(不気味な奴だ)
蛇に変化した青竜がさっきからその様子を見つめているのだが、慶塊も桜も全く気づいていない。桜は自分の行く末の事を、慶塊はコレクションの事を考えるので頭が一杯で蛇一匹に気づく余裕がなかった。
「さて、」
慶塊は笑いを止めると目の色を変えた。
「その服の下も見せてもらおうか!」
慶塊はいよいよ鼻息を荒くしながら、おもむろに桜の服に手を掛けた。
瞬間、慶塊は横にすっ飛んだ。
────ドザァッ!!
慶塊は2メートル程宙を泳いだ後、もろに腹で着地し、そのまま腹でスライディングしながらゴチンと壁に激突した。
「イデッ! 何が起きたんだ!?」
慶塊が振り替えると、その先で長髪の青年が睨んでいる。たまり兼ねた青竜が我を忘れ、慶塊を思いきり蹴飛ばしたのだった。
「何だ貴様! いつの間に入り込んだんだ!」
青竜は慶塊の質問には答えずに、素早く桜の拘束を解放した。
「青竜!」
口を塞いでた布が解かれるとすぐに、桜が声を上げた。青竜は桜の口に人差し指を当てながら、小声で「ここを出ますよ」と言うと桜を抱え込んだ。
「何、青竜だと!?」
慶塊が声を上げた時、すでに青竜は素早く桜を連れて部屋から脱出してしまった。
「待て! さてはその娘、輝の神子か!?」
天界から輝の巫女が魔を封じるために地界へ降り立ったという噂は慶塊も聞いていた。そして、巫女は青竜が守っているという話も。慶塊は急いで後を追ったが、青竜の足にはとても追いつかない。青竜はおっとりとした性格の割に、いざとなると、とても素早く走る事が出来た。その速さたるや、天界でも一二を争うほどである。
「ええいっ、こうなったら…!」
慶塊は懐から笛を取り出した。
ピュウと慶塊が笛を吹くと、何処に潜んでいたのか、あたり一面からこうもりが現れて青竜達に遅いかかってきた。慶塊の持つ魔笛はこうもりを操る事が出来るのだ。
青竜は桜を片手に抱えながら、もう片方の手で刀を振るい、次々とこうもりを切り倒していった。しかし、こうもりは慶塊によって、とめどもなく涌いて出ては襲いかかってくる。
「どうだ青竜。これでは見動きがとれまい」
慶塊が高らかに笑いながら近づいて来る。
(くそ!)
青竜は桜をこうもりから守るのが精一杯で、なかなか出口へ進めない。それでも青竜は少しずつ後退りをしながら出口の方へと向かって行った。
(外へさえ出る事が出来れば……!)
外へ出られれば竜身に変化する事が出来る。そうすれば、たかだかこうもりの群れなど一気に振り切る事が出来るだろう。出口まではあと十歩程だ。しかし、永遠に遠い様にも思えた。
(あと少し)
青竜がまた一歩後ろへと足を伸ばすと、ふいに誰かとぶつかった。
「これ以上先には行かせないよ」
女の声が後ろで響いた。
「どうもおかしいと思ったら、とんでもない客がいるじゃないの」
双子の片割れの慶杏だった。慶塊の顔が綻ぶ。
「慶杏! いい所に来た。そいつらを捕らえてくれ!」
「まかせといで!」
慶杏は袖をまくって青竜達に手を掛けようとした。――と、その時、
ドオオオオ!!
「な、何だ!?」
突然凄まじい轟音を立てながら玄関の扉が開いたと思ったら、無数の虹色の羽が舞い込んで来た。 「何が起こってるんだ!?」
「何にも見えないよう!」
慶塊も慶杏も慌てふためいた。
虹色の羽はしばらく視界を占領した後、やがてくるくると螺旋を描きながら床へと落ちて行った。ポタポタとこうもり達も落ちてゆき、徐々に視界が晴れてゆく。螺旋の中心に長身の青年が立っている。 「あんまり遅いんで様子を見に来たぜ」
赤い髪をなびかせながら、鳳凰はにやりと笑った。
「なんだお前!青竜の仲間か? 慶杏、やっちまえ!」
慶塊は顎をしゃくって指示をしたが、肝心の慶杏はつっ立ったまま呆けている。
「……カッコイイ!」
──ずるっ
ずっこける慶塊。おいおい、あんなスカしたド派手な男の何処がいいんだ? と慶塊は思ったが、慶杏の瞳は完全にハートマークだ。
「何当たり前の事を言ってやがる」
鳳凰は不思議そうな顔をした。
「おい、その言葉本気か!? 何なんだその自信は!!」
慶塊がいきりだつ。
「自信? 事実の間違いだろ?」
鳳凰は面倒臭そうにさらりと言ってのけた。
「いいワ~あなた。完璧にあたいのタイプ!」
慶杏はつかつかと鳳凰に近づくと
「あんたみたいな人の魂を食べてみたかったのよ!」
そう言って右手で鳳凰の頬に触れた。
「おい、気安く俺に触れると……」
ジュウッ!
瞬間、慶杏の右手に高熱が走る。
「熱っ!」
慶杏は慌てて右手を離した。
「……火傷するぜ。なんてな」
鳳凰は愉しそうに微笑んだ。
「あんた、幻術使いだね!?」
慶杏は手をさすりながら鳳凰を睨みつけた。
「慶杏に何て事するんだ!」
慶塊が猛烈に怒りだした。
「いけ好かない奴め、こうしてくれる!」
慶塊は再び笛を吹いてこうもりを呼びよせた。たちまち辺り一面がこうもりに埋めつくされる。
「ふん、こんなもの」
鳳凰がすっと手をかざすと、そこから巨大な炎が生まれ出て、一瞬にしてこうもり達を飲み込んでしまった。
「そんな…!」
慶塊は狼狽した。ふいに目の前に刀が現れる。
「これまでだな」
慶塊は大きく目を見開いた。
「青竜! いつの間に…!」
青竜は刀を慶塊の首に突き付けた。
「…参った」
慶塊はゆっくりと両手を上に挙げた。
カラン、カラン…
笛が床へ落ちる。
「兄ちゃん!」
慶杏が悲痛な叫び声をあげた。
「慶杏、すまねぇな。」
慶塊は遠くを見つめながら、ぼそりと言った。
「お願いです!兄ちゃんを殺さないで!」
慶杏は、突如青竜にすがりついて哀願を始めた。
「お願いします……!」
真っ青な顔をして、声を震わせている。目に浮かべた涙が今にもこぼれ落ちそうだ。
(まるで自分の事の様に……)
青竜は自分にも兄弟がいる事を思った。もし、自分が慶杏の立場だったら…。
青竜の顔に同情の表情が浮かんだ。あきらかに動揺している。慶塊はそんな青竜の動揺を敏感に感じ取った。
(今がチャンスか!)
慶塊の右腕がわずかに動いた。隙をついて攻撃を仕掛けようと考えていた。
「おい」
突如、鳳凰が声を上げた。
(ばれたか!?)
慶塊は縮みあがった。鳳凰はつかつかと近づいて来て、慶塊の右手首を掴むと、そのまま右の手のひらを眺めながら言った。
「火傷しているな」
慶塊の右の手のひらは火傷を負っていた。慶杏が負った火傷とちょうど同じ位置、形である。慶塊と慶杏は顔色を変えた。鳳凰は、二人の顔色が変わったのを確認するとにやりと笑った。
「そういう事か」
鳳凰は、今度は人指し指で慶塊の右頬をつう、となぞった。
「いででででっ!」
まるで鋭いナイフで切られたかの様に、慶塊の右頬から血が流れ出す。
「痛い!」
同時に慶杏も叫び出した。
「え?」
青竜が視線を移すと、慶杏も全く同じ場所に傷を負っている。
「あんた、女の顔になんて事すんのさ!」
怒鳴り散らす慶杏。
「俺はあんたの顔には触れてないぜ」
鳳凰は口元に微笑を浮かべながら応えた。そして、青竜に顔を向けると冷たく言い放った。
「青竜、こいつらの事を兄妹思いだなんて、思わない事だな」
慶塊と慶杏はうなだれた。
「分かったよ。大人しく殺られりゃいいんだろ……」
もはや二人の顔には諦めの表情しかなかった。青竜はがっかりした。騙されたからではない。互いの体が一つなのなら尚の事、簡単に諦めてしまって欲しくはないと思ったのだ。無論、自分の命の為ではなく、相手の命の為に。
「かわいそうです」
ふいに横から声が掛かった。桜である。桜はあれだけ恐怖を味わったというのに、今目の前で追い詰められている2匹の妖魔が目の前で殺されるのは見たくないと思っていた。
「……そうですね」
一人に苦痛を与えればもう片方も同じ苦しみを味わう事になる。さすがに青竜も気が引けた。
「それでは、見逃してくれるのか!?」
慶塊と慶杏は同時に顔を輝かせた。
「青竜!」
鳳凰が顔をしかめる。しばらくの間沈黙が続いた。刀はまだ突きつけられたままである。しばらくして青竜が二人に問いかけた。
「あなた達、人の魂を食らわずに生きてゆく事は出来ますか?」
「はい、勿論で!!」
二人は勢い良く答えた。
「ならば、約束してください。二度と人の魂を食らわぬと。」
青竜は低い声で戒める様に云った。
「はい! 何でもおおせのままに!」
仲良く口を揃えて応える慶塊と慶杏。青竜はわずかに微笑むと刀を収めた。鳳凰は明らかに気に入らないといった風に溜息をついた。
屋敷から出ると、東の空が僅かに明るくなっていた。
「桜様、本当に何処も何ともないのですか?」
「ええ、本当に大丈夫です」
桜はにっこりと微笑んだ。あんな事があった後なのに、心はとても穏やかだった。
青竜が助けに来てくれた。それがただ、嬉しかった。桜は、青竜に育てられたとはいえ、どことなく青竜に対して距離を感じていたのだ。ただでさえ青竜は無口でそっけない。自分を守るという訳で一緒に旅をしているものの、本当に守ってくれているのか疑問にさえ思っていたのだった。
「全く、甘いよ。お前は」
鳳凰は、青竜が慶塊と慶杏を許してしまった事が気に入らなかった。妖魔があんなに素直に心を入れ替える訳ねーだろと思っているのだ。
「あの二人なら大丈夫です。反省していたから」
青竜は何の疑問も持たずに妖魔を信用しきっている様子である。
「そうかなあ」
莫迦なやつだと思いながらも、鳳凰はこれ以上突っ込まない事にした。青竜のこういう莫迦な所が嫌いではなかった。
「妖魔さん達も反省してくれましたし、めでたしめでたし、ですね!」
嬉しそうに話す桜の横顔を見ながら、鳳凰は思った。
(大丈夫かなぁ、このふたり)
***
青竜達はその後しばらくの間耀都に滞在したが、若い娘が突然行方をくらますという話は、あの日以来ぱったりと無くなった。青竜は、妖魔といえども、話せば分かるものだなとすっかり安心した。しかし、あの日青竜達が帰った後、屋敷ではこんな事が起こっていた。
「輝の神子がもう地界に来ていたなんてな……」
慶塊と慶杏は互いの傷を手当しながら今後の事について話し合っていた。とりあえず一命を取り留める事は出来たものの、封魔の儀が成功すれば、妖魔の存在も消され、結局は殺されるも同然なのである。
「こうしちゃいられない。早く仲間に知らせなきゃ!」
慶杏は傷の手当が終わると、すぐさま荷物をまとめだした。今すぐにでも屋敷を出るつもりでいる。 「兄ちゃんも早く荷物まとめて! さっさとこの屋敷を出るよ」
慶杏は急がしそうに奥の部屋へ走って行った。
「うぎゃああ!!」
突如屋敷に慶杏の叫び声が響き渡った。
「どうした? 慶杏」
慶塊が様子を見に行くと、奥の部屋の前で慶杏がひっくり返っている。慶塊の胸に不安がよぎった。 (まさか、あの部屋は…!)
「な、な、何なのさ、この部屋は!」
慶杏がドアを開けた部屋、それは慶塊の例のコレクションが置いてある部屋だったのだ。いつもは厳重に鍵をかけているのだが、今日はこの騒ぎでうっかり鍵をかけ忘れていた。その部屋の中には魂の抜かれた美女の裸体が並んでいる。
「おえええっ、趣味悪っ! 兄ちゃんいつのまにこんな……」
その後慶塊のコレクションはすべて、慶杏によって、処分された事は言うまでもない。
場面は戻って、それから数週間後の耀都。結局、この町で朱雀を見つける事が出来なかった青竜達は、次の町へと旅立つ事にした。
「この町から次の都会を目指すとなると……」
鳳凰は地図を開いて思案を始めた。
「鳳凰、その前に寄って行きたい所がある」
青竜が、思い出した様に言った。
「急ぐ旅なんじゃないのか? いいのか、寄り道なんかして」
鳳凰は不審な顔をした。生真面目な青竜が、寄り道を提案するなんてどうした事だろう。
「ここからすぐ近くだし、ほんの少し立ち寄るだけでいいんだ」
「すぐ近く……?」
鳳凰は少し考えてから
「ああ、竜宮だな」
と言って頷いた。
竜宮とは、耀都からすこし北へ向かった場所にある、小さな村の名前である。実は青竜にとって、ちょっとした思い出のある村なのだ。
「よし、竜宮へ向かおう」
一行は竜宮へと向けて旅立った。