鈴を操るもの
その日の晩。
青竜は一人で宿の窓から夜の街を見下ろしていた。窓から吹き込む初秋の涼しい風が青竜の髪をなびかせている。
「青竜」
ふいに後ろから声がかかって振り向くと、そこには桜が立っていた。先ほど隣の部屋で床に就いたばかりのはずだった。
「もう夜だというのに、外にはまだ人が沢山いるのですね。」
桜は青竜の隣に座って窓から外を見下ろした。まだ少し興奮している様子である。
「まだ、おやすみになってなかったのですか」
「ええ」
桜は楽しそうに笑っている。
「初めて地界で過ごす夜だし、なんだか嬉しくて」
「そうですか」
言いながら青竜は桜の顔を覗き込んだ。鳳凰は桜が妖魔の暗示にかかっていると言ったが、桜の様子はいつもと変わりない様に見えた。
手首には例の鈴がぶら下がっている。
「青竜、どうかしましたか?」
桜が尋ねると、「いえ」と青竜は慌てて目線をそらせた。
「……ねえ青竜、」
街を見下ろしながら桜が尋ねる。
「鳳凰は遼郭という街も好きだと言っていましたけど、都会が好きなのかしら?」
「私には理解できませんが」
と青竜が応えた。
「あの人は都会が好きみたいです。でも、遼郭は鳳凰にとって特別な場所なのですよ」
「特別って?」
「それは……」
青竜が言いかけた時、
「あそこには美味い料理屋が沢山あるからな」
ふたりの後ろから鳳凰が応えた。そして、こう付け加える。
「ザ・食い倒れの街」
「鳳凰、あなた遼郭で食い倒れてたのですか?」
「倒れてねぇよ」
鳳凰はパシっと青竜の頭を叩いた。桜はクスクスと笑ってから言った。
「何時の間にそこにいたの?」
「ついさっきね。それより桜、そろそろ寝ないと今日の疲れが取れないぜ」
「はあい……」
桜は少し残念そうな顔をしながらも素直に隣の部屋へ引き取った。
青竜は、桜が部屋へひきとったのを確認すると小声で鳳凰に尋ねた。
「……何か情報はつかめましたか?」
実は鳳凰はついさっきまで、例の鈴の仕掛け人を探るため、街へ偵察に出ていたのだ。
「妙な噂を耳にした」
鳳凰は声をひそめながら話を始めた。
「ここの所、町の若い娘が頻繁に行方知れずになっているらしい」
「そんな事が……。原因はやはり、」
鳳凰は頷いた。
「あの鈴と何か関係あるかもな」
「となると、仕掛け人は桜様が輝の神子とは知らずに?」
「言いきれないが、その可能性もある。しかし桜の奴、初っ端からこの調子じゃあ、本当に危なっかしいな」
「そうですね」
青竜はため息をついた。14年間天界で教育をしたとは言え、まだ何にも知らない世間知らずのお嬢様そのものだった。おまけに桜は元々聡明とは言えない性格の様である。
「封魔の儀だけど」
思い出したように鳳凰が言った。
「確か輝の巫女の命を捧げる事になってたよな?」
「ええ、儀式が終われば巫女の命も自然と尽きる事となります」
青竜は淡々と言った。
「あの子、それ分かってるんだよね?」
「ええ、そう教えてあります。ただ、死の意味をきちんと理解しているかは疑問ですけど」
「だよなあ」
二人の間に一瞬沈黙が流れた。
「なんか、残酷だよな」
「それは、あまり考えないようにしてます」
「いいのか、それで。あんたも一緒に儀式を行うんだろ」
鳳凰は冷静に言い放った。
「おっかさんもさあ、」
鳳凰はたまに大御神の事を「おっかさん」と呼ぶ。神々達の生みの親だから「おっ母さん」という訳らしい。
「たまに凄く残酷な事を考えるよな」
青竜はそれについては何も応えずに、代わりにこう言った。
「とにかく今は、桜様を無事に崑崙までお連れしなければ」
***
耀都の町はずれに、古い屋敷がある。
数年前まではそこに、とある商人が住んでいたのだが、家主が商売に失敗して夜逃げをし、以来ここ数年間は空き家となっていた。
家主を失ったはずの屋敷の中で、低い声が響いた。
「おい、今日は特上の獲物を捕まえてきたってのは本当だろうな?」
その声に高い声が応えた。
「本当だよ! 兄ちゃん好みの若くてかわい~い女の子だよ」
声の主は双子の妖魔で、慶塊と慶杏といった。二人はこの荒れ果てた屋敷の中に数年前から棲みついていた。
それぞれ頭上に一本ずつ角が生えている。人の魂を喰らう妖魔である。
「それにしても、」
と慶杏が続けた。
「アタシらが食べるのは魂だけだろ? みてくれなんて関係あんのかねぇ?」
獲物を探すのはいつも慶杏だったが、慶塊はいつも獲物の外見について煩く注文を付けていた。
「おお有りさ!」
ぽっこりと突き出たお腹をゆすりながら慶塊が答えた。
「男やばばぁなんかの魂は食えたもんじゃないぞ。あと若い女でもブスはまずい!」
慶塊は得意げに語っている。
「そうかなぁ?気持ちの問題じゃないの?」
慶杏は半信半疑だった。
「いつもいつも女ばっか喰ってないでさあ、たまにはイケメン君の魂も食べてみようよ」
「だめだ!」
慶塊はピシャリと言った。
「なんでさ! いいじゃんっイケメン君! あたしゃ若い男の魂ってもんを食べてみたいんだよぉ」
「男はまずいって言っただろーが!!」
「ああ~んっイケメン君が食べたいーっ! 食べたいったら食べたいー!!」
「この分からず屋めがっ!」
慶塊と慶杏はしばらくこんな調子で言い争いを続けたが、やがて空腹が二人を我に返らせた。すっかり夜も更け、ふたりの食事の時間が訪れていた。
「はあ、はあ、疲れた……」
慶杏も慶塊も額の汗を拭うとその場に座り込んだ。
「まったく、くだらねぇ事に体力使っちまったぜ…」
「兄ちゃん、お腹すいたよう」
腹が空けばもう、イケメンの魂がどうこうよりも、とりあえずどんなものであれお腹に入れてしまいたい。
「兄ちゃん、とりあえず何か食べようよ。確かお菓子があったはず」
慶塊も慶杏も、魂以外のものも食べる事が出来た。しかし、慶塊は言った。
「慶杏、お前何言ってんだ。ここは菓子じゃなくて魂だろ」
そう言うと慶塊は鈴を手にとりチリンチリンと鳴らした。
それと同じ時刻。
青竜は既に眠りに就いていたのだが、突然空気がピリピリと緊張しだしたのを感じて目を覚ました。
チリン、チリン……
襖の向こう側から鈴の音が響いている。桜が眠っている部屋である。異様な空気は桜の部屋から流れている様であった。
鳳凰も起き上がって襖を睨んでいた。青竜が目を覚ます少し前からそうしていた様だった。
「鳳凰、一体何が起こっているんでしょうか?」
「どうやら始まったようだな」
鳳凰は襖を睨んだまま答えた。やがて、カラリと音を立てて桜が部屋から出て来た。足元がふらふらとしていて、おぼつかない。目つきもぼんやりとしていて、青竜も鳳凰も見えていないようである。桜の手元で例の鈴がチリンチリンと音を立てていた。
(操られている)
さすがの青竜も気が付いた。
「桜さ……」
青竜は桜に声をかけて意識を呼び戻そうとしたが、鳳凰が制止した。
「このまま後をつけよう」
青竜は少し不安だったが、ここは鳳凰の言うとおりにする事にした。桜は階段を下り玄関を出ると、そのまま夜の街を歩き出した。
「一体何処まで行くのでしょうか」
桜は外へ出てからも、しばらく歩き続けるので、青竜はますます不安になっていた。
「このまま夜通し歩かせて疲労させて殺すつもりなのでは」
「それは無いだろ」
鳳凰が冷静に応えた。ビュウと冷たい風が吹き抜けた。今夜は特に冷たい風が吹いている様に青竜は感じた。
(桜様、こんな寒い中を歩いて風邪をひかなければいいけど)
せめて上着を着せてあげるんだったと青竜は後悔していた。
やがて町はずれに古い屋敷が見えてくると、桜はその中に入って行った。二人は扉の前で立ち止まった。中からは明らかに妖魔の気配が漂っている。
「どうやら仕掛け人はこの中だな」
鳳凰が扉を見つめながら言った。
「さて、どうする」
桜が中にいるからには、うかつに進入する訳にいかなそうである。
青竜は扉の下を見つめていた。古い屋敷の扉は下の方に穴が開いていて、野良猫猫1匹くらいなら自由に出入り出来そうな隙間が出来ていた。
「ここは私に任せて下さい」
そういうと青竜は蛇の姿に変化した。
「おい、俺は?」
青竜は鳳凰を屋敷の外に置いたまま、するりと中に入ってしまった。
「まったく仕方のないやつだな」
鳳凰はひとまず青竜に任せる事にしてその場で待機する事にした。