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私って何者なの?

城壁に寄り添うようにして建てられた宮殿に向けて夕日が沈んでいく。

暖かさが戻ってきているが、まだまだ少し寒い時期、人々の帰宅の脚も心なしか早い。


街の往来は帰宅を急ぐ人で溢れ、あたりは金色に染まる中、少年とも言っていい若い男がひとり進む。


長い海の旅で顔が少々赤く荒れているが、端正な目鼻と肉体を持ち、少しカールしたセミロングの黒髪をなびかせるその姿は高名な騎士と言っても通るほどで、実際に横を通った数人の女性を振り向かせていた。

アレッツォという名のその少年は午前中に港に入り、隣接するヴェネツィア商館街に立ち寄って手続きを済ませると、宿泊も断り、旅装も解かずに市街へ直行した。


胸に手を当て、ドキドキと鼓動するのを確認する。夢が叶うかもしれない!居ても立ってもいられない気持ちに彼は押されていた。

商館では手続きという名の取り調べやらなんかで、結局数時間留め置かれて、その間中、自分の真の目的を探られないように必死に耐えてきた。解放された今、遮るものはなにもない。


希望と期待に胸をふくらませて、アレッツォはやがてひとつの扉の前にたどり着く。


「ん…?おかしいな、ここだと聞いていたんだが」

つい声を出してしまうほど、アレッツォは不審に思った。なぜって、そこは光の当たらない、なんとも人通りの少ない路地裏の、お世辞にも広いと言えない家。看板のひとつもない。ここが目的の場所なのか、夢が叶うかもしれない場所なのか、甚だ疑問だ。


茶色い石造りの他の家々と交じり合うようにして、まるで世間から隠れるように建つ家を前に、彼も建物になったように呆然と立ち尽くす。

出発前に紹介者から「今から君が会いに行く人は、世界一の錬金術師にして、宮廷魔道士だ」とか聞いていた。そんな立派な錬金術師の家というのが、本当にこの貧しそうなちっぽけな家なのか。


「あ、あのー…。レ、レオニオロスさまはいらっしゃいますでしょうかー…」

緊張か、落胆か、わからない感情に押されてアレッツォは微かな声で呼びかける。


音もない時間がしばらく流れ、それからおもむろに扉が開いた。

微かに硫黄の香りが漂う。


「ばかもの…!堂々と訪ねてくるでない。世間にバレたらどうする!何も言わずそっと入れば良かったものを!」と出て来た人物は小声で言う。

少々ボサボサの白髪に白い髭、いかにも「じいさん」と言えるくらい刻まれたシワと灰色と黒の間くらいの瞳…特徴は確かに紹介者から聞いたレオニオロス、つまり「世界一の錬金術師」と言われた人物と合致する。


「あの…それなら僕は早く入ったほうがいいんじゃ…」

とアレッツォ。


「口答えするでない馬鹿者が!とっとと付いてこい」


アレッツォはおんぼろの家の狭い通路を進む老人の背中を追っていった。

(僕が馬鹿者だって?これでも本国(ヴェネツィア )では裏社会でそれなりに名の知れた錬金術師だったんだぞ)

進むにつれてアレッツォの自尊心の高ぶりも進んだ。


高名な錬金術師だからと聞いてレオニオロスに師事しようと思ったのに、こんなしょぼくれた爺さんに破れかけた研究室( アトリエ)じゃ、教わる事も何もないだろう。

せっかく来たからには、この爺さんを錬金術で負かせて憂さ晴らしをして、僕が代わって宮廷魔道士になって、とっととこんな場所とはオサラバだ。


アレッツォはそうこう考えているうちに、レオニオロスが立ち止まったのに気がつかずに背中にぶつかった。


「馬鹿者!危険な薬剤もあるんじゃぞ!殺す気か」

よろよろとバランスを取りながらレオニオロス爺さんは悪態をつく。


「…ごめんなさい」


「ふん!」


いきなり険悪そうな雰囲気に包まれるも、アレッツォは前にもこういう経験をしたし、錬金術師とか魔術師という連中は人々から悪魔と言われているだけあって、総じて自尊心が高くて変わり者ばかりだから、慣れっこだった。

相手のレオニオロス爺もそこらへんは慣れっこらしく、それ以上何も言わずとっとと自分の所定の位置なのであろう腰掛け椅子まで行ってしまった。


それからレオニオロス爺は無言で自分の作業をし始め、アレッツォはずっと立ち尽くしてまるで背景と同化してしまったかのごとく、気にも留められなかった。

30分ほど、ずっとそうしてた。するとレオニオロス爺が耐えかねたのか口を開く。


「…何ができる」


「え?」

アレッツォは独り言かと思って聞き返した。


「お前は何ができるかと聞いておるのじゃ!」

レオニオロス爺、今度ははっきりと強く言う。なんだ、大きな声も出せるんじゃないか。


「あっ、はい。僕はヴェネツィアのドージェ(統領)に仕える父に、過去を辿ればエジプトのトートの魔術にまで遡る錬金術の秘技を教わり、一部については実践をしていまして」


「で、何が出来ると聞いてるんじゃ。トートなんて興味もないわい」

話を遮ってレオニオロス爺は聞きなおす。


(なんて失礼な爺さんだ。それに錬金術師でありながらトートを馬鹿にするなんて)

と思いつつも、気を取り直して自分の得意分野をまさしく得意になって解説する。イヤミも交えて。


「あ…はい。ご高名なあなたにとってはエジプトの魔法も全て熟知なさっているのでしょう。僕ができることはですね、毒薬の調合、金属を別の金属と合わせること、それから方陣を描いて悪魔を召喚することもできますよ」


「…毒薬の調合なんてことを、今日初めて会ったような人間に言うものじゃない。例え相手が錬金術師でもな、長生きしたければな、言うものじゃないわい」

それから少し間を開けて。

「あとな…出来ないことをあたかも出来ると言うもんじゃない」

とレオニオロス爺。


「な、何ができないというんですか!見もせずに!」


「悪魔の召喚の話、それは嘘かもしれないのぅ」


「あなたは本当に錬金術師なんですか!?僕はやりましたよ!12歳のときに」


「ほう、で、何を召喚したんじゃ?」


「魔女です!方陣を描いて、呪文を唱えたら水銀が反応して、すぐあとに草むらで裸の女性の死体が見つかったんです」


「魔女は飛ぶとき裸になって油を塗るというのは知っておる。だが死体があったからと言ってそれが悪魔や魔女だっととは言い切れないじゃろう」


「じゃあどうすれば呼べるんですかね?レオニオロスさま、あなたは呼べるんですか?」


「わしは悪魔なんぞ呼ぶ術は知らぬ。それに悪魔というのは、人間ごときに呼べるものじゃないとわしは思っておる」


「レオニオロスさま、こう言ってはなんですが、あなたは錬金術師じゃないように見えます。僕が証明してみせますから、この研究室と道具を貸してください!明日にでも悪魔を召喚してみせましょう」


「ふむ…まあ研究は錬金術の本望じゃ。やってみるが良い。だが危険な物質を使う場合はわしに言え。それが条件じゃ」


あっさり許諾したのは意外な気もしたが、とにかくレオニオロス爺を見返すチャンス得たりと、アレッツォは意気揚々と準備に取り掛かった。


夜を徹しての作業が続く。レオニオロスも狭いアトリエの反対側で自分の作業をしている。

アレッツォは魔法陣を描くための骨の粉と他には水銀、燭台、カマドなどを用意し、金属を準備して悪魔召喚に取り掛かった。


アレッツォの後悔は次第に募る。なにせ一度成功したとはいえ、確かにあれが魔女だったという確信もないし、そもそも成功したのは12歳のときの1回だけで、他に12回ほど父に内緒でやったりしたが、成功したことは無かった。今までの成功率で言えば、かなり絶望的といえる。


しかし今更謝る訳にもいかず、アレッツォは淡々と作業をして魔法陣を完成させた。三角形を交差させた図形で、これは「移動できなくする、その場に留める」という意味を持つ。


夜が更ける頃には準備があらかた終わっていた。


「レオニオロスさま、準備ができました。ご覧ください」

アレッツォは早朝にレオニオロスを前に実践を始めた。召喚に服装の規定は確か無かった気がするが、雰囲気作りに長めの黒いローブを着た。ダルマティカ(キリスト教の聖職服)だと悪魔が恐れて寄り付かないとも聞いたことがあったから、無造作に椅子にかけてあったダルマティカを部屋の隅っこに置いて、描いた魔法陣に向けて硫黄を振りまき、儀式を始めた。


硫黄を撒くかどうかは人によるが、父によると悪魔は硫黄の匂いに反応するらしい。


呪文を唱え、30秒ほど杖を天に、もとい狭い天井に向けて振りかざし、やがて儀式は終わった。


その間、何も起きなかった。レオニオロス爺はもとより、儀式を終える頃はアレッツォすら、何も起きないんじゃないかという気に襲われていた。


「…あの、ごめんなさい。悪魔召喚は12歳のとき一度だけ成功したきりでそれ以降は…」


「素直になれんのかお前は…失敗は失敗じゃ。だが錬金術とは失敗がほとんどのものじゃ。失敗したから無いとは言い切れん。わしは悪魔を人の力で召喚できないと思っておるが、できると思うなら、研究するのも良いじゃろう…だが何事も成功したと断言するなら、理論的な証拠がないと恥をかくと知るのじゃ」


アレッツォはその言葉を聞いて、気が軽くなった。と、同時にもしかしたらレオニオス爺は錬金術師かどうかは置いておいても、立派な人なんじゃないかと少し思い直した。ほんの、ちょっとだけだが。


ヴェネツィアじゃドージェ(統領)の保護があったとは言え、ドージェの意向に背く研究はできなかったし、ほとんど毒薬作りしかしていなかった。悪魔の研究だってほんとうにひっそりと、小規模にやるしかなかった。


世間から危険視されている魔術や錬金術という類を、自分の思う通りに、本当に研究するなら、こういう穴蔵のような家でこっそりやるほうが理に適っているのかもしれない。


レオニオロス爺は階段を登って地下の錬金術部屋から出て行った。たぶん寝るんだろう。あくびをしている。


アレッツォも1階へ上り、狭い廊下を通って入口の扉を開けた。そういえば昨日は直行したから、何も見ずに来てしまった。少し街でもぶらついてみるか、と。


昨日とは打って変わって小雨が降っていて石畳の路面は濡れ、怪しく曇り空を映している。


するといきなりガタン!と音がした。


ハッと振り返ってみるとそこには裸の黒髪の少女がポツンと濡れたまま立っていた。


アレッツォは一瞬目を疑って目をパチクリさせた。


二度瞬きして、もう一度見る。15歳くらいの少女が、なんの恥じらいもなく扉の横に立っている。おかしい。僕はどうしてしまったのだ。


「あ…あの、その…そんな恥ずかしい格好でここに立っているのはまずいんじゃ…」

アレッツォは恐る恐る忠告をする。


「あの!恥ずかしい格好ってなによ!これでも私の国では礼服なのよ!失礼しちゃうわ」

少女が予想外に大声で生き生きと喋った。さっきまでの無表情も、無礼者を見下す目に変わっている。


「え、服…?何も着てませんよね?」

アレッツォはそれしか言えず。


すると少女はハッとなっていきなり顔真っ赤。声にならない声で口をパクパクさせて自分の姿を見ている。


「変人!やめて!あなた何しようと企んでるの!?」

と少女。やめてくれ、冗談じゃない。それはこっちが聞きたいことだ。急いでアレッツォは言い返そうと思ったが、反対側から人影が見え、急いで少女の手を掴んでアトリエに押し込めた。


「やめて!きゃ!」

と抵抗するが力の強いアレッツォは彼女を征服して中に押し込めて手で口を塞いだ。


「話はあとだ、まず、服、着て!」


彼女を地下に連れていき、さっき投げた白いダルマティカをとりあえず着させた。下着はないけど、隠すには十分だ。


少女はさっきまでレオニオロスが座っていた椅子に座って、濡れた髪を撫でながらムスっとしている。


「あの…君はだれなの?」


恐る恐る聞くアレッツォ。


「…悪魔」


「は?」


「私、悪魔なの」


「え?悪魔?」

さっきまで自分が悪魔召喚したことも忘れて、何度も聞きなおすアレッツォ。


「そう。悪魔。私悪魔だから、仲間の悪魔を探して旅してたの」


「旅って…どこから?」


「イル・ド・フランス(パリ地方)からよ。あっちはここ以上に魔女審判が流行ってて、何度も殺されそうになったわ。それから歩いてこの帝都に来たの」


アレッツォは自分が悪魔召喚をしたことを思い出し、もしや成功したかと思ったが、歩いてきたと言われてがっくりした。別に召喚できたわけじゃないようだ。


「で…その、なんで裸だったの?」

当然の疑問を、彼女にぶつける。


「それが分からないの。私は東にタルタロス(地獄)があって、タルタル(悪魔)が迫ってきてると噂を聞いて、私悪魔だから、仲間に会えるかなってフランスを飛び出したのだけど…それでここに着いたら急に眠くなってしまって、で気がついたらああなってたの!もう聞かないで!」

恥ずかしそうに少女は足を抱えて塞ぎ込む。


アレッツォは思った。これは悪魔憑きか、狂人・変人の類だろうな。

悪魔召喚したら、悪魔憑きが現れた。偶然かもしれないし、証拠も無いからレオニオロスに自慢はできない。でもなんだか偶然じゃない気もしてちょっとだけ、内心得意になった。


会話が無いのでアレッツォは何か話をすることにした。

「…あ、そうそう、その服は僕の師匠の持ち物だから、後で僕がなんか服買ってくるよ。旅に必要なものがあったら、言ってくれればそれも…」


「ありがとう。とりあえず今は服と多少の食料があればいいわ…」


「えっと、僕の名前はアレッツォ…紹介まだったね。えっと、君は」


「私の名前は…あれ、私名前なんだっけ…」


あ、これは本格的にまずい部類の悪魔憑きか、とアレッツォは思った。または名前がバレたくないから、故意にそうしているのかもしれないが、そうとは思えなかった。


「名前?分からないの?」


「うん、フランスに来る前の記憶はほとんど無くなってて…覚えてるのは私が悪魔だってことで、元々はティリア・ナガという街に住んでて、あとは、うん、これだけ。なんの悪魔だったかも忘れたわ」


「ティリア・ナガねぇ、そんな名前の場所、見たことも聞いたことも無いなぁ。そうだ、名前無いならとりあえずティリアとでも名乗れば?」

アレッツォは提案する。そして段々、普通に話せるようになっている自分に気がつく。こんな快活に喋れるようになるなんてまるで魔法のようだな、と。


「ティリアかぁ、まぁまぁいい名前ね!じゃあ私は今日からティリアっていうことにするわ。これからずっとよろしくね!」


「え?ずっとってどういうこと?」


「そりゃ、私、こうやって今、キリスト世界の東の果てまできたけども、タルタルがどこに住んでるのかとか、東に何があるって情報、何も無いもの。せっかくだしここ(帝都)で情報収集させてもらうことにしたの」


「ええっ、いやでも僕ここの家主でもなんでもないし…勝手には決められないし」


「アレッツォだっけ、私はあなたの師匠とも伴侶ともなんとでも設定できるでしょ?」


「いやぁ、それは無茶な…」


と言いつつアレッツォは爺に提案しに上階へ向かった。ただし素直にレオニオロス爺に「悪魔と名乗る子が来た。住まわせてほしいと言っている」と打ち明けて。


「悪魔だと自称すれば、普通は訴えられて即火刑じゃよ。なんでお前に悪魔だなんて名乗ったか分からないが…とにもかくにも、不思議な子じゃな…」


レオニオロス爺はしばらく考えたのち、後で結論を出すと言って2階の部屋にこもった。そして聞こえてくるイビキ。まったく、ただ二度寝したいだけで考えてないな。


アレッツォは下に戻って、彼女と何を話そうか考えていると、ティリアの方から話しかけてきた。


「私はあなたが錬金術師だってすぐわかった。錬金術師は悪魔って言われてるし、私が悪魔だって告白しても訴え出ないかなって思ったの。本音言えば、恥ずかしくて何も考えずに名乗っちゃったんだけど…」


「うん、そういうこともあるよ。僕も恥ずかしくなると頭真っ白になるし…」


こうして半地下の錬金術部屋で二人は時たま他愛のない話をしたり無言だったりしながら、かれこれ2時間くらいレオニオロス爺の結論が出るまで、いや、起きてくるまで待った。


ようやくアクビしながらレオニオロス爺が下りてくる。と同時に

「いいじゃよ。当面ここに住んでもらって」

とポツンと言った。


続けてレオニオロス爺は言う。


「こんなご時世に悪魔と名乗る少女が来るなんてこと、一生に一度も無いことじゃ。もしかしたらお前、本当に召喚できたかもしれないじゃろ。ちゃんと実験が嘘か本当か証明するまでが錬金術じゃて。」


こうして、3人の悪魔の錬金生活が始まった。


つづく

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