16
血がポタポタとアスファルトに落ちていく。
その血は、ヴォルフから流れている。
「ぐっ……うっ……」
「痛そうだね~、オオカミさん~、さっさと楽になろうよ~そして、死んじゃお~」
ヴォルフの右腕の肘から先がなくなっていた。いや正確には、そこに忘れてきてしまったかのようにアスファルトの地面にゴロリと転がっている。あの大きな斧からの一撃をかわすために、犠牲にしたのだ。
右腕の先から、未だに血がポタポタと流れ落ちる。
「へっ、右腕なんかなくてもよ。若造を殴るぐらいなら左腕さえあれば充分だ」
「強がったって~無駄無駄~。オオカミさんは、退治されるべき悪いやつなんだよ~」
左の拳を握り、戦う意思を表す。
だが、その顔には、一筋の汗をかいている。本当は痛みで気が狂い、気を失いそうになっている。
その気持ちを抑え、押し込めるように拳を強く、強く握りしめる。
「ヴォルフさん!」
「嬢ちゃん、無事だったか!!」
「わぁ~い……可愛い女子だ~!」
ヘーベルは、キューから飛び降りヴォルフに駆け寄る。ヴォルフは、苦しさを出さないように笑みを浮かべる。
「ヴォルフさん、腕が!!」
「へっ、ワシぐらいになると、あんな若造。右腕があったら楽勝だからくれてやったんだよ」
「ヴォルフさん、私も加勢します!!」
「いんや、いらんよ。それよりアリス達を追ってくれ。あの龍がついているとはいえ、心配だ」
「なら、こいつを倒したあとに」
「いいから行け!! ワシは、心配いらない。ワシの戦いなんだ、ワシにやらせてくれ」
ヘーベルの頭を軽く撫でる。その撫で方は、とても優しく力があまり入っていない。ヘーベルは、奥歯を噛み締めて立ち上がり、男へ立ちはだかる。
「じょ、嬢ちゃん」
「これは、ヴォルフさんの戦いなのは分かりました。これは、貸しです。あいつの右腕……私が貰ってきます。だから、その貸しはヴォルフさんが生きてしっかり私に返してください」
「僕の相手をする気なの~?」
ふっと鼻を鳴らすと戦う意思を示すようにヘーベルは構える。その構えを見て、男は嬉しそうに笑顔を見せた。
「僕……か。分かりました、僕ちゃん。お姉さんが遊んであげます。だから涎でも垂らしながら、嬉しそうにかかってきなさい……糞餓鬼」
「強がる女の人って、僕好み~! 強がった子を恐怖の顔に染めるの大好き~!」
大きめの巨体を揺らしながら、駆けてくる。男は、右の斧を降り下ろし、地面へ強烈な一撃を放つ。
ヘーベルは、そこで空中へと逃げ、手甲へと足を鎌のように降り下ろした。
男は、蚊を払うかのように腕を振り、ヘーベルの一撃を払いのける。跳ね返されたヘーベルは、身を翻させて、息を深く吸い込み、体の中に新鮮な空気を取り込む。
ふっと一撃と共に拳を和太鼓を叩くかのように数発叩きこみ、手甲を微かに歪ませる。
「やっぱり私じゃ、まだ軽いか。やり過ぎると手痛めるし」
「そんなの全然痛くない~ もっと、遊ぼうよ」
「ふぅ~……」
男の言葉を無視して、息を深く吐き息を深く吸い込みまた吐く。呼吸を荒くし、ゆっくりと緩やかに整えて、ヘーベルまた構える。
「私の今の一撃は、軽いし。あんまり強くないけど……きっとできるよね。あの怪物には出来たし」
「遊ぼ~~!!」
左の斧を軽やかに避け、近づき、距離を縮める。右腕が振られ、それに合わせるように息を吐く。
ただ息を吐いた訳ではない。
右足を踏ん張り、体を右に捻ると同時に右腕を引き、ゴムのように戻し、放つ。
相手の右腕を止めるが、変化は起きない。
そこですぐに右腕を離し、左腕で打ち込んだ。
先ほどよりもずっと弱い軽めの一撃、相手の身を引き裂くような一撃とは思えなかった。
だが、その一撃は、絶大なものとなる。
「ひぎゃあぁぁぁ!!」
「ふぅ~……」
右腕がべきりとあらぬ方向に折れ曲がったのだ。
外部には、外傷は見当たらず、内部の肉や骨に衝撃が奔り、内部から外部へと破壊した。
「外部から破壊できないなら、外部から内部にすぐに気と衝撃を送り、引き裂くだけ。右腕は貰いました」
ヴォルフへと歩いていき、肩へ手を置く。
あとは任せましたというとキューを呼び、乗る。
「これで公平です。ヴォルフさんが楽勝という言葉を信じます……だから必ず生きてください」
「女に……こんなに手助けされて借りまで作ったんだ。必ず、倒すっての」
左手の親指をグッと立てて、顔は見せない。
そんな後ろ姿に軽く頭を下げると、ヘーベルはキューにアリスの匂いを探させ、追っていく。
「さて、やるか。女との約束は守るもんだ、若造。お前を倒してワシは先に行かせてもらう」
「ぐぁぁぐぐっっ!! 殺す、殺すぅぅぅ!! お前から殺すぅぅぅ!!」
「いや、ワシがお前を殺す」
重い体を起こし、男へとふらふらとした足取りでその距離を詰めてゆく。右腕からポタポタと流れていく血が、足跡のように血痕を残していく。
「うぉぉぉぉっ!」
雄叫びを上げ、顔へと爪で左目を潰し、顔へと左顔面を切り裂く。痛がる男を気にもせず、左腕を首に回し混み、腕でしっかりと締め上げる。
「んぐぐっっ!! ぐ、ぐるじぃ!!」
「はぁ……はぁ……ワシの勝ちだ……!」
前腕と上腕に力を入れ、首をきつく締め上げる。
男の顔が青白くなり、遂には力が抜けて、ドンッという豪音を立てて、倒れた。
「はっ……ワシの勝ちだ……」
フラフラになって起き上がり、みんなの行った方向へゆっくりとその重い足取りで歩いていく。
だが、血を流しすぎたせいか視界がぼやけ始める。
いつ倒れてもおかしくないなか、先へと進む。
「おいおい、やられてんのかよ」
男の声が後ろから聞こえてきて、ヴォルフはすぐに後ろを見た。だが、それが彼の最後だった。
目の前にあの斧が飛んできて、彼の体を上と下を分割する形で引き裂いた。
「はい、一匹終了。侵入者、残り四人だろ。簡単な仕事ぐらいやれよな」
ジャージのような黒い服装を着た男は、ヴォルフの頭をゴミのように横へ蹴りを入れ、ポケットからタバコを取り出す。ジッポーで火を点け、タバコを吸い始める。
「よし、ゴミ掃除……始めますか……」
針のような刺さる殺気を背中から受け、ヘーベルは振り返る。その恐るべき殺気は、先ほどまであの場所にいなかった者のものだ。
(ヴォルフさん………)
彼の身を案じたが、ヴォルフを信じて、今は前に進むしかない。戻ってしまえば、彼の意思に背いてしまうことになる。
頭を振って、最悪の結果を振り切って、目の前のアリス達の安否を心配する。
(アリス……頼む、無事でいてくれ……)
「キューちゃん、もっと速く、速く!」
彼女の言われた通り、キューはその足を速く動かし、蹄をアスファルトに叩きつけて駆ける。その姿は、まさしく幻獣と言われるのが分かる幻想的なものだ。月夜に照らされて、神秘的とも言える。
「居たっ!」
「ヘーベル!!」
遂に、ヘーベルは三人に追い付く。
そのことにアリスがすぐ気づき、それに続いて二人も気づく。
「無事だったか、嫁よ!」
「良かった、無事だったか!!」
四人は、再開を喜ぶ隙も与えられず、また銃撃戦が始まる。ビルのガラスを破り、降りてくる男をヘーベルは撃退し、角先から来る男をブラドが火球で撃退し、背後からの敵をアリスとハバキが応対する。
「くそっ! 敵が多すぎるぞ!!」
「なら、私が全て焼き払ってくれようか!!」
「いや、今最大の敵は、狙撃手です!! 他の人は、関係ない。だからあちらも住民に外に出ないように通告してるんでしょう」
「だけど、ヘーベル!! このままじゃ私達の方が……」
パンッと顔近くを銃弾が掠めて、ビルに小さな穴を開ける。敵は、まるで湯水のように溢れてくる。
どうしたものか、考えているとあの殺気を送ったものが近づいてくるのをヘーベルは感じる。
「ちっ……分かりました、コイツらは私に任せてください!」
「私も残るぞ、嫁よ!!」
「いや、ブラドはお姉ちゃん達についていて」
「なら、私が残る!!」
二人が言い争いになる中、ハバキが名乗りを上げる。
「俺が残る」
それは、とても高らかとは言えなかったが、その低さのある声には決意が見えた。二人は、お互いを見るとそれを了承し、敵をなぎ倒し前へと向かっていく。
「ハバキ、妹を頼む」
「勿論だ、任せろ!!」
二人が先に行く中、囲まれたヘーベルとハバキは背中合わせで、敵を迎え打つ。
「なんで残ったんですか?」
「女一人残すわけにいかないしな。それに何かとてつもないものが、迫っている。そのことに……お前、気づいてるんだろ?」
「……はい」
「なら、後ろの雑魚は任せろ」
「えっ!? そこは、私の方を任せてくれるんじゃ?」
ハバキは、ふっと笑う。
「いや、俺より強いお前の方が、確実に仕留められると思ったんだよ。だから、邪魔になる奴らは俺に任せろ」
「分かりました……でも」
向かってくる男を蹴り上げ、吹き飛ばされた男はあるものに掴まれ、投げ返される。
それをヘーベルは殴り、沈めた。
「ハバキさん、貴方の方が意外と強いかもしれません。もし、私が駄目になったら……お姉ちゃんをお願いします」
「お前……」
「ふっ、背中は任せました。必ず生きて帰りましょう!!」
囲んでいる集団の外で、タバコを吹かしながら男は自分に挑戦を挑んできたヘーベルを見て、ニヤリと愉快そうに笑みを浮かべた。