番外其ノ七:想い狂うということ
ようやくでございます申し訳ない・・・ カノンさんのシーンをだいぶカットしたので、若干つながりが曖昧かもしれませんが、ご容赦ください。
僕とエースさんの出会いについて語るのならば、絶対に外せない事柄がいくつかある。
今から考えても、全部が全部僕のせいではないとはいえ、げに恐ろしいことをしたと思う。
一生分の恐怖と、想念、あるいは理の手の力を真に体感した出来事ではないかと思う。
だったらばまあ、まず何から話すべきだろうかと考えると、これが案外難しい気がする。
そうだ、僕が彼に出会う前の話しからしてみようか。
僕にとって父上は、善人とは言いがたい。元がどうあったかは知らないけど、今の彼を見れば僕の言葉に頷いてくれるヒトは多いだろう。
あれで昔を知るヒト、例えば母上などは、貴族社会を切り抜けるために率先して自分を曲げていった結果なのだと嘆いたりする。でも、それでも父上の根幹は何一つ変わっていないからアイし続けているのだそうだ。
愛って、何だろう。
いまもってよくわからない。
それはともかく、そんな父上だけれど、それでも僕の体には両親の血が流れていて、そして僕は間違いなく彼の子供、リックスなのだ。
反面教師として、ああいう貴族にはなりたくないという思いもあったけれど、そうであっても父上に対する尊敬の念は消えることがない。
現国王のセラスト様が、マグノリア王女(現王妃)と共にクーデターをして国を奪取した後。
混乱期にあった王国の隅にあった、職人の村。
父上は当時、村の外交として商売の窓口を請け負っていたらしい。
職人としての勘がなかった父上は、長男であったものの後継者から外され、変わりに家に居つくのならばと、そういった処世術と交渉力と、数学について学んだそうだ。
そんな村で、病気が発生した。
今は違うけど、当時の王国の衛生環境はかなり悪かったらしい。
刃物の取り扱いこそ少なかったものの、切り傷から感染症になるヒトもちらほら。
大体村の半数が酷い被害にあった頃だろうか。村に、セラスト王が来たらしい。
お忍びで王妃様と一緒に視察に回っていたそうだ。
父は、身を投げ打って直談判した。
最悪首を刎ねられてでも、それでも現状を変えたいと、王様に嘆願したらしい。
そして、王様は本格的にその状況を変えようと考えた。
オルバニアに、公衆衛生という概念が誕生した瞬間かもしれない。
いや、ひょっとしたら王様がかつて治めていたという場所はちょっと違った感じなのかもしれないけど。
ともかく村にも、「汚水道」というものが出来るようになったらしい。
馬車道の整備だったり、家庭内での洗浄の徹底だったり、水のろ過装置だったり、便所には肥料化のための魔法具がつくられるようになったり……、残念ながら僕も全ては把握しきれて居ない。お父様は、その時国王様がアイデアを出す際、色々と協力したのだそうだ。
そして、ある時王様によってつれられ、各地で似たような仕事をやらないか、と言われたらしい。
これに、お父様は乗ったそうだ。
結果として、それが現在のリックス家の足がかりになった。今のリックス領と言えば服飾などが有名だけれど、それでも大本を辿ればそれにいきつくらしい。
身奇麗大臣、と揶揄されることもあったとか。とんでもない、泥と血を舐めてのし上がった叩き上げの名誉貴族だ。ただそれを、心ない多くの貴族が罵倒として言ったらしい。貴族としての本分も果たさずのし上がった軟弱モノ、身奇麗さだけが取り絵のうつけ、と。
そういった経緯を、当時はまだのほほんとしか把握してなかったけど、だから僕の父上に対する感情は、複雑だ。
やったことは確実に尊敬すべきものである。
だからこそ、その結果として歪んでしまった今の父上に思うところは多い。
ならばせめて、そんな父上の出来ないことを出来るようになりたいと、僕は思った。
多くのヒトの声に耳を傾け、力をかしてもらえるように頑張った。
それで、みんな幸せになれるように出来たらいいと、心の底から思う、ようにした。
まだ小さな子供だった僕が、その生き方で得られたものは、そこまで多くはなかったかもしれない。でも、胸を張って生きれる人生はすばらしいと、昔の父上は言っていたそうだ。
だからこそ、そんな父上と仲の悪いらしい“黒の勇者”についても、少し偏見はあったかもしれない。
父上と仲の悪くなる前のエースさん。
最初は、変なやつだと思っていた。
エリザベート様の十一歳の誕生日パーティー。
大臣たちや王政の関係者たちが一同に介する立食会。
王城では未だに語られる「大型魔獣召還未遂事件」と言われているらしい(後日、女中さんたちの会話で聞いた)事件の数日後だった。
何を言われても引きつったような笑いを浮かべる、頬のこけた青年。
細い黒髪は明らかに手入れされていない風にぼさぼさで、長く目を覆うくらいの長さ。服は明らかに借り物と思われるもの。もっとも彼と一緒に来ていたダグナさんなんていつも通りの鎖帷子姿だったりもしたけど(父上がひきつった笑いを浮かべたのを初めて見た)、それでもなんとなく、場違いな印象があった。
有体に言えば、やっぱり僕も貴族の子供の一人だったのだと思う。
見下していたのだろう。
いくら勇者といえど、所詮は平民。もし崇高なことをしたのならば貴族にのし上がれるが、とうてい彼はそんな感じに見えなかった。
「エース、ほらこれどう思う?」
「……味薄いな」
「いやん、もう。そんなこと言っちゃお肉ちゃんも悲しむわよん?」
「キモイからフォークでとったのあーんとかするの止めろ、お前男だろ」
「いやねー、冗談よ冗談」
「お前のそれは冗談に聞こえないんだよ。だったら口調直せし」
なにせ、ダグナさんと対等に話して居るような人間なのだ。
今はともかく、当時の僕にとってダグナさんは、只の馬鹿者にしか見えなかった。
男だというのにあの口調。いや、そこは本人も自覚があると言っていたけど、それ以上に、ダグナさんのせいでバンチ騎士団長が副団長になってしまったのだ。父上から与えられる情報にいくら色眼鏡がかかっているとはいえ、経験も薄く、実力もない(と当時の僕は思っていた)男が、洞察力と思考力が優れているだけでトップの座を奪ったように見えたのだ。
類は友を呼ぶ。
愚か者は愚か者の仲間だと。
まったく、今思い返して見れば、傲慢甚だしいところだ。
ただそれでも、お父様とエースさんが話している際、僕も何か話す事になった。
その時、たしかこんなことを聞いたと思う。
「僕でも、勇者になれますか?」
言葉だけなら勇者に憧れる子供だったけど、でも、僕の思惑は少し違うところにあった。
僕でも、ということだ。
つまり、「お前になれたのなら、自分にもなれるだろう」という傲慢さがそこにはあった。
それを目ざとく理解したのか、エースさんは一瞬停止した。
今思えばダグナさんも無表情になっていたような……、恐すぎる。あの時、エースさんが何も言わなかったら何が起こって居ただろうか。
でも、エースさんは肩から力を抜いてこう答えた。
「四千七百三回死ぬ覚悟があるなら、やってみればいいんじゃないか?」
なんでそんなに具体的な数字なのだろう。
今でも謎だけど、その時の僕は「じゃあ、一万回死ぬ覚悟がつくよう努力します!」みたいなことを言った記憶があった。
まあ、自分が思っていた以上に自分が愚かだったというのは、ちょっと悲しいところだ。
次に会った時は、セノさんとカノンさんが一緒に居た。
セノさんというのは白い服を着たハイエルフの踊り子で、カノンさんはひどく美人な女冒険者(賞金稼ぎも兼業してたらしい)。
なんでも、とんでもないものが見つかったとかでセノさんが「魔導番室付きの魔術師」(つまり研究職の魔法使い)に用事が出来たということで登城し、エースさんとカノンさんがその付き添いだったそうだ。
服装が仕立てたものでなかったこともあってか、エースさんまますます平民らしい気がした。
そして、当時の僕の増長もそれなり。
なんでこんな、へなちょこみたいな人とこんな美人が一緒に居るんだろう。
エースさんにではなく、カノンさんにそれとなく尋ねた覚えがあった。
「尋ねるだけ、感性を疑う」
エースさん以上に荒くれな人生を送っていたからだろうか、カノンさんは一切躊躇なく僕の増長を切り捨てた。
でも、それでもやっぱり僕は綺麗に折れてはいなかった。むしろ変に曲がって、カノンさんすら心の内で見下し始めたのだ。
見た目こそ純潔であっても、その性根は知れたものだろうと。
……うん、なんでこんなこと僕は思い出しているんだろう? 何度思い返しても、過去の自分の首筋を縛り上げてつるし上げてしまいたくなる。
そしてその日、お父様とエースさんが完全に仲が悪くなったことが切欠で、僕のエースさんに対する感情は最低値を記録した。
「あれは、貴族というものを欠片も分かっておらぬ。
貴族とは、高貴な振る舞いをして下々のもののために働くものだ。
だというのに、あれは増長している。国王様を前に……、嗚呼っ!」
登城時の客間にて、頭を掻き毟りながら転がる父上。
一体何があったのだろう。何があってここまで父上を怒らせたのだろう。
本人とさほど会話もせず、情報も収拾せず、人柄の判断すらすべきでないにも関わらず――僕は、彼を有体に言えばクズだの、カスだのと思った。
だったから。
その日、僕の受けた衝撃は計り知れなかった。
※
その日、僕は彼女に拒絶された。
今思い返しても、大した話しではなかったと思う。
まだ当時、十一歳やそこらの青二才なのだ。未だに僕は自分のことを、至らない青二才だと思っているけど、それでもこの当時は、なおのことだった。
まるで世界が音を立てて崩れたような……、といったら言いすぎだろうか。
でも、当時の僕にとっては、そうに違いなかった。
「私、心に決めたお方がいらっしゃるんです」
そういって微笑む彼女の顔は、酷く綺麗で――僕は、その想いを向けられている相手をねたましいと思った。
「はあ……」
ため息をつきながら、廊下で食べ歩きをする僕。
自宅から出る時にニ、三枚くすねてきた干し肉だ。
あくまでも非常食として持ってきたものだったけれど、僕はどうにも、苛立ちが止まらなかった。
いや、苛立ち? 確かにそれも含まれて居たけど、やっぱり悲しかったんだろう。
そういう時に自棄食いをしようとするのが、僕の悪い癖。
気を付けないと父上と同じ鉄を踏んでしまいそうだから注意していたのだけど、やっぱりある基準を超えると食欲が勝ってしまう。
でもその上で、干し肉は最適なものであったかもしれない。
噛む回数が増えれば、量を食べなくても満足できるらしい。
今の僕はそんな知識を持っているが、当時は特に何も考えずに、くちゃくちゃと噛んでいただろう。何度思い返しても、この時の僕は人生で最も態度が悪かった。
だから、彼女の目にも留まったのだろう。
いや、その前に彼女と激突して、転ばせてしまったのが原因なんだけど。
何だろう、独特な形をした魔法石が、ぶつかった時転がった。さっと拾って手渡すと、僕はそのまま歩きだし、また口の中を動かした。
「……ちょっとアンタ、食べ歩きと口を開けながら物食べるのは止めなさい、唾液飛ぶでしょっ!」
たぶん、その叫び声に対しても僕は不機嫌そうに振り返ったことだろう。
だけど、予想に反して僕の背後に人は居なかった。
小さな女の子は居たけど、それだけだ。
「……って、何処みてるのよ、こっちこっち! このひょーきんぞく!」
そこまで言われて、ようやく僕はその文句を言ったのが、七、八歳くらいの女の子であると理解できた。
身長は、当たり前のように小さく僕の胸まで届いてさえ居ない。
金髪金目、小さいながらも将来有望そうな美少女がそこに居た。
ただ、夏場だというのに黒いローブに全身すっぽり覆われていたけど。
「……えっと、何?」
「しゃべりながらくちゃくちゃすんの止めなさい、飲み込んでから話せばいいじゃんっ。アンタ牛なの? 食べたもの何度もくんだしてまた食べるとか、内部で発酵させるために空気をどうのこうのするとか、そんな妙ちきりんな変態生物なのっ!」
なんというか、妙に語彙が多い女の子だった。
あと罵倒にひねりが効いていた。効きすぎてて何いってるかいまいちわからなかったけど。
ともかく、なんだか色々と礼儀とかをすっ飛ばした女の子だったことは覚えている。当時は「まあ小さい子だし、周囲に大人居ないから少しくらい良いか」なんて思っていたけど、彼女がバリバリの王城勤務だと知った時の衝撃は計り知れなかった。
それはともかく。
「……えっと、で、僕はどうしたら?」
「くちゃくちゃ止めればいいのよ。ほら、口閉じて……、閉じて……」
背伸びをして僕の口を片手で閉じさせようとしていたけど、後一歩のところで手が届いてなかった。しばらく挑戦し続けた後、うーうー唸って諦めたようだった。
「……とにかく、閉じなさいっ」
「えっと、はい」
機嫌が悪くても、人の注意は素直に受ける。
これも、民の声を聞く貴族としての姿勢だと思う。
女の子は、「わかればいいのよ」と言って腕を組んだ。
「食べ歩きは行儀が悪いけど、注意してもそこまで強制はしないわよ。時間ないヒトだって居るし。でも、くちゃくちゃするのは正当な理由がないとダメ! 口内炎痛いとかじゃないとっ。こっちの食欲が失せるじゃないっ!
悪化は良化を駆逐すんのよ!」
叫ぶ彼女の手に下げた袋にはおにぎりが入っていて、「えっと、そう」としか答えられなかった。
女の子は、こちらの顔を覗きこんだ。
「……ていうか、何よアンタ。そんな顔して」
女の子は、結構ずけずけと物を言った。不機嫌そうというか、元気がなかった自覚はあったので、僕も半笑いで答えた。
「えっと、まあ色々と……」
「なによ、話してみなさい? 素直にヒトの注意を理解して非を認められる人間は好きだけど、そんな人間がデッドウォーカーみたいな顔してたら、結局ご飯が不味くなるじゃないっ」
良く分からないけど、何か義憤にかられていたようだった。
あんまりヒトに聞かれたくないな、と思っていたのが顔に出ていたのか、彼女は「両手を組み合わせて」、ある魔術を起動した。
「わっ!」
驚く僕を尻目に、女の子は得意げな顔で笑った。
「どうよ、これなら聞こえないでしょ外にっ!」
胸を張る小さな女の子という絵面はかなり可愛いものがあったけど、それより何より驚かされたのは。
彼女が手を合わせた瞬間、地面に「魔法陣」が出現したことだ。
普通、魔法陣≒術式は魔法石に組み込むか、あるいは直接書きこむかの二種類に分けられている。当たり前だけど、事前に書かれているものを使ったほうが早いので魔法石を使うのが一般的だというのに、この女の子はどういう手段を用いたか、魔法陣のみを出現させるということをした。
一体、どんな凄腕の魔法使いなのだろう。
困惑する僕に、少女は名乗る。
「私は、セイラ。自慢じゃないけど、未来の大魔法使いよ!」
子供らしい誇大妄想と、笑い飛ばすことが僕には出来なかった。
ただ、話した結果、セイラちゃんにはばっさりと切られた。
「端的に言って、馬鹿じゃない? あんた。むすっとしてる暇があるなら、体うごかしなさい、体っ!」
ぴょんぴょんとはねながら、僕の胸元を殴る彼女。
「えっと、何で?」
「ただ単に、すねてるだけでしょ? かえれる場所だってあるし、別に死ぬわけじゃないじゃない」
「帰れる場所?」
「そうよ。何も、それ一つで人生おわったわけでも、何でもないじゃない。だったら、もっと前むいていくのよっ! もしそれでもあきらめきれないんだったら、あきらめないなりに何かがんばるの! いいっ?」
「えっと……」
「わかったらへんじ!」
「あ、はいっ!」
何故だろうか、セイラちゃんの言葉には、妙な説得力と強制力があった。
「……私に言わせれば、だれかのかえる場所になりたいからって、自分の人生ぜんぶ棒にふるような生きき方してる女もいるくらいだから、何ともいえないわね」
そんな話しをしていたら、廊下の向こうから、エースさんとカノンさんが歩いて来たのだった。
「セイラ、何やんてんの?」
「あ、エース。ちょっとおせっきょう」
胸をはるセイラちゃんに、エースさんは肩をすくめて僕の方を見た。どこか同情が含まれて居た気がするのは、気のせいじゃないだろう。頭一つくらい高い位置から、彼は僕に半笑いを向けた。
「いや、アスター……、だったっけ? 君」
「おお、エースがヒトの名前を覚えている」
「何言いながら私をだきあげてんのよっ! なぐるわよ!?」
カノンさんはセイラちゃんを背後から抱きすくめ、そのまま抱き枕でも抱くような感じに持ち上げていた。ぎゃんぎゃんわめくセイラちゃんを気にせず、そのまま頭に頬ずりをするあたり、今なら流石と思う。当時は馬鹿力だな、くらいに思っていたけど。
先に言ってて、と言われて、カノンさんはセイラちゃんを運んで行った。
「いや、悪かったな。どうせ小うるさく色々言われたろ」
「えっと……」
「詳しくは言わなくてもいいぞ? どうせ短気だから、何か気に入らないことをやってて三秒もせず爆発したんだろうし。たぶん言われたくない事とか色々言われたんじゃないのか?」
なれた様子で言うエースさんに、僕は二重の意味で返答に困った。どう言えば良いだろう、未だに当時の心中を表す語彙を、僕は持って居ない。
「えっと……。エース・バイナリーさん。相談に乗ってもらえませんか?」
「相談? って言っても、貴族らしい話しとか俺、てんで駄目だけど」
「そうじゃなくて、もっとこう……、人生の先輩というか、そういうのです」
「へむぅ? ツナナギ迎えに行かなきゃなんないのだが……、まあ音漏れ防止な結界の持続時間くらいまでなら、いいよ」
変な感嘆詞と一緒に、慣れた様にセイラちゃんが張った術を見破ったエースさん。この時点でもう相当に場慣れしているんだろうな、と今なら思うけど、やっぱり当時は何も考えて居ない。
「まあ、その、友達の話しなんですけどね」
「ふむへむ」
セイラちゃんには直に話したけど、さすがにエースさんには、そのままは話せなかった。
「……まあ、告白して振られたらしくて」
「へむぅ……」
真面目なんだかふざけてるのだか分かり難い反応だった。そのぶん思わずむっとした顔をしたけど、口調に反してエースさんは真剣な顔をしていた。
「で、質問とは何かい?」
「どう言ったらいいかと思って。えっと……、その、相手の好きな女の子に、また好きな相手がいるらしく……」
「君の友達の、例えばN君としようか? N君が好きなOYちゃんに、また別に好きな男がいると。それでN君はふられて、どうしたいいかと。んん……」
割合、エースさんがあんな顔をして悩むのは珍しかった。当時は全然親しくもなかったから知らなかったけど、そもそもエースさんがそうやって悩むのは、珍しいことだったらしい。カノンさんは詳しく話さなかったけど、勇者になる以前、女性関係で色々あったのだとか。だから、そういう質問に対しての対応は、本当のところだと苦手らしい。
エースさんは、最終的にこう言った。
「相手に確認をとるべし、じゃないかな?」
「相手に?」
「そうそう。まぁ例えば、そのOYちゃんの好きな、……A君とようか? そのA君がOYちゃんを好きかどうか、というのがポイントなんじゃないかな? 両想いなら、そこから奪うというようなことは、しない方が本人の品性を貶めないし。
で、もしA君の方に望みがなく、OYちゃんがそれでも好きだと言うんだったら……、そうだな、人生棒にふる覚悟があるのなら――」
丁度その時、結界の効力が切れたらしく、足元の魔法陣が消滅していた。
「――ずっと一緒にいればいいと思うよ。振り向いてもらえるまで、真摯に、誠実にを心がけてさ。
あとは、好かれるために努力すればいい。努力しないで受け入れてもらおうと思うなら、それはそれで一つの姿勢だと思うけど」
その言葉は、今でも胸の奥に残ってる。
そして、同時に湧いた言いようのない怒りも。
お前が――お前がそれを言うのか? という、不条理さを感じた。
※
その後の記憶は、ちょっと曖昧だ。どうやら僕は、その前後である怪物に取り付かれたらしい。セイラちゃんの運んでいた魔法石に封じられていた、悪霊だったっけ。
ともかくその晩、それは僕の意識に語りかけてきた。王城の中に泊まらせてもらったのは……、なぜだったろう。たしか、嵐で馬車が走れなかったんだと思った。
――殺したくはないのか?
「……?」
自室のベッドで寝ぼけていたような記憶がある。僕の目の前には、全身黒い色につつまれた、エースさんの姿が映し出されていた。
――殺したくはないか? この男を。
「えっと……」
うろんな返答を返すと、黒いエースさんの隣に、エリザベート様が現れた。
――殺せば、お前に気持ちが移るのではないか?
「……そう簡単でも、ないかな?」
他ならぬ僕の感想だ。むしろエリザベート様は、エースさんが死ねば相当落ち込むだろう。色眼鏡が掛かってるかもしれないけど、彼女はそういう、一途な少女だ。
――ならば、落ち込んだ女を慰め、手篭めにしてしまえ。
「てごめって、また古い言い回しを……」
だが、僕にそんな気はない。エースさんの言っていたことをふまえたわけじゃなく、それじゃ意味がないからだ。自分の欲した物を自力で手に入れられないのなら、それは無意味だ。
――だが、この男が女を好いていたら、どうなる?
「……」
――仮に貴様が決闘を申し込んで、あるいは決闘代理をつけて申し込んで挑み、勝てるか? 曲がりなりにも、勇者なのだろう?
僕は、答えられなかった。想像していなかった、といえば嘘になる。最悪の形の想像だ。エースさんは普通に結婚していておかしくない年だったし、なのに周囲に女を連れて、責任をとるわけでもなくプラプラしてる印象があった。
そんな男に、エリザベート様をとられたくないという意識は、確かに在った。もし申し込まれれば、断らないだろう。なにせ彼女と婚約すれば、貴族入りを通り越して王族入りだ。またとてつもなく美しい容姿は、男なら支配欲にかられるのではないか。
と同時に、曲がりなりにも勇者と呼ばれる人間に、直に挑んで勝てる自信もなかった。
――ならば、暗殺すれば良い。
影は、そう言って姿を消した。
次の瞬間、僕の体にどす黒い力が充満して――気がついたら、エースさんたちの寝室に居た。
途中の記憶などさっぱりなく、ただ気がついたら、「刃のように尖った両手」を構え、ベッドににじり寄っていた。
その時の僕の姿は――セイラちゃんいわく、顔だけせり出して、あとの全身は黒い巨人のようだったらしい。
「ふふ。寝顔はまあまあ可愛いんだけどなー」
と、ベッドから思いがけない声が聞こえた。カノンさんだった。
ベッドには、二人揃って寝ていたらしい。エースさんを胸に抱くように、何度も頭や頬を撫でながら、彼女はとろけた顔をしていた。
――何を躊躇う。二人まとめて殺してしまえ。
「……それは――」
「……ん? 誰だこんな夜更けに」
と、カノンさんは表情を引き締め、ベッドのわきにある剣と刀を手に持ち、こちらを見た。
『なに、剣士よ。どけ』僕の喉から、全く別な声が出た。
「お前は……、誰だ? そこの、貴族の子供に取り付いて何をしている」
『貴様などに用はない。我はそこの男に嘗胆させられた。それだけで殺すに充分だろう』
後にエースさんに聞いたところ、この影みたいなのは、かつてセイラちゃんが召還に失敗して呼び出した、得体の知れない怪物の一端であったらしい。最終的にはエースさんによって駆除されたものの、こうしてわずかばかり残り、反撃を伺っていたのだとか。
だけど、そんな事実はともかく――当時の僕は、カノンさんが恐かった。
「殺す?」
僕にとりついた怪物の言葉を聞いた瞬間、カノンさんは無表情にそう言った。
『ああ。そうだ殺す。だから死にたくなければ……、どく気はない様だな』
二振りとも腰に下げ、インナー姿のカノンさんはそのままベッドを降りて、こちらを見た。すごく無表情で、僕は、それに何か言い知れぬ恐ろしさみたいなのを感じていた。
『ふん。貴様も道化だなぁ。その男を想って居るのかは知らないが、どうせ王族の小娘とくっつくに決まって居る。立場をみれば、そうだろう?』
「ころす? ころすといったかこれは」
カノンさんは、僕にとりついた影の言葉など、一切聞いちゃいなかった。
「ころす? なんでころす? ころすというのならばころすだけのりゆうがあるのか?」
言葉が、何故か急に幼児退行したように、たどたどしいようなものになっていった。
「ころされるだけのなにかをエースがしたのか? そんなわけないだろう、いっしょにいたけど、ぜんぜんそんなことはないだろう」
無表情にブツブツ呟くカノンさんからは、何か、こう言い知れぬオーラが立つ上っていた。
明らかに様子のおかしいカノンさんに、影も何かを察知したのか、彼女が手を出せないようにする牽制もかねてだろう、こう言った。
『い、言っておくが、この子供はそれなりの貴族の子供だ。殺せば、そこの男もお前の命も只では済むまい』
僕を人質にとった一言で、多少僕は意識の主導権を取り戻した。たしか、呆然とした顔で周囲を見回していたと思う。自分の体が得体の知れない何かになっていて、それに自分が埋まっているという状態は、あまりに気持ちが悪かった。
『我を殺せば、この子供も死ぬ。つまり、どういうことかわかるな?』
だけど、その影の一言に。
「わかった、殺そう」
カノンさんは、一片の躊躇もなく剣を振り下ろした。
予想していなかったのだろう、影はその一撃を避けた。だけど、同時に衝撃波みたいなのが体にかかって、吹き飛ばされる。
寝室を破壊し、僕等は騎士団たちの訓練場に叩き落された。
『――がっ! き、貴様正気か!? この子供を殺せば――』
「殺すよ、うん殺そう。殺してもいいよね。だってエース殺そうとしたんだもの」
彼女は、僕なんて眼中に入って居なかった。それどころか影すら眼中になかったのかもしれない。
ただ、カノンさんにとって重要なのは――目の前にあるものが、エースさんを殺そうとした。ただそれだけ。
「うん、殺すからね? うふふふふ――」
カノンさんは、男勝りな口調でなく、とても乙女らしい口調でそうにっこりと、笑った。
この世のものとも思えないほど、それは妖艶な笑みだった。
「――炎景」
腕を軽く振っただけ。だというのに、周囲は突然燃え上がり、僕、というより影の身体を焼く
『何故貴様はためらわない、がはっ! この貴族を殺せば、只では済まないのだぞ!?』
「だって、殺すんでしょ? だったら私は殺すよ?」
会話が成立しない。頬を赤らめながら、カノンさんは腰に手をやり、刀と剣を抜く。
「殺すよ、殺すよ? 頭ぶった斬って胴体真ん中から割いて顔面ぐしゃぐしゃに蹴飛ばして燃やしてすりつぶして爆発させるよぉ?」
唐突に豹変したまま、カノンさんはにこにこ微笑み、抜いた二振りを構えた。
※
そこから後の記憶も、結構曖昧だ。たぶん反撃もしたんだろう、カノンさんは結構ボロボロだった。だけど、それ以上に僕の方が、そして影の方が酷い有様だった記憶がある。
「――駄暗」
いつの間にか全身の感覚がなくなり。
「――歴岩」
両腕両足が地面に埋められて。
「――氷尾」
気がついたら上半身と下半身とが分断されていて。
「――鳳天王」
下半身は、真っ二つにされると同時に爆発した。
幸か不幸か、戦闘中に更に大きくなっていた影のお陰で、僕の下半身とか足とかに大きな被害はなかった。だけれど、頭に走る痛みはそれと変わらない。影は僕の頭に居座っているらしく、その痛みが直接、僕にも響いた。
痛みが意識をかりとったのだろう。僕の記憶はそこで途切れて、気が付けば知らない天井の下にいた。あれよあれよという間にバラバラにされて、カノンさんの恐ろしい微笑みだけが記憶に残っていた。だからだろうか、起きてまず僕が最初にしたのは、周囲を見回してベッドのすみによることだった。
「だいぶこりゃキてるな。大丈夫か? アスター君」
困ったような半笑いを浮かべた、エースさんがそこには居た。彼を見て、ようやく落ち着いた僕。少なからず寝起きでカノンさんを見なかったのが功を奏したんだろう。
場所は、王城の医務室のようだ。ベッドの硬さがちょっと痛い。
「あの、エース・バイナリーさん――」
「エースでかまわんよ?」
「じゃあ、エースさん。……えっと、僕はどうなったんですか?」
「へ? あ、いやー……。まぁ俺とセイラで止めに入るのが間に合って、良かったんじゃないかい?」
影をけちょんけちょんに駆逐した後、弱った影と意識を失った僕に対して、カノンさんは躊躇なく刃を振り下ろそうとしたらしい。全身の振るえがとまらない。
「さっきまで君の親父さんにどつかれまくってなぁ。ありゃまーた関係悪化したなって感じだ」
「……あの、つかぬことを伺いますけど、何故貴方は父に嫌われているのですか?」
「んー、あんま王様に敬語とか使わないのと、王女に『なつかれてる』のが原因かな?」
なつかれている――嗚呼そうか、彼にとってはそういう認識なのか。エースさんの言葉を聞いて、僕はそこはかとなく肩を落した。
「何だいアスター君。何か言いたい事があるみたいだけど、ほれ、言ってみなそい」
「えっと……」
「まぁとは言っても予想はついてるんだけどね。ぶっちゃけカノンに、君が憑かれていた時の言葉とか聞いたり、セイラの愚痴とかも聞いたりしてるから。
でも、これは君が自分で言わないといけないことだと思う」
エースさんは、僕の顔を見る。その表情は、なんだか見たこともないほど真面目なものだった。
だから――僕は、続けた。
「僕は――エリザベート様が好きでした」
「うん」
「……小さい時、父上の仕事で連れられた時、はじめて会った時。一緒に少し遊んでて……。花を積んだりして、輪とか作ったり、木に登ったりとかして」
「うん」
「……だから、そんなあの子が、エースさんのことを好きだと言った時、どうしようもないと思いました。とられるんじゃないか、立場的にそうするのが最良だろうし、そしたら僕はどうしたらいいのかと」
エースさんは、少し眉間をつまんだ。「一応、断ってはいるんだがなぁ。年下で子供だし、何より信頼できないから」
「……信頼?」
「うん、そう。信頼。あるいは愛かな?
自分の全てを相手に預け、また相手の全てを自分が預かり報いるだけの、それだけの覚悟」
彼女相手じゃ、俺はそうはなれないからね、とエースさんは肩を竦めた。
「アスター君は、彼女に対してその覚悟は……、ありそうだね。だけど、相手はどうなのかって話かな。少なくとも、君等はまだそこまでの関係にはなってなかったろうし。ただ少なくとも、俺はあの子とそうなることは、未来永劫ないと言ってるんだけどね」
「……どうして、未来永劫?」
「命は流石に投げ捨てられないだろうから。……その点、カノンは怖くてね。俺もまあ色々あって、人間不信な部分あるんだけど、カノンが一歩踏み込もうとした時、命かけられるかって言ったんだよ。そしたら俺にナイフ持たせて、インナーの胸元開いてさ――」
――ナイフで胸を引き裂いてくれてもいい。それが君の望みなら、私は受け入れよう。
「それでも最後まで愛するとか言ってさ。……皮が切れるくらいに刺しても、目を瞑って怯える様子もなく、頬を赤らめてニコニコされちゃ、こっちもヘタレた」
「むしろエースさん、刺したんですか? あの、途中で止めたみたいですけど」
「あー、まあ俺もそこそこ荒れてるからな。ほんの数ヶ月前のことだし」
僕は、そこはかとなくエースさんが恐ろしく感じられた。困ったように言うエースさんだったけど、その目は笑っていない。光一つともらない、まるで暗闇のような目で僕を見ながら、彼はそれを語っていた。
「はっきり言って、俺は結構折れているし、カノンはそんな俺に合わせて色々おかしくなっちゃったからさ。はっきり言って、俺らの関係ほど歪むくらいいってないと、もう、駄目なんだわ」
後でカノンさんに聞いたことだけど、エースさんは今でも、一人だと夜泣きをするらしい。酷くうなされて、涙を流して。詳しい理由は話してくれはしなかったけど、「だから抱きしめてあげるんだぁ」とニコニコ笑うカノンさんが、とても幸せそうだったのを覚えている。
「知り合いの踊り子とかには共依存って言われたか? 片方がよりかかるんじゃなくて、どっちもどっちかによりかかって支えあってっていう。……まあともかく、そこまで行かないともう信頼できないってことだ」
「……それを、僕に信じろと?」
「何なら王女に直接聞いて見ればいいと思うよ? たぶん、そういう辺りは偽らない性格してると思うから」
にやりと笑うエースさん。だが、やっぱり目は据わったままだ。見てるだけで怖いその目だったけど、でも、僕はそれからそらすことが出来ない。
「だから俺的には、少なくとも君は応援したいと思うよ。まー女心とか、俺もカノンも対して力にはなれそうにないけど」
「……でも、僕は貴方を傷つけようとしました。だから駄目です」
「なして?」
「なし……? えっと……、エリザベート様はああいう性格ですから。自分が好きな相手を殺しそうになった相手とかだったら、絶対許さないと思います」
「でも、俺実際殺されそうになってないし。むしろカノンに殺されそうになってたんじゃないか?」
「そうであっても、元々そうしたことは事実ですしそれに……。最終的に、そそのかされた後に、エースさんを殺そうという風に考えたのは、僕でしたから」
「う~ん、正常な判断ができない状態でやったことで、結果的に大丈夫だったら俺そこまで何も言わないが……。うん、そうだな」
見てみ? とエースさんは窓を指差した。
その向こうには、大きな木が見える。僕が小さい頃、エリザベート様と遊んでいたあたりだ。
「例えばよく歩く道に、すごく立派に立っていた木がさ。
今日ふと見れば、花を散らしていたとする――」
エースさんは、僕に笑いかける。声も、さっきに比べてだいぶ和やかなものだ。
「――それに一抹の寂しさを覚えられたのなら、君はたぶん優しい人間だよ」
彼のその言葉を聞いて僕は、嗚呼、この人には絶対かなわないんだろうな。と思った。
「日和ってるような感じはするけど、目的あってこそ。みんなのため、誰かのため。そしてその姿勢にどこまでも従順であろうと、場合によっては自分すら投げる。そういうのを、ヒトは良いヒトというんじゃないのかな? まあそれだけだと、印象に薄いけどね」
でも、とエースさんは僕肩に手を置く。
「それをどんな状況でも貫けたとするなら、それは一つの強さなんじゃないのかな? それこそ狂うほど誰かを想うような、そういったものに通じる高尚さが、あると思わない?」
「……わかりません」
「うん。なら、それでもいいよ」
肩をすくめて笑うエースさんだった。少し照れてたような気がするのは、柄にもないことを言ったからか。
何も言えず、僕はただ窓の外の景色を眺めていることしかできなかった。
※
ともかく、これをきっかけに僕とエースさんとは仲良くなっていった。父上のことを置いておいても、彼に戦いを習いにいったり、本を読ませてもらいにいったり、歌劇を見に行ったり。
父上が言っていたほど学がないわけでもなく、分野によっては驚くほど専門的なことを言うエースさんに驚かされたりすることも多かった。
次にあった時のカノンさんが、何一つ覚えて居ないようなケロっとした表情でいたりしたのが怖かったりもしたけど――。
それでも、僕は彼等といる時は、存外に楽しかった。
それこそエリザベート様に負けないくらいに。
今でも――時々夢に見る。
カノンさんのあの顔と、エースさんの目。
誰かを愛すると言うのは、本当はあれくらいお互いに執着しなければいけないのではないかと。ありありと見せられたような、そんな気がした。
「まあ、そこまでは行けないと思うんですけど……」
僕の話を聞いていたエリークさんに、肩を竦めて言った。
「……まあ、ぼちぼち頑張ってます」
あそこまで想い狂えるかは知らないけれど――。
それでも、僕はあの子のことが好きなのだから。
だから、全身全霊で応えたい。
例え――この身がボロボロになっても。
「ふむ……。何と言うか、君の性分からは外れるのではないかね?」
「だと思います。でも――」
牢屋の格子に指をかけ、僕は笑うしかない。
「憧れちゃったんだから、仕方ないですよ」
嗚呼、それが僕の本心だ。
あそこまで、狂おしいほど愛し合いたい。思い出すだけで震え上がるほどの怖いそれであっても、そのためなら僕はどんな主義でも曲げて見せる。どんなおごりも粉砕して、どんな絶望からも這い上がって見せる。
それをしてなお、愛し合えるかどうかは別なのだけれど――。
「ふむ。なかなか難しいところだね」
エリークさんのそんな反応に、僕は曖昧な笑みを返した。