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番外其ノ六:邪神の踊り子/せめて君の背の傍に

ネタバレ:本当は怖いセノ



 セノと話を終えた後、私は宿に引き返した。

 夕方。日も傾いてきたあたり。既にアーマーも修理に預けた後であり、数日のうちには完成するだろうという感じだ。

 ちょっとばかしの『おみやげ』を買った後、私は部屋の扉を開けた。

「……で、何をしてるのエース」

「……いや、ちょっと猛省中」

 そして、エースが逆立ちをしていた。

 部屋の壁に体重を預ける形だ。顔を真っ赤にして、鬱陶しい前髪を逆さにして、ちょっとおへそが見える感じで、私としては色々困る。

 とりあえず服の裾を持ち上げて、下服の中に入れた。

 これで、個人的には大丈夫だ。うん。

「それは置いておいて、なんで逆立ちなんだ?」

「何を置いておくんでしょうかねぇ。……、まあ、大人気なかったかなぁと」

 どうやら、話の途中で出て行ったことが本人的にダメだったらしい。「流石に奢ってもらって失礼だったでしょ、あれは。まーそう、我ながら思ってこうして反省中」

「なんでそれで逆立ちに行き着いたのかが、私にはわかんないが……」

「まあ、色々あって」

 やっぱり、エースは少し変だ。

 まあ、それは置いておこう。

 とりあえず、土産物をエースのベッドに乗せた。

「なんだ、これ?」

「お土産の本だ。セノ曰く、お詫びもかねてだそうだ」

「あー、本当に気を使わせちゃったかなぁ……。なんだろう、あの変な語尾、やめれば良いのに」

 私も全く同感だったが、育ての親とて「でぃん☆ でぃん☆」という語尾を押さえるのが難しいようなので、そこは仕方ないと割り切るべきだろう。

 ちなみに買った本は、私とセノとで選んだ一冊だ。

「……日記?」

「とある国の、戦時下で書かれたものだそうだ。王子珍道中が好きらしいと言ったら、勧められた」

「うーん、なんだろう、そこはかとないアンネ感が……」

 ?

 なんだかよくわからない名詞が聞こえた気が……。

「ま、ありがたくもらっておくよ」

「そうしてもらえると、助かる」

「なんでカノンが助かるんですかねぇ」

「え? あ……、いや、まあ、向こうも助かるだろうさ」

「ん~?」

「……だろうさっ」

 そう言って、私は誤魔化すことにした。

 誤魔化せた自信はなかったが、エースは私から目をそらした。

 エースが本をぱらぱらめくり、一旦その場に置く。「で、本題は何かな?」

「……何の話だ?」

「いや、流石に事情とかを聞かれないだろうとは思ってはいないよ。懐柔のためかは知らないけれど、わざわざ買ってこられるくらいだからな。特にカノンは、相手との連携とかに拘るヒトみたいだし。遠からず事情は聞かれるだろうと思ってはいたけどね」

「……そう、思っていたけど、それについて先回りするっていうことは、つまり?」

「話す気はない。誰が好き好んで気分を悪くするか」

 エースは鼻で笑った。

 どこか自虐的であったその表情は――なんだか、こう、私として嫌な気分になる。

 だから。

「……なら、少しだけ私の話を聞いてくれ」

 まあ、たまには鬱屈するのも悪くはないか。

 私のその言葉に、エースはきょとんとした。

 夕食まで、まだ時間はある。

 それくらいで、私と『あいつ』については話せるだろう。

「そんなに時間はとらせないさ」

 さて、何から話したものだろうか。





 いつの頃だか、覚えては居ない。

 気が付くと、わたしは()()()()で生活していた。

 輝く森。当時の私には、目に映る全てが光り輝いて見えていた。

 そんな森にかこまれた村で、私は育てられた。

 まだまだ幼い頃だった。

 おそらく引き取られたのだろう

 少なからず、当時はそう考えていた。

 両親についての知識は、欠片もない。だが村の人々は、そんな私に優しく接してくれた。

 そんなある日――あれは、何歳の頃だったかな。

 まだ、年齢が二桁はいっていなかったな。

 今でも鮮明に覚えている。

 私と同じくらいの、男の子が村にやってきた。

 森の奥で憔悴しているところを、村長が拾ってきたのだそうだ。

「それが、私の親友だ」

 当時の私からすれば、大分変わった男の子だったように思う。

 色鮮やかな髪の毛を持つヒトビトの中にあって、彼だけは、どこかくすんだ色をしていた。

 私が言えた義理ではないが、肌の色も少し黒かった。いわゆる黄色というべきなのだろうか。どこかくすんだ色合いだったことは、間違いない。

 性格は……、まあ、阿呆だったな。

 よく近所の美人の家へ覗きに行っては、自然属性魔法で四肢を縛られていた気がする。

「そこから、十年……まではいかないが、結構長い間、村長の家で厄介になっていたな」

 私も彼も、家は村長に厄介になっていた。

 実際、私と彼は姉弟というような関係だったように思う。

 あれがやんちゃをやるのを私が止めて。時に一緒になってはしゃいで、怒られて。

 過去を美化する気はさらさらないが、あれはあれで、私にとっての黄金時代だったのだろう。

「親友、ねぇ……」

 エースは、少し意地の悪い微笑みを浮かべた。「それで、どうして今は外に出てきているわけ?」

「死んだんだよ」

 これには、さらりと私は答えられた。

 その事実に、自分が一番びっくりした。

 エースが目を見開いている以上に、ちょっと、自分で同様した。

「……ああ、これ以上ないほど、綺麗に死んだ。……いや、汚くかな?」

「……ごめん、俺、その違いがわからん」

「言ってて自分でも頭をかしげるところだから、問題はない。ただ――その、死体はかなり汚かった、ということだな」

「わざわざ言い回しに上書きするくらいに?」

「それはもう、凄惨に」

 今でも、思い出す。

 私を庇って、村長が取り仕切る「実験」に参加し。

 原型も留めないほど、酷い姿になりながらも。

 それでも私を守り、朽ちていったあいつのことを。

「その時のあいつに、君はよく似てる気がする」

「……何が?」

「上手くは、説明できいないかな」

 そう言って誤魔化す。

 本当は、なんとなく何が似てるのかは分かる。

 目だ。――あの時の、死を覚悟しながら、自分たちを守ってくれていた大人たち全てを殺してでも、なんとかしなきゃいけないと。そう叫んだあいつの背中に、エースの、先日のあの背中はどこか似ていた。

「結局、私を庇ってあいつは死んで。あいつだけじゃなく、村の大人たちも多くいなくなって。首謀者だった外部から来た女も行方知れず。私もほどなくして、この“オルフ”と共に村を抜け出た」

 テーブルに立てかけた妖精剣を見せ、私は肩をすくめた。

「ま、その後に育ての親とも呼べる女性に拾われて、色々な国を見て回りながら剣術を教えられ、賞金稼ぎとして抜けてきたのが今の私だ」

「……にわかには、信じがたい話に聞こえるけど、その額の傷はその時のもの?」

「うん。……さっき言った、親友が暴走してた時につけられたものだ」

 未だに、時折ここが熱を持っていると錯覚するときがある。

 あいつの声も聞こえないのに。

 時々、どんな顔をしていたか忘れそうになる時さえあるというのに。

 痛みではないこの熱さこそが、今となって唯一の、私とあいつとのつながりなのだろう。

「……ま、変な話をしたな」

「……いや、別に。むしろ辛い話だったなら、悪い」

 真顔で言うエースは、なんだろう、不思議とこちらの言ってることを信じていそうだ。

 普通なら、酒場で話したりでもすれば笑い話にもならないくらい、つまらない話だというのに。

 そのことを聞いて見ると、エースは軽く答えた。

「所々情報が抜け落ちてる気がするけど、それでも、言葉の信頼度は高いと思う。だって、カノンってそんなに演技とか上手じゃないだろ?」

「……そういうのが不器用なのは認める」

 まだそんなに長くない付き合いだというのに、もう見抜かれている。

 そして、エースは苦笑いを浮かべた。

「まあ、それを聞いたからといっても、俺が話すわけじゃないんだけど」

「いや、逆の発想として考えてくれ」

「逆とは?」

「君が、私に合わせられるんじゃないのかな? 私が話すことで」

 エースは、口をぽかんと開けた。

 そう、ある意味これは逆転の発想だ。私がエースのヒトとなりを知ってあわせるのではなく、エースに私のヒトとなりを知って合わせてもらう。結果だけ見れば、たいして違いはない。

「だから少なくとも、私は君を見捨てることはしないよ。絶対に。そんなことすれば、今の私の性格基盤そもそもが破綻してしまうから。何かあれば守るように動くだろうし、トレーニングも思いやってるからきつめになる」

「いや、最後のは多少容赦してくれ」

「善処はするが、あまり期待はしないでくれ。だから……、できれば、その、協力くらいはしてもらいたい。戦闘時に、駒のように扱われたりは流石に辛いし」

「あー、うん、それは大丈夫だ。というか、それだけは絶対にないから」

「本当に?」

「うん。他人をそう扱うことはないよ」

 真顔で頷くエース。

 頼もしい限りだが、同時に何か不安が胸中に過ぎるのは何故か。

 エースはベッドから立ち上がり、窓枠に座った。「なるほど、確かに逆か。そういうパターンは……、考えもしなかったな」

 何故か、その時の微笑みは寂しげなものに見えた。

 だから、というわけではないが、私はエースと反対側に行って、座った。

「まあ、他人はね……」

「……」

 なんとなく、本当は、もっと近くに行きたかったけど。

 そのまま、特に何を話すでもなく、しばらく過ごした。

 そして、私たちは目撃することになる。





「人攫いだよな、アレ」

 端的に言って、エースのその言葉が全てだった。

 布袋にかぶせられた、うねうね動く何か。それを担ぎ上げる黒っぽい服の男。

 家々の隙間隙間を隠れて、それでいて素早く動くその動きは、明らかに手馴れた感じがしていた。

 流石に目立ちそうなものだが、周辺の人々がいまいち意識を向けていないのは、日常茶飯事あるようなことだから、あるいは何らかの魔術で気付かれないようにしているか。

 一人や二人ならまだしも、片手で数えられない人数が列を成して動いているのだ。

 二人無言で佇んでいただけなのに、なんだかとんでもないものを見つけてしまった。

 顔を合わせて、私たちは無言になる。

「……どうしよう?」

「どうしようって……」

 なんだか珍しく、年相応の表情をしているエースだった。

 困惑してるその顔は、普段の女顔よりもいくぶん老けて見える。

「下手に関わると危ないよな、あれ」

 彼らの行き先は、この位置から見ても明白だった。

 大屋敷というほどではないが――このラニアールの街の中でも、それなりに浮いた屋敷だった。

 彼の言葉は、すなわち相手が権力者であるということを予想してのものだろう。

「……でも、放置しておくのもどうなんだ? その、君は“勇者”なのだし」

 勇者、エース・バイナリー。

 聖剣に選ばれた一個人。

 時に国王や議会の勅命で動くことはあるが、基本的には自由を保障された人間だ。

 ただ、それでも一応勇者という名称なのだから、これを放置しておくというのは如何なものだろうか。

 私の疑問に、エースは答える。

「……俺単体で動いてたら、下手するとカノンにも被害が及ぶだろ」

「……何をひよっこ冒険者の分際で一人前のような口を聞いているんだ?」

 別に起こっているわけではないが、私の言葉は本心だ。しかし、エースの言葉もまた彼にとっては本心であるらしい。

「カノンは、俺よりも色々な国を見て回っていたみたいだから分かるんじゃないのか? 下手な敵に恨まれると、関係者一同類が及ぶって」

「まあ、あるだろうな。だがその場合、私はともかく君の家は――」

「ないよ」

 エースは、何故かそこだけは明確に断言した。

「救助に行くなら早いうちが良いけれど、それでも、言わせてもらう。もう、ないよそんなもの」

「……ねえ、エース」

 ダグナ騎士団長。エースの友人を自称する、くねくねとして女らしい(!?)男だ。あれで戦闘能力の高さが一見してうかがえる辺り相当だが、問題はそこじゃない。

 彼はエースについて多くは語らなかったが――それでも、ほんの少しだけヒントをくれた。

「君の村で、一体何が――」

 あったの? と続けようとして、私は制止した。

 エースの顔が、未だ数週間の間で見たことのない顔になったからだ。

 それは、そう、子供だ。

 泣き喚いているような子供の顔じゃない。

 開いた目は行き場を探し、しかしどこにも行けず。

 口は困惑を表そうと動いてはいるが、しかし結局何も形作れない。

 未だ、彼の中で感情が制御できていないのが一目でわかるような、そんな挙動。

 それはどこか――迷子になった子供を連想させるものだった。

 少しの間そんな顔をしていたが、

「……やっぱりぶっ飛ばそうか、あのあんちくしょう」

 すぐ正解に至ってしまったあたり、やはり彼以外には話していない事柄なのだろう。

「詳しくは、やっぱり話してくれないか?」

「……話すような内容でもないし、気が滅入るし、なにより今後の生活に支障が出る」

「そんなにかい?」

「俺にとっては」

 そう言うと、エースは私から顔を背けた。そのままベッドの上でごろんとし、天井を眺める。

 何も言わないエース。

 たぶん、何も語れないのだろう。

 ただそうであったとしても、私は、私で言うべきことを言わなければならない。

「だったら、なおのことだ。――私を言い訳にするな。君がしたいようにしてくれ」

 私は、それに合わせようと言った。

 自分の意見を放棄してる訳じゃない。もしエースが否といえば、私はギルドに相談した上で、一人で乗り込むつもりだ。アーマーの調整が終わってないから、おそらくレンタルで行くことになるんだろう。

 こう言うと変かもしれないが、私も何度も見慣れている光景だった。一度自分も経験済みだ。

 だから分かるが、あれは相当な回数を重ねている。おそらく特定の顧客ないしパトロンありきだろう。

 それでも、私は向かう。

 ただ、その上で。

 エースがどう選択するか。

 できれば、それにあわせたい。

 もっと言えば、エースに立ち向かってもらいた。

 単なる我侭と言えばそうかもしれないけど。

 でも、そう、言うなれば焦燥感だ。

 名状しがたい、焦燥感のようなものが、私の胸の奥をかきむしっていた。

 その意図が伝わったかどうかは分からない。

 ただ。

「本心は逃げ出したいよ。だけどさ」

 エースは、ふっと息をついてから。

「……結局行く流れなんだよなぁ」

 俺が出なきゃ、カノン犯罪者にされちゃうだろうし。

 そんな風に多少面倒そうなことを言いつつ、ベッドから立ち上がった。





 ラニアールを含む地域一帯の領主たる貴族は、それなりに有能であるらしい。

 だが残念なことに、血筋に対する教育が行き届いてはいなかったようだ。

 ギルド支部で確認をすると、初日に私に鍛冶屋を紹介していた少女が居なくなっていた。

 職員の男が、私たちの情報確認に苦虫を噛み潰したような顔をしていたのだから、つまり、そういうことだろう。

 領主の息子は、毎月とあるタイミングでラニアールを訪れる。

 そのタイミングをみはからって、ギルドの常にニコニコわらっている老支部長により、ギルドの娘達は忽然と姿を消すそうだ。

 ギルドの娘たちに限った話ではない、というのが、また私の胸糞を悪くさせる。

 同性として忸怩たる想いだ。

「依頼、という形で過去には出されていなかったのか?」

「どうにもこうにも。……不満があっても、彼らがいて街が回ってるのも事実ですし。残念ながら、どこも買収済みだと思います。誰も出しちゃくれないし、下手に手を出せば間違いなくこっちの首がこうなります」

 手刀で自分の首をかき切るような動作をする青年。

 私はこれから自分たちがどう動くかについて言おうとしたが、エースに静止させられた。

 詳細な事情を話さず、まるでさも、明日明後日にでも街を立ち去るような言い回しをエースはしていた。なにか違和感を感じた私だったが、それとなく世間話をするエースたちの間に入ることもなかった。

 支部を出て、装備を見繕った私とエース。

 どちらも暗闇仕様の格好で、目立ち辛く分かり難い。

「でも、おへその露出はキープと」

「……仕方ないだろ、丈が足りてなかったんだから」

 直接指摘されるのは初めてだったためか、どうにも私は顔が熱くなった。

 唇を尖らせたものの、しかし疑問は解消しておくべきだろう。

「……さっきの職員に言ったのは、何か意味があったのか?」

「まあ見てなって」

 ふふ、と笑うエースは、さも当然のようにギルドの裏口で待機していた。

 深夜、月に雲がかかる。

 明かりは殆どなく、強いて言えば貴族の家の「魔灯(マジックランプ)」がついているくらいか。周囲の元素を集めて光を放つ魔法具は、らんらんと屋敷を照らしていた。

 遠目で見ても確認できるこの状態だが、それでも、昼間より断然進入しやすいだろう。

 だが、エースはすぐに向かわずギルドの裏口で待機するといった。

 そこから、何か関係があるかと思って聞いたのだが、はぐらかされるだけだった。

 だが、それも数刻掛からず変化する。

 裏手の扉が開いた時――現れたのは、さきほど私たちを応対していた職員だった。

「やっほー」

「うわっ!」

 エースのひょうきんな声かけに、彼は尻餅をついた。

「やっぱり来ると思った。はは」

「あ、貴方たちは……」

「どういうことだ? エース」

「あれ、カノンわからなかった?」

 エースは、さも当然そうに言った。「ギルドの中で、この人だけ反骨精神を失わないで居るようだったから。それに、なによりカノンが聞いた受付さんの話に、執着してたし」

 言われて見れば、そうかもしれない。

 ギルドの中は大体があの老人に頭を下げる風潮であったため、彼が私たちに情報を流したこと自体、少し意外なところであった。

 それが、こういう行動に結びつくというのなら、確かに理解はできるところだ。

 エースは倒れた彼に手を差し伸べて、こう言った。

「おおかた、婚約者さんか何かかな?」

「……そ、そこまではまだ……。でも、お互いにそうなりたいとは思ってます」

「例え犯罪者にされても、取り戻したい」

「当たり前です」

 照れる青年は、エースにくらべ雄雄しい。あのくりくりとした目の受付嬢となら、お似合いだ。

 少なくとも、話に聞く領主の息子に比べて、相当マシだといえる。

 立ち上がった後、エースは私たちに先行する。

「やっぱり取り返せるなら、絶対に取り返したほうが良いよね。うん」

 その時の彼の顔を、見ることができなかったその顔を、どうしてか、私は見たいと思った。





 はっきり言って、かなり驚いた。

 エースは、かなり手馴れた風に屋敷に進入していった。

 例えば屋敷の周りの塀の、どの位置が守衛に見つかり難いか。またどう内部を歩けば見つからずに移動できるか、魔灯がどこにあるか、また感知の魔術がかけられている場所の見分け方など。

 まるで、あらかじめ知っているかのような手際の良さだ。

 見回りの巡回もあっさり予想し、簡単に締め落としていることからもそれが伺えた。

 職員の彼……レグというらしいが、彼と二人して聞くとエースは軽く答えた。

「王子珍道中参照」

 いや、そこまでのことが載ってはいないだろうって。

 しかしつい一日前くらいに呼んだかの本の内容が思い出される。

 あの巻は、魔術関連の知識くらいしか私で精査できる部分はなかったが……ひょっとすると、もっと他の分野も専門的に書かれているのがあるのかもしれない。

 そう考えると、本の内容がすごいのか、それをもとに実際に行動できるエースがすごいのか、まるでわからなくなる。

 エースは、屋敷の散策もそこそこに、地下へ向かうと宣言した。

「たぶんこの家の構成だと、上の階に大部屋とかがあるんじゃなくて、下の方に色々集中させてると思う。もともとここの家は」

「どこでそんな話を知ったんだ?」

「勘」

「勘って……、君は!」

 職員の男が掴みかかる前に、エースは彼の眉間に指をさした。

「ただ、勘と言っても理由はある。経験則に基づくって言うのに近い」

 嗚呼、なるほど。

 私は納得して、青年の手を引っ込めさせた。

 おそらく「勇者」という、王国でも稀有な称号を得た時に、色々と貴族の家に招かれたのだ。

 その際に得た見聞が、なんとなく、この屋敷の構成を言い当てているのだろう。

 実際にここまでの道筋、彼の予想は外れていない。

 正体を明かされていない青年に、エースは言う。

「まあ別な仕事とかで、何度かお貴族様の家に入ったことがあるんで、なんとなく構成が予想できるんですよ。経験則ですね」

「な、なるほど」

「あと、ここは感知されないから別に構わないでしょうけど、大声出すと拙いですよ?」

「りょ、了解」

 見た目の男らしさに比べて、案外へなちょこっぽい物腰の職員だった。

 私たち黒尽くめ三人は、いそいそと一回の廊下を歩く。

 途中でエースが止まり、壁をかるく小突いた。

「うん、音軽い」

 言いつつ、腰から短剣を取り出し壁紙に沿わせる。すると、ある箇所でざっくりと、エースの短剣が壁に突き刺さった。

「な、それは――」

「ここが扉か。ナイフは両方に刺さるし、鍵は……、見当たらないな。カノン、お願いできる?」

 どうやら、斬れということらしい。

 あまり派手にやるなと言われても、色々と難しいのだけれど……。

 まあ、出来ないわけじゃないのだけれど。

 背中に背負った二本のうち一つ、精霊剣を私は取り出した。

 扉は、押し戸か引き戸か。

 ということは、継ぎ目のあるなし関係なく、双方ともに斬ってしまえば良いか。

「――こんなものか?」

 相変わらずの斬れ易さに、正直言って怖いくらいだ。

 ともかく、扉の両端を切断した形になる。どちらが番であっても大丈夫なよう、扉自体に穴を開けるような斬り方だ

 エースがそれを慎重に押す。

 どうやら先は、すぐさま階段ではなかったらしい。

「……じゃあ、ちょっと早足で行こうか。でもさっき言った要領で、足音立てずにね」

「ああ」「わ、わかりました」

 階段はさほど長くなかった。ちょうど、一階の倉庫のあたりに、上半分がめり込むような構造をしているらしい。

 扉の前に行くと――なんだか、少し予想とは違う。

 何だろう、この声は。

 例えるなら、獣の咆哮のようなこの声は――。

「カノン」

「……嗚呼」

 今度は一片の容赦もなく、精霊剣で扉をズタズタに切り裂いた。

 その内部は――私の予想のはるか斜め上を行っていた。

『ん? 何だ貴様等』

 それは、私たちを見て――にたりと、気味の悪い表情を浮かべた。





 大部屋の地下室。

 空気の流動は、上にある窓から行われている。

 魔灯と蝋燭で光が確保されているが、それでもなお暗い。

 地面には、大きな魔法陣。

 大勢の、全裸の女性たちが倒れて、気絶している。

 中央の台座には、何故かセノが寝かしつけられていた。

『うん? 侵入者とは珍しい』

 そして、私たちの目の前には、巨大な影があった。

 影、としか形容できない。巨大な人影であり、地面から生えて天井にぶちあたっている。そこからさらに天井全体に広がり、見下ろされているような錯覚を覚えた。

『まあ、ようこそ』

 影は、次の瞬間には周囲の空間に飛散した。

 中からは、一人の男が現れた。

「……お前が、領主の息子か?」

「ああ。確かにそうだね。お嬢さん」

 見た目は二十代だろう。細いながらも筋肉によって引き締まった体と、ブロンドヘアーに凛々しいと形容できる容姿。微笑む姿に不覚にもどきりとさせられそうになるが、上裸に描かれた赤黒い魔法陣が、男の雰囲気を只ならぬものにしていた。

「……あー、何やってるんだ、アンタ」

「おお、文学青年よ。聞いてくれるな。朝日を待てば、みな全て忘れているさ」

「――、あ、アン!」

 レグが駆け出そうとするのを、エースは私から教わった足払いで止めた。……あまりにものの見事に決まったものだから、私でさえ一瞬彼が何をしたかわからなかったくらい、綺麗に決まった。

「な、何するんだエース・バイナ――」

「下手に魔法陣に近づかないほうが良いと思うけど」

「は?」

「だって、明らかにやばそうでしょ。あんなに人間倒れて、その中でさっき、なんだか妙な魔法を行使していた感じなんだから」

「ふむ。さすが文学青年かな。察しがなかなかに良さそうだ」

 くつくつと笑う男。

 と、途端に背後の扉が閉まった。

「なっ――」

「――ガッチャ・アンギエスト――」

 男の言葉と同時に、彼の身体に再び影が纏わり付く。

 やはり、影だ。地面から火山が噴火するように噴きだしたそれは、まるで鎧のように男の全身を覆う。

 エースが、苦々しげにそれを見て言った。

「アンギエスト――大海の魔獣のおとぎ話に出てくるやつかな?」

 アンギエスト……残念ながら、私はよくそれを知らない。

 後日エースに聞いたところ、オルバニアに伝わる大陸民話の一つだそうだ。シャロウテイルなら私も知っているが、アンギエストも王国内では有名であるらしい。どちらも神秘の眷属たる怪物についての物語であるが、シャロウテイルが美しい姿をした精霊のような存在と伝えられるのに対し、アンギエストは暗黒より出でし影の魔獣であるらしい。

 その名前を冠した魔法を使った男は、やはり楽しそうに、くつくつと笑った。

『ああ、そうだね。これは、伝え聞くアンギエストの力を、私の体に合わせて再現した術であるらしい。文献が正しければ、ね』

 次の瞬間、気が付くとエースの手元には聖縦が握られていた。

「――っ!」

 そう、気が付くと。

 本当に一瞬のことで、全く気づくことが叶わなかったものの。

 びゅんという音が鳴るよりも――おそらくそれよりも素早く、ヤツの右手が私に向けて振るわれていた。風きり音とほぼ同時に、金属同士がこすれるような音が響いた。

 エースは、庇うように私と奴の間に立っていた。

「痛っ……」

 縦を左手に持ち替えて、エースはぶんぶんと手先を振る。

『ほう、今のに反応できるとは――なかなかに愉快、愉快』

 肩を震わせて笑うその姿。

 私は、愕然とする。明らかに男は、四大元素を魔術に用いていない。このことが示す事実は、すなわち彼が、具象魔法を用いていないということだ。

 具象魔法以外の魔術系統は、二つ。

 一つは、伝承上でしか使い手を聞いたことのない光魔法。

 そしてもう一つは、ごくごく僅かな人間が使えると聞く――。

「影属性魔法、だと?」

 精神と認識、現象の揺らぎに干渉するその魔法は――聖女エスメラでさえ使えなかったとされる、第五元素魔法に相違ない。

『ほう、お嬢さんは物知りのようだね。気に入った』

 再び男の腕が私に伸びる――正確には伸びたのだろう。目の前に居るエースの横を掻い潜るように、こちらに腕を伸ばしたと見える。しかし、エースは今度は聖剣を抜刀して、私への干渉を斬り捨てた。

 ばしゅうと、三本鞭のようにうねった影が霧散する。

『……文学青年。何故私を阻むのかね? 君の女なのかい?』

「いや、そんなの関係なく普通妨害するだろ。何やろうとしてるんだ、アンタ」

 エースの声は、気のせいか、さっきからずっと不機嫌なものに聞こえる。

 だがそんなこと関係なく、男は嗤う。

『決まっている! ――本能を満たすための、あるいは神秘を知るための実験だよ!』

 男は両手を広げ、エースと、倒れている職員の顔を見た。

『――私は、ある男から極秘に「影魔法」に関する文献を引き当てた。もともと私自身、召還魔法の才能があったのだがね? それに影魔法を併用することで、今この姿になれているわけだが――突き詰めれば、そう、なんと神秘の一つ、“大海の魔獣”そのものを呼び出すことが出来るというのだよ!』

 両手を握り、彼は、エースたちに共感を求めているようだった。

『わかるかい? 大海の魔獣は、人の姿をとった時、それはそれは美しい女の姿をするのだそうだ。それこそ今まで生きてきた全ての女という女を超越するような。私は、そんな女をこの手で、欲望のままにむ――』

 男が全てを言い終わる前に、エースが顔面にナイフを投げつけた。

 ナイフは男の顔面にぶつかる直前、直角に曲がり壁に綺麗に突き刺さった。

『……ともかく、だからこそ、私は大海の魔獣を欲する』

「……そのために、この惨状が必要だったと?」

『無論だ。もっとも、大半の生贄は既に飽きているがな』

「下郎」「クズが」

 私もエースも、これには同時に毒づいた。

 笑いながら、男は足元に倒れていた少女を拾い上げる。

『仕方ないだろう? 私には力がある。そして力のある者は己を後世まで残す権利がある。自然の摂理じゃないのかい? それこそ数千年も昔、大怪獣ステチゴマラを聖斧(せいふ)の勇者が討ち果たした時代のころから』

 ステチゴマラとは、大陸南部にある列島の名前だ。元々その列島自体が巨大な怪獣であり、勇者の一人によって討ち果たされ、死体がそのまま島になったという伝説がある。

 その勇者は、伝承ではこの男の言うとおり、何人もの女を己の手中におさめたと聞く。

『弱者は、己の愛する相手すら繋ぎ止めるだけの力もない。だから、こうして私が生娘一人に何をしたところで、止める術はないのだよ――』

「やめろ、この!」

 少女――受付嬢のアンといったか、彼女の露になった胸元に舌を這いずらせようとした男に、倒れていたレグが立ち上がり、短刀をかまえて突進する。流石に今度は静止する暇もなかった。だがそれが仇となった。

 魔法陣に踏み込んだ瞬間、彼自身の影が足元から抜け出て――男の口に吸われた。

「な――」

『もうらうぞ? 君の「記憶(ちから)」』

 その場に倒れるレグ。彼の上にアンの身体を投げ捨て、両者を蹴飛ばした。二人とも魔法陣の中に入れられる。

 男は、哄笑。

『はっはっはっは! 運が良かったなあのお嬢さんも。流石に今の私は、たらふくだぞ』

「――何をした? お前」

 エースの表情は見えない。だがその声音は、先ほどのものよりも更に強い、感情が見える。

『なに、簡単だよ』

 男は、くつくつと肩を震わせた。

『少しばかり、彼らから、私の“力”となるだけの強い感情と――“記憶”を、もらったまでだ』

「何を、言ってる?」

 私の質問に男は答えず、両手を掲げセノの元へと歩いていく。

『さあ、でははじめようか! 影魔術の宝石を持ちし踊り子を贄とし、四十四の女の“愛”をささげる儀式を!』

 次の瞬間、エースの姿は、私の視界から消えた。





 聖剣の一閃を、影の化け物と化した男はひょうひょうと避ける。

 軽々という動きで避けはしたが――しかし、表情は驚愕に染まっていた。

『……文学青年。君、どうして記憶を分解されないのだい?』

「……」

『答えないのか。ふむ、不思議だね――っ!』

 だが、避けた男の腹の部分は、影の鎧が消えていた。

 再び腹をかかえて笑おうとして、自分の体に触れて気付いたらしい。

 厳密には、男の腹の部分の影がごっそりとエースの足元に落ちていた。

 普通、そんな芸当できるはずはない。人間の“認識”を、魔法を構成するための根源たる認識自体に干渉する魔法であるため、影魔法により構築された物体は、生物相手には無敵とされている。

 それを、容易く斬り捨てたエース。

 これは、やはり得物の違いとみるべきか。

 男も、ようやっと敵の正体に感づいたのだろう。

 台座の上に眠らされているようなセノを中心とした対角で、エースと男はにらみ合う。

『……君みたいに、頼りなさそうな青年が勇者なのか? 世も末だねぇ』

「……知り合いの幼女にもそんなこと言われたよ」

 これには苦笑いした風に答えるエース。

 だが、私はなんとなく察している。

 今のエースは、先日の――あの時のように、おそらく無表情だろうと。

「カノン、他の人をお願い」

 それだけ言うと、エースは飛び上がり、男に斬りかかった。

 そのままつばぜり合いするように、魔法陣の外へ出る二人。

「他の人をお願いって……」

 思わず、周囲を見やる。

 九割が裸の女性というこの絵面は、今更ながら相当だ。普通に目を閉じて気絶しているものもいれば、泡を噴いて恍惚そうな顔で意識を失っているのもいる。なんとなくそれから目をそらし、私は、台座の上に乗っているセノを見た。

「……これが、術の中心か?」

 魔法陣の内部に入っても、私にはなんら被害はなかった。どうやら、今日も今日とて例の「加護」が働いているらしい。嬉しい反面、少し鬱屈してくるがそれはおいておこう。

 セノの寝かされている台座にも、術式が描かれている。それらが回りまわって周囲の魔法陣へとつながっていた。

 そして、彼女の首元にある魔法石。大型のこれが、どうも術の発動基盤であるらしい。

「つまりセノを起せれば、あとは万事解決、と――っ」

 だが、やはりそう簡単にはいかない。

 彼女の寝かされている台座から影の触手のようなものが伸び、私との接触を阻んだ。

「……流石に影は斬ったことないな」

 言いながら、私は背中から精霊剣“イナヅキ”を抜いた。

 精霊剣は、妖精種が精霊から加護をえて作り出す魔法剣。

 山を砕き海を割き、空を別つといわれる武装。

 その性能は主に使い手の能力に比例する。

 私自身腕は悪くないと思うが、いかんせん性能に幅がありすぎるため、せいぜい大型モンスターを一発で頭から斬るのもやっとなくらいだ。魔法も初級くらいならなんとか切れるが、その程度。

 それに対して、この未知の影魔法。

 できるかどうかという不安が胸中を過ぎる。

「……ん」

 私は、ふとエースの方を確認した。

 私の教えた通り、盾を前に構えて戦っている。まだまだ基礎の叩き込みも終わっていないが、ああして努力しているところは微笑ましい。

 だが、相手が悪い。縦横無尽な攻撃に対して、まるで「あらかじめ来る方向がわかっている」ような見切りで応戦しているエースだが、やはり経験の差か、速度が足りていない。

 このまま放っておいたら、時間の問題だろう。

 加勢にいかなければならない。

 私は、腹をくくる。

「――そういえば、私に影魔法のことを教えたのはアイツだったっけ」

 脳裏に浮かぶ、幼少期。

 いたずら小僧とでもいうべきアイツの顔。

 無邪気に走り回っていた私たち。

 あの場所が崩壊する直前の、あいつと私。

 憎むべき女。

 そして、私を庇って背中を向けたアイツの姿が、さっき見たエースの背中に不意に重なり――。

「――銭芽(ぜにめ)――!」

 私は、精霊剣を振るった。

 セノの腹目掛けて刀を振り下ろす。普通ならかなり酷い光景になるが、この場合そうはならない。

 精霊剣は、斬りたい対象のみを斬ってくれる。

 斬れるものは魔力と技量による。だから、私はこの瞬間、足りない分の技量を魔力で補った。

 セノを通過した精霊剣が、台座の上に激突する。

 激突した瞬間、生きもののように影の触手が台座からあふれ出る。

「でやあああああああああああああああああああああっ!」

 それでも、私は精霊剣に力を込める。

「ぐっううううううううううううっ」

 頭が熱くなり、唇の感覚が薄くなるほど歯を食いしばる。

 意識全てを持っていかれそうな、ぎりぎりのパワーバランスを維持し、その上で体重をかけ、台座の破壊に力を入れる。

 触手が私の身体を這うように動くが、そんなもの気にしてる場合じゃない。気持ち悪いその感覚すら、私は剣を握る力に変化させる。

 脳裏には、アイツの死に際。

 それをもとにしたような、エースの死に際のイメージが浮かぶ。

「――あああああああああああああああああああああああああああっ!」

 なおも叫び、力を込める。

 やがて、そう、私の感情に答えるように、台座はぱっくり綺麗に真っ二つされた。

 獣の悲鳴のような声が上がり、台座が雲散霧消する。どうやらこの台座自体が、ある種の召還獣のようであった。

 どさりと落ちるセノ。「きゅ、きゅ~ん……☆」と唸っていることから、寝かされていたのも台座に由来していたのだろうか。

 足から力が抜け、私もその場に腰を下ろす。

 周囲の女達は目覚める気配はない。

 と、エースが私の足元に転がされる。

『ふう、時間がかかったね。文学青年といえど、流石は勇者か』

「え、エース!?」

 再度立ち上がろうとしたが、しかし身体が言うことを聞かない。マッドゴブリンのときとは違う。おそらく、身体を動かすだけの魔力すらさっきのアレに使ってしまったのだろう。

『記憶を吸おうとしても、これほど「不味い」記憶もなかなかありませんでしたね。おかげでさっきの食後感が台無しです。どうしてくれるんですか』

「はっ……、全部吐けば良いんじゃないか?」

『生憎と御免ですね。……どうやらそちらのお嬢さんも、オイタがすぎるようだ。では――』

 男は、両手を振り上げる。するとその手が何本もの触手のように変化し、分解され、一つの剣のように変化した。

『――二人仲良く、殺してあげましょう』

 あ、死んだな。

 人生で二度目の、これから確実に「死ぬ」という感覚が私を襲う。

 あの時は、アイツが私を庇うことでそれが現実になることはなかった。

 だが、今回はそうもいかないだろう。

 エースはなおも立ち上がろうとしているが、どうも足をやられたらしく、上手く力が入らないようだ。私も私で、倒れていないだけで精一杯。

 状況は、本当に万事休すだ。

 だからだろうか。ふと、私は、倒れたエースに寄り添った。

「!」目を見開くエース。私は何も言わず、彼を後ろから抱きしめた。

 今思い返しても、何故その時そんな行動をとったのかは分からない。

 ただ理由をつけるなら――アイツと重なったエースと、離れ離れで死にたくなかったのかもしれない。

 そして影の剣が振り下ろされ――。

 私は思わず目を瞑り――。


「リガッチャ、きゅん☆」


 そんな、気の抜けるような声が聞こえた。

 数秒たっても意識があることに驚きつつ、私は、前を見る。

 男の体から、影が抜け出るように霧散している途中だった。

「な、これは――」

「きゅん、全然影魔法のことを理解していないみたいきゅん☆ ちみー」

 そう言うのは、そんな変な語尾でしゃべる奴は、この場において一人だけ。

「ようやく起きたか……」

 それだけ言うとエースは気絶した。私は彼に呼びかけるが、意識が戻る気配はない。

 上半身裸の姿に戻った男を見つつ、セノは、嘲笑した。

「ただの好色風情が、おこがましいにも程があるきゅん☆ まさか『邪神』様と()()()()たいなんて理由で、こんな無茶するなんて。きゅんきゅんにも想定外きゅん☆ 寝込みを襲われたことより、眷属により身の自由が奪われていたことより、そっちの方が驚愕だったきゅん☆」

「……邪神?」

「そうきゅん☆」

 セノは、その場で立ち上がり、軽く身体を動かす。「私は踊り子。『邪神』ポーダージェを奉り、彼女の悠久の余暇を癒すための踊り子きゅん☆ だからこそ、私の力もまた、そんな即物的なものよりもっと華麗で、もっとしたたかに強いきゅん☆」

 言いながら、セノはその場で回転を始める。最初は片足を伸ばしてしゃがんでいるような、段々と立ち上がり上半身で地面に平行な円を作っているような姿勢になり、最後には片足と上半身とでリングをつくるような体勢で、それぞれぐるぐると回転した。

「お仕事邪魔されて、ちょっと頭に来ているから、今日は出血大サービスだきゅん☆」

 その動作の最中、彼女の魔法石と両手の布に刻まれた魔法陣が妖しく点滅する。それに合わせて周囲の闇と、彼女の影とが鳴動し――。


「グレベルア・オウル・アルテルガ、きゅん☆」


 男に突き出したサムズアップを、天地逆転させて鼻でわらった。

 次の瞬間、彼女の背後から巨大なフクロウのようなものが現れた――おそらく、影だ。さっき領主の息子がやっていたようなものだろう。

 だが、明らかに大きさと密度が違った。

 人間一人分を中心としていたそれと比べて、セノの呼び出したフクロウの大きいこと大きいこと。部屋全体どころではない。もっとオーバースケールに巨大だというのが、闇の中でも理解させられる。領主の息子も、口をぱくぱくさせて硬直しているくらいだ。おそらく、これは相当すごいのだろう。

「殺しはしないきゅん☆ ただ、後で関連組織を洗いざらい吐いてもらうきゅん☆」

 言葉こそ変わらないものの、セノは、圧倒的に男を見下していた。

 その後何が起こったかは……私も、思い出したくない。





 後日、私たちはラニアールを出た。

 アーマーの修理と調整も完了し、以前よりも少し動きやすくなった気がする。と思っていたら実際に要所要所の間接部を削ったらしく、「コンビで戦うなら速度上げた方が良いと思いましてね」と言われた。良い仕事をしてくれる職人だったが、いかんせん、私とエースとの間でコンビネーションは成立していなかった。

 レグとアン……、ギルドの二人は、私たちに誠心誠意頭を下げた。エースが勇者であると後に明かし、最終的に「事態の鎮圧を勇者が担当した」ということで、特にお咎めは受けなかったようだ。報酬として保存食や水をもらったが、それと同時にエースは彼らの日記を欲しがった。

「かまわないですけど、でも、なんでこんなものを?」

「二束三文にもなりませんよ?」

「いや、良いんです。貴方たちの『信頼関係』が、どうやって出来たのかを知りたくて」

 頭を揃って傾げる二人に、エースはくすくすと子供のように笑った。

「できることならお二人の信頼関係、末永くはぐくんでください。具体的には老後の先まで」

 一瞬何を言われているか分からなかったらしい二人だが、瞬時に赤面してもじもじし出したのには、少しほっこりとさせられた。

 領主の息子は、ギルド長含めて裁判制度が適用されるそうだ。後者は立場的に難しかったということもあって釈放はそう遠くないかもしれないが、前者はまた色々な問題がからむ。

 父親が有能なぶん、きれいに見捨てられた領主の息子 (次男であったらしい)。しかし、彼は稀有な影魔法使いであり、また「大海の魔獣」信仰カルトとの関係が問われているらしい。そこのところは私も詳しくは聞いていない。

 セノは踊り子として旅をしながら、そのカルト組織を追いかけているそうだ。

「純粋な信者からしたら、まったく良い迷惑きゅん☆ あんな危なっかしいことやられて。珍しく信仰の自由が保障されている国だというのに、世知辛いきゅん☆」

 そんなことをぶつくさ言いながら、彼女は私と私の精霊剣を見ていた。

「とりあえず、しばらくは事情聴取とかに付き合うつもりだから、きゅんきゅんはここに居るきゅん☆ また何かあったら、お話しましょうきゅん☆」

「ああ。……ほら、エース」

「え? あ、うん、はい……」

 なんとなくバツが悪そうに、エースはセノと顔を合わせようとしなかった。

 苦手なのだろうか。心当たりはあるが、彼に聞いても小声で「いや、きゅんきゅんきゅんきゅん五月蝿くてなんとなく嫌だし」とはぐらかされるばかりだ。

 先にその場から立ち去ったエース。私もそれに続こうとした時、セノに耳打ちされた。

「カノンたんは、エースちんと一緒に居るのなら、少し注意しないといけないきゅん?」

「……何をだ?」

「あまり真面目に入れ込みすぎないこと、きゅん☆ もし本当にエースちんと信頼関係を結びたい、本当の意味での友達とか仲間とかになりたいのなら、カノンたんは、カノンたん自身の天秤を破壊することになるきゅん☆」

「……」

「意味がわからなくても良いきゅん☆ ただ、今バランスをとれているカノンたんと違って、エースちんはもう落ちるところまで落ちて、そこから目を背けて、なかったことにして正気を保ってるきゅん☆ だからその封印された部分を空ける作業が必要なんだけど、その時に――って、なんだか色々言っても、結局やりそうきゅん☆ カノンたんは」

 ま、せいぜい死なないようにきゅん☆ 生きていれば、そのうち良いことあるから。

 かなり長い引きとめだったが、彼女は呆れたように微笑みかけて、私をはなした。

 そして現在野営中。流石に光源が乏しくなってきているため、エースも本を読むのを諦めているようだ。

 エースに起された私は、彼女に言われたことをうつらうつら反芻する。

 ――確かに、エースは何か変だ。

 騎士団長が匂わせた過去に関係することなのだろうが、どうにも、こう、他の冒険者とパーティーを組んだ時と勝手が違う。一歩、踏み込ませてくれない。表面上のことはいくらでもわかるのだが、そこから先がない。だから、結局彼が何をしたいのか、何を仕出かすのかがわからないことが多いのだ。

 それを改善するためには、彼が考えたくないという過去を掘り返す必要があるのだろう。

 今回のことだって、私と連携をとることなく、突然相手に向かって攻撃をしかけた。

 結果、あの様だ。私と連携できていれば勝てたかというのも怪しいところだが、少なくとも一週間も拘束されることはなかったろう。結局最後はセノ頼りになりそうなところが、色々とアレだが……。

「じゃ、俺寝るから。カノン、よろしく……」

 交代で番をしているので、次はエースが寝る側だ。

 その目を閉じた顔は、普段子供っぽいだの女っぽいだの思っているよりも、いくぶん、年相応に男の顔をしている。頬もややこけていて、目元は万年疲れが抜けていないようでさえあった。

「……えいっ」

 それを見ていたら、私は、なんとなく彼の背中を抱きしめていた。

 エースは、無表情な声音で文句を言ってきた。

「……やめてよ」

「なら、せいぜい夜泣きしないで寝ることね」

「……」

 それ以上、彼は反抗しなかった。

 やがて、彼は寝息を立てはじめた。それは、いつものようなすすり泣くような声ではなかったけど――でも、まだ、どこか物悲しい印象を私に与えるものであった。



カノン視点で見るとかなり穴だらけなお話ですが、エース視点で見ると色々とアレです。ぶっちゃけ取調べシーンとか、作中の話として一週間くらいの時間が抜けております(爆)

そして主にセノに見抜かれたりしたあたりから、実はずっと本調子ではないエースなのでした。


カノンさんのヒロインレベルとヤンデレレベルがちょっと上がった;

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