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散歩の記録とダニエル(少し手直し再掲)

作者: オーシャン

大きな喧嘩をした後だった。

 夫が働かずにいる家のよくある喧嘩だった。娘を連れて散歩に出た。町は春一番が抜けて、陽気な日を浴びた秘密の浦曲うらみのように眩しく、自宅からすぐの角を曲がると真っ白になった。

 支所の裏手側に弁財天を頂いた一間社があった。其処の白御影しろみかげの鳥居をば、Oちゃんは何遍もあかずにくぐるので、ひとりそぞろに向拝まで昇った。鈴緒は振らない。が、かわって乱暴な音がした。社の裏にはすぐフェンスが控えていて、越えたところに支所の勝手口がある。不思議に恐い気もせず首入道にしてのっそり覗くと、黒い外套が情事の後の二人の抜け殻みたいにぐったりしていただけ。

 他にはない。

 それから白樺が似合いそうな間道に出た。向かって左側がなんでもない宅地に画され、もう一方は変わって吹き曝しで、ふたりがもうすぐ出る目抜きの殷賑いんしんなのが音無しに分かった。セイタカアワダチソウが茶色なのに日を浴び過ぎている。しばらくして目抜きにぶつかりまた右に折れる。このまま道なりに行くと、支所の表玄関が通りに面した方まで戻るのだが、道路を一本渡ってただちに左へ折れた。


 駅が正面にある。流山線に決めて下りの平和台までの切符を買う。

 二両編成が閑々と動き出す。ひまなく警笛が鳴る。ポールも信号もない踏切をとおるのに必要なのだ。と、定時制の学生時分に世田谷の通信制高校と組んで野球をしたのだが、負け試合になった帰り道の事を思い出した。

 その日、東横線の車窓から全裸の女が胸だけ隠して困りきったように立っていたのが見えた。それは昼下がりの踏切だった。女が窓外中の一幅の画となってコマ送りに迫ると、お辞儀から上げた顔の、それが笑ったようにも見えたので、こっちでも仲間に報らせるように女を指呼して洪笑わらった。

 それからホームヘルパーで口を糊していた頃に、同じ流山線で自閉症の男児と一緒にやはり平和台まで散歩介助というので行ったことがあるのを思い出した。その子とは他に町屋から早稲田まで都電で往復したのが一再ならずあったが、そこまで鮮やかになると記憶の古今や遠近がさかしまで自分でも変な気がした。

 小金城趾でしばし停車する。全体に単線なので此処で上下合流するのだ。が、いよいよ笛が鳴るぞという時に一番ホーム上り電車へ駆け込んだ。


 もと来た駅に戻ると、行きの道とは違う椰子の木が棕櫚しゅろと呼ばれてそうな閑静な住宅街を抜けて自家に帰ることにした。この辺りは隣家に軒が接する様には画されて居らず、どこも手狭なところに駐車スペースと丈の低いコンクリート塀が打たれて劃された植栽用のコーナーがぐるりをめぐり、唐破風の次に陸屋根という具合に凹凸が 向こう三軒に渡るので、馥郁ふくいくたる夕餉の支度の煙りが合流することなく瀰漫しているのが、常とは違い鼻にも目にも五月蝿く感じた。いつかT公園の脇に出ていた。東側に遊具や砂場があって、西側はこいしが敷かれて広く構えた更地で、全体が桜の木に抱かれ二面に別れている。

 

 其処にOちゃんが入った。


 他に人はいない。

 まだ花のつかない桜の下枝しずえが、砂場まで伸びてきて、裸のまま弛まず動かない。遊具と砂場を割って小丘があった。草の髭が伸びた斜面なぞえの上を砂の帚目に似た稜線が薄く守られたままでいた。滑り台の待ち時間がない。一緒に昇る。一段上に片足を掛けてから手すりの細いさんを身体の真横で握るので目が離せない。が、昇っているうちに意識のしきいの上と下が目蓋のうちから澎湃して、オディロン・ルドンの“目玉の気球”が浮かんだ。空には爪の上皮あまかわに似た月がやっとあった。すぐに書割りにありそうなかさのない輪郭のはっきりした桟敷で観る月に変わり、影がフィルムを焦すようにクレーターの凹地くぼちを浸食し、だんだんとエコー映像中の胎児になって、それから仏がたくさんな曼陀羅図絵になった。中心が此処彼処にあって目眩がした。と、“目玉の気球”は地上に繋留されアド・バルーンになった。鼻の下が垂れ幕のように伸びきったところに風を孕んで自我が翩翻へんぽんとした。風が起きる。首が振られてブランコが見えた。

 “其処”にOーちゃんと一緒に揺れて僕がいた。僕は怖いと思った。今、風は凪で木は裸で夢は夢で俺でもなく私でもない「僕」は怖いと思った。


 夕間暮ゆうまぐれ

 T公園から出た。自家はすぐ鼻の先にある。身空の影の一番はっきりする時間ということもあって、ふたりでいるより賑やかに感じる。高架線にカラスが番い(つがい)になっている。看板に灯りが点く。人が固まって動く。よく見ると影はもういない。

『・・・めぐりにめぐりて行き風復またそのめぐる處にかへる』が、はと胸のうちで、「僕」が騒いだ。

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― 新着の感想 ―
[一言]  難しい単語をあえて使っているような気がします。確かにそれである種の雰囲気を出しているんですが、そのような手法によらないで文章で作品を仕上げるというのもありかもしれません。しかしながら、その…
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