うちのメイドが最強の女王様すぎて可愛い。いや可愛くはない。全然。
この国は、四つの公爵家が東西南北の国境を守護している。
その一つが西のメルドゥーム公爵家。
古くから優秀な魔法使いを輩出してきた賢者の血統たるこの家には、ある一人の女性が存在する。
「クラヴェル様、おはようございます」
「うむ」
「本日の朝食はパンとマフィンのご用意がありますが、如何なさいますか?」
「パンケーキにせよ。蜂蜜をたっぷりと。カリカリに焼いたベーコンを添えるのを忘れるなと料理長に伝えろ」
「かしこまりました」
朝は家人の誰よりも遅く起き、優雅に朝食を摂り、ようやく仕事着に着替え、邸を自由に彷徨きまわっては他の使用人に口を出す。
「庭の薔薇が見事だな。褒めてやろう庭師。メイド長、剪定して大旦那の部屋に飾っておけ」
「旦那が嫁の誕生日にネックレスを贈ろうとしていたが、センスが悪すぎる。べつのものに変えるよう言え」
「娘の月のモノが今日辺り始まるぞ」
誰相手にも尊大でデリカシーが欠如した傍若無人ぶりだけど、隠しきれないほど優秀な彼女は、何のことはなくただのメイド。
平民のクラヴェルである。
「絶対におかしいわ」
昼食の折、私は邸内の不可思議な現象について言及した。
「何のことだいルティーナ?」
「何のことって、お父様は気にならないの?」
「気になる?」
「クラヴェルよ! どうしてただのメイドが邸で偉そうにしているの?!」
お父様とお母様は顔を見合わせて小首を傾げた。
「どうしてって……なあ?」
「ねえ?」
「おかしいじゃない! 高位貴族の令嬢が出稼ぎに来ているわけでもないのに!」
「まあクラヴェル様だからな」
「クラヴェル様だものね」
「それがおかしいって言ってるの! ただの平民に、それも雇われのメイドに敬称なんて!」
二人も後ろに控える使用人も、不思議そうな反応を見せる。
まるで私がおかしなことを言っているみたい。
「そうは言ってもクラヴェル様が邸に来たときからこうだったからなぁ」
「ルティーナはほら、小さい頃から最近まで隣国に留学に行っていたじゃない。帰ってきたばかりだからまだ慣れていないだけよ」
「いや、慣れていないとかそういうことでは……というか、そもそもどうしてクラヴェルが昼食に同席しているの?!」
クラヴェルは私の隣で、姿勢を正し食事に向き合っていた。
「使用人が主人と食事を共にするなんて聞いたことがないわ!」
「食事の最中に大声を出すな。品位に欠けるぞ娘」
「誰が名前を呼ぶ許可を与えたのよ! なんて失礼な……だいたい、それは何!」
「見てわからないか。ハンバーグという、細かい肉を練って焼いたもので――――――――」
「知ってるわよそんなこと! 私が言いたいのは、どうしてメイドがお肉を食べて、私たちはミルクリゾットなのかってこと!」
「そっちにはサラダがついている。私には無い。それで同等だ」
「どこがよ!」
サラダが無いのはあなたが野菜嫌いなだけのくせに。
「まったく、食事くらい静かに愉しませてもらいたいものだ。ほら、口を開けろ」
「なッ?!」
「自分も肉が食べたかったのだろう? 素直にそう言え。卑しい女に私からの施しだ。ありがたく受け取れ」
フォークでハンバーグを一切れ刺し、私へと差し出してくる。
私は怒りやら羞恥やらで、かあっと顔を赤くした。
「結構よ!!」
誰があなたから恵んでなんてもらうものですか!
私ミルクリゾット好物だし!
ああおいしい!
クラヴェルを雇ったのはお祖父様らしいけれど、いったいどういうつもりだったのだろう。
あの様子では面接の段階からあの態度だったんだろうし。
「ねえジャクリーヌ、あなたは何か知ってる?」
「さあ、何も。ある日突然雇わせてやると押しかけて以降、ずっと変わらずあの調子なので。大旦那様は、おもしろい、とだけ仰っておりましたが」
「変だと思わなかったのかしら」
「大旦那様は珍し物好きな方ですから。私共も自然にクラヴェル様をクラヴェル様として扱うようになっていましたし」
人の上に立つのが当たり前の態度。
それはまるで王の振る舞いだ。
「もしかして本当はどこかのお姫様か女王様だったりして。それとも魔法で皆の心を幻惑してる魔女とか」
「物語の読みすぎだぞ娘」
「クラヴェル」
「邪推せずとも私に魔法は使えない。魔法は貴族の特権のようなものだ」
わざわざガゼボまで私にお茶の用意を……って、そんなわけないわよね。
自分で飲み始めた。
「何の用?」
「用など無い。思い上がるな。ここは私のお気に入りの休憩所だ。騒がしくするなら他所へ移れ」
「私が今座ってるでしょう!」
「メイド長、明日嫁が街へ出掛けるらしい。気に入っている帽子は仕立て屋に修繕を依頼していたな。今日中に仕上げて届けるよう急がせろ」
「かしこまりました」
メイド長がメイドに頭を下げるのもどうなのだろう。
クラヴェルの中では私の存在など霞んでいるかのように、紅茶を片手に読書を始めた。
仮にも私の前で足を組むのは諌めるべきなのだけど、これはもうそれ以前の問題だ。
「ねえ、なんであなたってそんなに偉そうなの?」
「お前は鳥に、何故あなたは空を飛べるの?と訊くのか?」
「受け答えも腹が立つけどせめて本から視線を外しなさいよ。じゃあ、なんであなたみたいな人がメイドに志願したの? あなた誰かに傅くってタイプじゃないでしょ?」
「人の素性を詮索するほど暇なら、空になったカップに紅茶でも注げ。気が利かない奴だ」
「あ、ゴメンなさい。って私を小間使いにしてるんじゃないわよ無礼な!!」
クラヴェルは無視してまた自分の世界に没入した。
なんて不遜なの。
しかし……性格が最低に最悪なのはさておき、なんともまあキレイな人だ。
本を読んでいるだけなのに一枚の絵画のようで、完成された美しさを覚える。
覇気が漏れ出た立ち振る舞いというか、押し黙らされる威圧感も相まって、高貴な生まれの落とし子が市井で育ったと言われても信じてしまう。
「おい」
「!」
「視線が煩い。私の美貌に見惚れるのはわかるが、生憎と小娘に興味は無い。恋心が泡沫と消える前に諦めることだ」
「ななな、なんでそうなるのよ! 自意識過剰だわ失礼な! フン、あなたなんてこっちから願い下げよ! 私はね、私より強い魔法使いとしか結婚しないって決めてるの!」
それもとびきりのね。
「そうか。励むがいい。メルドゥームの血統以上の魔法使いが世界にどれだけいるかは知らんが。それはそれとして娘」
「な、なによ」
「次に私の安らぎのひとときを邪魔しようものなら、お前が鍵付きのドレッサーに大事に隠している秘密の詩集を国中に聞こえる大声で読み上げてやるぞ」
「〜〜〜〜!! どうしてあなたがそんなこと知ってるのよ!!」
ほんっとうに最低な人!
あまり怒り続けるのは精神衛生的によろしくない。
どうせ誰も気にしていないのだから、私も気にしない方が気が楽になるというもの。
しかし……なるべく関わるまいとしても、クラヴェルは事ある毎に私の神経を逆撫でした。
「お父様、あのメイドを解雇にしてください!」
「クラヴェル様のことかい? いくらなんでもそれは」
「ろくに……いいえメイドらしい仕事なんてまるでしていないではありませんか! フラフラと遊び呆けて他のメイドをこき使って、なのに給金はしっかりもらって! お父様が言い出せないなら私が言いますからね!」
「落ち着きなさいルティーナ。人間誰しも一度は空が青い理由を気にするが、気にし続ける者はいないだろう? ルティーナもそのうち慣れるさ」
その小洒落た風な奇妙な言い回しは流行か何かですか。
「第一クラヴェル様の雇用主は私でなく父上だ。裁量を任されているとはいえ、父上が気に入った者を無下には出来ないよ」
「それはそうかもしれませんが……」
私だってべつに、尊大な振る舞いが癇に障るというだけで、彼女を困らせてやりたいという気持ちは――――職を失った困り顔を見ればさぞ胸がすくだろうとは思うが――――あまり無い。
もちろん平民という出自を蔑ろにしているつもりもない。
ただ無性に腹立たしいのだ。
貴族であることを、メルドゥームの血が軽んじられているような気がして。
「お話を遮って申し訳ありません。お嬢様にお客様がお見えになられております」
「ジャクリーヌ。お客様って?」
「ニコライ様でございます」
「まあ! ニコライ様がいらしてるの?」
「応接室にてお待ちでございます」
お父様との話を切り上げ、私はドレスの裾を持ち上げ、慌てて応接室へと駆け出した。
「お待たせして申し訳ありません!」
「やぁルティーナ」
ニコライ=ノンジェスター様。
メルドゥームと同じく四大公爵に数えられる大貴族、南のノンジェスター公爵家の長男で、王国騎士団の副団長を任されるほどの優れた魔法使い。
そして、私の婚約者である。
「そんなに息を切らさなくても。ルティーナを待つ時間なら永遠を捧げても惜しくはないよ」
「もう、ニコライ様ったら。今日はどうされたのですか?」
「友人から今話題の歌劇のチケットを譲られたんだ。せっかくだからルティーナを誘いに来たんだけど、どうかな?」
「ステキ! 一度観に行きたいと思っていたんです! ぜひご一緒させてください!」
「よかった。君が留学していた間はあまり会えなかったからね。たまにはこうして婚約者らしいことをしないと」
何気ない微笑みで目が眩む。
物語から飛び出してきた王子様のよう。
「すぐに支度をします!」
ニコライ様からデートのお誘いだなんて。
今日はいい日になりそう。
と思ったのに……
「どうしてあなたが付いて来るのよクラヴェル!」
「メイドが主人に付き添うことがそんなに不自然か?」
いったいどの口が言うのだろう。
「邸に残りなさい! 付いて来なくていいから!」
「自惚れるな。お前たちが私の後を追うのだ」
「ならいの一番に馬車に乗り込むのは何なのよ図々しい……!」
「ルティーナ、彼女は?」
「うっ……ええと……うちのメイドです。一応……」
「そうか。ニコライだ、よろしく頼むよ」
「うむ」
「うむ、じゃない! ちゃんと挨拶しなさい!」
「女に言い寄られる顔をしている」
たしかに顔は整っているけれど……それが挨拶になり得るわけもない。
「腕も足も組まない! どうしてニコライ様の前でもこうなのよ! ニコライ様に無礼な真似しないでちょうだい! それが無理ならお願いだからおとなしくしていて! せっかくのデートなんだから、邪魔したらただじゃ済まさないわよ!」
「はしゃぐな。化粧が崩れるぞ」
「この……ッ」
「まあまあ。いいじゃないかルティーナ。彼女も仕事熱心なだけだよ」
ニコライ様が優しい方でなかったら馬車から突き落としてやるのに。
私は隣でふんぞり返るクラヴェルのことが、恥ずかしくて仕方なかった。
「いい、クラヴェル? 公演中は別行動よ。チケットが無いからどの道一緒には入れないんだから」
「ふあぁ……」
「あくびしない! わかったわね!」
結局こっちの言い分なんてまるで聞かないクラヴェルは、転移魔法陣を使って王都に到着してからも終始自分勝手に振る舞った。
あれが食べたい、あの店に行きたい……歌劇が始まるまでこの調子。
クラヴェルが私たちを引き回す度、ニコライ様は笑って赦してくれたけれど……
「そろそろ時間だ。ホールの方に向かおうか」
「はい。クラヴェル、あなたはおとなしくしてるのよ」
「案ずるな。自分の分のチケットならある」
と、クラヴェルはポケットからそれを取り出してみせた。
「ど、どうしたのそれ?」
「その辺を歩いていた男が、どうしてももらってほしいと言うので譲らせた」
「それってまさかカツアゲ……」
「バカを言うな。どうぞ受け取ってくださいと献上されただけだ」
公爵家の品位が音を立てて崩れていく。
「気にするな。席はお前たちとは離れている」
それを聞いて安心した。
一応は気を遣っているらしい。
……いや、本当にそうならそもそも同行する発想に至らないでほしい。
また何かしでかすのではという心配もあったけれど、ホールに入ってからは関わることなく穏やかな時間が流れた。
「ふぅ……」
安堵の息をついた私に、ニコライ様は笑った。
「何か飲み物を頼んでこよう。待っていてくれ」
紳士的で優しい人。
クラヴェルもせめて人並みに弁えることを覚えてくれればいいのに。
その後、ニコライ様が戻ってきたタイミングで歌劇は始まった。
話題というだけあってそれはそれは荘厳で迫力があり心揺さぶる、まさに音と光の総合芸術だった。
終わった後の余韻に揺蕩う時間すら夢見心地で、私はすっかり晴れやかな気分になっていた。
「見事な劇だったね」
「ええ、本当に。ニコライ様にお誘いしていただけて良かったです」
このままいい雰囲気になりそう。
二人きりなら。
「さっさと帰るぞ」
余韻なんて無駄だと言わんばかりの早い足取り。
何の感動も無いのだろうか。
一人で帰ればいいのに。
まあ、魔力が無いと転移魔法陣を使えないから仕方ないけど。
「ニコライ様、今日はどうもありがとうございました。メイドが無礼を働いて申し訳ありません」
「気にしないで。また誘ってもいいかな」
「ええ、もちろん。声をかけていただけるのを心待ちにしております」
「愛しているよルティーナ」
「私もお慕いしております」
邸の前で降ろしてもらい、軽い挨拶を交わし別れる。
ニコライ様を乗せた馬車は来た道を戻っていった。
次にお会い出来るのはいつになるだろう、と私は去りゆく馬車が見えなくなるまでその場で熱い視線を送った。
「はぁ……」
小さくため息をついた私の隣で。
「ろくな男ではないな」
クラヴェルはニコライ様を下げる物言いをした。
「なんですって?」
「誰にでもいい顔をする男は信用に価しないというだけだ」
「取り消しなさい。あなたがどれだけ失礼な女性でも、ニコライ様への無礼だけは赦しません」
声が震える。
「お前ではあの小僧に釣り合わぬ。早々に別れを切り出すことを勧めてやる」
「どうしてあなたにそんなことを言われなくちゃいけないの?!」
「私が私である以上に、私の言葉が絶対の理由などない。あれとはさっさと縁を切れ。これは進言ではない。命令だ」
パン――――――――
掌が酷く熱い。
こんなにも力いっぱいに人を叩いたのは初めてだった。
「いったい何様のつもりなの!! たかが平民のメイドのくせに!!」
ニコライ様を侮辱されたこと、私の恋心を踏みにじったこと、これまでの鬱憤……怒りを発露するそれを受けても、クラヴェルはまるで態度を変えなかった。
「満足か?」
怒りもしない。
反論も、仕返しも。
それがまた腹立たしくて、簡単に激昂した自分自身が情けなくて、恥ずかしくて、クラヴェルの目をまっすぐ見れなくて、私は逃げるように邸へと戻った。
「……愚か者め」
クラヴェルの呟きなんて、私には届かなかった。
そんなことがあって、クラヴェルは夕食の時も姿を見せなかった。
人並みに気まずいという感情を持ち合わせていたのか、そうでないなら私を慮ったのだろう。
「ジャクリーヌ、クラヴェルは?」
「それがどこにもいらっしゃらないのです」
もしかしたら誰にも言わず邸を出ていった?
……そんなわけない。
あの傲岸不遜を擬人化したような人が。
きっと明日になればふらっと姿を見せるだろう。
そうしたら叩いてしまったことを謝ろう。
酷いことも言ってしまった。
罪悪感に苛まれながら、私はベッドの中で瞼を閉じた。
――――――――
その日の深夜。
家人が寝静まった頃、転移魔法陣が光を帯びた。
その人物が音もなく足取りを邸へと向けた、その瞬間。
「忘れ物でもしたか?」
夜の闇から一人のメイドが姿を見せた。
「まさか夜這いというわけでもあるまいが、逢引きのつもりなら娘はベッドの中だ」
「……心配しなくても、彼女には手を出さないよ」
そう、ニコライは月光に照らされながら微笑んだ。
「大事な婚約者だ。結婚前に手を出して問題になるのは避けたい」
「ならばその足を再び陣に乗せろ。これでも口は固い。見て見ぬフリをしてやる。夜分一人、他所の家の敷地に踏み入れる……それだけで充分に外聞に恥を上塗りする理由に成り得るのはわかるであろう」
「そうはいかない。僕が会いに来たのは君だからね」
クラヴェルは驚いた様子もなく、変わらず傲慢な態度をとった。
「口を慎め小僧。貴様がこうして私と同じ高さで視線を交わしていること自体が奇跡だ」
「ハハハ、おもしろいね君は。今まで会ったことのないタイプだ。もっと話をしてみたい気持ちはあるんだけど、君……見てしまっただろう?」
「そのつもりもなかったがな。なんだ、口封じにでも来たか」
「どうしようかと思っているところだよ。君の口は、いくら払えば閉じてくれる?」
「生憎と稼ぎには困っていない」
「仮にも公爵家のメイドだからね。そうなると、うん……やっぱり殺さなくちゃいけないか」
ニコライは困り顔で頭を掻いた。
「ホールで貴様が密会していた相手は、伯爵家の次女か」
「よく知っているね。感心だ」
「わざわざ娘と出掛けている最中に会うこともあるまいに」
「そのスリルが興奮するのさ。これでも困りものなんだよ。複数人の女性から好意を持たれるというのは。皆平等に愛さなくてはいけないから」
「猿の如き性欲を正当化するな気色悪い。貴様のそれは博愛とは違う。ただ下半身に正直なだけだ」
言うね、とニコライはおもむろにクラヴェルとの距離を詰めた。
「不貞を露呈されてはルティーナとの婚約に影響が出る。悪いが君には死んでもらうよ」
「娘だけを愛してやるつもりは無いのか」
「無いね。僕は僕を好いてくれる女性全員が好きだ。誰か一人だけを愛するなんて、そんな不自由には耐えられない」
「あれは大層貴様に惚れ込んでいるぞ」
「だろうね。だけどどうしようもない。僕はそういう星の下に生まれたのだから。今までも、これからもこの生き方を変えるつもりはない。ルティーナもきっとわかってくれるさ。だけど、不安の芽は取り除いておくに限るだろう?」
ニコライの右手に真っ赤な炎が灯った。
「君は今夜死ぬ。灰も残さない。助けを呼んでも無駄だよ。その前に殺すから」
表情は笑顔のまま崩れない。
「君がいなくなったことで邸の人間は不思議に思うだろうが、君は特殊な性格をしているからね。気まぐれだろうと結論づけられる。そもそも平民一人いなくなったところで誰も気に留めないかもね。ああそうだ、今日会ったときに言おうと思ったんだけど……君、メイドに向いてないよ」
荒れ狂う炎が夜闇に、クラヴェルの身体に喰らいついた。
魔法とは貴き血に宿る天賦の才。
故に貴族と平民とでは天地ほどの差があり、万に一つも平民が貴族に敵う道理は無い。
ニコライにとって、クラヴェルの始末は単なる作業である。
だからこそ油断と慢心があった。
「ニコライ様……?」
誰にも見つかることなくその場を立ち去るつもりだったニコライは、ほんの僅かに驚いて声のした方向を見やった。
「どうして……」
「……やぁルティーナ。こんばんは。こんな夜更けに淑女が出歩くなんて感心しないな」
「転移魔法陣の魔力が反応したのが気になって……それより……今、何を……あなたが燃やしたのは……」
「……はぁ。どいつもこいつも間が悪いな」
そうして初めて、ニコライは冷たい目をルティーナへ向けた。
「……っ!」
「なに、貴族に対しての非礼を詫びさせただけさ。気にすることはない。公爵家のメイドだろうと、所詮はただの平民だ。僕たちとは住む世界が違う。それをわからせてやったんだよ」
「わからせて……? 無抵抗な人間に魔法を撃つのが、教育だとでも仰るつもりですか!」
「貴族としての務めさ」
声を荒げるルティーナに、ニコライは当然のように言ってのけた。
――――――――
貴族としての務め……下の者を諌めるのは、間違っていない。
だけど……
「違います」
「何がだい?」
「ニコライ様は正しいのだと思います……。ですが、これは違う……」
自らの価値観を、自己の意義を押しつける。
ニコライ様のそれは悪意を孕んだ傲慢。
同じ傲慢でもクラヴェルとは在り方が違う。
少なくとも彼女は力で他者を押さえつけることはしなかった。
「力を持つ者は力に溺れてはいけない。力を以て弱き者を導く……それが我々魔法使いの使命です!」
「力があるからこその特権階級だよ。貴族と平民、魔法使いとそうでない者の差はけして埋まらない。彼らは僕らの礎にしかならない。草や石にその程度の価値しかないようにね」
「我々こそが礎であるべきではないのですか!」
「見解の相違だね。君のそういう実直なところは美点だけど……少し鬱陶しいな。婚約者という立場だから我慢していた部分もあったんだよ。いい機会だから、少し教育してあげようルティーナ」
目の前にいたはずの姿が揺らぐ。
陽炎を用いた幻覚の魔法と気付いたときには、拳が私の腹を深く穿った。
「ゴホ……ッ?!」
「若さと真面目だけが取り柄の君なんかを、どうして僕が婚約者に迎え入れたのだと思う? 君がメルドゥームの後継者だからさ。メルドゥームの血を、財を、歴史を取り込むことで、ノンジェスターは更なる発展を遂げるだろう」
痛みと苦しみに悶え、膝をついて呼吸を荒くする私に振りかかる冷たい言葉。
ニコライ……ああ、この人は最初から……
「それだけだよ」
私を愛してなどいなかった。
甘い言葉も、優しい微笑みも、全部見せかけだけだった。
私はなんて愚かなのだろう……頬に涙が伝った。
「そろそろ邸に戻るといい。ゆっくり眠って朝になれば、今起きたことは全て忘れるさ。そうすれば君は、今までと変わらず甘い幻想に惚けていられるんだから」
四大公爵の末裔。
ルティーナ=メルドゥーム。
何が賢者の一族……メルドゥームの血統……
私は……立ち上がることも、言い返すことも出来ない、ただの弱いルティーナだ。
涙の粒が地面に落ちたそのとき。
「貴様の言う甘い幻想とやらは反吐が出るほど醜悪だな」
風が一陣、燃え盛る炎を掻き消した。
その声に顔を上げると、炎の中からクラヴェルが現れた。
顔や髪どころか、メイド服の端も焦げていない万全の姿で。
「……変だな。無意識に手心を加えたかな?」
「傲るな。手心があろうと無かろうと、貴様程度の魔法では死ぬ方が難しい」
ニコライは苛立ち混じりに複数の火球をクラヴェルへと放った。
それらが高速で着弾する刹那、真っ二つに割れて明後日の方向へと飛んだ。
「ッ?!」
手には剣。
どこにでもあるような量産品だ。
「斬ったのか……魔法を……!」
驚くニコライを視界に入れることもせず、クラヴェルは私へと歩み寄った。
「その小僧が言ったとおりだ。そういう星の下に生まれた運命はどうしようもない。王でもなければ貴族でもなく、魔法の一つも使えない無能の分際で、それでも王足り得ろうとする。浅ましくやましい平民。しかしそうしなければ自己を保てず、息苦しいほどに生き苦しいのだ」
しゃがみハンカチで涙を拭い、クラヴェルは初めて鉄面皮を綻ばせた。
「こんな時でも詫びの一つも出ない私を、お前は笑うだろうな」
「クラヴェル……」
私を気遣うクラヴェルの背を炎が照らす。
振り向きもせず一閃された炎は、火花となって虚空に消えた。
「魔法を斬れる剣士がいるとは思わなかったよ。君はいったい何者だい?」
「ただのメイドだ。王様気取りのな」
「どうしたものかな。殺すのが惜しくなりそうだ。君が余計なことを吐露せず忠誠を誓うのであれば、僕のメイドとして迎えようか」
「傲るなと言ったぞ小僧。私は誰にも遜らぬ。媚びぬ。諂わぬ。全ての星々が私の前に頭を垂れようとも、神々が求婚しようとも、私はメルドゥームの……この娘のメイドだ」
凛々しく、かくも毅然と。
怒気を孕ませた声で言ってみせるクラヴェルに対し、ニコライはこれまでとは異なる、青く巨大な炎を顕現した。
「残念だ」
この距離で肌が乾き喉が焼かれる。
一帯を跡形もなく焼き尽くす、そんな魔法だ。
「ルティーナ、離れた方がいい。君も巻き添えを食うよ」
ビクッと震えたのも束の間、クラヴェルは空いた手で私を制した。
「私の傍を離れるな」
この危機的状況にも関わらず、私は妙な高揚を覚えていた。
竦んでいた心が軽い。
強張っていた身体が熱い。
クラヴェルの背中に隠れて尚、世界が色付いて見えた。
「はい……!!」
迫りくる青い太陽に合わせ、クラヴェルは剣を振り抜いた。
斬れるという確信……でなく。
斬るという絶対的な自信を以て、青い太陽は一瞬で霧散した。
「ば、バカな……?! 僕の……ノンジェスターの魔法だぞ?!! ひいっ?!」
剣の余波でニコライの頬が裂かれる。
魔法は完璧だった。
ただ、クラヴェルの剣がそれを上回った。
「おい小僧」
「ひっ?!」
渾身の魔法を斬られ、ニコライは尻もちをついて後ずさった。
「今夜のことは忘れてやる。貴様がどこの女を抱こうが口は出さぬ。ただし、今後二度と娘の前に現れないと誓え。何があろうとも此奴の人生に関わるな」
言葉と視線……いや、立っているだけで身が斬り裂かれそう。
意識が自分に向けられているわけでもないのに。
ピッ……と振られた剣がニコライの喉元に突きつけられる。
「いいな、この誓いを破ってみろ。貴様が世界のどこへ逃げようが、たとえ来世に虫に生まれ変わろうが、どこまででも追いかけて全身を斬り裂き、輪廻を経て消えぬ痛みと恐怖を刻み込んでやるぞ」
「たすっ、助けてくれ!! 誓う、誓うよ!! 君の言うとおりにする!! だから命だけは……う、うわあぁぁぁ!!」
ニコライは涙目で這いながら転移魔法陣に乗り、光と共に消えた。
それが私が見た、ニコライの最後の姿だった。
「情けない小僧め」
剣を肩に担ぐ彼女を見て、私はふとあることを思い出した。
まだ私が小さかった頃。
四大公爵、東のゼルトリアに魔力を持たずに生まれてきた子どもがいたという噂を聞いたことがある。
貴族なのに魔法を使えないというのはそれだけで落ちこぼれの証だが、代わりにその子どもには剣の才能があった。
魔法の時代に生まれた剣士。
しかし魔法が使えないのは外聞が悪いと、ゼルトリアの当主はその子どもを廃嫡し、記録の一切を消去した上で市井の修道院に落とした。
ゼルトリアの落胤……剣に愛された剣聖の血統の噂話。
もしかしたら……
「帰るぞ娘」
「腰が抜けたの。おぶって」
「歩け愚か者」
「あ、ちょっと待ってよ! ねえってば!」
噂は噂。
事実かどうかは関係ない。
彼女は、ただのメイドのクラヴェルだ。
翌日、ノンジェスター公爵家は、ニコライが失踪したと騒がしくなった。
プレイボーイであった彼は、身分を捨ててどこかの女性と真実の愛に目覚め、二人で駆け落ちしたのだろう……と結論づけられ、公爵家は無責任な彼の廃嫡を決定。
私との婚約も白紙に戻った。
「しかしどうしたのだろうね。いい青年だったのに」
心配する声も多数。
皆は知らない、ニコライ様の正体も、あの夜起きたことも何も。
「あまり気落ちしてはいけないよルティーナ。きっとまたすぐ良縁に恵まれるさ」
「大丈夫ですお父様」
しばらくは誰かに恋することもない。
今回のことは、男性を見る目がなかった私の失敗でもある。
教訓として心に留めておくことにする。
それと、クラヴェルの秘密も。
「私はメルドゥームを継ぐ魔法使いになるんです。恋なんてしている暇はありませんから」
「意気込みだけは立派だな」
クラヴェルはソファーに寝そべりながら悪態をついた。
しかも他のメイドにマッサージをさせながら。
「せいぜい励め」
「言われなくても。私がメルドゥームの正当な後継者になった暁には、あなたなんかクビにしてあげるんだから」
「お前如きの一存で私の進退を推し量ろうというのか。度し難いほどに不敬だな。だからお前は詩のセンスが無いのだ」
「んなッ?!!」
「花だの空だの恋だの愛だの、ありきたりな単語ばかり羅列して、甘い妄想を書き殴っただけの文章は見ていて胸焼けがする。だから婚約も無かったことになるのだ」
「は、はぁ?! 人の詩を勝手に読んでおいて……その上文句とはどういう了見なのこの駄目メイド! あなただってどうせ恋なんてしたことないでしょう?!」
クラヴェルは歯を見せて笑った。
「フッ、さぁな」
見た者を虜にするような、反則的に美しく可愛らしい笑顔だった。
思わず恋に落ちそうなほどに。
……ハッ!
そんなわけない。
そんなはずがない。
可愛くはない。
今のは不意打ちだっただけで、クラヴェルにそんな特別な感情なんて……でもこの感情は……
「視線が喧しいぞ娘。失恋したからといって私に慰めてほしいのか? 尻軽な女だ」
「そ、そんなわけないでしょう! あなたなんて、大ッ嫌いなんだから――――――――!!」
――――――――
十三歳年前。
ルティーナ=メルドゥームが五歳の折、両親に連れられ修道院に訪れたことがあった。
月に一度の寄附と週に一度の炊き出しを行っているのだ。
手伝いで孤児や浮浪者にパンとシチューを配っていたとき、ルティーナはふと視界の端に、うずくまる少女を捉えた。
「ごはん、たべないの?」
自分より歳下の少女に向かって、その少女は一言。
「失せろ」
そう遠ざけた。
髪も服もボロボロで、腹の虫がこれでもかと騒いでいるのにも関わらず、施しは受けないと言わんばかりに膝に顔をうずめた。
ルティーナは、
「はい」
そんな少女の思うところなど知らず、パンとシチューの入った器を差し出した。
「要らぬ。下げよ」
グウウ……また腹の虫が大きく鳴って、少女は恥ずかしそうに腕に爪を食い込ませた。
「おなかすいてるんでしょ?」
「すいてない」
「むぅ……じゃあ、いっしょにたべよ」
と、ルティーナはパンを半分千切って差し出した。
「同情するな。貴様らに施しを受けずとも私は」
「ほどこし……? よくわかんないけど、ごはんはみんなでいっしょにたべたほうがおいしいんだよ。だから、はい。はんぶんこ」
それは少女が初めて見た無垢な善意であった。
貴族に生まれ、貴族らしからぬ才を持ち、或いは持たず捨てられた少女にとって、それは何よりもあたたかかった。
あの時受け取ったパンの味を、涙の熱さを、少女の優しさを、彼女は胸に抱き立ち上がった。
「私を雇わせてやる」
約ニ年の後のこと。
メルドゥームの邸を単身訪れた少女は、大旦那マルコシアスに直談判した。
「おぬし、名前は?」
「クラヴェル。ただのクラヴェルだ」
おもしろい、と彼女の目を気に入ったマルコシアスは、即座に採用を決定。
その頃には邸の娘は隣国の魔法学園へ留学していたが、それでよかった。
これは自身を奮わせてくれた少女への恩返し。
この先何があろうと彼女を守るという決意を以って、少女はメイド服に袖を通した。
ただのメイドは、誰よりも女王様の、そして……誰よりも少女を思う星の下に生まれていた。
百合だ百合だ百合だ百合だ。
ちょっとだけ書こうとして一万字を超えてしまいましたが、これでもめちゃくちゃ添削したんです。
でも、相当にいい百合は出来たので満足です。
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