08.グリッサンド
チビうざメガネ。クシコスポスト。
吐き捨てるような、大きな声に驚きながらも、宗佑はなんか似たような語感だなと思っていた。チビもうざ、もメガネ!も単体で言われることがそれなりにあったし、特に悲しいとか辛いとか、心が揺れることはなかった。ほんの少し、一呼吸にも足りないくらい、あの子と目が合った気がしたが、僕たちも音楽室への教室移動の波にのまれるように、開け放たれた体育館の入り口から外に出た。午前中の柔らかな日差しが眩しいほどだった。
音楽室に着くと、担当する各楽器の前に立った。
指揮台の前で、音楽専科の先生が、特別楽器メンバーを労ってくれた。
「オーディション合格おめでとう。落ちてしまった人もいる中でさっきは正直に喜べなかったかもしれません。皆さんのことは、ひいき目なしに公正に審査して決めました。選ばれたことに胸を張って、結果に恥じることがないように、ぜひしっかり練習を重ねてください。」
もう、結果で嫌な言葉をぶつけられ終わってるけど、と宗佑は思った。先生のコメントをそのまま受け止めるには少し、さっきの出来事が邪魔をした。
「ではまず、いちばん近くにいる人と、お互いの努力を讃えて、拍手を送りあいましょう。」
続けて先生が言った。
同じ木琴を一緒に使う、あの子がこちらを向いて、宗佑に向かって拍手をしてくれた。宗佑も拍手を返す。少しくすぐったいなと思った。でも、胸が暖かくなるいい瞬間だったのは間違いなかった。
「さぁ、まずはドの音をだします。皆さんの担当楽器のドの音に赤いシールがついていますね。その音です。パーカッションは音程ないものは1つたたきましょう。まずは位置の確認ですから、気負わずに。バスマスターから、さんはい!」
先生の切り替えははやく、すぐに練習が始まった。
「鉄琴、さんはい!」
楽器別に確認していくようだった。
「マリンバ!さんはい!」
これまで木琴と呼ばれていたのに、突然のマリンバ呼びに、木琴担当8人は出遅れた。
「マリンバーーーー!」
8人を見据えて、先生の声が響く。宗佑達は慌ててトレモロで音を響かせた。
「集中!」
先生は、たぶん僕たちの動揺の意味も分からず、自分の言い間違い?にも気がつかないまま、練習を進めていった。こういう少しの行き違いはあるが、さっぱりはっきりと…竹を割ったような、というのが正にぴったりといった感じで、先生との練習はとても面白かった。木琴改めマリンバの、胸に響く音がとても心地よかった。体全部が楽器と共鳴して、自分自身から音が出ているかのような気持ちになった。
あっという間に練習時間が過ぎていく。楽譜を見ながら個別練習になった。1台の木琴に2人なので、よく見ていないと相手とぶつかりそうになることがある。特に宗佑の隣はあの子だ。ただでさえ微妙な2人なのに、クラスや学年の皆にくっついているところなんて見られたらもう目も当てられない。宗佑は細心の注意を払って、あの子とぶつからないように、適正な距離を保つように心がけた。
授業の最後に、ゆっくりと通して練習することになった。音階を声にだして、歌いながら楽器に向かう。隣にいるからこそ、あの子の少し低い声が耳に届く。優しい楽器の音にも、かき消されそうな、集中したあの子の声と横顔が眩しい。つい、見惚れてしまうほどだ。一度全体をさらって、改めて頭から。いちばんはじめのパートは、鉄琴と木琴のみのパートから始まった。高音と低音と、1オクターブズレで同じ音を打つ。
シファ#シ
シソシ
シシレ#ファ#シ
そして、そのあとグリッサンド
木琴の上を、音を外さないように恐る恐る滑らせる。
そして、次のミの音から他の楽器も合流して合奏が進む。
宗佑は盛大に、音を外した。
いくつも音が重なるところだから指揮の先生には聞こえなかったかもしれない。滞りなく合奏は進む。あの子だけが、こちらを見ていた。妙な汗をかいて授業は終わった。
3組の木琴担当と、あの子は仲がいいようだった。1・2年生のクラスで宗佑も同じクラスだった事がある。話したことがあるか定かではないが、知らない相手ではない。
「グリッサンドってあるじゃん」
あの子は、その相手に話しかけていた。ギクリ。盛大に外したグリッサンドの後のミを言いつけられるのかと思って宗佑は少し身構えた。
「バレエでも、グリッサードってあってさ、グリッサンドでマレット滑らすときと、バレエのグリッサードと同じ感じがするんだよね。グリッサードって、グライドだからさ、こう、跳ねずにすーっといくの」
あの子は、すっと足をのばして、横に1つ移動した。
グライドの言葉通り、頭の高さはブレずにすうっと動いていた。
「はねないのかぁ、なんか、滑らせ終わったあと、こう、ポーンとさぁ音は出ないんだけどはねたくならない?」
「なる」
「でしょ、マレットをさ、こうやりたくなるでしょ」
身振り手振りがついて賑やかな2人だ。2人の話は、宗佑のミ問題とは交わることなく進んだ。
「あ。なんだっけ、チビうざめがね。」
油断していたところに、ふと視界の端に入ったようで、先ほどの悪口が蒸し返された。
「尾島さん、ちゃんと文句行ったほうが良いよ。玲華ちゃんのああいうの、結構よくないと思うんだよね。」
あの子は黙ったままだった。でも、あの子の友達がそう捉えてくれているのは悪い気がしなかった。
「良いよ、別に言われ慣れてるし」
宗佑ほ本心からそう言った。
「慣れちゃだめ」
不意にあの子が喋った。あの子と言葉を交わすのはいつぶりだろう。慣れちゃだめ、あの子の声で聞くとなんだか泣きそうになった。木琴の音よりも胸の中に共鳴して音がじわりと広がっていく気がした。
「気にするほどのことじゃないから」
宗佑はきっぱりと言った。あの子の瞳が揺れるのが見えた。もしかして泣いているのかな、と心配になるような雰囲気だった。宗佑にとって、取るに足らない悪口より、あの子からの慣れちゃだめ、そのひと言のほうがずっとずっと心を揺さぶった。あの子は、もしかしたら僕のことを好きなのかもしれない、そう思うくらいのインパクトがあった。僕に向かって拍手を送ってくれたし、悪口を言われた僕に寄り添ってくれた。もうそれだけで、宗佑は舞い上がりそうなくらい嬉しい気持ちだった。別に、僕はあの子が好きなわけじゃないけど、でもそうか、あの子は僕が好きなのかもしれないしな。都合のいい考えが胸の中に広がり、それは束の間、宗佑をとても幸せな気持ちにした。




