流れる噂
清水町に流れる時間は、ゆっくりとしていた。
だからこそ、美月の死という衝撃的な出来事は、瞬く間に町中に広がり、小さな波紋が次々に広がるように、町民たちの間に様々な憶測と噂を生み出した。
「あの美月ちゃんがねぇ…信じられないよ。あんなに真面目な子が、どうして」
「浅い川で溺れるなんて、一体どういうことなんだろうねぇ」
「もしかして、誰かに…いや、まさかね」
田中が町役場や商店街を歩けば、どこからともなくそんな囁きが聞こえてくる。
町民たちは、模範生として誇りに思っていた美月の死に、混乱と不信感を隠せないでいた。
事故だと言う警察の発表に、内心で納得できないでいる者が多い。
田中は、この町民たちの「声」に耳を傾けた。噂の中には、真実の断片が隠されていることもある。
彼は、美月の交友関係、特に親しかった友人や、最近彼女とトラブルがあったとされる人物について、さらに詳しく調査することにした。
まず、彼の脳裏に浮かんだのは、美月の親友、高橋裕子だった。
二人は幼い頃からの付き合いで、学園でも常に一緒に行動している姿が見られた。
しかし、最近、美月と裕子の間に「ぎくしゃくした関係」が見られたという証言が、学園関係者や町民の噂の中に散見された。
田中は、裕子の自宅を訪ねることにした。
もちろん、あくまで「町長としてのお悔やみ」という体裁で。玄関で応対したのは裕子の母親だった。
憔悴しきった様子の裕子を心配し、田中は無理に面会を求めず、美月との最近の様子について尋ねた。
「裕子も、美月ちゃんのことが信じられないと、ずっと泣いてばかりで…。
最近は、美月ちゃんと少し喧嘩をしていたみたいなんですけど、でも、親友でしたから」
裕子の母親は、声をつまらせながら話した。
喧嘩? 親友との喧嘩が、美月の死とどう関係するのか。
裕子の不審な行動という噂も、田中の頭から離れない。
彼女は美月の秘密を知っている様子だったという。
その秘密とは一体何なのか。
そして、なぜ裕子はそれを隠しているのか。
次に、田中が注目したのは、生徒会副会長の鈴木大輔だった。
彼が美月に密かに想いを寄せていたという噂は、学園内では公然の秘密のようなものだった。
しかし、文化祭の準備で、二人が激しく対立していたという話もまた、広まっていた。
田中は、鈴木大輔が所属する水泳部の顧問に、それとなく話を聞いてみた。
「鈴木君は、今回のことに相当ショックを受けているようで…美月さんとは、文化祭の企画で意見の食い違いはありました。
鈴木君は、美月さんの提案する斬新な企画に、少し戸惑いを感じていたようです。
生徒会長として美月さんの意欲は素晴らしいが、学園の伝統も大切にしたいという気持ちがあったのでしょう。
でも、それは健全な議論の範囲内で…」
顧問はそう擁護したが、田中の目には、鈴木大輔の「複雑な感情」が透けて見えた。彼は美月に憧れを抱きつつも、生徒会という公の場での対立を経て、何らかの葛藤を抱えていたに違いない。
その葛藤が、事件当夜、どのような行動に繋がったのか。
さらに、田中は文化祭準備中の出来事を細かく再構成しようと試みた。
美月は文化祭実行委員会の中心メンバーであり、事件当夜も、学園の生徒会室に遅くまで残って作業をしていたという証言があった。
何時まで学園にいたのか。
誰が最後に美月と接触したのか。
その時間帯の学園川の状況はどうだったのか。
町中に流れる噂は、時に事実を歪め、時に核心を突く。
田中は、それらの情報を冷静に取捨選択し、一つの「線」に繋げようとしていた。
美月の死は、本当に浅瀬での事故死なのか。
それとも、この小さな町に隠された、もっと深い「真実」が、清流の底に沈んでいるのか。
夜が更け、町は再び静寂に包まれた。
田中の執務室の窓からは、月明かりに照らされた清水川のせせらぎが聞こえる。
彼の机の上には、美月の写真と、文化祭の企画書。
そして、一枚の白地図には、学園川とその周辺の地形が記されていた。
彼の独自調査は、今、まさに入り口に立ったばかりだった。
田中町長は、警察の捜査とは一線を画しながら、町と美月を取り巻く複雑な人間関係、そして何よりも、この町の歴史や水利権に詳しい自身の知識を総動員して、事件の裏に隠された真実を探り始める。
静寂の朝に起きた不可解な死は、清流に沈んだ真実の序章に過ぎないことを、田中は直感していた。