学園の影
私立清水学園高等学校は、清水町の象徴とも言える存在だった。
創立から七十年余り。元々は地域の子弟に教育の機会を与えるために設立された学園だが、近年は少子化の波と、都市部への若者流出の影響を受け、生徒数の減少に悩まされていた。
三年前、そんな学園に新たな風を吹き込むべく、佐藤健太が校長として赴任してきた。
彼は都市部の有名進学校で教鞭を執っていた経験を持ち、赴任早々、学園の教育改革を強力に推進した。
その改革は多岐にわたった。国際交流プログラムの導入、ICT教育の強化、そして何よりも、生徒の自主性を重んじる「生徒主体型」の教育方針を打ち出したのだ。
佐藤校長の改革は、学園内外で賛否両論を巻き起こした。
新しい教育方針は、生徒たちに新鮮な刺激を与え、一部の生徒からは熱狂的な支持を得た。
特に、森川美月のような、自主性が高く、意欲的な生徒にとっては、自己実現の場となり得るものだった。
美月が生徒会長に立候補し、見事に当選したのは、佐藤校長の掲げる理想を体現する存在として、多くの生徒からの期待を集めたからに他ならない。
しかし、その一方で、改革は旧来の学園の慣習や、保守的な教師たちとの間に摩擦を生じさせた。特に、長年学園に勤めてきたベテラン教師の中には、急激な変化に戸惑い、反発する者も少なくなかった。
「教育はそんなに急激に変えるものではない」「生徒に全てを任せるのは無責任だ」といった陰口が、職員室の片隅で囁かれているという噂を、田中は耳にしていた。
田中はまず、学園を訪ねることにした。
町長としての表向きの理由を掲げ、佐藤校長と改めて面談する機会を得た。
校長室に通されると、佐藤校長は憔悴した表情で田中を迎えた。
「田中町長、昨日はいきなりのことで失礼いたしました。森川君の件、本当に残念でなりません」
「いえ、こちらこそ。それで、美月さんのことですが、校長先生は美月さんと最近よく面談されていたと伺いました。
何か、悩んでいるような様子はなかったのでしょうか?」田中は切り出した。
佐藤校長は少し間を置いてから答えた。
「…ええ、確かに、美月君は最近、少し思い詰めたような表情を見せることがありました。
進路のこともありましたし、生徒会長としての責任感から、文化祭の準備にも相当なプレッシャーを感じていたようです。
私としては、彼女の負担を少しでも減らしてあげたかったのですが…」
「具体的に、どんな内容で悩んでいたのですか? 進路というのは、推薦入学のことでしょうか?」
田中はさらに踏み込んだ。美月はすでに大学推薦が決まっていたはずだ。
今さら進路で悩むようなことがあるのだろうか。
「推薦自体は問題ありません。
ただ、彼女は非常に真面目な生徒で、推薦で進学することへの『責任』のようなものを感じていたようです。
その大学に入って、本当に自分が望む学びができるのか、という自問自答を繰り返していた時期がありました。
私としては、彼女の選択を尊重し、応援するつもりでした」
佐藤校長は、美月の悩みが精神的なものだったと示唆した。
しかし、田中は、その説明にわずかな違和感を覚えた。
美月のような芯の強い生徒が、そこまで深く悩むものだろうか。
あるいは、その悩みは、もっと別の、具体的な要因があったのではないか。
次に田中が注目したのは、生徒会内部の対立構造だった。文化祭「清流祭」は、生徒会が中心となって企画運営を進める。
美月が生徒会長として先頭に立っていたが、副会長の鈴木大輔とは意見が対立することが多かったという。
田中は、学園を後にする前に、偶然を装って生徒指導の教師に声をかけた。
「生徒会の子たちは、文化祭の準備で大変だろうね。
特に、会長さんと副会長さん、いつも仲良くやってるかい?」教師は少し表情を曇らせて答えた。
「…それが、最近は少しギクシャクしていまして。
美月さんと鈴木君は、特に文化祭の企画で意見がぶつかることが多かったようです。美月さんは新しい企画をどんどん取り入れたがるタイプで、鈴木君は伝統を重んじる慎重派というか。
でも、生徒会ではよくあることですし…」
田中は教師の言葉を注意深く聞いた。
鈴木大輔。美月に密かに想いを寄せているという噂がある生徒。
その彼が、美月と対立していたという事実。
恋心と対立。
その間に、何か事件に繋がる接点があるのではないか。
学園の影。
それは、表向きの華やかさの裏に隠された、教師たちの葛藤、生徒たちの感情のもつれ、そして教育改革という名の元に進められる、見えない圧力なのかもしれない。
田中は、学園の抱える複雑な人間関係が、美月の死に何らかの形で関わっている可能性を強く感じ始めた。