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最後の推理


田中誠一郎町長は、清水警察署の捜査本部に足を運んだ。彼の手には、学園川ダムの補助ログのコピー、30年前の新聞記事の切り抜き、そして彼が夜を徹して書き上げた詳細な推理メモが握られている。


捜査本部の刑事たちは、いまだ美月の死を事故死の可能性が高いとして扱っていたが、田中は、彼らが決して見抜けなかった「真実」を突きつける覚悟でいた。「皆さんに、森川美月さんの死に関する、私の最終的な推理を聞いていただきたい」田中の言葉に、刑事たちは訝しげな表情を浮かべた。


しかし、町長という立場と、彼のこれまでの信頼から、彼らは田中の話を聞くことにした。「森川美月さんは、事故死ではありません。自殺でもない。彼女は、殺害されたのです。そして、その犯人は…」田中は、刑事たちの顔を一人ずつ見つめた。「…町役場の水利課職員、井上修です」その名が告げられた瞬間、捜査本部の空気が凍りついた。刑事たちはざわつき、驚きと戸惑いの表情を浮かべた。「馬鹿な! 井上は、ダムの管理責任者であり、我々の捜査にも全面的に協力している。


彼に、美月さんを殺す動機などないはずだ!」捜査主任の刑事が、反論するように声を上げた。「動機はあります。深い動機が。そして、彼は美月さんを殺すための、完璧なトリックを仕掛けた」田中は、冷静に語り始めた。「まず、事件現場の水深についてです。


警察は、美月さんが発見された浅瀬(水深三十センチ)で溺死したことを不審に思いながらも、何らかの偶発的な事故によるものだと判断しました。しかし、美月さんが溺死したのは、あの場所の水深が一時的に深くなっていたからです」田中は、持参した学園川の断面図と、ダムの補助ログのコピーを広げた。「学園川のダムは、メインのログとは別に、緊急手動オーバーライドの履歴を記録する補助ログが存在します。私が調べたところ、事件当夜の午後11時30分から午前3時頃にかけて、この補助ログに『ポンプ起動』『ゲート微開』といった、不自然な操作記録が断続的に残されていました。そして、美月さんが発見される直前の午前5時過ぎに、『ポンプ停止』『ゲート通常』の記録で締めくくられています。これは、井上修が、自宅などから遠隔操作でダムの水位を一時的に上昇させ、学園川の現場の水深を深くした証拠です。そして、美月さんの遺体が発見される前に、水位を通常に戻すことで、あたかも浅瀬で溺死したかのように見せかけた、『水深トリック』です」刑事たちは、目の前の補助ログの記録に、信じられないという表情を浮かべている。井上修が、これほど巧妙なトリックを仕掛けていたとは。「なぜ、井上修はそんなことをしたのか。


次に、動機について説明します。美月さんは、生徒会長という立場から学園の会計を調べ、その過程で、古い時期からの『裏帳簿』を発見してしまいました。この裏帳簿には、単なる学園の不正会計だけでなく、30年前の学園教師・佐々木浩二の不審死に関わる、水利権を巡る不正と隠蔽を示す記録が隠されていたのです」田中は、渡辺老人から聞いた30年前の事件の詳細を語った。佐々木浩二が学園川の水利権を巡る争いに巻き込まれ、不審な死を遂げたこと。そして、美月の家族、森川家が、佐々木浩二を支援していたこと。「井上修は、30年前、若手職員として水利課に配属され、この水利権問題に関わっていました。おそらく、彼はその隠蔽工作に加担していた。美月さんは、その隠蔽された真実に気づき、井上修に直接問い質したのでしょう。彼女が抱えていた『悩み』の正体は、この重すぎる真実を知ってしまったことでした。そして、その真実が明るみに出ることを恐れた井上修は、美月さんの口を封じるために、犯行に及んだのです」


田中は、美月と校長の口論を耳にしたという生徒の証言も付け加えた。それは、美月が学園の不正を暴こうとしていた表向きの動機、すなわち「学園改革への反対」が、真の動機を隠すためのミスリードであったことを示唆している。「犯行手順の詳細は、こうです。


事件当夜、美月さんは生徒会室に遅くまで残っていました。井上修は、美月さんが学園に残っていることを知っていた。彼は、学園川のダムにアクセスし、遠隔操作で水位を上昇させ、体育館裏の死角へと美月さんを誘い出した。あるいは、別の場所で美月さんを意識不明にし、深い水深になった学園川に遺体を遺棄した。水泳部員である美月さんが、抵抗する間もなく溺死させられたのは、深い水深に不変的意識がない状態で突き落とされたか、水圧で身動きが取れない状態にされたか、そのいずれかでしょう。


そして、夜が明ける前に水位を元に戻し、あたかも浅瀬で溺死したように見せかけた」田中は、具体的な物的証拠を提示した。「私が学園川の現場を再度確認したところ、美月さんが発見された場所から少し離れた川岸の泥の中に、通常の川では見られない、特殊な滑り止めの靴跡が残されていました。この靴跡は、町役場のダム管理室の備品である、井上修の作業靴に酷似しています。これは、水位操作のために、彼が現場に赴いたことを示唆するものです」


さらに、田中は、井上修が持ってきたダムの運用ファイルに、わずかながら紛れ込ませていた、古いダムの補修計画書を提示した。その計画書には、佐々木浩二が生前、水利権問題について書き記していた、暗号めいたメモが挟まれていた。そのメモを解読すると、特定の水門の操作によって、水位を一時的に上昇させることが可能であるという、隠されたシステムの穴が示唆されているのだ。これは、井上が水利課で長年働く中で、この「穴」を知っていたことを示す決定的な証拠となる。


刑事たちは、田中が提示した証拠と論理に、もはや反論の言葉を持たなかった。彼らはすぐに井上修の逮捕状を取り、自宅へと急行した。井上修は、自宅で逮捕された。彼は最初は抵抗したが、田中が提示した補助ログの記録と、靴跡の写真、そして佐々木浩二のメモを突きつけられると、観念したように大きく息を吐き、静かに自供を始めた。


「…全ては、30年前のあの日から始まったんです。佐々木先生は、水利権の不正に気づいてしまった。そして、それを暴こうとして…私は、当時の上司に言われるまま、その隠蔽工作に加担した。森川家が力を失ったのも、それが原因です。


美月さんは、全てを知ってしまった。あの裏帳簿は、不正会計の証拠であると同時に、30年前の事件の、隠された真実を物語るものでした。美月さんは、正義感が強く、それを公にしようとしていた。


私は…町の未来のため、そして、自分の過去を守るために…」井上の声は震え、その目には絶望の色が浮かんでいた。彼の動機は、学園改革への反対という表面的なものではなく、30年もの間、彼の心を蝕んできた「町の暗部」を守るという、重い秘密だった。清流に沈んだ真実は、あまりにも長く、そして深く、この町を蝕んでいたのだ。




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