浸食される現実2
「んっだよコレ」
俺は公園のベンチでへたり込んでいた。
VRギアの電源はオフだ。
頭に被ってるだけの置物。
こうなれば、俺にはもう何も見えない。
だが……
――パシッ
飛んで来たボール。俺は難なくキャッチする。あわや直撃という危険球だった。
「すいませーん」
小学生が頭をさげる。
キャッチボールで取り損ねたらしい。
俺は、ボールを投げ返す。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
小学生は元気に駆けていく。
そんな様子も手に取るようにわかる。
わかってしまう。
俺へのヒソヒソ話で盛り上がる様子までハッキリと。
「なぁ、なんだよアレ」
「ドリームフレームって奴じゃない? テレビでみた」
「麻薬なんだろ? アレ」
勝手な事を言いやがる。
こっちは電子ドラッグなんてやっていないってのに。
いや?
果たしてそうだろうか?
俺の脳はイカれちまってる。
気配察知。
今の俺は、スキルが使えてしまうのだ。
アレは、ゲームの中の話だったハズ。
……いや、違う。
アレは夢の中だった。
ゲームで使ったのは居合斬りだ。
「夢とゲームの区別も付かなくなってんのか、俺は」
頭を抱える。
そうだ、さっきも頭を抱えていたのに飛んでくるボールが見えた。
なんなら、今だって、座るベンチの背後の様子までわかる。
まず、ベンチの後ろは生け垣。その更に後ろはフェンス。
フェンスの向こうは公園の敷地外で、狭い路地を結構な速度でミニバンが通り過ぎていく。
「何だよコレ」
目が見えたって、こんなのは無理だ。
俺の脳はどうなってしまったんだ?
マジでドリームフレームはヤバい機械なのか?
――バサリ
その時、だ。
頭を抱える俺の頭上で音がした。
慌てて前を向く。
前を向く意味なんて無いのだが……
それでも見えない目で見ようとした。
巨大な気配が目の前に、降り立つのを。
「なんだよ……これ!」
公園のど真ん中。
ドーム型の遊具の頂上に、巨大なドラゴンが舞い降りた。
金属パイプで編まれたドーム型の公園の遊具。
その上にかぎ爪で取り付いて、バサリと大きく翼を広げている。
「ド……ドラゴン??」
どこにでもある市民公園のど真ん中。
巨大な爬虫類の怪物が降臨していた。
……意味がわからない。
俺は言葉もなく呆然と見上げるばかり。
そこに、さっきの小学生達が駆けていく。
「おい、こっちで遊ぼうぜ」
ボール遊びに飽きたのか、ドーム遊具に飛びつこうとする。
俺は慌てて叫んだ
「待てッッ!」
全力の大声。
子供達はポカンとコチラを見るばかり。
「お前ら、ソレ!」
俺はドラゴンを指差す。
釣られて何人かが指差す先を見るが、首を傾げるだけ。
……誰も、ドラゴンを見ていない。
ドラゴンなんて居ないとばかり。
「なんだよ気持ち悪いなー」
「行こうぜ」
「うん」
子供達はボールを持って公園の外に行ってしまった。
「ハァハァハァ」
俺は息を切らし、それでもまだ気配察知に映るドラゴンの陰に怯えている。
そうだ。
全ては気配察知で見えているだけ。
俺は慌ててドリームフレームの電源を入れる。
「クソッ!」
起動には時間がかかる。
まどろっこしいとばかり、俺はVRギアを脱ぎ捨てた。
自分の目で、ジッと遊具の上を見る。
「どうなってやがる……」
必死に目を擦る。
役立たずの俺の目は、文字も見えないし、視野だって狭い。
だけど、なんとなく、どこにどんな色のモノが存在するか位は見えるのだ。
こんなに大きいドラゴンが動いていたら、それぐらいは解るハズ。
なのに、俺の目は公園の景色をぼんやりと滲ませるだけ。
動くモノは何も無い。
やはり、俺の気配察知だけの話なのか?
あるハズのモノが映らない。
「クソッタレ」
俺の頭は本格的にイカれちまった。
役立たずの目にも辟易する。
「早く起動しろよ」
VRギアを被り直し、まだ動かない機械に焦る。
こうなれば、せめてカメラの映像で確かめたい。
目の前の幻覚が、脳の異常だとは認めたくなかった。
あんなに恐ろしかったドラゴン。
今はもう、飛び立たぬ事を願っている。
ついた!
ようやくVRギア、ドリームフレームが起動する。
急いでカメラをオンにして、前を向く。
すると、どうだ?
「ひっ!」
果たして、ドラゴンは居た。
それも、
目の前に。
カメラ越し、爬虫類の瞳と目が合う。
手を伸ばせば届く距離。
――グギィィィィ!
鳴き声をあげ、威嚇する。
「あっ、あ!」
俺はすっかり腰が引けてしまった。
喰われると、本気で思った。
――バサッ
だが、そうはならなかった。
ドラゴンは俺を一瞥すると、翼を広げる。
強風が舞う。
舞った気がした。
俺は背後の生け垣に倒れ込み、仰け反って。
飛び立つドラゴンを、ただぼんやりと見送った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ごめん母さん、ちょっと気になる事があって遅くなる」
俺は母にボイスメッセージを残す。
すぐには帰れそうにないからだ。
ドラゴンは北に向かった。
俺は、どうしてもドラゴンの行き先を確かめなくては気が済まない。
一も二もなく、北に向かう市営バスに飛び乗った。
「嘘だろ?」
俺の頭がおかしくなったのでは無ければ、車窓から見える景色は異常のひと言。
市の北部にはちょっとだけ高い山がある。
そうは言っても、ハイキングコースってな位の小さな山だ。
天開山とか言ったハズ。
小学生の時に習った記憶。
その山に、今は無数のドラゴンが舞っている。
俺はダイヤルを回し、カメラの映像を最大限までズームする。
デジタルズームで荒くなった映像に、ハッキリとドラゴンの影が見えるじゃないか!
あんなモノが空を飛んでいたら街中がパニック。
なのに、誰も空を見上げていない。
俺にしか、見えていないのだ。
きっと、全てはドリームフレームが見せる幻覚なのだろう。
「まさか……な」
市の北部にある何でもない小さな山。天開山。
それが、デモンズエデンで見たボスの居城のように見えたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
天開山の頂上には、日賀蓮在宗の立派なお寺がある。
だから、途中まではバスが通っている。
「ハァ、ハァ、ハァ」
だが、頂上に至る急な斜面はバスでは登れず。
歩いて登るしかないのであった。
自転車でこの急斜面を登れたら一人前。
小学生の頃はそんな風に友達と張り合っていた事を思い出す。
ここは子供の頃、サイクリングコースの終点だった。
「しんど……」
しかし、最近の俺は運動不足で、歩いて登るのも難儀した。
その途中、何度も自問自答してしまう。
ドラゴンなんて居るはずない。
ただ俺の頭がおかしいだけ。
万が一居たとして、俺にしか見えないのならどうしようもない。
だからそう、コレは全く無意味な行動だ。
「だけど、確かめないと寝れねぇよ」
今日も変な夢を見るだろう。
これ以上、自分を疑いたくはない。
既に夕暮れ時。
薄暗くなったお寺の境内を俺はテクテクと歩く。
人の気配はまるで無い。寂しいもんだ。
平日だしこんなモンか。
天正寺とか言う名前で、これでも日賀蓮在宗の中では一番大きいお寺だったはず。敷地は広大で、ふらりと来たって参拝出来ない場所も多い。
なにも見つからないのも当然だ。
「無駄足か……」
ドラゴンの気配もない。
ここらが潮時。
薄暗い中、山を歩き回ってドラゴンを探し回るなんて無理だ。俺は肩を落としながら、最後に寺の隅っこにある駐車場を見て回る。
するとまぁ、豪華なランクルが何台も停まってやがる。
生臭坊主どもめ、小金を稼いでいる。
あー、だけど、この斜面だ。
ランクルじゃないとこの寺まで辿り着けないのだろう。
なら、仕方が無いかも知れない。
……いや、坊さんがランクルで寺に出勤ってどうなんだ?
歩くのも修行だろ。
信者は歩いて通ってくるんだぞ!
俺は信者じゃないけどな。
そんな益体もない事を考えていた時だった。
「え?」
堂々そびえる大扉を発見する。
当然みたいな顔で、駐車場の端っこに金属扉が鎮座していた。
「こんなのあったっけ?」
いや、無い。
寺の一部にしては西洋風だし、こんなのは駐車場に置かないだろう。
それになにより、コレはデモンズエデンの大扉だ。
昨日見たばかりだから間違いない。
「嘘だろ……」
現金なもんで、こうして本当に不思議なモノが出てくるとビビってしまう。
この扉を開けたらどうなるんだ?
この先はデモンズエデンの世界だったりするのだろうか?
まさか?
いやでも……
扉の後ろに回っても、何も無い。
どこでもドアよろしく、駐車場にポツンと立っているだけだ。
開けたって何も無いだろう。
そのはずだ。
俺は扉にそっと手をあてる。
それだけで、ズズズと音を立て大扉が開いてしまう。
扉の先は?
止せば良いと解っている。
なのに、どうしても好奇心が抑えられない。
そっと覗き込む。
同時に、びゅうと乾いた風が前髪を揺らした。
空気から違う! 扉の先は駐車場なんかじゃない!
……紛れもなく、異世界だ!
コレは、夢か?
初めから全部夢で、公園のドラゴンも、この扉も。
全ては俺が見ている幻覚。
そう思えば納得だ。
なのに、そうは思えない。
逃げなくては。
このままじゃ取り返しのつかない事になる。
解っているのに、俺は吸い込まれるように扉の向こうに踏み込んでいた。
まるで、何かに誘われるように。
――バタン
「なっ!」
背後で扉が閉まる。
「開かない!!!」
なんで?
なんで俺は扉を潜った?
まるでゲームみたいに。無造作に。
誰かに操られているみたいだった。
扉を開けたが最後、潜るしかないと、そう言う事なのか?
それこそまるきりゲームじゃないか!
「くそっ!」
どんなに叩いても、もう扉は開きそうにない。
慌てて辺りを見回す。
ジャリジャリとした砂の地面。馬鹿みたいに広い空間はぐるりと石壁に囲まれて、どこにも逃げ場が無い。
「ハァ、ハァ……」
ここは? どこだ?
そんなの決まってる。異世界だ!
なにせ、時間も、場所も、全く違う。
山の上、薄暗い夕暮れ時ではない。
寂しい寺の駐車場でもない。
真夏のような太陽が照り返し。
乾いた風が吹き荒ぶ。
ここは、何だ? 何をする場所だ?
……もっと良く見たい。
俺はカメラをズームしようとして、頭にドリームフレームがない事に気付いた。
「な、なんっで?」
やっぱり、コレは夢か?
さっきまで俺はVRギアを載せていた。
VRギアで景色を見ていた。
意味が、わからない。
良く見れば、ぐるりと周囲を囲む石壁に広角レンズの歪みが無い。
俺は、俺の目で、この景色を見ている。
失明した俺の目で。
なんだこれ?
なんだこれ?
大体にして、ここは、ドコだ?
夢にしたってこんな場所に覚えが無い。
気配察知で俯瞰する。
すると、どうだ?
俺は、すり鉢みたいな底に居る。
こんな場所、俺は、知らない。
……いや、知っている。
俺は、こういう建築物を知っている。
ゲームでも、歴史の教科書でも、散々見た。
砂の地面。広い空間をぐるりと囲む石壁。
見上げれば、無人の観客席がコチラを見下ろしていた。
これじゃあ……まるで
コロッセオ!
中世の、闘技場だ!
なんだこれは? ここで俺に戦えってのか?
何か無いかと見回せば、俺が入って来た大扉と全く同じ大扉が広場の向かいにもあるじゃないか!
あそこから、敵が来る! 間違いない。
それがお約束、だからだ。
俺はゲームと現実の区別が付かなくなっていた。
まるで熱にうかされたように、現実感がない。
なのに、狂おしいほど怖い。
死にたくない。
夢か、ゲームか? 現実か?
そんな事はもう、どうでも良い。
こんなリアルな世界で死を味わいたいとは思えない。
何だ?
一体、向こうから何が来る?
人間か?
虎か?
或いは悪魔だろうか?
俺はナイフのひとつも持っていないんだぞ?
敵いっこない!
固唾を飲んで扉を睨む俺をあざ笑うかのように、
頭上から聞き覚えのある音がした。
――バサリ
コロッセオに大きな影が落ちる。
「あ……」
口を開けて、ポカンと見上げた。
バカみたいな大きさのドラゴンが飛んでいたからだ。
翼を広げ、コロッセオ全体に巨大な影を落としている。
「嘘だろ?」
バカでかい。
大きいコロッセオに収まらない程に。
コレに比べれば、公園でみたドラゴンなんて赤ちゃんだ。
「ふ、ふざけっ!」
扉はフェイントかよ。
これじゃ戦いになんてなりっこない。
どこかに逃げ場が……
無い……ここはコロッセオだ。
どこにも隠れる所など、無い!
「あっ?」
グチャリと、何かを咀嚼する音がした。
その音が、俺がドラゴンに丸かじりされた音だと解ったのは、少し後。
意識を失う直前だった。
僅か一秒未満の出来事。
そうして、俺は、死んだ。