地下放水路ダンジョン4
「はー、はー、はー」
暗黒の銀河に、呼吸音が響く。
ブラブラと体が揺れる。
俺は左手の指先で、なんとか橋に引っ掛かっていた。
ビビリにビビった俺は、グールが扉を開けた音にさえビビって足を踏み外した。
落ちながら、咄嗟に伸ばした手。
左手の中指と薬指。その先端だけが奇跡的に引っ掛かってくれた。
二本の指の第一関節だけで全体重を支えている状態。
不思議な事に、アレだけ吹き出していた冷や汗が、サッと引く。
ピンチや恐怖も、行き過ぎると冷や汗すら出ないのだと知った。
恐怖に震えていた脳も、驚く程に冴えている。
右手は刀を掴んだままだった。サッと刀を腰に差し、指先が滑らないようにゆっくりと右手を伸ばす。
右手も橋に掛かった。
しかし、砂だらけで滑りやすい。
少しも油断ならない。
よく左手の指先だけで体重を支えられたモノだ。
そうだ、ギターだ。
ギターの練習で酷使した左手の指先が、思った以上に硬くなっていた。弦の跡がミゾになって、グリップになっている。
両腕の力で懸垂し、ゆっくり体を持ち上げる。
俺はなんとか橋の上に帰還した。
ホッと一息吐いて、生きている事を実感する。
グールを見れば、まだヨタヨタと橋に足を掛けた所だ。
あんなのにビビって落ちたのか。
何だか全部が馬鹿らしく思えた。
なるほど、ビビって動けないプレイヤーのケツを叩く装置として、グールが機能するワケだ。
命なんて実に軽い。慎重になればなるほど、ちょっとしたことで死ぬ。
目の前の恐怖に目を奪われ、グールの存在が頭から抜けていた。
偶然に指が引っ掛かって命を拾った。
あぶく銭ならぬ、あぶく命だ。
「行くか」
体から力みが抜けて、どこか研ぎ澄まされていた。
体が発する「こんな距離跳べる」ってメッセージを素直に信じられた。
「よっと」
3.5mの立ち幅跳び。2mの落差。
なのに、気負いも無く跳んでいた。
煌めく宇宙に向かってひょいとジャンプする。
「よっと」
あっさりと着地した。肩すかしな程、衝撃もなかった。
砂が撒かれた橋は恐れていたほどは滑らなかった。2mの段差も衝撃は無かった。
着地した瞬間に、視界ジャックが途切れる。
銀河はかき消え、ダンジョンの石壁が目に入る。
今はただ、透明な橋の上に立っている。それこそゲームのバグの様だ。
ここまで来れば勝った様なもの。
透明な橋を鞘で叩きながら渡ると、側面の壁まで辿り着いた。
一見するとタダの壁だ。怪しいところは何も無い。
偶然、この橋を発見するモノが居たとしても、何も無い所にバグで引っ掛かってると思うだけだろう。
だが、またここに隠しがあるのだ。
俺はなんてこと無い壁を叩く。
鞘で軽く。
すると、どうだ? たちまち壁は消え失せて、隠し部屋が現れる。
視界ジャック、透明な橋、最後に幻影の壁。
どこまで念入りに隠すんだって話。
そこまで隠した部屋の真ん中に、鎮座している宝箱。
待ちきれず、豪快に開ける。
「あとはコイツがゲーム通りの性能を持っているかだな」
≪フックショット≫
敵に打ち込んで引き寄せたり、壁や地面に打ち込んで高速立体駆動を実現する左手装備。
籠手に小さい大砲みたいのが付いている。
早速、装備する。
アリスの腕にはちょっとゴツイが、どうだ?
左手を上に掲げ『射出』を願う。
――ドンッ!
思った以上に大きな音がして、射出されたフックが天井へと突き刺さり、固定される。
次に『縮め』と念ずる。
ギュルッっとフックに繋がったワイヤーが巻き取られ、体が一気に引っ張られる。
俺の体は天井にまで浮き上がっていた。
最後に『外れろ』と念ずる。
それだけで、フックは外れ、ひらりと地面に着地した。
「やべぇ」
流石のチートアイテムだ。
苦労して実装したものの、こんなのが有ったらとてもじゃないがデバッグ出来ないと開発者である矢吹さんに封印された隠しアイテム。
言うまでもないが、コレは滅茶苦茶ヤバい。
攻略の幅が死ぬほど広がる。
広がり過ぎて、今までの計画が白紙になる勢いで全部変わってしまう。
「最高じゃねーの」
これでもう、アスレチック面で苦労することは無い。
落下死の恐怖は大きく軽減する。
射出時に少しMPを消費するが、大した問題ではない。
いや、それでも枯渇しないようにしないとな。
本格的なテストは後にするとして、簡易テストはしておきたい。
なにせ、スグに使う事になる。
とりあえず、思い切り引っ張った程度じゃ外れないのは確認。
ゲームでは敵の攻撃を受けるとあっさり外れたが、現実化したらどうなるか? 今は調べられないな。
次に試したのは壁に引っ掛けての高速移動。これが気持ち良い。クセになる。
だが、一歩間違えないでも事故りそうだ。勢い余って高所から落下とか、目も当てられない。
「MPが切れる前に帰るか」
透明な橋まで戻り、元居た細い橋を見上げる。
遠い。
2m上にある橋に戻らないと行けない。しかも隙間は3.5m。
コッチから跳んだって絶対に届かない。
早速フックショットを使えって事だ。MPが切れたらヤバかった。
「射出!」
勢い良く籠手からフックショットが撃ち出される。
橋に当たるとカチリとした感触。
グイグイ引っ張っても外れる気配は無い。
「よっと」
俺は虚空に身を躍らせた。ワイヤーに吊られてぶらりと橋にぶら下がる。
「…………」
万が一この状態でワイヤーが外れたら??
俺は奈落へ真っ逆さまだ。
なんだか急に怖くなった。
本当に外れたりしないよな? いや、「外れろ」と念じるだけで外れてしまうんだ。ヤバいヤバい。怖くなってきた。
『縮め!』強く念じる。
ワイヤーは勢いよく巻き取られ、反動も相まって俺は一気に橋の上に着地した。
「はー、怖っ!」
足元を確認。細い橋の上、俺は戻って来た。
「クソッ」
するとまた視界ジャックが始まった。
視界は暗転し、銀河の中に放り込まれる。
しかし、もう怖くない。
フックショットがあれば、ジャンプだろうが、ダッシュだろうがなんだってやってやる。
もし落ちてもフックショットを引っ掛ければ良い。
安心感が全く違ってくる。
実質、もう攻略したも同然だった。
緊張を緩和させ、ゆっくりと息を吐く。
「ふぅー」
「たすげて……」
!!ッ?
声にならない悲鳴。口の中で噛み殺した。
俺の真横に居たのはグール。
グール?
時間制限用の?
早過ぎる! ゆっくり二時間近くかけて橋を渡るハズだろうが!
フックショットで遊んだが、そこまで時間はかけていない。
反射的に手が動いていた。払う様に吹っ飛ばしていた。
「あ゛?」
ソレだけでグールはバランスを崩し、奈落へと落ちて行く。
一瞬、俺は呆然とした。
……だが。
「射出!」
慌ててフックショットを発射。
届けと願う気持ちが通じたのか、フックはグールに引っ掛かった。
「グッ!」
だが、落下するグールの重さに引っ張られ、俺は橋を抱えるように突っ伏してしまう。
「おまえ、名前は!」
グールに、訊ねる。
だって、そうだ。
コイツはさっき「たすげて」と言った。
日本語だ。
たぶん……
しゃがれて聞き取りづらかったが、きっと日本語。翻訳された形跡も二重に聞こえる英語も無かった。
日本人? 俺以外に日本人の被害者が居たのか?
それに、何故初めから話し掛けて来なかった? 死ぬかも知れないのにぴょんぴょんと橋を渡ってきた?
なにもかも解らない。
話を聞きたい。
だから俺はフックショットで助けようとしたのだ。
「う……うわぁぁ」
しかし、グールは暴れてしまう。
成人男性の体格のグール。アリスよりずっと重い。
「クソッ! ジッとしてろ! 名前は! 日本人なのか!」
訊ねるが、正気を失っている。
まともに会話が出来ない。癇癪を起こしたように暴れている。
やめろ、このままじゃ俺まで落ちるだろ!
やめてくれよぉ……
俺は涙目だった。
殺したくない。
いや、でも、引き上げたって助ける方法なんかあるのか?
この狭いダンジョンから外に出す方法なんて無いだろ?
だけどよ、誰だってこんなクソみたいな場所で、グールになって死にたくないだろ?
「お願い、あなたの名前を教えて」
気が付けば、可愛らしく聞いていた。
まるで、本当の女の子みたいに。
……すると。
「や、山田」
「山田さんね、名前は?」
「た、たすけ」
山田は手を伸ばす、ワイヤーを握って助かろうとする。
「駄目ッ!」
しかし、遅かった。
フックショットのフックは敵に攻撃されるとあっさりと外れてしまう。
この場合、ワイヤーに触れられた事で攻撃と判定された。
――フックが外れる。
「あ゛っ」
グールの体。
細いワイヤーを強く握れるハズが無かった。
グールの体が奈落へと落ちて行く……そして。
――パンッ
即死判定に触れた。
弾ける様に、死んだ。
必死に伸ばした右手は、何も掴めないまま空を切る。
呆然としたまま、俺は細い橋の上に立ち上がった。
「縮め」
空になったワイヤーを収納。
ここまでずっと視界を乗っ取られたままだ。
銀河の中の出来事。まるで夢のよう。
「行くか」
とりあえず、視界ジャックを抜けたい。
最後の隙間を越えなくては。
砂を撒いて、念の為フックショットを打ち込んでから跳ぶ。
万一足を踏み外してもフックショットの保険がある。
だが、緊張が無ければミスなんてしようが無い程度の隙間だ。
あっさりと攻略し、試験は完了。後はボスを倒すだけ。
視界ジャックも終わった。
俺は第三の試練の部屋を振り返る。
「夢、じゃねぇよな?」
もう、グールは居ない。
なれど、居た痕跡すらない。
ひょっとしたら、全部が夢かと思ってしまうが、左手のフックショットの重さがそう考えるのも許さない。
頼もしい武器を得た。
だが、何か釈然としない。
居るハズのない俺以外の日本人被害者。山田。
グールとして一貫しない行動。
突き飛ばして落下して、死んだ。俺が殺した事になるのか?
「考えるのはやめとこう」
まずはボスを倒す。
そして、ダンジョンを出て皆と相談すればいい。
俺はなんとか気持ちを切り替えようと必死だった。




