邪霊侵入2
「解ったよ。降参だ。なぁ、話ぐらいは聞かせてくれんだろ?」
俺は目を瞑り、両手を挙げる。
≪無明剣≫
そして、スキルを発動。
時間経過で回復したMP。ギリギリ無明剣が使えるだけ溜まっていた。
無明剣の効果は初撃だけ。
その一撃に全てを賭ける。
「なぁ、聞かせてくれよ? それにしてもおっかねぇバケモンだぜ。アンタの種族は? レベルを聞いても?」
「I'm...私は人間だ! もっと美しいキャラクターを、理想のキャラを作ったのに! こんなバケモノになりたかったワケじゃない!」
やはり、こんな見た目のキャラを作ったワケじゃなかったのか。
それに、英語と日本語のズレがだんだんなくなっている。何もかもシステムに吸収されていくような恐ろしさがあった。
そして、考える。このバケモノの姿はドコから来たのだろう?
下級悪魔も、最初の爺さんも、ゲームの姿のままだった。
と、言うか、だ。
なぜ俺は自分の姿でこの世界に来ている?
俺だってキャラを作ったのに。まるっきり無視して生身の俺だ。
思い出すのはエルフの可愛い女の子。あの姿になってこの世界に迷い込まなかったのは良かったのか、悪かったのか。
お陰で普通の高校生の肉体で戦うハメになっている。
作ったキャラクターはこの世界に認められないと言う事か?
悩む俺の前で、男は呻く。
「足らなかったのだ! 魂が! 致命的に! せめてもう二千、いや千でもあればこのような姿を晒さずに済んだものを!」
「おいおい、何の話だよ?」
俺は訊ねる。
時間を稼ぎ、隙を探す。
「魂だ! 魂を生贄に悪魔を喚んだ! だが、足りなかった。重量制限があったのだ。許されたのは精々が90ポンドほど。作った体にはとても足りない。髪を剃り、脂肪を燃やし、ソレでも足りず、肉を削り、骨となった。この体は……痛い! 痛くてたまらない!」
骸骨はそう言って、体を震わせる。
何だソレ? 重量制限?
90ポンド? 40キロぐらいか?
「ちょっと待てよ、俺はそんなにスリムじゃないぞ? 身長だって180cm近いんだ、最低でも60キロはある」
「だからおかしいのだ」
そう言うと、骸骨は俺の首を掴んだ。
コイツ、身長が2m近い。178センチの俺が子供扱いだ。
「なぜお前は自分の姿で、生身のままでココに居る! どうやった! まさか、お前が『そう』なのか?」
「あ、グッ」
なんて力だ。
片手で首を絞められ、つま先が届かないほど持ち上げられている。息が出来ず、力が抜ける。意識が……遠ざかる。
「脆弱な……やはり、お前では、ないのか?」
そう言うと、コイツはすっかり俺への興味を失った。骸骨は手を離し、当然俺は重力に囚われ、地面に突っ伏すハメになる。
「げほっ! クソ、テメェ、俺に代わってプレイヤーになろうってんじゃないのかよ?」
「馬鹿な、私は楽しくゲームの世界で冒険するために悪魔を喚んだ訳じゃない」
……なんだと?
じゃあ、何だ? コイツは何がしたかったんだ?
「私は悪魔に会いたかった訳じゃない。私が悪魔になりたかったのだ。ゲームを魔法陣に見立て、キャラクターを設計図に悪魔を作る。計画は完璧だった。……知っているか? かのギタリスト、ロバート・ジョンソンは悪魔に演奏を教わって神の如きテクニックを身に付けた。なら、私自身が悪魔になったら、どれほどの存在になれるのか? 興味がないか?」
ねぇよ!
馬鹿かコイツ。悪魔を喚ぶのではなく、自分が悪魔になろうとした?
それも、ギターのために?
完全にイカレてやがる!
「おいおい、鏡を見ろよバケモン。そのナリでギターを弾いてパンクでも演るのかよ? 骸骨モチーフって古くさいぜ」
「キサマァ!」
骸骨は激昂した。
それはそうだ。ダークスフィアは技巧派でありながら、ルックスも自慢のバンドだった。
それがこんなバケモノになっちまったら路線変更も良いところ。ギターの腕なんて関係ない。
「悪魔になりたかったんだろ? 夢が叶ったじゃねぇか、今のお前。悪魔より悪魔っぽいぜ」
「殺す!」
怒りに我を忘れたコイツは剣を大きく振りかぶる。
この瞬間を、待っていた。
ずっとずっと、待っていた。
「死ね」
だから、刺した。
相手が踏み込む瞬間に合わせ、首に一撃。
無明剣+首に急所ダメージ+刺突カウンター
合計何倍補正だ? コレでダメならお手上げだ。
……果たして、効果はあった。
「ぐっ……」
よろめいた。効いている。
――カランッ
しかも、衝撃に剣を落としやがった。
チャンスだ。
俺は刺さったダガーを思い切り引き抜く。
と同時、吹き出す返り血にも構わず俺は目を見開く。
気配察知では解らなかった細かい様子が目に入る。
血風の向こう、たたらを踏んで後ずさる姿はハッキリと弱っている。
殺せる。
ダガーを握り締め、踏み込む。
……いや、踏み込もうと、した。
だけど、出来なかった。
俺は盛大にコケた。
「え?」
世界が傾いて、踏み込もうとした足が目の前に転がる。
灼ける様な痛みが神経を苛む。
大事な場面で滑って転がっただけならどんなに良かったか。
斬られた。足を。
全く気が付かなかった。
鋭すぎる一閃は、痛みも衝撃も感じない。
たったの一太刀で、右足を欠損させられた。
俺がグールにやったコトをそのままやられた。
いや違う、俺は今、紛れも無いグールなのだ。
「おのれぇ!」
体勢を立て直した骸骨は予備の剣を抜いていた。滴る血が刀身を濡らしている。
アレで、斬ったのか? まるで見えなかった。圧倒的な能力差。
「クソッ」
這いつくばり、逃げる。
ゲームではあり得なかった程の痛みに体が悲鳴をあげ、涙がボロボロ溢れて止まらない。みっともなく這いつくばって、聖堂の出口を目指す。
「無様な!」
だけど、あっさりと追いつかれる。
クソがっ!
俺は斬られた足を思い切り振る。這いつくばった姿勢、砂をかける犬のように。大聖堂の中、もちろん飛ぶのは砂じゃない。
血だ。
右足から夥しい出血。
「ぐっ、往生際の悪い」
骸骨が顔を覆う。効いた!? コイツ、そんなナリで目が痛いってか? 鼻で笑おうとして、詰まった鼻水が吹き飛んだ。
這いつくばる。犬よりも間抜けに三本の足でヨタヨタと駆ける。
抜けた! 聖堂を出た。
「あ、う……」
現実化したデモンズエデンの世界はゲームとは比べものにならない景色を誇っていた。
まず驚いたのが、風。
風が吹いている。
涙と、鼻水と、返り血でドロドロになった顔を叩く風。ゲームでは感じられないモノだった。
そして、風が運んだ草原の匂いに驚く。
ゲームでは絶対に不可能だったリアリティ。
最後に、空気感だ。
朽ちた教会も、静謐な湖畔も、暗雲立ちこめる山城も。
ゲームでも見たオブジェクトであっても、存在感がまるで違った。それもそのはず。掛け値無しにそれらは本当に存在しているのだから。
呆気にとられたのも一瞬。俺は下草の中に転がり込んだ。
「ハァハァハァ」
むせかえる草の匂いと、カビのような土の匂い。子供の頃の鬼ごっこの記憶が蘇る。
俺はブンブンと首を振り、走馬灯を頭から追い出した。出血が酷く、意識が遠くなっている。
草むらに身を潜め、俺は周囲を窺う。
目指すは鐘楼。ゲームでは回復とセーブポイントを兼ねていた。
セーブは無理でも、回復だったら今でも出来るハズ。なにより、鐘楼の中は安全地帯。ゲームだったらそうだった。
現実化した中でどこまで有効かは解らないが、賭けるしかない。
「貴様ァ! ブチ殺してくれる!」
骸骨が追って来た。
出血の目くらましが思ったよりも時間を稼げた。ひょっとして、血も肉も削ぎ落とされた体に血液をかけたのが何らかの作用をもたらしたのかも解らない。
それとも、その前の一撃による僅かな出血でもあの体に致命的なダメージであった可能性もある。
ゲームでの出血はただの状態異常でしかないが、現実の出血は意識が朦朧とし、動きは緩慢に、一定以上となればあっさりと命を奪う。
「うぐっ」
そして、その被害を俺はモロに喰らっていた。
右足の出血が酷い。裂けたズボンの切れ端で必死に縛るが血が止まってくれない。あまり時間はかけられそうになかった。
「イチかバチか」
暴れる骸骨の目を盗んで、茂みの中を進む。ゲームの僅かな記憶を頼りに鐘楼を目指す。
「クソッ! ドコに行った! 出てこい!」
骸骨は右手一本で剣を振り回し俺を探している。残った左手は苦しそうに顔を押さえて、俺の攻撃が多少なりともダメージがあったことが窺える。
騒がしいのは大歓迎だ。草むらを移動する音が紛れる。
草を掻き分け、進む。
「ハァ、ハァ」
見つかったら一発で殺される。緊張に呼吸が引き攣り、酸素以外のモノが肺に沈殿するようだった。
コレがステルスアクションゲームなら、茂みの中に伏せていれば絶対に敵に見つからなかったりするが、おそらくこの世界にそんなルールは適用されない。
剣を手に草を刈り取る骸骨の動きにあわせて、ゆっくりと慎重に草を掻き分けて進む。
しめた! 鐘楼の屋根が見えた。草の中からでもハッキリと。
遠くなる意識をかき集め、気配察知に集中すると間違いなく鐘楼だ。
しかし、悪い事に鐘楼のそばに下草が生えていない事も解ってしまう。僅か五メートル程の距離だが、走って辿り着く必要があった。
しかも、だ。骸骨の振る剣の音が聞こえなくなっていた。
諦めてくれたと言うなら嬉しいが、きっと違う。
息を潜めジッと観察しているのが解る。気配察知の範囲外なのでただの勘に過ぎないが……間違いないだろう。
呼吸を整え、細く長く息を吐く。吐いて吐いて肺の中の空気と一緒に怖気と恐怖を押し流す。
今だ!
息を吸い、走る。
右足をなくし、這いつくばるような不格好なフォームだが、必死に駆ける。
同時に、爆発的な気配が立ち上がり、コチラに駆け出してくるのが解った。
だが、距離がある。きっと間に合う。
あと少し、あと少し。
もう2メートル。手を伸ばせば届きそうな距離。
その瞬間、気配察知の領域を弾丸みたいな速度で駆けてくる物体を感じた直後。
「え?」
俺の視点は空を舞っていた。
ちょうど、ゲームのTPS視点と言えば解るだろうか?
すこし上空からプレイヤーの背中を俯瞰する、あのぐらいの高さ。
だから、本当にゲームみたいになったのかと思った。なにせ、俺は上空から自分の背中を見ていたからだ。
でも、違う。
「あ、あぁ……」
死んだのだ。
俺は、死んだのだ。
俺の背中に、俺の頭がない。
飛んでいるのは俺の視点じゃない。
俺の、頭だ。
引き延ばされた意識の中で、グルグルと天地が入れ替わる。跳ね飛ばされた俺の首が回っているのだ。
――グチャ
そして、最後には墜落した。
芝生に落ちて、コロコロと地面を転がる。
「フン、手間取らせ――」
骸骨の言葉は最後まで聞き取れなかった。
耳鳴りが酷くて、俺の耳はもう聞こえない。
「ははっ」
笑ってしまった。
皮肉な事に、あんなに入りたかった鐘楼の中に転がる頭が入り込んだからだった。
ゆっくりと暗転し、じわじわと狭まる視界でソレが解った。
――ああ、終わりか。
最期の光景を目に焼き付けようと俺は大きく目を見開いた。
「え?」
目の前に、人が居た。
骸骨じゃない。
コレは、俺だ。
エルフの可愛い女の子。
俺がゲームで作ったキャラクター。自分の分身。
寝ている。東屋のような鐘楼の中で椅子に座り寝ている。
閉じられた瞳、長い睫毛、長い金髪、着崩した和装から胸を隠すサラシが見える。
間違いなく、俺が作ったキャラクター。
それにしても美しい。
最期に見た光景が彼女で良かった。
――そして、
コロコロと転がる俺の頭は彼女の足にぶつかった。
俺の記憶はソコで途切れる。




