VRギアのある生活
麻薬は古来より悪魔召喚に用いられてきた。
トランス状態の人間が何十人と集まり、魔法陣と生贄で悪魔を喚ぶ。
そんな儀式が歴史上、幾度も災いと騒乱を振り撒いてきた。
そして、現代。
『脳』と『機械』が繋がる時代がやってきた。
人類が我先にと求めたのは、フルダイブゲームなんかじゃない。
――麻薬だ。
脳に刺激を送り込み、脳内麻薬を分泌させる方法が発見された。
ならば当然、悪魔召喚も様変わりする。
麻薬は、電子ドラッグに置き換わり。
魔法陣は、より複雑な数式に。
ネットワークで繋がる人数に至っては千人単位。
そんな規模で悪魔を喚べば
――どうなるか?
魂の重さは21グラム
少女の重さは42キロ
悪魔の契約は等価交換
二千人の魂を異界に送り
一人の少女を呼び寄せた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
穏やかな春の陽気。俺は窓際の席でうつらうつら船を漕いでいた。
「おい、柏木!」
「ふぁ? ふぁい!」
そこを当てられた。
立ち上がって見渡せば、皆がクスクスと俺を笑っている。
教室の隅、広角レンズに映る景色は歪んで見えた。
「おはよう柏木。で、定数aとbの値は?」
タイトスカートを穿いた先生が黒板をペチペチ叩く。
穏やかな口調だがメガネの奥の眼光は笑っていない。
……これはマズい。
「ちょっと待ってください、カメラの調子が悪いのか、よく見えなくて……」
「でかい頭で寝てるからだろ! お前がゆらゆらしてると目立つんだよ」
先生の言葉にどっと教室が湧く。
いや、俺の頭はデカくないっての。
デカいのはコイツだ。
俺はあたふたとVRギアのズレを直す。
見えないってのもホントだ。
広角レンズってのは実際より小さく映る。このままじゃ問題を読めそうにない。
ダイヤルを回して黒板をズーム。視界一杯に数式が広がった。
……これなら!
『2 次関数 y=x^2+ax+4 のグラフをx 軸方向に 2 だけ平行移動すると 2 次関数 y=x^2-9x+b のグラフとなるとき、定数 a,b の値を求めよ』
黒板の白線は、ボタンひとつで画像からテキストへ変換された。
そのままAIに放り投げる。
すると、どうだ?
「aは-5、bは18です」
AIが出した答え、俺は堂々読み上げる。
書けと言うなら中間式だってバッチリ。
だけど、ジト目で先生が詰めてくる。
「ちゃんと自力で解いたのか?」
「え、ええ……」
解いてない。
こんなにすぐに、俺は解けない。
「ふん、そんなモノに頼って、受験で使えると思うなよ」
「はい……」
バレバレだ。
まぁ、そうだよな。AIはもちろん、受験となればVRギアだって使えるか解らない。
いくら俺の目が見えないって言ってもな。
ハァ……
ため息混じりに席に着く。
すると、隣の席の鈴木がちょっかいを掛けてきた。
「それ、便利だな俺も欲しいぜ」
VRギアを羨ましそうに見てくる。
「だったらお前も失明するか? 目をえぐり出せばすぐだぜ?」
「遠慮しとく」
薄情なモンだ、友達甲斐がない。
俺が肩を竦めた拍子に、机の端から消しゴムが転がった。
「おっと」
拾おうとして、頭のVRギアが少々重い。体がフラつく。
だから不便なんだよVRギアは。
見かねた鈴木が動いた。
「ったく、拾うよ」
そう言ってあっさり拾い上げた鈴木は、そのまま消しゴムを投げて寄越した。
俺は慌てて手を伸ばす。
「あっ」
しかし、俺の手は虚しく空を切る。
すり抜けた消しゴムが体にぶつかる。
「おわっ、とと」
跳ね返った消しゴムをあたふたと手中に収める。
我ながら不格好。
そんな様子を鈴木が笑う。
「どんくせーな」
「ちげーよ! カメラにラグがあんの!」
「やっぱ羨ましくねぇわソレ」
「だからそう言ってるだろ」
ふざけやがって!
俺だって好きに失明したワケじゃ無いってのに。
「おいソコ! 静かにしろ!」
しかも、また先生に怒られた。勘弁して欲しい。
ハァ……不幸だ。
思わず、窓の外を見る。
新緑の匂いさえ感じる、気持ちが良い陽気。
だが、どんなに天気が良くてもこんな眼ではスポーツなんかは無理だろう。
まぁ、それでも俺はツイてる方だ。
もしコレが無かったらどうなっていたことやら。
俺は先端技術の結晶であるVRギアを撫でる。
――20XX年
ついに、科学は魔法の領域に踏み込んだ。
機械は脳波を読み、電子パルスは脳の神経を刺激する。
機械と脳が繋がって、データのやり取りが可能になった。
魔法みたいな夢のマシン。
VRギア、『ドリームフレーム』の登場だった。
……しかし、コイツは曰く付きのシロモノ。
海外の大手ITメーカー、ドリームスカイ社が鳴り物入りで売り出したVRギア。
2万ドルって馬鹿みたいな値段にもかかわらず、あっと言う間に完売。海外先行発売ながら、インフルエンサーはコイツを手に入れるのに躍起になった。
『これさえあればゲームの中に入れる』
そんな触れ込みで心が躍らないワケがない。
問題は価格だが、それだって普及と共に徐々に下がっていくはず。
誰もがそう思った。
だが、VRゲームに明るい未来は訪れなかった。
なぜか?
考えてもみて欲しい。
実際に料理を食べなくても、美味しい料理を食べた時の喜びが。
女の子が居ないでも、美女を抱いた時の快楽が。
手軽に味わえるとなったらどうなるか?
誰もゲームで遊ばない。
ましてやゲームなど作らない。
美味しい料理を食べた。
良い女を抱いた。
そんな快楽のデータだけを人々は貪った。
いや、それさえもまどろっこしいとばかり、脳内麻薬がドピュドピュ分泌するような、強烈な刺激だけを直接脳に送り込む方法が見つかってしまう。
マジモンの電子ドラッグの完成だ。
もちろん、メーカーもそんな使い方は推奨していない。
いないのだが、簡単な改造で突破出来てしまう。
危険な電子ドラッグが裏で大量に出回った。
ロックを突破する脱獄方法も一緒にだ。
慌てて法律で規制しても後の祭り。
夢の装置は、あっと言う間に犯罪の温床となってしまう。
そんなわけで、夢のVRギア『ドリームフレーム』は、晴れて日本で発売延期になってしまった。
今後は安全性を高めて発売を目指すとかなんとか。
いまだアメリカでは自己責任ってテイで売ってはいるが、免許制にするべきなんて話まで出ている。
そんな曰く付きのドリームフレーム。
なんで俺が持っているのかと言えば、コイツがあくまで医療用だからだ。
カメラの映像を脳に叩き込めば、目がイカれちまった俺でも世界が見えるようになる。
選ばれたのは、盲目の人間。最近病気で失明したばかりの高校生。
ちょうど俺なんかが臨床試験にうってつけだったってワケ。
だから、日本で合法的にドリームフレームを持っている人間は100人にも満たないだろう。目が見えなくなった時は絶望したが、なんだかんだ運が良かった。
「なんせ、最新ゲームだって楽しめるからな」
家に帰った俺はさっそくゲームを起動。
ゲームが無いと言ったが、例外はある。
ドリームフレームの開発元が発売日に合わせて日本の会社に作らせた唯一のキラーソフト。
デモンズエデン
世界初のフルダイブゲームだ。コイツがプリインストールされている。
と言っても、WEB小説みたいにMMORPGではない。
あくまで一人用RPGなのだが、それでもフルダイブの圧倒的な臨場感はゲーマー垂涎の的。
このゲームを日本で遊べる高校生なんて俺ぐらいだろう。
「まぁ、コレしか遊べないんだけど」
ベッドに倒れ、ふて腐れたように呟く。
だってそうだ、ARカメラの映像はラグがある。走ったりするのは危ない。スポーツなんて論外。今まで遊んでいたテレビゲームも無理だ。
コマンド式のRPGなら遊べない事もないけれど、遅延にイラつきながら古くさいゲームを遊ぶ必要はない。
なにせ、カメラを通さず脳に直接映像を送るフルダイブゲームなら、俺の目はまるでハンデにならないのだから。
「だいぶお預けを食っちゃったよな」
本当はもっと早く遊びたかった。
だが、俺のドリームフレームは医療用。
ゲーム機能は封印されていた。
海外サイトを巡回し、英語マニュアルや専門用語と格闘し、どうにか規制を解除したのが昨日の話。
お陰で酷い寝不足。
居眠りなんて失態を犯しちまった。
それもこれも、全部コイツを遊ぶため。
「さぁて、ダイブしますか」
俺はゲームを起動した。