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第4話 公爵令嬢の決意②

「それにしても……お嬢様、一晩でずいぶん腰を据えられたというか、まるで別人のようにお元気で……」


 クラリスが慎重に言葉を選びながらも感想を述べると、ルシアーヌはすっと微笑んだ。その微笑みは昨日の激しい動揺の面影を感じさせず、むしろ清々しさすら漂っている。すべてを振り切り、次に進むと決めた者の顔だ。


「ええ、あの屈辱を受けた瞬間、私は決めたのよ。公爵家の令嬢として、『私にはこれだけのことができる』と証明してみせるって。セドリック殿下にも、取り巻きの貴族たちにも、二度と笑われないくらいの力をね」


 アメリアは内心で喝采を送りたくなるほど、彼女の言葉に迫力を感じた。繊細な指先は帳簿の角をトントンと揃えながら、どこか楽しげでもある。――そう、もしかするとルシアーヌは、これから始まる大きな挑戦を「楽しんでいる」のかもしれない。公爵家としての威厳を保つためだけでなく、自分の才能を存分に発揮して、国全体を翻弄してみたいという野心。王太子との婚約破棄が、その「きっかけ」を与えただけに過ぎないのではないだろうか。


「さて。計画を実行するにあたっては、当然リスクもあるし、私一人の意思だけで動くわけにもいかない場面がある。そういうときは、アメリア、あなたの商会の力を借りたいの」

「う、うん。協力するわよ。……たしかに、話を聞けば聞くほど、とんでもない計画だけど……私としても、あなたが本気なら力になりたい。商売敵が減れば、それだけトレンツ商会も利益が上がるわけだしね」


 アメリアは最後に付け足すように冗談めかして言うが、その声にはわずかな興奮がにじんでいた。いつもは冷静な立ち回りを好む彼女にも、ルシアーヌの勢いは「面白い未来」を予感させるらしい。


「クラリス、あなたには私の側で細やかなサポートをお願いするわ。今までと違って、これからはわが家にあちこちの関係者が出入りするようになると思う。来客の応対や秘密保持のために、あなたの気配りが必要なの」

「承知しました。お嬢様がそこまでお考えなら、私も微力ながらお力添えさせていただきます」


 クラリスは深々と頭を下げ、目に決意を宿す。忠誠心の厚い侍女長として、ルシアーヌに寄り添うことを誇りに思っているからこそ、ここで弱音を吐くわけにはいかない。内心では「ひとつ間違えば王家と正面対立しかねない」と気を揉んでいるが、それでも今さら止めることはできないだろう。


「それでいいわ。――ふふ、こうやって話していると、本当に大事になりそうね」


 自嘲気味に笑いつつも、言葉の端々に宿る軽やかさが、ルシアーヌの本音を映し出している。今、彼女は王太子から突きつけられた屈辱を(くつがえ)す術を見つけ、そのうえでさらに上を目指す道を踏み出したのだ。その展望がどれほど危険で、同時に魅力的なものか、本人がいちばんよく理解している。


「よし、まずは小規模な銀行の買収と、裏からの情報操作をやりましょう。私の口座資金だけでは足りない部分もあるかもしれないけれど、そこは公爵家の財務から融通してもらうよう、父にも話を通すわ。きっと問題ないはず」


 そう言い切り、ルシアーヌは意気揚々と筆を走らせる。机の上には、すでにいくつかの銀行候補や投資会社のリストが広がっていた。余白には赤いインクで書かれたコメント――「財務状況が脆弱(ぜいじゃく)」「出資すれば筆頭株主に」「汚職の噂あり」などの生々しいメモがびっしりだ。


「……正直、こんなに準備万端だとは思わなかったわ。昨日までは、もう少し落ち込んでいるかと思ったのに」


 アメリアが苦笑まじりに言うと、ルシアーヌは「落ち込んでなんていられないもの」と即答する。


「殿下や取り巻きの連中に情けをかけられるくらいなら、最初から真っ向勝負に出てやるわ。彼らがどんなに私を嘲笑しても、最終的にひれ伏すのはそちらだと教えてあげる」


 強気な宣言を放った瞬間、部屋の中の空気が一段と熱を帯びるのを感じた。クラリスとアメリアは顔を見合わせ、軽く肩をすくめながらも苦笑いする。これこそルシアーヌ・ド・ベルヴィル――「数字の魔術師」であり、公爵家の令嬢としての誇りを何より重んじる彼女が本領を発揮するときだ。


「まったく、あなたにかかれば王太子ですら取るに足らない存在に見えそうね。――いいわ、私も興味が湧いてきた。そこまで本気なら、私も全力で付き合うわよ」


 アメリアの言葉に、ルシアーヌは花がほころぶような笑みを返した。クラリスが慌てて「お茶をお持ちしますね」と言い残して部屋を出て行くと、二人は改めて机上の資料を覗き込み、息を詰めるように数字の羅列を追う。それだけでも、ルシアーヌの「魔術」が働いているかのように、国の地図が頭の中で新たな形を描いていく気がするのだ。


「……まずは、最初の仕掛けでどれだけ爪痕を残せるか。それが肝心ね。失敗すれば一気に各方面から反発を受けるかもしれない」

「大丈夫。私には算段があるわ。焦らず、しかし大胆に――最適な手を打つだけよ」


 ルシアーヌはさらりと応じ、ペンを置いて立ち上がった。ドレスの裾をスッと捌きながら、意気揚々とした笑みを浮かべる。その姿には、舞踏会でセドリックに婚約破棄を宣言された娘の痛々しさなど微塵(みじん)も感じられない。まるで前日の屈辱がなかったかのように、彼女は前を向いて歩き出している。


 果たして、この強気な計画が実を結ぶのか、それとも外部からの圧力によって頓挫(とんざ)するのか。アメリアはやや不安を抱きつつも、ルシアーヌがここまで焚き付けられるとは思わなかったという驚きのほうが大きい。わずか数時間でここまで綿密なシナリオを練り上げるとは、まさに信じがたいほどの才覚だ。


「お嬢様、お茶をお持ちいたしました。少しだけ甘いものもご用意しておりますので、よろしければ気分転換になさってください」


 クラリスが戻ってきてそっとテーブルにティーセットを並べる。するとルシアーヌは「ありがとう。ちょうど甘いものが欲しくなっていたの」と嬉しそうに微笑んだ。お菓子を見て喜ぶ姿は、強かな事業家とは思えないほど可愛らしいが、これこそが彼女のギャップであり、魅力なのだろう。


 甘い香りの湯気が立ち上るティーカップを手に取ったルシアーヌは、ふとアメリアのほうを向いてわざとらしくウインクしてみせる。


「ふふ、国を動かす前に、まずはお腹を満たすのが大切よ。……私には、常に余裕を持って事に当たる習慣が身についているの」


 アメリアは苦笑しながらカップを口元へ運ぶ。確かに、これほど余裕をもった彼女だからこそ、何があっても冷静な判断を下せるのだ。クラリスもそんな二人を見て微笑ましそうにしているが、同時に「本当にこんな談笑が続くといいのだけれど」と内心でそっと案じてもいた。


 ともあれ、ルシアーヌが腹を括った。婚約破棄という屈辱を糧に、国の経済を手中に収めるための大きな一歩を踏み出したのだ。これから先、どんな試練が待ち受けようと彼女は立ち止まらないだろう。――そう、穏やかな朝のティータイムに見えるこの一幕こそ、嵐の前の静けさなのかもしれない。公爵家の令嬢が紡ぐ計画の歯車が、今まさに回り始めたのだから。

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