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第4話 公爵令嬢の決意①

 翌朝、まだ陽が昇りきらない時刻にもかかわらず、ベルヴィル公爵家の奥まった一室には緊張した空気が漂っていた。そこに集められたのは、侍女クラリスと友人アメリア・トレンツ、そして数名の信頼できる家令だけ。ルシアーヌは深紅のドレスとは打って変わった淡い色合いの普段着を身にまといながらも、その姿勢には隙がない。小振りの手鏡で髪を整え終えると、すでに部屋いっぱいに広げられた書類の山へと目を走らせた。


「昨夜はお休みになれましたか? まだお顔色がすぐれないように……」


 クラリスが心配そうに声をかける。前夜、衝撃的な婚約破棄を突きつけられたばかりだというのに、ルシアーヌはほとんど眠っていないようだ。それでも彼女は鼻で笑うようにかすかに息を漏らし、きっぱり首を横に振る。


「睡眠より大切なことを思いついたのよ。ゆっくり寝ていたら面白い企みを考える暇がないでしょう?」


 言い放つ言葉には熱がこもっていて、クラリスはますます心配になりながらも、下手に止めるわけにもいかず困ったように黙り込む。すると、戸惑う侍女の視線をちらりと捕えたルシアーヌが続けた。


「大丈夫よ、クラリス。体力ならまだ余っているわ。――それより、本題に入りましょう。アメリア、そちらに置いてある巻物を手に取ってくださる?」


 アメリアは言われるがまま、机の端に立てかけられていた古い地図のような紙を手に取った。見ると、いくつかの街道や港町、さらに山間部にまで細かい書き込みがあり、荷物の輸送量や通関の情報らしい数字がびっしりと並んでいる。商家の令嬢として多少は馴染みのある情報だが、ここまで整理されているのは初めて見る。


「これは……何のリスト? まさか、国中の流通量?」

「そう。食料や衣料品、金属資源、木材などをどの商会が扱っているか、どれほどの規模で運んでいるかを大まかにまとめたものよ。昨夜、手持ちの資料を引っ張り出して、ざっと整理してみたわ」


 アメリアは改めてそれを眺め、口を半開きにする。確かにトレンツ商会でも似たような資料は扱うが、規模が全然違う。まるで国全体の物流を俯瞰するかのように整理されているのだ。しかも短時間でまとめ上げたというから驚きである。クラリスがその地図を覗き込んで、「あの……こんなに細かい数字があるなんて」と感嘆すると、ルシアーヌは軽く手をひらひらと振りながら微笑んだ。


「ここにあるのはまだ概要だけ。商会ごとの利益率や、港湾使用料の推移などは別途ファイルにしてあるわ。まずは『大まかにどこにお金が集まりやすいか』を把握しないと、動きようがないもの」

「お嬢様、本当にそこまで調べていらしたのですか?」


 クラリスが瞠目すると、ルシアーヌは「当然でしょう?」とばかりに軽く肩をすくめる。もっとも、昨夜から今朝にかけての仕事でほとんど仕上げたのは確かなので、表情にはわずかに疲労の色が浮かんでいる。けれど、それ以上に「計画を進める高揚感」のほうが勝っているようだ。


「まずは資金と情報を押さえないことには、誰も動かせないわ。――すでに多くの商会や銀行が、王太子やその取り巻きと繋がりを持っているように見えるけど、実際には『もっとも利益が出そうな勢力に寄りたい』と考えている人々が大半よ。そういう人たちを、私の側に引き寄せるにはどうするか……わかる?」


 アメリアは真剣な眼差しで耳を傾け、考え込んだ後に口を開いた。


「……たとえば、買収や融資を持ち掛けるとか? それこそ、公爵家の資金力を背景に。あるいは大きなプロジェクトを立ち上げて、商人たちの利益になる仕組みを作るとか……」


「まあ、似たようなものね。けれど、私が狙っているのは『経済全体』なの。商会の買収だけじゃダメよ。銀行や保険組合、そして各地の卸ルートまでも掌握しないと、時間をかけるだけ無駄になる」


 ルシアーヌの冷静な言葉に、アメリアは思わず息を吞む。まさかそこまで考えているとは予想外だったのだ。たとえ公爵家の財力があったとしても、王国全体の金融や物流を押さえようなど、「普通の人間」なら口にできない大きな夢と言える。しかし、目の前にいるのはあのルシアーヌ・ド・ベルヴィル――言うだけでは終わらない可能性が十分にある。


「ま、まずは小さいところから始めるんでしょう? いきなり国全体は……」


 慌てるアメリアの肩に手を添えて、ルシアーヌは小さく笑う。


「そうね、順番は大事。手当たり次第に手を出すわけではないわ。だからこそ、こうして資料を作ったの。資金の流れが集中している地域や、経営が不安定で買収しやすい銀行など、狙える場所はいくらでもあるのよ。――今はむしろ、人手のほうが足りないくらい」


 クラリスは「一体どこから手をつけるおつもりかしら」と問いかける。するとルシアーヌは机の上の分厚い帳簿を手に取って、ぱらぱらとめくりはじめた。そこには複数の銀行の収支と出資者リストが詳細に記されているようだ。


「たとえば、この『バストン銀行』。表向きは国の中央銀行から委託を受けて運営されているけれど、実態は古参の貴族が少額ずつ出資しているに過ぎない。最近は貸付の焦げ付きが増えているらしく、資金繰りに困っているみたいね。こういうところは、ちょっとまとまった資金を投下すればあっさり支配できるわ」

「す、すごい情報量……いつの間にそんなことを」


 クラリスが感嘆交じりの声をあげるが、ルシアーヌはさも当然といった表情で微笑む。昨夜のうちに、心当たりのある人物からさまざまな裏情報を集めたのだろう。これまで「公爵令嬢」として過ごしてきた一方で、彼女は情報収集という面でも群を抜いた嗅覚を持っていた。


「実は、トレンツ商会の人脈を少し借りてもいいかしら? 私一人の力だけでは限界があるし、アメリアを経由すればスムーズに取り次ぎできるところも多いと思うの」

「わ、私で良ければ協力するけど……本当にそこまでやるの?」


 まだ戸惑いが拭えない表情のアメリアに、ルシアーヌは「ええ。それが必要だから」と即答した。昨日までなら「ちょっとした嫌がらせ」程度の復讐かと思っていたが、彼女の計画はもはやそんな生易しいものではなく、明確に「国の経済を牛耳る」ことを狙った大規模なものだとわかる。アメリアはその度胸と発想に半ばあきれながら、同時に奇妙な魅力を感じ始めていた。


「わかるでしょう? セドリック殿下や取り巻きの貴族たちがどんなに偉そうにしていても、結局はお金がなければ何もできないのよ。ましてや王家が財政難に(おちい)っているときこそ、私の仕掛ける余地があるわ」


 言いながら、ルシアーヌは高価な羽根ペンを手に取り、テーブルに広げられた書類の一部にすらすらと数字を書き加えていく。アメリアとクラリスはその手さばきをただ見つめるしかない。まるで何年もかけて研究した専門家のような正確さで、税率や利益率、投資リスクなどを瞬時に算出しているように見える。


「……すごいわね。まさに『数字の魔術師』って噂は本当だったんだ」


 アメリアが素直に感嘆の言葉を漏らすと、ルシアーヌは少し得意げに顎を引く。


「ええ、愛称みたいなものだけど、使えるところは徹底的に利用するわ。私の生まれ育った環境と才能……国を動かすにはこれくらいの道具がなければ話にならないの」


 声を荒らげてもおかしくないほどの発言なのに、彼女は常に品のある落ち着いた口調を保っている。そのギャップに、クラリスやアメリアは否応なく圧倒される。自信満々といえど高慢でもなく、かといって卑屈さなど微塵(みじん)もない。そのバランス感覚こそ、ベルヴィル公爵令嬢の「カリスマ」たる所以なのだろう。


「それで、お嬢様……実際にはどのように動き出すおつもりで?」


 クラリスがおずおずと尋ねると、ルシアーヌは手元の帳簿を閉じ、くるりと椅子を回転させて二人の方へ振り返った。小さく姿勢を正してから、声を落ち着かせて言い放つ。


「まずは『金融の足固め』をしておきたいわ。具体的には、小さい銀行や投資会社に出資を行ってオーナー権を確保するの。あとは幾つかの重要な港湾を押さえ、卸ルートに私の人間を送り込むことも考えている。こうすれば、商人たちは私を無視できなくなるわ」


 それはもう「夢物語」の域を超えた、大胆不敵な計画だ。けれど、不思議と二人とも「そんなの無理よ」と断言できない。なぜなら、ルシアーヌが言葉にするたびに、なぜか現実味が増してくるからだ。彼女が天才的な会計センスと情報収集力を駆使すれば、内部で歯車が噛み合っていない企業や銀行の経営権をさっと乗っ取ることなど、十分にあり得るように思えてしまう。

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