第16話 公爵令嬢の勝利②
「それにしても、ふふ……他の方々がこんな場面を見たら、きっと驚くでしょうね。王自らが、私の館で膝を折っているのですもの」
からかうような笑みを浮かべながら、ルシアーヌはついと振り向き、侍女に「お茶を」と合図する。クラリスは少し慌てた様子で給仕の準備を始めるが、どうやらセドリックのためにも茶器を用意しているらしい。
「……すまない。こんなに丁重なもてなしを受ける立場ではないが」
「あら、お茶ぐらいは差し上げますわ。戴冠式で疲れたでしょう? とはいえ、あまりゆっくりされても困るので、時間になったらお引き取りくださいね」
そのあまりにあっけらかんとした態度に、セドリックは苦笑すら浮かべられない。周囲の侍女や騎士たちは「もしかすると、あれも昔から持っていた素質で、公爵家の教育によって磨かれた結果かもしれない」と密かに感嘆している。
「ありがとう。君の広い心に救われている。……けれど、だからといって、私は王家の誇りを捨てるわけにはいかない。いずれ借りを返す、そのときこそ本当の意味で和解できたら、と思っている」
セドリックは立ち上がり、頭を深く下げる。新王がこんなにも卑屈とも言える態度を取るなど、従者が見れば腰を抜かすかもしれないが、彼にしてみれば、「一時のプライドより国を守る責務」のほうが優先なのだ。
「ええ、それはいい心がけですね。……私はあなたが無能だとは思っていないのですよ。今後、上手く国を運営し、利益を生む形を整えれば、借りを返すのもそう難しくないでしょう。期待しております」
にこやかに、しかしほんの少しだけ冷たい響きを帯びた語り口。セドリックは「頑張ります」としか答えられないまま、その場を辞去しようとする。扉が開かれ、取り巻きの貴族が恐る恐る中を覗き込んだとき、ルシアーヌは「ところで……」と軽く声をかけた。
「何か?」
「先日の戴冠式は本当に盛大でしたわね。あれほど華やかにできたのも、陛下の――いえ、王家の努力と、私の出資があったからだと世間に認められたようですわ。……今さらですが、おめでとうございます」
その祝福とも皮肉とも取れる一言に、セドリックは苦笑めかして微妙にうなずくしかない。ロイやクラリスはそんな光景を見つめ、「すっかり立場が逆転したな」と心の中でつぶやきつつも、「うちのお嬢様はやはり最高だ……」と誇らしく思う。
こうして、新王セドリックはまるで敗北を認めるように深々と礼をして、公爵家を後にした。受付に控えていた使用人たちが見る限り、その後ろ姿には重い疲労と諦観がにじんでいたという。
「あの新王が……」
「公爵令嬢の前ではもはや歯が立たないか」
館内の使用人や侍女たちがひそひそ話すなか、ルシアーヌはまるで何事もなかったかのように今日の予定を確認している。
「では、私はそろそろ次の会議に出かけます。クラリス、ドレスの準備をお願い。ロイ、護衛をよろしく頼むわ」
何とも事務的な響きだが、すべては「いつもの日常」を続けるために欠かせない段取りだ。数日前までは戴冠式という大きな山場があったが、ルシアーヌにとっては当の昔に過ぎ去ったイベントでしかない。今はすでに「次のビジネス」を睨んでいるのだ。
「はい、お嬢様。……それにしても、本当にすべてを思いどおりになさいましたわね」
クラリスが小さく感嘆をこぼすと、ロイもうなずく。あれだけ自信家だったセドリックが頭を下げ、王家は戴冠式の成功に酔いしれながらも莫大な借りを負った。結局、この国の動かし方を握っているのはルシアーヌだと、誰の目にも明らかになったのだ。
「ふふ、私としてはまだまだ完璧じゃないけれど、現状は悪くないわ。あれだけ大きな行事が成功したのですもの。きっとしばらくは王家も何も言えないでしょうし、私にもいろいろ動きやすい利点が増えそう」
軽妙な口調だが、その底には揺るぎない自信がうかがえる。周囲が「ルシアーヌ様は本当にすべてを手に入れた……」と舌を巻くのも無理はない。王家に屈服を承諾させ、国の物流と金融を掌握し、名実ともに「実力者」として君臨する未来が、いよいよはっきりと見えてきているのだから。
こうして、戴冠式の喧騒から数日を経た王国では、新王セドリックの謝罪と感謝が正式にルシアーヌへ捧げられ、それをあっさりと受け流す彼女の姿が多くの者の目に刻まれた。結局のところ、婚約破棄で被った屈辱にいくら口先で詫びようと、ルシアーヌの領分を覆せるわけもない。人々は「あの公爵令嬢こそが本当の支配者なのでは」と噂し合い、同時にそんな彼女に出資や投資の話を持ちかけようと興味を燃やす者も増えている。
「殿下……いえ、新王陛下と結婚したところで、彼女にメリットはありませんものね」
「かえって今のほうが自由に動けるじゃないか」
「国を裏から牛耳れるのだから、そのほうが彼女にとっても得策でしょう」
街や貴族社会でささやかれるさまざまな言葉は、いずれも「ルシアーヌ・ド・ベルヴィルの勝利」を示唆している。豪奢なドレスをまとう公爵令嬢は、こうしてさらにビジネスを拡大しながら、人々の羨望と畏怖を一身に浴び続けることになりそうだ。
それでも、彼女自身はまるで当然のように日々を過ごし、今回の件をひとつの成功事例として記憶に残すだけ。その姿を見て、周囲は「やはりこの方は底知れない……」とあらためて打ちのめされるのだ。勝ち誇るでもなく、かといって謙遜するわけでもない、あくまで冷静で圧倒的な余裕。まさに公爵令嬢の面目躍如と言えよう。
こうして、新王の謝罪と感謝を素っ気なく受け流しながらも、事実上すべてを手中に収めたルシアーヌ。かつての屈辱を力に変え、今や誰も逆らえない「余裕ある勝利者」として、その存在感をより確かなものにしている。王家との関係がどう転ぼうと、彼女はさらに新たな未来へと踏み出そうとしていた。




