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第2話 衝撃の舞踏会①

 レグリス王国の華やかな社交界において、「舞踏会」とは単なる社交行事ではなく、貴族たちが権勢を示し合う場でもある。王城や由緒ある貴族邸で開催されるその夜会は、例外なく豪奢(ごうしゃ)な調度と溢れんばかりの食事でもてなされ、上流階級の者たちは皆、身を飾り立てて足を運ぶ。今日もまた、王太子セドリック・レオバーン殿下が主催するという大規模な舞踏会が開催されるとあって、噂は朝から街中を駆け巡り、人々の話題をさらっていた。


 当のルシアーヌ・ド・ベルヴィルもまた、その舞踏会に招かれた一人である。ベルヴィル公爵家の令嬢ともなれば、招待を受けるのは当然かもしれない。まだ日が落ちる前、彼女は念入りに髪を整え、深い赤のドレスを選んだ。幾重にも重ねられたフリルとレースは見る者の目を奪うほど繊細で、胸元には公爵家の紋章を象ったブローチがきらめいている。


「お嬢様、本日のお召し物はいつにも増して華やかですね。まるでこの舞踏会の主役のようですわ」


 侍女長のクラリスが感嘆を漏らしつつ、衣装の裾を整える。ルシアーヌは鏡の中に映る自分の姿を確かめ、わずかに満足げな微笑みを浮かべた。


「だって、王太子殿下が主催する場ですもの。公爵家の名誉を少しでも輝かせるのが、私の役目ですから」


 まるで当たり前だと言わんばかりに告げる声には、自信と気品が宿っている。どのような場面であろうと、彼女は常に「公爵令嬢」としての威厳を忘れない。たとえその相手が王太子だとしても、腰を低くする必要など感じていなかった。


 そうして迎えた夜。王宮近くの広間は、すでに多くの貴族で埋め尽くされ、豪奢(ごうしゃ)な装飾や音楽の旋律が空間を満たしていた。絢爛としたシャンデリアから降り注ぐ光が、色とりどりのドレスやタキシードに反射し、まるで万華鏡のようにきらめいている。中央のフロアでは優雅に踊りの輪が広がり、貴婦人たちが笑いさざめく声があちこちで交錯していた。


 ルシアーヌが舞踏会の会場に足を踏み入れた瞬間、まわりの貴族たちが一瞬息をのんだのがわかった。彼女のまとった深紅のドレスは、遠目にも人目を惹きつける。胸から腰にかけてあしらわれた豪華な装飾と、ふわりと広がるスカートが、まるで薔薇の花びらのように美しく揺れ動いている。それにも増して、彼女自身が持つ圧倒的な存在感が、場の空気を一気に塗り替えてしまうからだ。


 「あれがベルヴィル公爵家の令嬢……」「ほら、あの、『数字に強い』方だよ……」と小声でささやく者たち。目が合うだけで会釈を繰り返す若い貴族もいれば、明らかに苦手そうな顔をする取り巻きもいる。だが、ルシアーヌはそんなささやきを気にも留めず、まっすぐにフロアを横切った。


 今宵の主催者である王太子セドリックは、フロアの端に設けられた高座に腰を下ろしていた。金の糸を贅沢に織り込んだ上着を(まと)い、品のいい笑みを浮かべている。彼の周囲には、いつも通り華麗な衣装を纏った貴族の取り巻きが集っていた。セドリック本人はまるで王家の象徴そのものと言わんばかりに悠然と振る舞い、客人に言葉をかけたり、貴婦人たちの手をとって軽く踊ったりしている。


 王太子とルシアーヌ。幼い頃からの許婚関係を背景に、二人はこの社交界でもよく話題に上る存在だった。公爵家と王家という、いわば王国でも最上位に位置する家同士の結びつきがどれほど強大な影響力を持つかは、誰もが知っていることだ。だからこそ、周囲もいつか二人が正式に結婚し、国全体がさらに安定するだろうと信じて疑わなかった。


 ルシアーヌの姿を見つけたセドリックは、小さく手を振って合図を送る。ルシアーヌもまた、一瞬小さな微笑みを返した。そして、周囲の貴族がさっと道を開ける中、彼女はゆるやかな足取りで彼のもとへと進んだ。


「ようこそ、ルシアーヌ。今宵は僕の舞踏会に来てくれて嬉しいよ」


 セドリックが丁寧に礼を示し、ルシアーヌの手をそっと取る。いかにも王族らしい優雅な所作だ。ルシアーヌはわずかに会釈を返しながら、「殿下が催される舞踏会ですもの。お呼びを無下にするわけにはまいりませんわ」と上品な声で応じた。互いに幼い頃からの顔なじみであるゆえ、そこには淡々とした気安さも漂っている。


 ところが、そのまま踊りへと誘われるかと思った矢先、セドリックはどこか妙に深刻そうな表情を見せ始めた。彼はルシアーヌの手を保ったまま、取り巻きの貴族たちを一瞥(いちべつ)する。そのまま小さくうなずき、まるで「何かを決意した」かのようにフロア全体へと視線を広げた。


「あー……皆、少し耳を傾けてくれるか?」


 唐突にセドリックが声を張り上げ、華やかな音楽が止められる。貴族たちが「殿下が何をおっしゃるのだろう」と訝しむ中、セドリックは続けた。


「本日、こうして舞踏会を開いたのは、ただの社交のためだけではない。実は、伝えたいことがあって、こうやってお集まりいただいたのだ」


 その瞬間、会場全体の空気が張りつめる。ルシアーヌも、胸の奥で何かざわめくような違和感を覚えた。だが、あくまで表情は崩さず、セドリックの横顔を見つめる。


「わたくしは、王太子として――そして一人の男として、どうしても皆に知らせておきたい事がある。実は……」


 決意に満ちた声で、セドリックがフロアを見渡す。貴婦人たちが息を飲み、貴族たちがごくりと喉を鳴らしたのがわかる。続く一言を待ち構えるように、しんとした沈黙が広がった。


「私は……真に愛する女性が別にいるのだ」


 どよめきが走った。まるで異国の物語か何かのような響きに、最初は多くの者が理解を追いつかせられなかったらしい。だが、思考が追いついた瞬間、あちこちで低い声がささやかれ始める。


「……今、殿下は何と?」

「ルシアーヌ様ではなく、他に愛する方がいると……?」

「嘘でしょ、まさか……」


 フロアの片隅では、驚きのあまりカップを落としてしまう者すら現れた。かくいうルシアーヌ本人は、まさに目の前で起きた出来事に対して、わずかに言葉を失う。しかし、彼女は幼い頃から「公爵家の面目を保て」と叩き込まれてきた。激しく動揺したとしても、その表情には微塵もそれを出させないだけの訓練がある。唇をかすかに引き結び、一瞬まばたきをしただけで、静かに呼吸を整えた。


「セドリック殿下、それは……どういう意味でいらっしゃいますの?」


 静かに問いかける声の奥には張り詰めた糸のような冷たさがある。しかし、セドリックはそんな彼女の心中を知ってか知らずか、さらに衝撃的な宣言を重ねてみせた。


「僕たちの婚約は、両家の思惑で結ばれた政略的なものだった。だけど、僕は心から愛せる人と結ばれたいと思う。だから……今日この場を借りて、正式に婚約を破棄させていただくよ」

「破棄……ですって?」


 聞き逃すはずのないその言葉に、ルシアーヌの胸は焼けつくような痛みで締め付けられる。周囲の人々は驚愕の声を上げる者、あっけにとられる者、そして、面白がるように笑いを噛み殺す者までさまざまだ。


「ふふ、ずいぶん一方的ね」

「あの高名なルシアーヌ様が、捨てられたというわけかしら?」

「こうなったら彼女もただの娘よね」


 ――そんなひそひそ声が聞こえてくる。ルシアーヌは聞きたくもない小さな嘲笑を耳にしながら、それでも表情を崩さないよう必死に耐えていた。


 視線をめぐらせると、華やかなドレスやタキシードに身を包んだ貴族たちの中には、明らかに彼女を面白おかしく見ている者が多数いる。彼らは日頃からベルヴィル公爵家の名声に嫉妬し、またはその強大さを(うと)ましく思っていたのかもしれない。王太子が公の場で彼女を退けたとなれば、それを喜ぶ者が出ても不思議ではない。

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