第14話 王家の屈服①
戴冠式まで残りわずかとなり、王都はどこか浮き足立ちながらも、不穏な空気を醸し出していた。王家には予算がなく、式典の準備も滞りがちだという噂が市井に広まりつつある。正式には「華やかな宴を予定している」と告知されてはいるものの、具体的な発注や仕入れがほとんど進んでいないのは目に見えていた。
そんな中、ついに王太子セドリックと取り巻きの貴族たちが、意を決してベルヴィル公爵邸を訪れたという話が国中を駆け巡る。
ここはベルヴィル公爵家のサロン。ルシアーヌ・ド・ベルヴィルは、奥まった窓辺の席に優雅に腰を下ろし、出迎えに現れた一行を眺めていた。深い色合いのドレスが、館内の豪奢な内装と美しく調和している。対するセドリックや貴族らは、疲れを隠しきれない表情で、神妙な面持ちのまま彼女の前に整列していた。
「本日はわざわざのご足労、ありがとうございます。さて、お越しになった理由は……もうわかっておりますけれど、改めて伺ってもよろしいかしら?」
そう言ってルシアーヌは優美に微笑む。口調こそ丁寧だが、その視線には「あなた方が頼み事をしに来たのですね?」という冷静な確信が込められているように感じられた。セドリックは唇を一瞬引き結び、やがて勢いをつけるように一歩前へと進み出る。
「ルシアーヌ……いや、公爵令嬢殿。今さらだとは承知だが……どうか、戴冠式の準備に必要な資金と物資の援助をお願いしたい。王家はもう余力がなく、このままでは盛大な式典を執り行うことができないのだ」
彼がそう切り出すと、続いて取り巻きの貴族が頭を下げて口を挟む。
「そうなのです。実に恥ずかしい話ながら、式典費用が底をつき、祝宴に必要な食材や酒、さらには飾り付けの装飾品すらまともに揃えられません。どうかお力添えを……」
以前は公爵令嬢に対してさほど低姿勢でもなかった彼らだが、今は必死に頭を下げるほかないのだ。ルシアーヌはうっすらと唇に笑みをたたえながらも、そのまましばし黙している。取り巻きたちは冷や汗をかきながら眼前の淑女を伺ったが、彼女の沈黙が余計に圧力となり、空気を張り詰めさせていた。
「なるほど、戴冠式のための資金援助、そして物流の支援、ですか。……確かに、式典が台無しになれば国全体の面目に関わりますし、国民もがっかりするかもしれませんね」
どこか他人事のように言いつつ、ルシアーヌはすっと立ち上がる。華麗にドレスの裾を揺らしながら、室内をひと回りするように歩を進める。深い色の生地に金糸を織り込んだ優雅な装いが、まるで空間を支配しているかのようだ。彼女が椅子の背もたれに手を添えた瞬間、セドリックと取り巻きたちは思わず息をのんだ。
「ですが――」と、彼女は微笑んだまま言葉を継ぐ。
「私が出資して差し上げてもよくてよ? もちろん、ただというわけには参りません。王家の大切な行事が失敗すれば国の信用に関わる、という大義名分はわからなくはありませんけれど……私にとってもメリットがなければ動けないのですもの」
やはりそうきたか、とセドリックは苦い表情を浮かべる。取り巻きたちもこぞって「やはり条件を……」と口ごもった。そんな彼らを尻目に、ルシアーヌはあくまで落ち着いた笑みを保ち続ける。
「もちろん、私は国全体のことを考えてもいますわ。戴冠式の失敗は大きな損失でしょう? おめでたい行事が台無しでは、国民の士気も下がり、対外イメージも悪くなる。――それゆえに、私が手を貸して差し上げるのは決してやぶさかではありません。けれど、それなりの見返りを求めるのはビジネスとして当然でしょう?」
優雅に椅子へ腰かけると、彼女はテーブルの上に広げられた書類の山に視線を落とす。戴冠式の祝宴に必要な食材リスト、装飾品の見積もり、さらには軍楽隊や劇団の招聘にかかる費用まで、事細かに記載されているが、どれも王家には荷が重いほど高額だった。ルシアーヌはペンを手に取り、一つひとつに目を通す。
「穀物、果物、肉類、酒……ここまでの数量を用意するには相当な費用がかかりますし、仕入れ先の物流を私のルートで一括管理するなら、それなりの調整費がかかりますわ。装飾品や衣料生産の工房にも支払いが滞っているとか。――なるほど、つまり私が立て替えて支払い、それから後で王家に『きっちり』返していただく形を取るということですわね?」
返済を求めると断言され、セドリックらは肩を落としつつも「そ、それしかありません……」と口をそろえる。もう頭を下げるしかないのだ。彼らが生半可に無理を言えば、流通も滞り、式典がどん底に堕ちることは目に見えている。
「ええ、そうですね。私としても、王家からしっかりと利息をつけて返していただくのが理想です。もちろん、余裕があるときで結構ですわ。多少の猶予を設けることはやぶさかではありません。ただ――」
言葉を区切り、ルシアーヌはあえて相手を見つめる。セドリックはもちろん、貴族たちも固唾をのんでその続きを待つ。
「対等なビジネスの原則として、いくつか条件を出させていただきます。まず、この式典で使用する食材や装飾品、すべて私の提供したルートを通して調達すること。その他の業者を一切使わないとまでは言いませんが、最低限わたくしの領分で優先して納品を確保いたします。よろしいでしょうか?」
「は、はい。もちろん、構いません……」
「それから、今後王家が収める各種関税の一部を、私が指定する新設の金融機関を通じて管理していただきたい。その収益を背景に、私も戴冠式への投資リスクをカバーしたいのです」
いつの間にか、セドリックや取り巻きたちは「は、はい……」と必死にうなずいている。どれだけ厳しい条件だろうと、とにかく式典を成功させなければ王家の体面が保てないのだから、反論する余地などどこにもない。




