第13話 資金不足の王家①
レグリス王国の王宮では、朝も早くから大勢の貴族や官吏が落ち着かない様子で行き来していた。長く王位を務めたレオポルト三世の退位が正式に決まり、近々、王太子セドリックが新たに即位する戴冠式が執り行われることになったのだ。
本来ならば、王都をあげて盛大な祝宴を用意し、諸外国の使節や各地方の領主をもてなす華やかな行事となるはずだった。ところが、今や王家にはその華やかさを実現するだけの資金が残されていない。
「陛下の退位を盛大に祝うためにも、豪奢な宮廷舞踏会や祝宴が必要でしょうに……。資金が、資金がなさすぎる……」
王宮の奥、執務用の広間に集まっていた取り巻きの貴族たちは、頭を抱えてうめき声を漏らしていた。重厚な絨毯の上に広げられた式典の準備書類には、装飾品の購入費や調度品の修繕費、そして祝宴で出す食材や酒のリストが羅列されている。だが、そのどれもがあまりに高額で、今の王家の懐事情では到底まかなえそうにないのだ。
「一体どうするのですか、殿下。もはや王宮の宝物庫を開けても、必要な分を揃えきれないという話ですし……」
焦り混じりの問いかけに、王太子セドリックはやつれた表情を浮かべたまま答えられずにいる。レオポルト三世が退位を控えて久しいが、慢性的な財政難を解決できないまま、ここまで時が来てしまった。この戴冠式で体面を保つどころか、下手をすれば「みすぼらしい簡素な式」になりかねない。それでは国民や諸侯の不信を招くだけだし、何より自身の即位を堂々と祝うことなどできようはずもない。
「やはり、もう少しだけ費用を削減し、質素に行うしかないのでは? 少なくとも各国の使節団だけでも最低限迎えられれば、かろうじて形には……」
「そんなことをすれば、王家の面目が丸潰れだ。戴冠式は国の威厳を示す一世一代の行事だというのに、しょぼい式だと笑われてしまうだろう」
セドリックの取り巻き貴族たちが立ち尽くしている理由は、それだけではない。式典で用いる贅沢な食材や華麗な装飾品の多くを、今やルシアーヌ・ド・ベルヴィル公爵令嬢の支配する流通網から仕入れなければならない状況に追い込まれているからだ。王家が独自に支えてきたはずの物流ルートは、すでに破綻しかかっていたり、彼女の投資先に飲み込まれたりしている。もう、この国で一級の品を大量に確保するには、ルシアーヌ側との取引が不可欠なのだ。
「ルシアーヌ様の卸ルートを使わないと、めぼしい食材すら調達が難しいなど……これは一体どういうことなのでしょう。王家の統治力はどこへ……」
貴族の一人が情けなさに肩を落とし、別の者もため息をつく。それでも意地があるのか、誰も公の場で「あの公爵令嬢に頭を下げよう」とは言い出せない。セドリック自身も彼女との婚約を一方的に破棄してしまった過去があり、再び手を結ぼうとしたがすげなく拒絶されたばかり。そんな屈辱を思い返すたび、彼の心はますます焦りと羞恥に苛まれる。
「はあ……式典まで日がないというのに、このままでは武官たちの正装も揃わないし、宮廷楽団を招く費用も厳しい。せめて酒や料理だけでも豪勢にしなければ、『これが国王即位の宴か』と失望されてしまう」
「しかし、飲食物もフレッシュな素材を大量に仕入れようとすれば、結局、ベルヴィル公爵令嬢の流通網を使うしかありません。どこもかしこも彼女の影が……」
まるで誰かに監視されているかのような錯覚を覚えそうなほど、ルシアーヌの名前があらゆる商談に付きまとっている。しかも王家からはまとまった資金が出せないため、仕入れ先に掛け合っても「後払いが不安なので無理です」と断られてしまうケースも珍しくない。実際、王宮付きの料理長が市場に赴いても、以前のように簡単には一流食材を仕入れられず、半端な在庫しか渡してもらえないのだ。
「これは本気でまずいぞ……」
エヴラール伯爵家の青年は声を落としてつぶやく。彼は王太子を支える主要な側近の一人だが、この状況を打破する妙案など浮かばない。取り巻きたちも同様で、別の貴族が「どこかに援助を頼めないか」「国外の業者を呼べばいいのでは」などと提案するが、いずれも時間と金が足りないのが実情だ。しかも国外から物資を運ぶとしても、大きな港湾はすでにルシアーヌの融資を受けた商会が管理に関与している。
「このままでは、本当に質素な式典になってしまうのか……。最悪の事態、国民に笑われるだけならまだしも、諸外国の使者たちに『ああ、王家は金がなくなったんだな』と思われるのが何より痛い」
セドリックは机に並んだ書簡を手に取りながら、自嘲気味につぶやく。そこには各国使節や近隣諸侯への招待状が同封されているが、返ってきた返信のなかには「盛大な式典を期待している」という文面も多く見受けられる。もしその期待に応えられないようでは、新王としての威厳が最初から揺らぎかねない。
「一部の貴族から資金を借りようにも、彼らも既にベルヴィル公爵家の投資と利害関係があって、自由に金を出せる状況ではないという話です。どうやら裏で制約があるらしく……」
「くそ……。まるで周到に仕組まれた罠のようじゃないか。いや、実際、あの公爵令嬢はそこまで考えているのかもしれない」




