第12話 周囲の動揺②
「むしろ、王家が私に協力を仰ぐなら、合理的な条件を提示すればいいだけです。それをせず、結婚や情実を盾に『支えてくれ』といわれても、ビジネスにはなりません。……それに、私に逆らったら商売が成立しないだなんて、言われのない噂ですよ。私としては優位に立っているだけで、あえて追い詰める気はないのに」
その「噂」という一言が妙に軽く聞こえるのは、彼女自身がそれほどまでに力を持っている証だろう。アメリアは苦笑しながらも、「国全体がざわついているのは事実よ」と付け加える。最近の市場や上流社交界では、すでに「王家かルシアーヌ・ド・ベルヴィルか」という二者択一の空気が広まりつつあり、人々が落ち着かないのだ。
もちろん、王太子セドリックとその取り巻きも黙ってはいない。王家を立てない商人を税制で締め付ける計画や、一部の大貴族と連携して「公爵令嬢派」を封じ込めようとする動きが噂されている。まさに水面下で両陣営がぶつかる予兆が強まっていた。しかし、それらも全部「お金があってこそ」の話であり、王家に現金がなければ実施は困難だ。
そんな中、国王レオポルト三世の退位を間近に控え、「戴冠式」の準備が一応進められている。だが、その式典の豪華さや費用をめぐっては、王宮と貴族、さらには一般商人の間で齟齬が生じている。大半の人間は「名目だけの式になるのでは?」と冷ややかにささやき、そこへ至るまでに様々な衝突が起きるのではないかと憶測を呼んでいた。
「これ、もしかすると戴冠式で何か大きな波乱があるのかも……。うちの商会でも、王宮からの発注が極端に減っていて、式典の衣料品さえまともに揃えられないと聞きました。これでは面子が潰れるのではないかと……」
アメリアがそう漏らすと、ルシアーヌはふと視線を遠くにやった。彼女の耳にも、同じような情報が寄せられている。王家が貸し出しを期待している銀行は実質的に彼女の出資下になったところも多いのだが、だからといって彼女が率先して王家を助ける理由は見当たらない。今のところ条件が提示されていない以上、彼女にとっては「無駄な投資」でしかないのだ。
「騒ぎが大きくなる前に、王家が何とか手を打てばいいのだけれど……。まあ、私に頼る気はないみたいだし、逆に取り巻きたちが慌てて無策を打っては空回りしている印象ね。もはや動揺と混乱が国中に波及するのは時間の問題かもしれないわ」
そう言いながらも、ルシアーヌの声には微妙な苦渋が混じっていた。国が混乱すれば、いくら彼女が強大な経済力を握っていても、客や取引先が被害を被る可能性が高い。安定した治安や秩序があってこそビジネスは成り立つもの。ルシアーヌにしても完全に放っておける話ではないと薄々わかっていた。
「いずれにしても、近々開かれる戴冠式が、一つの山場になるのでしょうか。王家とお嬢様の力関係を改めて意識させる場にもなりそうで……」
クラリスがぼそりと漏らす。アメリアもうなずき、「そうね。そこをどう乗り越えるかで、国の未来が決まるかもしれない」と低い声で応じた。ルシアーヌは黙って二人の言葉を聞いていたが、やがて少しだけ首を傾げ、得意の冷静な口調で締めくくる。
「ええ、もしかすると戴冠式の前後で大きな転機が訪れるのかもしれないわ。私は私のやり方を貫くまで。……ただ、変に騒動が起こって、せっかく築いたビジネスまで瓦解するのは避けたいところね」
それが事実上の対立姿勢なのか、あるいは真っ向勝負をするのか、彼女自身もまだ判断しきれてはいない。ただ、国全体が不穏な空気を漂わせ、王家派と公爵令嬢派が水面下で衝突を繰り返し始めているのは確か。
外から見ても、明らかに「王家 vs. ベルヴィル公爵家」という構図が鮮明化している。近寄ろうとする者、離れようとする者、その思惑が交錯し、摩擦は日に日に大きくなるばかりだった。
こうして、国は次なる大きな節目へと足を踏み入れる。王家の権威を守ろうと必死になるセドリック陣営、そしてあくまでビジネスで合理性を追求するルシアーヌの圧倒的な存在感。両者の対立が深まり、周囲が動揺し始める中、誰もが心に「戴冠式で何かが起きる」と予感していた。
果たして、これが王家にとっての再興のチャンスとなるのか、それとも公爵令嬢の影響力が決定的に勝利するのか。暗雲の垂れ込めるレグリス王国の行方は、次章へ向けてさらなる混迷を深めていくのだった。




