第11話 再びの求婚②
セドリックはうまく言葉が出てこない。もちろん、王太子との結婚はかつてなら大きな権威をもたらすはずだった。だが今、彼女が欲する権力はすでに名実ともに得ているといっても過言ではない。婚約が復活しても、ルシアーヌにとって得るものはほとんどないに等しい。
「その……国を背負う王の伴侶として、最終的には君が実質的に権勢を握れるだろうし……今後も公爵家として王家の威光を借りられる……」
しどろもどろに繰り出されるセドリックの説得は、あまりに空虚だった。すでにルシアーヌは「王家の威光」よりもはるかに強力な経済ネットワークを築き上げている。こうなると、王家との縁談は単なる枷にしか感じないだろう。彼女は静かに息を吐き、ゆるく首を振った。
「殿下、どうか冗談はおやめくださいませ。あの場で一方的に『愛する女性がいる』と婚約を破棄しておきながら、今になって結婚を前提に協力しろ、などと言い出すとは……私がその提案を受け入れると思って?」
まるで鋭い刃を向けるような問いかけに、セドリックは何も言えず口を閉じる。取り巻きたちが慌てて口を開き、「どうか、そこを何とか……」と必死に頭を下げるが、ルシアーヌは彼らにも冷静に目を向ける。
「手加減をお願いしているようですが、私は最初から『手加減』ではなくビジネスに徹しているだけです。私が動くのは、私にも利益があると思うから。ですが、王家に協力したところで得られるものが不透明な今、わざわざ危険を冒す理由がないの」
言い切ると、そこには王太子陣営とルシアーヌ陣営の決定的な温度差が漂った。王太子や取り巻きはただただ懇願し、彼女を懐柔したいのに対し、ルシアーヌは最初から利益にならないなら動く価値を認めていない。まさに噛み合わぬ歯車だ。
「殿下……今さら婚姻などと言われても、私の心は動きませんわ。もし本気で結束を望まれるなら、もっと現実的な提案をお示しになるべき。たとえば、王家の財務をどのように整理し、私にどう返済なさるのか。権勢を求めているわけではないけれど、対等なビジネスとして成立しなければ、私にお付き合いするメリットが皆無ですもの」
ここで「対等のビジネス」と言い切るあたり、ルシアーヌは決して感情的な復讐ではなく、あくまで合理的な立場を貫いているのだ。その態度がまた、セドリックと取り巻きを追い詰める。なぜなら、王家に出せる大きな条件などほとんど残されていないからだ。
数瞬の沈黙が広がる。セドリックの顔には焦りがにじみ、取り巻きたちも疲れきった表情をしている。たとえば、多額の利子を付けて返済すると約束したところで、実際にその資金をどこから調達するのかまるで見当がつかない。結局、彼らにはもう頭を下げるしか手がないのだ。
「本当に、なんとかお力添えいただけないでしょうか。我々も殿下も反省しています。あのときの無礼を償いたいのです。貴女の才能を生かす場は、やはり王家との結束ではないかと……」
涙目で懇願するような取り巻き貴族。それを見たルシアーヌは、まるで困った子どもに接する母のように、わずかに肩をすくめた。
「そこまで頭を下げられても、私には困るんです。わかりませんか? もし殿下と結婚したところで、今の王家には財源がない。言い換えれば、この先の負債を私が肩代わりする形になりかねないでしょう? それは私にとって大きなリスクよ」
ごく当たり前の事実を、彼女は冷静かつゆったりとした口調で伝えている。その余裕ある姿が、取り巻きの必死さと対照的で、どこかユーモラスな空気も漂わせる。しかし当のセドリックには笑う心の余裕などなく、完全に追い詰められていた。
「……わかった。すべて僕の責任だ。だけど、君とならきっと乗り越えられる。そう信じているんだ」
半ば自分に言い聞かせるような王太子のつぶやきに、ルシアーヌは目を伏せて苦笑する。かつての屈辱が脳裏に蘇りながらも、今はもう怒りよりも“失望”が上回っているようだ。
「殿下、他人を頼るのは構いませんが、頼る相手を一度、粗雑に扱ったことをお忘れではありませんか? 私にとっては、もうそれだけで『手を取り合う理由』を見いだせないのです。……私には私のビジネスがあり、そこに邪魔が入らなければ十分に豊かな人生を送れますもの」
結局のところ、ルシアーヌにとって、セドリックからの再度の婚約提案は「利益がないにもかかわらず、リスクだけを背負わされる話」でしかないのだ。彼女が理知的であればあるほど、そんな契約に応じるはずがない。そして彼らが期待している「情け」をかけるような甘い人間でもない。
「それでも諦めないというなら、もっと明確な計画と担保をお示しください。さもなくば、私はただビジネスの一環として王家に融資するかしないかを検討するだけ。婚姻など口にされるまでもありません」
最後にそう言い放つと、ルシアーヌはするりと立ち上がり、護衛騎士ロイと侍女クラリスを引き連れてサロンを後にした。なんの後腐れもなく、まるでお茶会の途中で席を立つかのような流麗な動き。残されたセドリックや取り巻きは、呆然とその背中を見送るしかできなかった。
「くっ……やはり、こうなるか」
セドリックはテーブルに突っ伏すようにして悔しげに吐息をつく。取り巻きの貴族たちも暗い顔をしてうつむいている。いくら頭を下げても、ルシアーヌの核心を動かすことはできない。言われるがままに結婚したところで、彼女にとってなんの利点もない以上、この提案は最初から失敗が約束されていたのかもしれない。
それでも彼らは最後の望みにすがるしかなかった。王太子の体面を保ちつつ、この国を守れる資金と権威を取り戻すには、ルシアーヌほどの存在がどうしても必要だ。しかし、彼女からは容赦なく突き放され、いよいよ策は尽きかけている。
こうして、セドリックの「再びの求婚」という身勝手な提案はあっけなく拒絶された。ルシアーヌが冷静かつ淡々と、しかもかつて受けた屈辱を思い出すような態度で彼らをあしらう姿は、まさに「圧倒的」というほかない。王太子一行はさらに追い込まれ、暗い焦燥の中に沈んでいくばかりだった。




