第9話 華麗なる装い②
やがて、その商会の代表がテーブルに伏せるようにしてうなだれると、ルシアーヌはすっと立ち上がり、フレアのかかったスカートの裾を上品に揺らしながら広間全体を見回した。そこにいる人々にとって、この凛々しくも美しい光景は、まさに威圧そのもの。彼女は焦りも驚きも露わにせず、ただ一つの台詞を上品に口にする。
「今日も商売を楽しませてもらうわ――皆様、どうぞよろしくお願いいたします」
その瞬間、まるで氷の海に放り込まれたような冷たい沈黙が落ちる。彼女が「楽しむ」という言葉を使うときは、相手にとっては「逃れられない綿密な査定」が待っている合図。誰もが嫌でもそれを理解している。ここでもし、変に逆らったり嘘を隠そうとしたりすれば、先ほどのように容赦なく暴かれてしまうに違いないのだ。
「では、皆様の新規事業案なども伺いたいところですけれど……何かご提案がある方は順に発表をどうぞ。私も興味があれば出資を考えますし、そうでなければ残念ながら……ね?」
静けさを破るのは、ルシアーヌの優雅な誘導。声のトーンこそ穏やかだが、そこに含まれる「私が認めなければ商談が進まないかもしれない」という圧力を、会場にいる誰もがひしひしと感じ取っていた。ごくり、と唾を飲む音があちこちで響く。
そして当然のように、新たな提案をしようとしていた数名が震えながら手を挙げ、書類を見せ始める。彼らの目にはすでに恐怖半分、期待半分といった感情が混じり合う。何しろルシアーヌに気に入られれば大きなビジネスチャンスを得られるが、問題があれば一瞬で足元をすくわれる可能性があるのだ。
またしても彼女の鋭い指摘が炸裂し、いくつかの項目について「疑わしい数字」が浮かび上がる。商人たちは涙目になりながら「せ、精査しますのでお時間を……」と下を向く。ルシアーヌはそんな相手の姿を見ても、特に憐れむ様子はない。むしろ少し口角を上げ、「ええ、急ぎませんわ」と淡白に答える。だが、その「急ぎません」が却って怖いことを相手も悟っている。しっかり帳尻を合わせてこなければ、後々大変なことになるという暗黙の了解があるからだ。
結局、会議の最後には、ほとんどの参加者がルシアーヌに一歩も二歩も譲歩する形で話をまとめてしまった。堂々たる貴族や大商会の当主たちでさえ、深紅のドレスを翻す公爵令嬢の前では弱気になり、「もしやこれが公爵家の底力……」と内心を震わせる。まるで春の嵐のように自由奔放な彼女の振る舞いが、容易に反論を許さない説得力を生むのだ。
「お嬢様、これで本日の予定はだいたい片付きましたね」
会議が解散し、護衛のロイがほっとした顔で言う。ルシアーヌは優雅に身をひるがえしながら、きっぱりとうなずいた。
「そうね。皆さん『ご協力』いただいて助かるわ。やはり、私が華やかな装いで臨むと、相手にも緊張感が出るようでいい感じ。これはしばらくクセになりそうだわ」
微笑むその横顔には、きらりとした光が見える。クラリスは少し呆れつつ、「お嬢様の存在感がさらに増してしまうのでは……」と小声で漏らすが、ルシアーヌは「いいじゃない、目立ってなんぼよ」と目を伏せながら笑う。その一挙動で、頬にかかる髪がふわりと揺れ、周囲を虜にするかのようなオーラがさらに広がった。
まわりの経営者たちは、まだそそくさと書類をまとめたり、あるいは顔を見合わせて苦笑したりしている。その中には、顔面蒼白で椅子に座ったままの人もいれば、ほっと胸を撫で下ろして「公爵令嬢の審査に通った」と安堵する者もいる。どちらにせよ、この場では誰もが“彼女を甘く見てはいけない”と骨身に染みて思い知らされたに違いない。
「さて、あとは馬車で戻りましょう。さすがにちょっと疲れちゃったかも。でも今日の成果は上々だわ」
華麗なドレスの裾を持ち上げつつ、ルシアーヌは入り口近くの扉に向かう。その歩みには、まるで舞踏会からの帰り道のような余裕すら感じられた。ロイが「えっと、そのドレス、帰りの馬車でも大変じゃ……」と心配しながらついていくが、彼女はさらりと首を振る。
「ちょっとくらい大変でも構わないわ。こんなにも素敵な装い、そうそう頻繁に着る機会がないもの。やっぱり私は『舞台』があると頑張れるタイプなのよ」
「は、はあ……なるほど」
ロイは気圧されつつも微笑を返すしかない。クラリスも「お嬢様らしいですわ」と後ろでくすくす笑っている。あれほど恐れられる存在でありながら、どこか微笑ましいギャップがルシアーヌの真骨頂なのだろう。
外に出ると、控えていた使用人たちが慌てて駆け寄ってきて、彼女のドレスの裾が地面に擦らないように補助してくれる。その光景を見た商人や貴族が遠巻きに感嘆の声を上げるのを耳にしながら、ルシアーヌは「また次の商売を楽しみにしていますわ。ごきげんよう」と、あくまで涼やかな笑みを浮かべた。
こうして、深紅と黒の華麗なドレスに身を包んだ公爵令嬢は、今回の会議や商談相手を完全に呑み込んでしまった。彼女の一言に青ざめる者、予定をすべて彼女に合わせざるを得ないと悟る者――さまざまな反応が入り混じるが、まともに反論できる者は皆無。最終的に全員がルシアーヌに屈服する形となり、改めてその恐ろしさと華やかさを痛感したのだった。
馬車に乗り込んだルシアーヌは、開け放たれた窓越しに会場をちらりと振り返る。一瞬、目が合った商人らが慌てて頭を下げるのを見届けると、彼女は唇の端を上げ、小さく「ふふっ」と笑う。深紅のドレスに映える鋭い笑みは、見る者の心を凍りつかせると同時に、不思議な魅力をも放っていた。
「ほんとに……お嬢様はどこまでいくんでしょうね」
ロイが感嘆まじりにつぶやくのを横に、馬車はゆっくりと走り出す。クラリスが「この勢いは止まりませんよ」と微笑んだとき、すでに街の人々の視線は遠く去りゆく馬車のほうに集まっていた。深紅の薔薇のように妖艶なドレスを纏った公爵令嬢――その姿は、この国の誰もが容易に忘れることはできないほど印象的で、同時に、誰もが彼女を「恐れ敬わざるを得ない」存在だと改めて思い知らされる一幕となったのである。




