第8話 騎士と侍女の嘆き②
ふと気づけば、ロイとクラリスの肩に入っていた力が少し抜けていた。やはり主人に「必要とされている」と感じられることは、彼らにとって何よりの励みなのだ。二人とも自然と笑顔になり、ほっとしたような面持ちになっていく。
「……でも、正直に言うと、僕はあまりにもお嬢様が強くて、誰も太刀打ちできないんじゃないかと心配だったんです。こう、どこまで活躍すればいいのかわからなくなるというか」
ロイが控えめに告白すると、ルシアーヌは笑いを噛みしめるように口元を抑えた。彼女自身、自分のやり方が周囲にどう受け止められているかはある程度理解している。強引な交渉や帳簿の暴き方に、戸惑う者も少なくないだろう。しかし、その反動で周囲が「自分の出番などない」と悲観するのは望んでいない。
「ロイ、あなたが護衛についてくれているからこそ、私は安心して商談や会議に集中できるの。クラリスが身の回りを整えてくれているからこそ、予定を円滑に進められるの。同じように、他の使用人や友人がいるから私は孤立しないで済む。誰一人欠けていいわけじゃないわ」
そうしみじみと言われ、ロイは驚いたように目を見開く。クラリスも同じく、一瞬言葉を失った。ルシアーヌは冷静な論理思考の持ち主ゆえ、どちらかといえばドライに割り切っている印象が強いが、こうしてはっきりと皆を肯定する言葉を投げてくれるとなると、胸に熱いものがこみ上げてくる。
「……なるほど、僕らは僕らで必要とされてるんだな……嬉しいです。ありがとうございます、お嬢様」
ロイが素直に礼を述べると、ルシアーヌはほんの少し照れくさそうに視線をそらした。クラリスは思わず唇をほころばせ、「私も、お嬢様に仕えることが誇りです」と改めて言葉を添える。こうして、三人の間には穏やかな連帯感が生まれていた。
「ふふ、ありがとう。……そうそう、さっき少し大きな荷物が届いたようだけど、誰からかしら?」
会話の流れで、ルシアーヌが何気なく思い出したように尋ねると、クラリスが思い出したように「ああ、地方から送られたサンプル品で、各種菓子の詰め合わせだそうですよ。お嬢様が一度味見された菓子店の親方が、ぜひ新作を召し上がってほしいって」と報告する。するとルシアーヌの瞳が一気に輝いた。
「まあ、そうなの? それなら早速、後で頂いてみましょう。私、頭を使うと糖分が欲しくなるのよね」
おそらく、この菓子を楽しみにしながら仕事に励むのだろう――その姿を想像すると、ロイとクラリスはまたしても内心でくすっと笑ってしまう。取引会議で無双し、各方面を牛耳るかのように見える公爵令嬢も、こういう一面は素直に可愛らしいのだ。
「私もお嬢様の大食いぶりにはいつも驚かされておりますが……でも、お忙しいですし、やっぱり甘いものを取っていただかないと体力が持ちませんよね」
「そうそう、ロイも一緒にどう? 護衛にも体力が必要でしょう?」
ルシアーヌが半ば冗談めかして誘うと、ロイは「じゃあ、お相伴にあずかりますか……」と苦笑しつつも悪い気はしない。あれほど剣を振るっていても、世間が言う「恐ろしい公爵令嬢」の姿と、こうしたほのぼのした素顔のギャップは相当大きい。だが、そのアンバランスさこそが彼女の魅力でもあり、周囲に支えられる理由でもある。
会話が一段落した頃、ルシアーヌはふと時計を見やり、「そろそろ次の商談相手が来るはずなの。クラリス、応接室を整えておいて」と指示を出した。侍女長が素早く立ち上がり「かしこまりました」と返事をする。一方でロイは、護衛として同行するかどうかを確認しようとしたが、ルシアーヌは涼しい顔で口を開く。
「ロイも一緒に来て。相手が物騒な人だとは思わないけれど……万が一、場が荒れそうになったら抑えて頂戴。私も隙を見せたくないのよ」
「了解しました。お任せを」
ロイは弓を引き絞るように背筋を伸ばし、一転、神妙な面持ちで答える。先ほどまで愚痴っていたのが嘘のように、改めて役目に燃える騎士の姿だ。ルシアーヌも満足げにうなずき、スカートの裾を軽く払うと背筋を伸ばした。
「皆がいてくれるから、私も安心して前に出られる。――それじゃあ、行きましょうか」
こうして三人は、次なる商談に臨むためそれぞれの持ち場へ向かう。ルシアーヌという盤石の大黒柱を支えつつも、その柱が「無敵すぎる」と思うたびに、護衛騎士と侍女の嘆きは止まらない。けれど、どちらも彼女を誇りに思うという点では一致しているのだ。
確かに、ルシアーヌ・ド・ベルヴィルは恐るべき交渉術を駆使し、誰からも簡単には揺るがされない力を手にしている。それでもなお、彼女は独りではない。ロイとクラリスは、彼女の傍でその輝きをより際立たせる役割を担うことに、心からの喜びを感じているのだった。




