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王太子に捨てられた? ならば、私はこの国の経済を手に入れるだけですわ!  作者: ぱる子


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第8話 騎士と侍女の嘆き①

 夕刻、ベルヴィル公爵家の屋敷。長い一日を終えたロイ・アッシュバーンとクラリスは、それぞれの役目を全うして居間に戻ってきていた。広々とした談話スペースには暖かいランプの明かりが灯され、ふかふかのソファが並ぶ。昼間の取引会議で見た鋭い緊張感とは打って変わって、ここは安らぎの空気が漂っている。


 ロイは護衛としてルシアーヌに付き添うことが多い一方、クラリスは侍女長として日々の雑務や彼女の身の回りを整える立場にある。ふだんはそれぞれの仕事に没頭していて、こうして二人きりで話す時間は意外と少ない。今日ばかりは少し遅めの昼食ならぬ夕方の軽食を共にしており、用意された温かい飲み物と菓子を前に、ほっと一息ついていた。


「はあ……思わずため息が出ちゃいますね。あんなに華麗に数字を暴く人、他にいませんよ。正直、『護衛騎士』の出番って何なんだろうと考えます」


 ロイがカップを手に取りながらつぶやく。今日もまた、ルシアーヌの圧倒的な交渉術が火を噴き、相手を完膚なきまでに屈服させる場面を何度も目の当たりにした。彼女がちょっと本気を出せば、護衛としての力など皆無に等しいと痛感せざるを得ない。


「わかりますわ。私もずっとお嬢様のお(そば)で暮らしていますけど、最近は『もうお嬢様を止められる人はいないのでは』と思いますの」


 クラリスはしみじみと言う。侍女長として彼女が幼い頃から仕えてきたが、ここまで圧倒的な存在感を示すようになるとは、さすがに想像していなかった。本人は幼少期から厳しい教育を受けてきたものの、「数字の魔術師」と呼ばれる才覚が本格的に花開いたのはごく最近のことだ。


「実際、あの取引会議なんかでも、周りはみんなビクビクしてましたよね。『下手なことをしたら何を暴かれるかわからない』って震えてた。まあ僕だって、あそこまでの速さで相手の不正を見抜くとは思いませんでしたけど」


「あれほどの会計書類を、一瞬で矛盾点を探し当てられるなんて……私たちからすれば、もはや『どうなってるの』という感じですよね」


 クラリスはお茶をすすると、少し疲れたように微笑む。ロイも気の抜けたように笑ってしまう。なんだかんだいって、二人ともルシアーヌの才能には一目置いているし、心の底から尊敬している。それでも、心配がゼロというわけではない。


「お嬢様が強いことは重々わかってるんですけど、やっぱり心配になることもあるんですよ。言い方は失礼かもですが、護衛させてもらえないというか、護衛する余地がないっていうか……実際、危険な場面になったら、僕はすぐに動けるのかなって、妙な不安があります」


 ロイの声には、護衛騎士としての誇りもにじむ。何かあったときは体を張ってでもルシアーヌを守りたい気持ちがあるのだ。それなのに、彼女があまりに圧倒的すぎて、そもそも武力行使が必要になる場面が訪れる気配がない。


「お気持ちはわかりますけど、確かにお嬢様を害するほどの度胸を持った人が今のところ見当たりませんよね……。なにせ、各商会や銀行がみんなお嬢様には逆らえないという雰囲気で……」


 クラリスは苦笑まじりに続ける。実際、近頃はどこへ行ってもルシアーヌに恭順の意を示す者ばかりで、逆らおうとする人間はますます減っている。まさに“敵なし”と呼ぶにふさわしい状況だ。ロイが思わず拳を軽く握ってテーブルにこつんと当てると、


「ああ、僕も剣の稽古ばかりしてないで、お嬢様の帳簿読みでも勉強しとくべきだったのかな」

「ロイ様、それは少し違うと思いますよ。護衛騎士が帳簿を読んでどうするんです」


 やや本気の愚痴をこぼす彼に、クラリスは吹き出しそうになる。すると、ロイは「いや、そのくらいの気迫がないと、いざというときに役に立てない気がして……」と頬をかくように付け足す。やれやれと頭を振るクラリスだが、その内心は自分も同じように思うところがあった。


「まぁ、最近のお嬢様は、昔以上に抜け目なくなったというか、堂々とされましたよね。以前はそれなりに周りの目を気にしていた節があったんですが、婚約破棄の件をきっかけに吹っ切れたのかもしれませんわ」

「そうですね。……でも、そのおかげで僕らはもう引き立て役みたいなものかと」


 ロイが肩を落としていると、そこへちょうどドアをノックする音がした。クラリスが「はい、どなた?」と応じると、入ってきたのはルシアーヌ本人だった。ふわりと優雅にドレスの裾を揺らしながら居間に進み、二人に気づいて小さく笑う。


「あら、こんなところに揃っていたのね。なにやら密会でも?」

「い、いえ、そんなことは……! えっと、今は少しばかり仕事の合間にお茶をいただいてまして」


 クラリスが慌てて頭を下げる。ロイも一瞬背筋を伸ばして姿勢を正したが、ルシアーヌはどこか楽しそうに「おくつろぎ中ならごめんなさいね」と言って微笑む。どうやら特に用事があって来たわけではなく、ただ休憩がてら話をしに寄ったようだ。


「それで、ロイとクラリスは何の話をしていたの? まさか私の陰口……ではないわよね?」


 その問いに、二人は目を合わせて苦笑いする。実際、話の内容は「ルシアーヌ様が強すぎる」という嘆きに近いものだったが、陰口というほど悪意のあるものでもない。とはいえ、正直に打ち明けるには少し気恥ずかしい。クラリスが返答に困っていると、ロイが小声で「その……お嬢様の存在感があまりに圧倒的で、僕ら護衛や侍女の役目があるのかなって話してました」と言ってしまった。


「あら、そんなに私を()めてくれるの? ふふ、私としては皆に助けられているのだけれど……」


 ルシアーヌは照れる様子もなく、むしろうれしそうに切り返す。ロイが「いや、褒めてるのかどうかわからないです。逆に護衛って何だろうって……」と正直に言うと、彼女は少し真顔になる。


「そんなことないわ。護衛は大事よ。いくら私が強くても、細かい用事や手間をすべて一人でこなすわけにはいかないでしょう? 誰かに刺客を差し向けられたり、トラブルが起きたりしたら、それこそ時間の無駄になるもの」

「じ、時間の無駄……ですか?」


 ロイはやや拍子抜けした顔になる。護衛が必要な理由としては「身の安全」が第一に挙がると思っていたが、ルシアーヌの発想はまさかの「面倒なトラブルに巻き込まれたくないから」なのだ。


「ええ、そうよ。ビジネスはスピードが命だから、変な事件に巻き込まれて時間を浪費したくないの。だからこそ、ロイのような護衛がいてくれたら、私は余計な面倒に(わずらわ)わされずに済むじゃない」


 平然と語る彼女の言葉に、クラリスは思わず「お嬢様らしいですね……」と苦笑する。ロイも「なるほど、やっぱり必要なんですね……」と安心半分、複雑半分といった表情を見せる。護る理由が純粋な「安全確保」というよりも「時間確保」なのは、何とも彼女らしい発想だ。


「お嬢様、でもロイ様は剣の腕も確かなんですよ? いざというときはきっと助けになりますから、どうぞご遠慮なく頼ってあげてください」


 クラリスがフォローするように言うと、ルシアーヌは軽く肩をすくめ、「わかってるわ。私だって危険に巻き込まれたら命がいくつあっても足りないもの」と、やや素直に本音をこぼす。そこに漂う空気は、どこか微笑ましいやりとりだ。

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