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第1話 令嬢の誇り①

 ルシアーヌ・ド・ベルヴィル――彼女ほど「公爵家の威厳」という言葉を体現する存在は、レグリス王国広しといえどそう多くはないだろう。端正な顔立ちはもちろん、姿勢から発せられる気品、手の先から漂うような優雅さまで、すべてが一分の隙なく整えられている。その完璧さは人々に「さすがはベルヴィル公爵家の令嬢」と嘆息させると同時に、どこか近寄りがたい畏怖の念をも抱かせるほどだった。


 屋敷の奥、彼女の専用客間には、いつも美しい装飾が施された花々が活けられている。雪のように純白な薔薇から珍しい洋蘭まで、それらをわざわざ取り寄せることができるのも、ベルヴィル公爵家の財力と名声によるものだろう。部屋の中央に置かれた大きなソファに腰掛けるルシアーヌの姿は、そのまま肖像画にしても国宝級だと噂されるほど華麗である。


「お嬢様、次のお茶会の日程はこちらでよろしいでしょうか?」


 執事から手渡された手帳に目を落としながら、ルシアーヌは小さくうなずく。表情にはさしたる興味も浮かんでいないものの、その横顔には迷いがまったく感じられない。幼少の頃から積み上げてきた社交のスケジュールは、彼女にとって息をするのと同じくらい当たり前のことだった。


「ありがとうございます。当日は商家のご令嬢もお招きしているようですので、きっとにぎやかになるでしょう」


 ひそひそと話す執事に対しても、ルシアーヌは「ええ、そうね」と短く答えたのみ。これ以上ないほど上品な声音だが、そこにははっきりとした余裕が宿っている。今さらどのような顔ぶれが集まろうと、彼女にとっては「準備された舞台の一つ」でしかないのかもしれない。


 ベルヴィル公爵家の歴史は古い。大陸各地が戦乱に明け暮れた時代から、当主の才覚と莫大な資産を礎に国を支えてきたとも言われる。ルシアーヌの父、ロドリック・ド・ベルヴィル公爵もまた、その責務を立派に果たしている一人だった。王国において五家しかない名門公爵家という地位は、名声だけでなく大きな重圧をも伴う。その公爵家に生まれ落ちた彼女が受けてきた教育は、想像を絶するほど厳格なものだった。


「ルシアーヌ、お前はいつ如何なる場面にあってもベルヴィル公爵家の顔を忘れるな。背筋を伸ばせ。言葉を淀ませるな。どのような相手を前にしても、(ひる)むことなく自分の意志を貫き通せ」


 幼い頃の記憶。父の声音は落ち着いていたが、その裏には断固とした威厳があり、小さなルシアーヌに「公爵家の面目」という重荷を背負わせていた。だが、彼女は決して苦痛だけを感じたわけではない。むしろ、自分に期待される役割を胸を張って引き受けることに高揚感すら覚えていた節がある。その証拠に、数多くの言語、礼儀作法、そして財務や経済に関する理論まで、すべてを短期間で習得してしまったのだから。


「お嬢様、今日はお父上から頂いた新しい書簡がございます。王国中央銀行の会計報告書とのことですが、どうなさいますか?」


 侍女長のクラリスがそっと差し出す分厚い書類を、ルシアーヌは軽くめくる。すると、ほんの数秒で複雑そうに並んだ数字の意味を把握し、目を細めた。


「この程度の数字でしたら、夕食前に一通り目を通せそうね。明日までに要点をまとめましょう」

「承知いたしました。……お嬢様、やはり本当に数字に強いのですね」

「それが仕事でしょう?」


 さらりと微笑む彼女には、あくまで「当然のこと」という自負がある。この姿を間近で見てきたクラリスは、半ば(あき)れつつも心の底から感服していた。幼い頃からルシアーヌを見守ってきた侍女長にとって、彼女の“数字の魔術師”ぶりはもはや驚きではないが、それでもたまに鳥肌が立つほどの速さで帳簿を読み解いてしまう。王族や大商人たちが、彼女を簡単に侮れないと感じる理由の一端が、まさにここにあるのだ。


 その日の午後、ベルヴィル公爵家の正面玄関には、一人の令嬢が到着していた。地味な色合いのドレスを纏ってはいるが、その身のこなしからはただ者でない雰囲気がうかがえる。トレンツ商会の令嬢、アメリア・トレンツ。若くして商会の経営を一部任されている才媛で、社交界というより商人ネットワークを中心に顔が広い。


「ごきげんよう、ルシアーヌ」


 アメリアは丁寧に一礼すると、ベルヴィル家の迎賓室へと通された。クラリスやほかの侍女たちが控えている中で、ルシアーヌは形式的な挨拶を交わす。もっとも、昔からの友人同士ゆえ、表向きはかしこまっていても内心では余裕たっぷりといったところだ。


「久しぶりね、アメリア。何か面白い話でも持ってきたのかしら?」

「いつものごとく、ね。うちの商会で新しい航路を開拓したでしょう? その関係者がまた、いろいろと変な噂を仕入れてきたの。最近、王城の財政事情がどうのこうのって」


 アメリアは声を潜めながらも目を輝かせる。このあたり、単なる商家の令嬢ではなく、実務に携わっている者ならではの情報通ぶりだ。ルシアーヌはそれに対して微笑を浮かべつつ、上品に首を傾げる。


「まぁ、王家がどうあれ、私には関係ないわ。いずれ公爵家として必要があれば動くでしょうけれど」


 言葉こそ素っ気ないが、その一挙手一投足に漂う気品が周囲を魅了する。アメリアもそんなルシアーヌを「本当に公爵家の姫君って感じよね」と苦笑しながら眺めていた。普通であれば「王家の動き」というだけで一大事なのに、彼女はまるで他人事のような冷静さを保っているのだから。

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