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プロローグ

アイントリトン王国

■北部の森リヴェンベイル


「はあ... はあ...」


茨の蔓で皮膚が裂けることがあっても、心臓が破裂することがあっても。


「止まるわけにはいかない」と、『ルスペル・エリン』の中の自我が叫んでいる。


止まった瞬間、さっきまでルスペル・エリンだったものは肉の塊になり、形もわからなくなるだろうと。


そんなことが起きれば...死んでも目を閉じて安らかに眠ることすら叶わず、「ルスペル」という名前は永遠に競争相手の家門に嘲笑されるだろう。


――この世界の名前は『メノラ』。


ここはアイントリトン王国の北に位置する森、リヴェンベイル。


メノラで最も広く知られる家門を挙げるならば、必ず含まれる家門が存在する。


その影響力は世界の隅々まで及んでいる。


そして、世界で最も巨大で影響力のある家門を挙げるなら...


代表的な三つの家門の名前が言及されることが多い。それらを【三大家門】と呼ぶ。


――【ルスペル】家門


象徴する色は炎のように激しく燃える『マゼンタ』または『レッド』。

過去、初代ルスペル家主はソードマスターであり、剣によってアイントリトン王国建設に最も大きく寄与した。しかし現代では、物理的な衝突よりも政治・権力を主な舞台として活動している。


――【アジュール・ベル】家門


象徴する色は青空と広大な海を象徴する『シアン』または『ブルー』。

魔法学会の上層部の大半はアジュール・ベル家門出身であり、偉大な「魔法使い」の家門である。


――【リュミナス】家門


象徴する色は時空を超越する輝く光を象徴する『イエロー』または『グリーン』。

三大家門の中で、『エクリプス』という世界観内で最も強力な力を持つ家門である。


三大家門は、前世代の競争が全て終了すれば、次世代の家門間の争いが始まる前までは休戦期間に入る。


そして、その期間中、各家門は他の家門の家主たちと競争するにふさわしい者を次期家主として立てる。


武芸、魔法を含む分野を問わず、政治分野を含めた全ての方面で競争構図を描いている。


こうして、各家門は相互の競争を通じて家門の威信を高めたり、失墜させたりする歴史が現在まで続いている。


この場所で巨大な巨体から逃れるために必死で北部の森を走っている女性の名前は「ルスペル・エリン」。


ルスペル家門の有力な次期家主候補であり、


赤いマゼンタ色の長い髪と濃いマゼンタの瞳。赤いフランス式の制服の上着に白いズボン、膝まで届くブーツを履いており、


彼女は政治を主な舞台とする、火のような性格の持ち主である。


ルスペル・エリンの目に涙がにじんでいた。


「一体... どうして... !!」


神が存在するなら、本当に... その方にこう問いたい。


あなたの怒りの杯から溢れたものをなぜ、私が背負わなければならないのか、と。


「どうして――? 私だけこんな目に遭わなきゃいけないの!?」


ルスペル・エリンは嗚咽しながら、


…ちょうど才能を十分に発揮できる20歳という年齢で、どうしてこんな過酷な運命が訪れたのだろう?


― と、3秒間だけ考えた。


いや、それよりも…


まずは生き延びなければ、「神」という存在に文句を言うこともできない。


「クゥアァァァァ──クオオ!」


咆哮を上げ、目の前の獲物に向かって突進してくる巨大なイノシシの目は充血し、彼女を見逃すつもりなどないように見えた。


「うわぁぁぁぁ──!!!」


胸に抱えた状態で両手で握りしめているマスケット銃は、この『森の敵』の前では何の役にも立たず、ただの厄介で重い棒と化してしまった。


「銃一発で仕留められる相手だったはずのこいつに… なんでこんな屈辱を受けなきゃならないんだ!」


"""

ルスペル家でも普段から歴代のルスペル家の中で最弱と評価されていたルスペル・エリン。


彼女はその評価に反論しようとも思わなかった。


嘲笑されるならされるがまま、それを否定しなかった理由を言えば...


彼女自身が反論の余地すら持たないほど、それを自ら認めていたからだった。


しかし、彼女はアイントリトン王国に位置するエリートたちの集まる場、

『アカデミー・シンフォニア』で三大家門をはじめ、名だたる家門の家主たちを差し置き、堂々と首席で卒業するほどの努力家だった。


今日のルスペル・エリンがアカデミー・シンフォニアを首席で卒業できたのも、


ルスペルの次期家主候補になれたのも、


自分の足りない部分を素直に認め、必ずそれを埋める努力を惜しまなかったからだろう。


…恐らく、それが理由だったのだろうか?


彼女よりも遥かに優れた能力を持つ『アジュール・ベル』や、『リュミナス』の後継者たちと競い合っても、堂々と立ち向かえる彼女の自信は、


暗い夜を越えて、赤く空を染める朝焼けを連想させる「マゼンタ」。


それこそが彼女を象徴する色だと言えるだろう。



…そうは言っても。


今さらそれが何の役に立つだろうか。


ルスペル・エリンが射撃練習で集中力を鍛えるために持参した弾丸は、森の訓練場ですでに全て使い果たしてしまっていた。


その一部は射撃場のテーブルの上に置かれていたが、


予備の弾丸を装填する時間すらない短い間に、彼女の目の前に巨大な生物が突進してきて、


彼女が計算できなかった予想外の状況が発生してしまった。


その結果、弾倉を交換しようと握っていた手が滑り、弾倉を地面に落としてしまった。


それが、この事件の始まりだった。


「はぁっ... はぁっ...」


巨大な生物から逃れるために森の奥へ走るほど、さらに深みに飲み込まれるような感覚がした。


深い森へと足を踏み出すたびに、ルスペル・エリンの息遣いは荒くなり、すでに限界に近づいた身体が悲鳴を上げていた。


肺は風船のように膨らんで今にも破裂しそうで、ここまで無理やり動いてきた心臓も限界点に達しようとしていた。


暗闇に慣れた自分の目だけを頼りに走っていたその瞬間。


石につまずいて、彼女の顔面が地面に垂直にぶつかる寸前、必死に胸に抱えていたマスケット銃を手放すことで両手を地面に突き出せた。


地面に顔を打ち付けるのは避けられたが、それでも打撲という代償は避けられなかった。


彼女の選択の代償としてはかなりマシな方で、むしろ幸運だったと言えるだろう。


だが、暗闇の中から自分に突進してくる巨大な生物は止まる気配がなかった。


加速がついた状態で振り下ろされる爪が少しでもかすれば…


『死ぬ。』


『必ず死ぬ。』


…人間は死を目前にすると超人的な力を発揮すると言うが?


荒い息を大きく吸い込み、身体を惜しみなく投げ出して地面に低姿勢を取りながら、エリンは自分の銃がある方向に転がり込んだ。


やがて、マスケット銃を手に取ったエリンは素早く銃口を180度回転させた。


自分に突進してくる生物の攻撃を防ぐために、マスケット銃を本来の用途とは異なる使い方で受け止めたのだ。


相手の攻撃を防ぎきったものの、じんじんする感覚がエリンの手のひら全体に響き渡った。


ウウウン─


風を切る轟音を伴う衝撃の余波は、彼女を空中に放り出すのに十分だった。


「きゃあっ───」


物理的エネルギーの法則に逆らう暇もなく、彼女は空中で吹き飛ばされ、ドンッという音とともに背中から古木の根元や幹の間に叩きつけられた。


それにしても…意外と女性らしい悲鳴も出せるのだな…?


もし彼女の判断があと1秒遅れていたら…


攻撃を回避し損ない、相手の爪によって肌がズタズタに裂かれていただろう。


そうなっていたら…ここにいるのは、「ルスペル・エリン」という名前を持っていたものの、


「ルスペル・エリンだったもの」となり、形さえも判別できないただの肉塊になっていただろう。


―ルスペル・エリンは意識が薄れていく中で、


「出自や…天才的な才能や…そんなものは全て無意味で無駄だった…」


…と、不平と不満をよくもまぁ口にしていた。


そんな中、徐々に薄れていく意識の中で、自分の記憶にない一場面が走馬灯のように浮かび上がった。


ゆっくりと意識を失い目を閉じる中、目の前に広がった光景は…


あまりにもよく知っている「あの人」が見せたことのない表情。


自分を抱きしめながら、とても苦しそうで悲しげな顔だった。


その曖昧な記憶を最後に、彼女は古木にもたれかかったまま、頭を垂れて意識を失った。


* * *


―アイントリトン王国

■市場に位置する『ピエール酒場』


―黄色い髪。トパーズ色の瞳。そして赤いマフラーを巻いている少年が、ビールジョッキにたっぷり注がれたオレンジジュースを一気に飲み干し、机に勢いよく置いて口元を手で拭った。


タクッ─


「はぁ、爽快だな~…」


少年の名前は、『アベル・ノルダゲン』。


アイントリトン王国所属の『女神を崇める騎士団』『プリズム』の一員であり、階級は見習い騎士だ。


アベル・ノルダゲンはルスペル家の『ルスペル・ロベール』、『ルスペル・エリン』と幼い頃から常に行動を共にしていた親しい幼馴染だった。


―そして現在、アベルはルスペル・エリンと交わした約束を守るために1時間以上も待ち続けている。


「まったく、このやつめ…約束を守るために罰を覚悟してまで、ロベールの呼び出しを無視してきたというのに…」


普段なら、むしろルスペル・エリンの方が約束の時間より1時間早く到着しては…


「俺より遅いのかよ?」


―と言って、小悪魔のような笑みを浮かべていただろう。


それを理由に、蜂の巣になるほどアベルに向かってマスケット銃に装填されていた弾丸を撃ちまくったものだ。


実弾なのか、空砲なのか、当たらない限り判断する方法はなかったが…


いずれにせよ、無差別な脅威であることは確かだった。


―しかし今は、状況が逆転していた。


ドンッ─


「エリン、このやつめ…次に会ったら…」


「やられた分を倍返しにしてやる。」


テーブルを手のひらで叩きながら立ち上がったアベルは、やがて大きなため息をついて再び椅子に腰を下ろした。


「…ルスペル、結局お前も『名門家のご令嬢と同じだ』…ってことかよ?」


残ったオレンジジュースを全て飲み干し、席を立とうとしていた時。


アベルのすぐ後ろのテーブルから酔っ払い達の話し声が聞こえてきた。


「チッ…犠牲者がどれだけ出たら騎士団が出動するんだか…」


冒険者の一人が舌打ちしながら話すと、別の冒険者が答えた。


「そうだな。北の森なんて怖くて通れるものじゃないぜ…一週間も犠牲者が出続けてるらしい。」


原因不明の不安がアベルの首筋を覆い、立ち上がろうとした彼の足を引き止めた。


―煙が立ち上り、パチパチと耳障りな薪が燃える音と共に、ぐつぐつと湯が煮えたぎる音が聞こえる。


音に頼りながら感覚に集中していくと、やがてその感覚は神経を通じて脳に伝わり、ついに意識の断片が再構成された。


指を一本ずつ動かして身体の状態を確認する。


意識を取り戻すと、地面にそびえ立つ古木の根元にもたれかかっている自分がいた。


全身にできた打撲による痛みは、彼女がまだ生きていることを証明するには十分だった。


ゆっくりと目を開けると、目の前には焚火の前にしゃがみ込み、薪をかき混ぜながら背を向けているローブを纏った人影が視界に入った。


…気絶して倒れてからどれほどの時間が経ったのだろうか?


徐々に意識を取り戻したエリンは、自分が置かれた状況を把握し始めた。


死の淵に追いやったあの巨大な生物は…姿が見えない。


ということは、気絶している間にこの男があの巨大生物を倒したということだろうか…


だが、状況が好転したとは言い切れない。味方と見ていいのか?


置かれた状況が違うだけで、いつ命を奪われるか分からない危険は変わらなかった。


―だとすれば…


どうにか…こっちから先に制圧するしかない─!


ルスペル・エリンが息を潜めたまま胸元に抱いていた銃を掴もうとした時、ようやく片腕が包帯で固定されていることに気づいた。


『…手がなければ歯ででもやるしかない。』


銃をなんとか引き寄せ、身体で支えながらスコープに目を近づけたエリンは、もう片方の手をトリガーへと向けた。


そして、目の前のローブの男の奇妙な行動を観察した。


『…何をしているの?』


黒いローブの男は、こちらを一瞥することもなく、指で焚火の前を指し示しているだけだった。


「…無駄なことはやめにしましょう、ルスペル。」


ローブの男の指が示す方向に目を向けたルスペル・エリンの視線が留まった先には、彼女が再装填できなかった予備の弾倉が置かれていた。


「…ちっ───」


これで状況終了だ。


抱えていた銃を未練なく地面に投げ捨てた。


「…私を知っているの?」


「お前…誰だ…」


焚火を見つめながら、ローブの男が言った。


「…『ルスペル家』を知らない方が…おかしいだろうな。」


何もかもが気に入らないのか、エリンは『どうにでもなれ』というような態度で言い放った。


「あーもう!知らないってば!」


「どうでもいいから好きにしなさいよ。」


…どうせこの状況で自分にできることなんて何もないのは分かっていたから。


「さっさと終わらせてよ、陰気なおっさん。」


死ぬときは死ぬとしても最後の抵抗くらいはしなければならなかった。


…そうすれば少なくとも苦しむことなく終わらせられるだろう。


みっともなく命乞いして生き延びたところで奴隷に売られ、『ルスペル』の名前を汚すよりはマシだ。


『そんなことになったら舌を噛んで死ぬしかない。』


「…?」


黒いローブを纏った男はかき混ぜていたお玉を止めたまま、無言で少しだけ後ろに顔を向けてエリンを見た。


すると、彼の背中がピクリと震え始めた。


「フフッ…」


「ハハハ─ハハ─ハハハハ─!」


エリンは非常に不快に感じたのか、眉をひそめて苛立ちながら言った。


「…何よ。気味が悪いわね。何がそんなに可笑しいのよ?」


笑い声をあげていた黒いローブの男は、ようやく落ち着きを取り戻したのか、再び冷静な声で口を開いた。


「はぁ、久しぶりに心から笑わせてもらいましたよ…思った以上に突飛で大胆ですね、ルスペル。」


続けて、ルスペル・エリンの方を向いたローブの男が嘲るように尋ねた。


「私が『ルスペル家』の令嬢を殺したところで得られるものは何ですか?」


「あ!ひとつありましたね。『ルスペル・ロベール』に一生追われる逃亡者の人生も…悪くないかもしれませんね。」


手で口を覆ったまま嘲笑する声は、相手の神経を逆なでするには十分だった。


相手の挑発に我慢できなくなったルスペル・エリンは、前後の事情などお構いなしだった。


「こいつ…調子に乗るのも大概にしろ…!」


やがて、落ち着きを取り戻したのか息を整えながら口を開いた。


「…で?」


何を言ったのかは分からなかったが…


ローブの影に隠れた彼の表情には、どこか哀愁と切なさが滲んでいた。


「ぎこちない敬語はやめておこう。夜が明ければ騎士団が助けに来るだろう。」


ルスペル・エリンはローブの男の本心が分からず混乱した。


「互いに関わってもいいことなんてないだろうから…」


「今日のことは、私たち二人だけの秘密にしておこう。」


彼は立ち上がるとローブについた埃を払い、ゆっくりと闇の中へと歩き出した。


未練でもあるかのようにその場で立ち止まり、振り返って最後の一言を残した。


「…記憶のままに適当に作ったものですが、そこそこ食べられるはずですよ。」


―言うべきことをすべて終えた黒いローブの男は、濃い霧の中へと進んでいった。


『…また会えるといいですね。ルスペル。』


彼のシルエットは闇の中に溶け込み、完全に姿を消した。


誤訳がありましたら、Elchasin@Gmail.com に情報提供をお願いします。


「七番目の世界:メノーラ」は「ムーンピア」で95回目の連載中です。

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