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Chapter 5 「第3ビジョン 象」

目が覚めるといつものように「START!」の文字が宙に浮いていた。

ベッドの上で体を起こして外の様子を窓越しに窺がうと夕景が広がっていた。


「別に朝じゃなくても、寝て起きれば文字が浮かんでるんだな」と彼女は思った。


このままベットから出ずに「START!」と唱えれば「別のビジョン」が

見られるに違いない。

父母はまだどちらも帰宅していないようだし

ちょっとビジョンに飛んでも問題はないはずだ。


でも別のビジョンがどんなものか予想できないので不安がよぎり

一瞬躊躇はしたものの、好奇心が先に立ち

「大丈夫。もし変なビジョンならすぐストップといえば戻れる」と

自分に言い聞かせて「別のビジョンが見たい」と念じながら

「スタート」とつぶやいてみた。


そこは大草原のようだった。

夕日が沈む前の赤く染まった空を時折鳥たちが通り過ぎる。


目の前には象の群れがいた。それもとても近くに。

次の瞬間、深い悲しみの感情が押し寄せて来た。

それは一つの感情だけではなく

周りの象たちの感情も入り混じっているような強い波だった。

その悲しみの波には畏敬の念も含まれていて、とても神聖なものに感じられた。


大きな象たちに視線を戻すと

彼らの前に年老いた象が横たわっていることに気がづいた。

彼女の目線では彼らの足元しか見えないため

第3ビジョンの彼女はおそらく子供の象なのだろう。


2頭の象が横たわる老いた象を立たせようとして体を鼻で持ち上げるが

思いは叶わず老いた象が自分の力で立ち上がることはなかった。


しばらくすると

複数の象たちが鼻先で撫でるようにやさしく老いた象に触れている。


「死を悼んでいるんだ」と彼女は思った。


今彼女に押し寄せている感情の波は、死に直面してはいるが

決して重苦しいものではなくとてもあたたかな心地よいものだった。


「このままこのコニュニティにいたい」とまで彼女は思った。


長い長い時間、彼女は皆と共に死者の魂に思いを寄せた。

もう、どのくらいの時間がたったのかもわからない。

辺りはすっかり暗くなっていて、星空に三日月が光って見える。


おもむろに1頭の年長者と思われる大きな象がゆっくりと動き出す。

それに続くように複数の象たちが付近の土を掘り返し

老いた象の亡骸にかぶせていく。

そしてその上から茂みの枝や草を覆うように置いている。


彼女は追悼の儀式が終わりを迎えたことを悟り

「ストップ」とすすり泣くような声を絞り出した。


「なんて濁りのない美しい光景だったことか!」

彼女ははらはらと涙を流していた。


今までの人生で2度お葬式に出たことがあるが

正直言って何も感じていなかった。


1度目は祖母の死。

外孫である彼女にとって祖母の思い出は乏しく老齢で天寿を全うしたこともあり

悲しいというよりは初めての儀式の作法で頭がいっぱいだった。


2度目は中学時代の同級生の死。

自殺だったためクラスメートのほとんどが参列した。

祖母の時ほど緊張はしなかったが

やはり何も感じることなくお焼香をしただけだった。


それに比べて、象の弔いで押し寄せて来た感情の波のなんと清らかなことか!

長い間草原の移動を続けてきたコミュニティーの、あるべき姿にも思えた。


「ああ。そんなことも知らず我が物顔の人間は、なんて身勝手なんだ」


彼女は憤慨しているのではなく、心から反省し自ら恥じていた。


「私は人間といるより象のコミュティの方が生きやすいのかもしれない」


象たちの神聖な感情の余波に浸りつつ、少しの間目を閉じていた。


やっと感情が落ち着いてきたので目を開けて置き上がろうとしたその時

目の前に「START!」が浮かんでいるのに驚いた。


どういう事なのだろう。

何故こんな短いタイミングでビジョンへの扉が開いたのか。


彼女は起き上がるのを止め、ふと芽生えた疑問と向き合うことにした。

第1ビジョンでは、どうして鏡という物質になるよう仕向けられたのか。

第3ビジョンで視覚と聴覚だけではなく感情も共有できることを確認し

鏡という物質のビジョンに何か意図があるように思えてならない。


物質に感情はない。

それなのに、視覚と聴覚だけを共有することに何の意味があるというのか。


そういえば「鏡の死」とは、どのような状態を指すのだろう。

割れてしまって使い物にならなくなってゴミ箱に捨てられた時?


そんなことを考えているうちにどうしても鏡のその後が見たくなって

第1ビジョンへの扉を開いていた。

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