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白犬と常夜鍋

 金曜日の夜、それはご飯が最も美味しい夜だ。


 1週間を終えて、明日からの休日に想いを馳せながら、ご飯とお酒を楽しむ。

 残業なんて、もっての他。定時に帰宅するのは勿論、少しだけ値の張るおかずを買うこともある。

 今日はキチンと料理を下準備済みなので、あとはくつろぐ為の準備だ。

 洗濯物は畳み、寝床を整えて、風呂には先に入る。

 勿論ここで、シャワーはいけない。体はすみずみまでしっかり洗うし、頭は頭皮マッサージしながらシャンプーリンスで髪の毛も整える。風呂に浸かってほっと一息つくのだ。


「ふぅー、さいっこー」


 ため息と独り言が出る位、癒される。慌てずに体を伸ばし、力が抜けたところで風呂から上がり、サッとシャワーを浴びる。ほかほかと湯気があがる位に温まり、楽なスウェットに着替えて髪の毛からお肌まで整えたならば、準備万端だ。


「さぁ、始めましょうか!」


 今日のメニューは一人常夜鍋だ。一人鍋用の料理本を買って以来、寒くなるとどうも小鍋で一人鍋をしたくなる。

 一人用の可愛らしい土鍋なども今は手頃に買えるし、その方が雰囲気も出る上、〆のご飯も最高だとは分かっているのだが、この家にあるのは残念ながら雪平鍋一択だ。

 野菜は既に切ってあり、冷凍庫で眠っていた豚肉の薄切りも解凍済みだ。準備さえ出来ていれば、鍋とは放り込んで煮込むだけの簡単料理だ。

 鍋つゆとなるレシピ、水に塩とごま油。そこへ小松菜と冷蔵庫に半分残っていたもやし、裂いたえのき茸を投入、豚肉に生姜の薄切りを乗せ、蓋をして火にかける。

 料理本は目安、あくまでも。ほうれん草を小松菜に変え、かさ増しに余ったもやしを入れたのも思いつきだ。


「小松菜安いのサイコー」


 現状、ほうれん草は高くて少し手が出ない。今日は小松菜だが、レタスの日もある。クセのない葉物はなんでも受け入れてくれるのだ。

 くつくつと音が鳴り始めるのを横目に見ながら、つけダレはポン酢を用意する。生姜とごま油の香りが漂い、そろそろという頃。


 ピーンポーン


 深夜とは言わないが、夜の訪問者。特に通販の予定はないから、配達業者ではないだろう。

 知り合いだったとしても、こんな時間にアポ無しで来るような無作法な友達はいない。皆様、節度と大きな優しさでできている方々だ。

 そして正直、もう外に出られる格好ではないので、このまま居留守を使わせていただく。


 ピーンポーン


 再び鳴り響くインターホン。まるで居留守だと見破るが如く、諦めを感じない。しかし、私に用事があったとしても、本日は諦めていただいて。人違い、部屋違いですよと心の中で呟いた後。もう一度自分に言い聞かせるように言葉にする。


「これから一人鍋で一杯だから、出ない」


 無視を決め込むがそうは問屋がおろさない。トントンと今度は扉を叩く音がする。ついでにきゅーんきゅーんと、甘えるような鳴き声。


「なんのセンサー、ついてんだ?」


 その鳴き声で誰が訪ねてきたのか分かってしまった。そして、絶望する。


「私が食べる分、残るか?」


 悲しい、これに尽きる。一口位は口に入るだろうか。食べながら呑むスタイルなので、せめて食べたい気持ちなのだが。

 覚悟を決めて、玄関へ向かう。鍵とドアロックを外し、そっと扉をあけたその先には真っ白な犬がおすわりしていた。舌を出し、ハッハッと呼吸をする様は、なんとも愛嬌のあるお利口な犬だ。犬種としてはハスキーが近いだろうか。

 但し、サイズは決して可愛らしいとは言えない。お座りをしていても身長の低い自分が少し見下げる程度。通常の大型犬をゆうに超えている。


『遅いぞ、扉あかないかと思った』


 いじけたようなボーイソプラノの声と共に、きゅーんと鳴き声が被る。ああ、何故、今日やってきたのだ、コイツは。


「聞いてなかったけどな、本日お越しいただくって」


『言ったら断るでしょ?』


「断るな、うん」


『だからね。お知らせしないで来ちゃった』


 語尾にハートマークをつけるんじゃない。そう声を大にして言いたいが、玄関扉はあいているのでご近所迷惑も考えて言葉を飲みこんだ。


「とりあえず、入れば」


『うん!』


 元気よく吠えたのと同時の嬉しそうなボーイソプラノ。因みにこの声やら姿は他の人間には見えていないらしい。

 本人(本犬)曰く、神様だと言うこと。確かに出会った時、自分以外には誰にも見えていなかったが。神霊、妖怪、人外。何故に自分には視えるのか。まあ、視えたところで、どうでもよいことだ。


『今日も、いい匂いー』


 歌うように言いながら、機嫌良くテチテチと室内に進んでいく白犬に、小さくため息をつきながら後を追う。勝手知ったる風情でダイニングに進む様は、最早遠慮の欠片もない。


『今日のメニューはお鍋なの? 豚肉かなぁ?』


「流石、犬?」


『犬じゃないってば』


 軽く反論しながら、コンロの上で煮えている鍋を発見して、澄んだ蒼い目を輝かせる。ついで、しょんぼりする。


『少なくない? 食べたらすぐ終わっちゃうよ?』


「私の分だけだからね」


『酷い! こんなにいい匂いさせておいて、僕にはくれない気なんだ?!』


「いや、勝手に来たんでしょうよ」


『そうだけどさ』


 だから、そこで音声を被せるようにきゅーんと鳴くんじゃない。器用だな、相変わらず。


「少なくてもいいんだったら、食べさせますが?」


『うんうん、一口! 一口頂戴?』


 くそー、あざとく小首傾げたりして。元々責任もって飼えないからいないが、動物は好きな方だ。


「じゃ、席に着くにあたってお約束は?」


『好き嫌いしないで、どんな物も一回は口に入れてみる!』


「よろしい。では配膳します」


 分厚いコルクの鍋敷きをテーブルに置き、ポン酢と少し深めの取り皿を準備する。

 ソワソワと尻尾を揺らす神様に、くすくすと笑いながら、火を消したコンロから鍋をおろす。


「今日はその姿で食べるの?」


『どうしよっかな。人形になってもいいけど、疲れるし』


「ま、どっちでも構わないけど。やけどは気をつけてね」


『はーい』


 神様は今日はお犬様のまま召し上がるようだ。神通力だかテレキネシスだか分からないが、食器を使わなくても食べられる。勿論、人間の姿になって、人間が食べるようにカラトリーを使って食べる事もあるのだが、あれは実は疲れる事だったのか。


「では、ご開帳しますよ」


 その言葉に、白犬がゴクリと喉を鳴らす。そんなに緊張せんでも。

 とりあえず、パカリと蓋を取ると、ふわりと豚肉と生姜のいい香りがする。


『わ、わぁー!』


 ピスピスと鼻を鳴らしながら目を輝かせている白犬様に、菜箸を使って中身を盛る。小松菜、モヤシ、えのき茸を入れた上に、豚肉の薄切りと生姜を乗せてポン酢をかける。


「はい、召し上がれ」


『いただきますっ』


 その勢いでいくと、間違いながら口の中はやけど案件だが、それもまた経験だろう。


「では、私も」


 冷蔵庫から冷えたビールを取り出し、プルタブを起こす。カシャッと独特の音が聞こえて、いよいよビールだと思うところだ。


『アチッ』


 言わんこっちゃない。いや、思っただけだった。

 胸の中で呟きつつ、缶を煽る。


「っはー、最高! この為に生きてる」


 この為だけに生きているわけではないが、この瞬間は最高だ。

 自分の為に鍋の中身を盛り付けて、ポン酢をかける。ふわりと登る豚肉の香りに頬が緩んだ。


『おかわり!』


 吠え声と同時にボーイソプラノ。いや、一口って言ってたはずだが。

 缶からビールをもう一口流し込んで、チロリと視線を流せば、バツが悪そうに目を伏せた後、ウルリと潤んだ目でこちらを見あげてくる。

 だから、きゅーんきゅーんと鳴くな。私が悪者なのか、そうだったか。


「はいはい、わかってましたよ」


 心からモヤシでかさ増しして正解だった。適度に盛りつけて、ポン酢を垂らす。


『わーい!』


「食べる時はふぅふぅして、冷ますと良いよ」


『ふぅふぅ?』


「つまり、息をかけて冷ますってこと。こんなふうに」


 お肉で小松菜とモヤシを巻いて、ふぅと息を吹きかけて、口に含む。豚肉の脂がじんわりと溶け出し、噛み締めると小松菜がシャキシャキと楽しい。

 ビールで口の中をさっぱりさせて、再びモヤシを口に運ぶ。スープのごま油が香ばしい香りでこちらも美味しい。


『ふぅー、ふぅー、、、あちっ』


「猫舌なのか。いや、この場合犬舌?」


『もご!』


 抗議をしてくるのは分かるが口に入っているからしっかり言葉になっていない。

 ああ、それにしても美味い。暖かい鍋と、しっかり冷えたビール。この組み合わせはなかなか良い。


『もう、犬舌ってなに?! 犬じゃないから!』


「味はどうですか?」


『美味しい! 野菜好きじゃないけど、これは良いね』


「それはよかった」


 生姜の薄切りも辛くない。風味とぽかぽかと温まる感覚が心地よい。更にビールを流し込む。

 料理が美味しいとビールが進み、口腔内が炭酸と苦味で洗われると適度な脂と豚肉の旨味が恋しくなる。ふぅとため息をつくと、白犬と目が合った。


『美味しいね、あと楽しい』


「そうですね」


 缶を揺らし、鍋をつつく。一人で楽しむ夜のつもりではあったが、こんな日があってもいいかもしれない。

 皿を空にした白犬用に、再び肉を多めに盛りながら、金曜日の晩酌はすぎてゆく。

 食べられる量は減ったが、何やら心が暖かい夜だった。

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