#004呪物と化した伝説の鑑石が呪う血は、人を襲う謎の生物を生み出していた!!
鑑石市の名の由来として世に聞く鑑石伝説においては、鑑石寺が救世主的な役割を果たしたとされているが、我々が調べ知る事となった鏡石神社の伝承では、鑑石寺の行いがまるで違う事までを読者諸君も知れたと思う。
その鏡石神社の伝承を調べていて感じた事に、神職の次男の子を身籠った妹と富子が同日に生んだ事に、住職は鏡石の呪いだとして鑑石で塞ぎ身を投じて封じたというが、昔の山村暮らしに子を授かる幸せを考えれば、神の怒りに触れた血族に神職の血が交わる事で呪縛が解けたかにも思えるのだ。
詰まる話、住職が鏡石を封じ身を投じた鑑石こそが子孫に対する呪いの呪物ではないのか、と考えるとその後の堀内家と石神家に起こる不遇にも頷けてしまうのである。
だが不可解な事に、それら全てを知る筈の鑑石寺の住職となった石神家の子孫である石神宇曽は、双穴水鏡山の崩れた尾根ではなく、元の鑑石寺より少し南に位置する山の斜面(現教団施設の敷地内)に鑑石が在るとして市議や役所に調査を求めたのは何故なのか。
また、地域を知る加々見先生の協力のお陰とはいえ、我々が調査しただけでここまで知れた鏡石神社の伝承を亡き者に、役所が知らぬ存ぜぬでカルト教団となった鑑石寺に都合のよい話を観光客にまで流布されているを未だに許す現状は、どうにも解せない。
鏡石神社の調査過程で聞いた限りでは、本当の鑑石が尾根に在る事を知る人も多く居たが、現状に対しては曰く、昭和34年の伊勢湾台風を切欠に制定された“災害対策基本法”に基づく規制により“立ち入り禁止”とされた事に。
「危険な場所へ迂闊に観光客が立ち寄られては困るとの判断があったのではないか」
との見方に役所へ一応の理解も示すが、それによりカルト教団の横暴をも許して尚、市議を始めとする国の政党がカルト教団と共に宗教法人法を盾にした地上げを行っている現状には、この先の鑑石市の行く末を憂いてもいた。
少し気になり、立ち入り禁止とする“災害対策基本法”を調べてみると、市町村長または都道府県知事によって警戒区域が指定される。とあり、双穴水鏡山の尾根は制定直後に指定されていたと知り、制定を下した当時の県知事の名を見て絶句した。
県知事は後に中央で衆議員として新党を起ち上げ与党政権に組みし、亡くして尚も権力を有する堀内啓蔵氏。
堀内の名は決して珍しくはないが、出生の地を見て確信した。
その政党名に加々見先生が思い出した話によれば、数年前その政党の町議が水鏡峠建設前に隣町の槍水町加々見方で起こした事件があり、
今は有名になった断丘崖の雪屏風の観光地化に伴い、外資の利権に橋を架けて源水脇に外資系ホテルを建てようと目論見ていた政党町議は、駐車場と土産物屋を建てるのにホテルへの導線に邪魔だとするも住民に反対されたお社を、夜の間に燃してしまおうとして穴に落ち亡くなっていたと言う。
お社に火を放とうとするは堀内家と同じくに思える話で、当時の記事を探すと地域紙に見付けたが、大手紙の与党に近しい所は特に隠したかったのだろうか実に小さく扱われ、その内容も事件と町議の死亡が別々の記事にされていた。
近くで見聞きしていた加々見先生でなければ気付く事は無かった話にも堀内家が関係する政党の影を知り、この双穴水鏡山周辺地域の政策に政党が関与するものを調べた処、石神家のカルト教団との深い関わりと係争問題も見えて来た。
その最中、偶然にも鑑石が在るとされた土地を教団に売ったという、元の地主に話を訊く事が出来た。
あの辺りの土地を有していたのは元々が鑑石寺の檀家の家系が多く、宇曽に鑑石が在るとされた辺りの斜面の土や岩の裏には、大戦下に軍が来ては秘密裏に掘って兵器開発か何かに使っていた穴もあり、近隣住民は元の坑道跡を防空壕として使うも、坑道内にガスが溜まっていたのか気狂いに殺し合って半数以上が亡くなった事から使われなくなり、それ等は岩で隠され戦後直ぐに土まで被された為、何処が何だかも判らなくなったと言う。
ここまでを読めば、先日の坑道崩落を引き起こした爆発の原因とされた古井戸への煙草の投棄による引火も溜まっていたガスが関係しているように思えるが、旧帝国軍が研究していた物が細菌兵器の類であれば一つのミスでひと溜まりもない事になる。
映画のようにガス爆発で細菌も、等という事は不可能であり、漏れた細菌が地域を襲い研究施設ごと吹き飛べば、それを知る者も居なくなる事から対処も出来ずに惨事は拡大し、それこそ帝国にとって致命傷になりかねない。
凡そにその手の事は被害が出ても最小限に抑えられる場所を選ぶだろうが、大戦末期の帝国軍の異常な行動規範からは一概にそうとは言えないだけに可能性を残す。
だが地震と鑑石市内で起きたカルト教団が研究していた生物兵器の脱走事件に繋がっていると考えると、途端に全てが上手く繋がってしまうのだ。
詰まる話、政党議員と役所が偽りの鑑石伝説により隠そうとしていたのは、戦時中に兵器の研究開発を行なっていた施設の方であり、カルト教団となった▲▲創穴鑑見構の教祖・石神宇曽が手に入れたのは鑑石ではなく旧帝国軍が隠蔽を謀った生物兵器の研究施設だった可能性が高い。
互いの隠蔽したい物が重なる事で手を組んだようにしか思えなくなるが、そうなると過去を知る堀内家は石神家にとって邪魔な存在にもなる。
それを裏付けるかのように、元の鑑石寺の宗教法人の証を創穴鑑見構の起ち上げに流用する際、政党の力添えが有ったとの話に
『堀内家のとある血筋の者を次期教祖とする旨の約束手形を交わした』
という噂を教団関係者が多く耳にしているらしく、堀内姓の者が亡くなる度にその手の噂が立っている事に、教団幹部は火消しに躍起になっており、我々もそれを元教団信者から聞くに至ったが、そこで更に驚く内部情報を知る事となったのだ。
その元信者は生物兵器開発の研究について詳しくは知らなかったようだが、別の事件が今回の件に関係しており、それを国の与党である政党議員との密事に警察上層部から隠蔽するよう指示された。との話を聞いた事があるそうで、調べてみると関係しそうな教団施設内の事件を見付けた。
5年程前に教団施設内で起きた、二酸化炭素の吹き溜まりで信者が20人程亡くなった事故があったが、火山ガスか否かに噴火の可能性から一時は大きく取り上げられた事から覚えている人も多い筈だ。
直ぐに排気ガスの吹き溜まりとされたが、自動車のスポンサー関係からの圧力か大手メディアは否定し温泉の硫化水素ガスを疑わせるも、二酸化炭素と発表した消防庁や環境・国交の大臣それぞれが噴火の可能性を否定に、全てが食い違うまま直後に起きた彼の国からの飛翔体に遺憾砲を発して報道が鎮火した為、その後を知る者は多くない。
だが今回その数少ない一人から話を聞けた事に、事件当時に教団施設の壁前で待機していたメディアだが飛翔体の報道と共に大手メディアは消え去り、公安が動いていたのか顔が割れた報道関係者は皆宿から出て行くよう求められ、翌日から教団施設を囲む道を架空線の電気と下水道の工事が入り通行止め規制が敷かれた。
そこで患者が運ばれた先を調べるも一切が出ず、亡くなった信者の身元関係を当たったが、教団内で葬儀が行われ22人の誰一人として遺体の確認を出来得なかったと言う。
報道されなくなった理由にも何か陰謀めいたものを感じるが、先の件に照らせばそれが何を意するかは読者も自ずと理解は出来るだろう筈。
これこそが鑑石の謎であり、これ以上の調査は危険にも思える事からそれこそ呪われかねないので、ここまでとする。
ライター:Kタナカ
地域文化資料記事作成協力:加々見 温子
著書:地域言語で探る地政史シリーズ『銀鉱に揺れた鑑石村』
■編集後記
一応までに、地政やラストの参考書等はネタなので探しても出ません。
記事中の【双穴水鏡山・双見湖エリア】(鑑石・槍水を含む)については、評価の★☆★☆★より下部のランキング欄にバナーを貼っておりますので、そちらを確認等にご活用いただければ幸いです。