3 ブランデン王国とモーム王国からの使者
ある日、聖女見習いの一人がこっそり教えてくれた。ちなみに彼女は乃愛が目覚めたときに傍にいた、ハシバミ色の瞳に巻き髪ブルネットの美少女で、名をアンナという。
「聖女様。皆には内緒ですけど、今、ブランデン王国とモーム王国の使者が神官の館に来ておりますのよ」
「そうなの? 確か、両国は共にもうすぐ皇太子が立たれると聞いたわ」
オルビオン聖領国は世界のほぼ中心にあり、周囲には王国が点在している。
オルビオンのすぐ隣国、北のブランデン王国と南のモーム王国は、とても平和な戦争のない国で、よって豊かで栄えていた。オルビオンは世界の二大大国に守られる形で平和を享受しているのだ。
「立太子の時に、オルビオンから儀式の神官を派遣する件かしら……?」
ノアは首を傾げる。大神官会議に特別出席を許されているノアは、聖領の政のことは完璧に把握していた。たしか、ブランデン王国とモーム王国には、立太子で儀式を行う神官がすでに派遣されているはずだった。
アンナはうれしそうに微笑む。
「いいえ、私はきっと、竪琴の演奏の件だと思いますのよ。ノア様の竪琴はブランデン王国やモーム王国でも評判になっていると聞きます。きっと、立太子のお祝いに演奏を、というお話ではないでしょうか」
「それは光栄なことだけど……なんだかおそれおおいわ」
隣国の、しかも大国のお祝いの席で演奏となると、世界中にノアの名前が知れ渡るかもしれないほどのビックイベントだ。ノアの中では、天皇陛下の前で演奏したことが評判になって欧米ツアー組む、みたいな感覚だった。
前世での庶民感覚が抜けないノアにとっては、話が大きすぎてちょっと不安だ。
しかしアンナはノアの不安を笑い飛ばした。
「何もおそれることはありませんわ。今やノア様の竪琴は神の音色とも讃えられ、ブランデン王国やモーム王国からもお忍びで演奏に訪れる貴族もいるとか。両国の王や皇太子の前で演奏するのに何の不足もございません。むしろ当然の流れと言えますわ」
「そうかなあ」
「先ほど、テオ大神官が大事そうに何かを抱えていらっしゃったのです。あたくし、あれはぜったい、我が国の秘宝、魔法の竪琴だと思いますのよ」
「えっ」
ノアは目を丸くした。
魔法の竪琴とは、オルビオンに古くから伝わる竪琴だという。
噂によれば、世界中で最も古い竪琴と言われているらしい。
それはそれは、良い音で鳴るのだという。
オルビオンで竪琴を弾く者なら誰もが、いつか見て触れて弾いてみたいと思っている幻の竪琴。ノアもいつかはお目にかかりたいと思っていた。
「ほら、ノア様、近く建国記念祭典がありますでしょう?」
「あ、ああ、そうだったわね」
先日、大神殿でのお勤めの際に聞いた気がする。
神がこのオルビオンの地を聖域と定め、聖領と成したことを祝う祭典で、その時に使う竪琴が世界で最も古いとされる竪琴――つまり魔法の竪琴なのだと。
「魔法の竪琴はいつも祭典で使われるのですが、今年はぜったいノア様が奏者ですもの。その前に、ブランデンとモーム、両大国のお城で立太子のお祝いの演奏をするんじゃないでしょうか?」
「そ、そうかしら?」
アンナは逞しい想像力で話をどんどん飛躍させていく。
「自慢の秘宝ですもの、お使者様方にお見せになったのではないでしょうか。ああ、ノア様が魔法の竪琴を演奏されたら、どんなに素晴らしい演奏になることでしょう!」
アンナは感極まって盛り上がっている。
ノアは適当に相槌を打ちつつ、思考を巡らせていた。
(本当にそうなのかしら……?)
オルビオン聖領からすでに立太子儀式の神官を派遣したことからもわかるように、両国共に皇太子は決まっており、儀式は秒読み段階に入っているはず。そんな忙しいタイミングで、竪琴の演奏の件でわざわざ、しかも両国そろって使者を遣わすだろうか。
もしくは、派遣された神官が気に入らなかったのだろうか。
それはない、とノアは思う。
派遣されたのはオルビオン聖領において「五賢者」と言われる大神官。
しかもその中の二人、ブランデンへ派遣された五賢者筆頭グレゴリオ大神官はオルビオン教皇、つまりオルビオンの最高指導者長であり、もう一人モームへ派遣されたアレクサンドル大神官は教皇補佐、つまりオルビオン最高指導者のナンバー2。
どちらの国へも、これ以上出せないというくらい最高の人材を投入している。
その最高の中の最高の人材+五賢者の一人、という二人ペアが両国に遣わされており、残った五賢者のテオ大神官が留守を護っている、という状況だ。
ブランデン王国とモーム王国とオルビオン建国記念祭典が微妙にブッキングしそうな状況で、教皇をはじめとする五賢者大神官を優先的に派遣しているのだから、オルビオンが両国へ表する敬意は充分に伝わっているだろうし、文句のつけられようもないというものだ。
(じゃあ、なんのためにこんな時期に使者が)
アンナの言うように、竪琴の演奏の件なのだろうか。
まったく別件の、些末な用事なのだろうか。
もしかしたら、とくに何の意味もないのかもしれない。大神官を派遣したことへの、御礼の使者かもしれない。
けれど、どこかに棘が引っかかっているような気がする。
そして、そのノアの違和感は、的中するのだった。