1 大舟乃愛、聖女に転生する
「おおっ、聖女がお目覚めになったぞ!」
大舟乃愛は人々のざわめきの中で目を覚ました。
何やら大勢の外人が乃愛を覗きこんでいる。何やら良い香りがする。何やら天井の高い白い建物の中にいる。
「奇跡だ! やはりこの御方は神の恩寵を受けておられる!」
「これはオルビオン聖領の歴史上、初めての奇跡!」
(なんでこんなに騒がしいんだろう……)
起き抜けのぼんやりした頭で記憶をたどる。
――金曜日の夜、あたしは会社帰りにいつものハープ教室に寄った。そしてハープ教室の帰り道に――
「いやあああ!!」
乃愛はがばりと起き上がった。周囲に集まっていた人々は驚いて後じさった。
しかし乃愛はそれどころではない。
大変なことを思い出してしまった。
(あたし、車にはねられた……)
駅前の横断歩道。右折してきた車が塾帰りの子どもにぶつかりそうだと思った瞬間、乃愛は反射的に飛び出していた。子どもを突き飛ばし、目前に迫るライトに目をつぶり、そのまぶしさに「ああ、あたし死ぬかも」と思ったことを思い出した。
改めて周囲を見る。
乃愛を驚きと尊崇の眼差しで見つめる外人たち。なんだか古代ローマ風の衣裳、そしてなぜかたくさんの花に埋まっている自分。
(やっぱりあたし、車にはねられて死んだんだ。だから――)
「――ここは天国……?」
「いいえ、聖女様。ここはオルビオン聖領ですよ」
近くにいた少女が、恭しく頭を下げた。
(聖女様? あたしのこと??)
乃愛をきょろきょろ周りを見るが、半径二メートル以内のエリアには乃愛とその少女とぎっちり敷きつめられた花しかない。聖女様、とは乃愛のことだろう。
慈母の微笑みを浮かべた、豊かなブルネット髪を束ねた少女が乃愛の手を優しく握った。この子の方がよほど聖女っぽい、と乃愛は思う。
「貴女様は、馬車に轢かれそうになった子どもをかばってお亡くなりになりました。けれども、こうして復活を果たされました。これは、貴女様が正真正銘、神に遣わされた聖女であることの証」
ははーっ、と、人々は乃愛に向かって次々とひれ伏した。
(お、落ち着けあたし)
乃愛は顔を引きつらせながら考える。
(ここは、異世界ってやつよ。たぶん。あたし、異世界転生したんだわ、きっと)
そう考えると、少し気持ちが楽になる。
(あれ? でも待って? この聖女様とかいう人は、一度死んだみたいよね)
乃愛にとっては転生だが、この聖女様にとっては生き返り、再誕ということになる。
(再誕した異世界の聖女様か。人生やり直すには、素敵な立ち位置かも)
いきなり流行りの異世界転生を果たしてしまって心細くもあるが、こんなに崇められているのだ。悪いようにはされまい。
「聖女様、さ、お立ちになれますか?」
手を差し伸べてくれた少女に、乃愛はぎこちなく微笑んだ。
「あ、あのう、聖女様って呼ばれるの、恥ずかしくって……乃愛って呼んでいただければ」
すると、どよめきの声が上がった。
「聖女様が新しいお名前を!」
「自ら名乗られるとは、さすがは神の奇跡によって生き返られた御方!」
「ノア様!」
(うわあ、すごく喜ばれてる! ていうか、なんで? なんで??)
ノア様、と人々が歓喜に叫ぶ中、白いひらひらのローマ時代のような衣裳を着た碧眼ブロンドの女性たちが大勢現れ、別室へ伴い、やれ着替えだやれお茶だとあれこれ世話をやいてくれた。
(すごい……あたし、すごくチヤホヤされてる)
現世でこんなにチヤホヤされたことはない。
家では三人兄妹の真ん中、容姿も頭の出来も普通、これといって派手なイベントもなく二十三歳の人生に幕を閉じた乃愛は、いきなり人生の絶頂期のような気分になった。
(わーい、異世界最高!)
こうして、大舟乃愛23歳元OLは、聖女ノアとしてオルビオン聖領に再誕した。