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【第一部完】魔法もどき(マジックイミテーション)—鑑定士カラット・アルデバランの秘密—  作者: 曙ノそら
第一部 鑑定士カラット・アルデバランの秘密
18/24

第18話 ミスターカラット



 ライラは取調室にテリー・メルローと共に残されてから椅子から立ち上がることは一度もなかった。それどころかほとんど身じろぐこともなく、手をぎゅっと握りしめて唇を内側にくって巻いて目の前の机の一点を見つめていた。

 サンドローに何かあったらテリーに言ってくれと言われたがこれとって要望のようなものはなかった。今日の朝以来お手洗いに行っていないが、別に行きたいとも思わなかった。強いて言うなら緊張のせいなのか口の中が乾き切っているがじゃあ今自分が喉が渇いているかどうかと聞かれても分からない。

 この部屋には時計などないのでどれくらい時間が経過したのか分からないし、カバンは入り口近くの棚に置かれていて手が届かない。そもそも時間を確認できる唯一の手段であるスマートフォンは今解析のために預けていた。

 ライラはこの明るく静かな空間で一人俯いていると考えたくもない考えがだんだん頭の中を巡っていくのが分かった。自分はこれからどうなるのか、借金はどうなるのか、そもそもここから出してもらえるのか、自分は、殺人犯にされてしまうのか。

 それらはテリーに聞くこともできたが、回答を得られるか分からなかったし、そもそも今のライラは彼に分からないことを聞くということすら思いつけないでいた。

 ああ、そうだ、一緒に来てくれたカラットやユーリエは今どうしているのだろうか。



 コンコンコン。


「リゲルさん、お待たせしました」


 どれほど時間が経過したのか分からない。十分ほどだったのかもしれないし、三十分だったかもしれないし、一時間や二時間は経過していたかもしれないかった。ライラは俯かせていた顔をノロノロと上げてサンドローの方を見た。

 サンドローはこちらを見てくるライラの顔を見て少し驚いた。取り調べで落ち込んでしまう人も不安に駆られて取り乱してしまう人もいたが、ここまで沈み切ってしまった人を見たのは久しぶりだった。


「リゲルさん、体調は大丈夫ですか?」


 ライラは確かに殺人事件の容疑者だが、だからと言って蔑ろにされていいわけではない。そもそも彼女は犯人である可能性が現段階で高いものの、犯人であると決まったわけではないのだ。


「あ、ケホッゴホッ……体調? はい、大丈夫です」


 ライラは口の中が乾き切ったせいで喉と口の間のあたりがへばりついてうまく声が出ずに咳き込んだ。それでもライラは青白い顔をして体調は問題ないと答えた。

 ライラは一昨日そのまま卒倒してもおかしくない額の借金があると言われ、それがずっと頭を離れずに考え続けたせいで睡眠も食事もまともに摂れていない。

 一昨日の夜に比べれば昨日の夜はまだ眠れたが、それも体が耐えきれず気絶するように眠ったもので夜中に何度も起きてしまった。これまで健康的な生活を送ってきた人が異常なストレスと睡眠不足、食欲不振に晒されれば急激な体調悪化を招いてしまうことは想像に難くなかった。その上殺人事件の容疑者になってしまって、ライラの中のこころのうつわはヒビが入ってドロドロしたものが溢れていて洪水を起こしてしまうのは時間の問題だった。

 サンドローは大丈夫だと言ったライラに、ダメかもしれないと察した。それでずっと部屋で待機していたテリーに砂糖の入った温かい飲み物、あれば紅茶を買ってくるように言った。

 サンドローは目ざといのでアルデバラン鑑定所に行った時に、カフェテーブルに一人分のティーセットが置かれていたのをしっかり認めていた。カラットが使用したものであればユーリエと飲むはずだから一人分であるわけがないし、そもそも客が来たら片付けるだろう。だからあれがライラのために出されたものであることサンドローは察していた。そしてお皿もティーカップの中身も空だったことから甘いものも紅茶もある程度好むのであろうことも。


「あ、あの、カラットさんたちは……」


 ライラは自分のこの後について聞くという発想はなかったが、一緒に来てくれたカラットとユーリエがそばにいないことを気にしていた。

 いや、それでも聞いたのは結局ライラ自身のためだった。ライラは彼らに会いたかった。今日知り合ったばかりで友人でもなんでもない人たちだったが、それでも今のライラの心の支えになり得る人は彼らしかいなかった。


「ああ、彼らは一度店へ戻られました」


 ライラは目を見張って肩を落とした。

 そうか、もういないのか。もう、そばにはいないのか。

 それでも、とライラは思った。

 それで、よかったのかもしれない。そもそも彼らはライラが短剣の鑑定を依頼した鑑定士とその助手でしかない。ここまで来てくれたこともおかしかったのだ。


「そう、ですか」


 もうとっくに迷惑をかけてしまったが、せめてこれ以上彼らの時間を奪うことにならなくてよかった。ライラはそう思うことでなんとか粉々に砕け散りそうな心を守ることしかできなかった。



 ライラはテリーが買ってきてくれたホットのストレートティーのペットボトルを握りしめて氷のように冷たくなった指先を温めるようにした。最初体の内側から温めようと飲もうとしたのだが、手が震えてこわばってとてもじゃないがペットボトルキャップを回すことすらできなさそうだった。

 しかしそれをサンドローやテリーに言って開けてもらうのも憚られて、そのまま指先に力が入るようになるまでペットボトルを握りしめることにした。

 サンドローはそんなライラの様子が気になったが、いつまでもこうしているわけにはいかないので、ライラに話を聞こうかと口を開きかけたその時、サンドローのジャケットのポケットから静寂をつん裂く音が鳴り響いた。


 プルルルルルルルル!


 サンドローは自分の言葉を遮り突然鳴り響いた音に驚くこともなく、さっとジャケットからスマートフォンを取り出して、画面に出た名前にニヤリと笑みを隠すことなく上機嫌に応対した。


「はい、サンドローで――」

『サンドロー警部! 犯人が分かりました、もちろんライラさんじゃない!』


 サンドローは通話をスピーカーにはしていなかったが、電話越しのその声は静かな取調室に響き渡った。ライラはゆっくり目を見張る。手指の先の毛細血管に血液が行き渡り、冷え切った体で温かいお風呂に浸かった時のようなビリビリと痺れる感覚がほとばしる。

 まさかだった。その言葉が不確定で、カラットの職業はあくまで魔法具の鑑定もできる鑑定士であることを分かっているのだが、それでもサンドローの耳に当てられたスマートフォンから確かに響き渡った声に期待せずにはいられなかった。

 ライラは先ほどからうまく力が入らなくなった体に鞭を打ってなんとか目頭にだけ力を入れた。そうしなくては今はまだ溢れさせるべきではないものが頬を伝ってしまう。


「……ミスターカラット。もう少し声を抑えてください。今どこにいらっしゃるんですか?」


 サンドローはスマートフォンを少し耳から離して、眉根を少し寄せてそう言い放った。そんな表情をしてもサンドローは慌てた様子もなしに静かに落ち着いた声で応対する。しかしその声は呆れが混じっているようにも期待が混じっているようにも聞こえた。

 最初の言葉以降、カラットの声はライラに聞こえてこないが、何かをサンドローに訴えているらしいのは分かる。


「……ええ、ええ。……はい、分かりました。お待ちしております」


 意外と短い時間で通話を切ってしまったサンドローはため息を一つついてスマートフォンを持った手とは反対側で口元を覆った。ライラにはそれが何かを抑え込んでいるように見えた。

 もちろんサンドローは口元を覆った手の下で笑みが止まらなかった。やはりだ、やはり彼は……。

 ただ部下とライラの手前ここで高笑いをするわけにはいかなかったので、弧を描く口元を隠したまま二回深呼吸をしてスッと真顔に戻すとライラの方を見た。


「これからミスターカラットが戻られるようです。聞こえてしまったと思いますから言いますが、犯人が分かったそうですよ」




 カラットは入る時にも使った一般の人は使わない出入口からアカモノ警察署の中に入った。

 カラットを出迎えたのはサンドローではなく、彼の部下のテリー・メルローだった。カラットが彼を最後に見たのはライラと取調室にいるのを隣の部屋からマジックミラー越しだったので、ライラは今どうしているだろうかと考えてしまった。


「アルデバランさん、サンドロー警部がお待ちです。こちらへ」

「ああ」


 カラットは彼の案内で最初に訪れたのと同じ道を通る。


「こちらです」


 テリーに案内されたのはあの取調室だった。カラットはその扉をにらめつけて三回素早くノックした。


 コンコンコン!


「はい、どうぞ」


 カラットは入室を許可する声を聞いた瞬間にドアノブをひねりドアを開ける。中にはにっこりと笑うサンドローとほんの二時間弱会わなかった間に随分やつれてしおれてしまったライラがいた。カラットはライラを見て目を細めると、カツンカツンとわざとらしく革靴の音を鳴らして取調室の中へ足を踏み入れた。


「――やあ、ミスターカラット。先ほどぶりですね。それで、犯人が分かったということは三人の容疑者の中にいた、ということでしょうか?」

「いいえ、私は最初からライラさんが犯人だとは思っていませんでしたよ」

「……まあいいでしょう。さあ、お聞かせ願えますね、ミスターカラット。今回は容疑者の知人ですが、あなたは今までミスターカラットとして事件解決にご協力いただいてきましたことですし、きちんと全てお聞きしますよ」


 サンドローはまるでサーカスの舞台の上で一人口上を述べるクラウンのようだった。

 カラットは最初は魔法具鑑定の依頼の都合で、その後はサンドローに目をつけられたため捜査協力を何度もしてきた。その中で最初はカラットのことを「アルデバランさん」と呼んでいたやがてサンドローが「ミスターカラット」と呼ぶようになった。

 カラットは急に呼び方を変えたサンドローを変に思ったが、それを聞いて藪蛇になっては面倒だったので放置していた。しかしすぐにその呼び方の意味を察することになった。

 サンドローは最初、魔法具鑑定の依頼と称して事件を持ってきた時カラットのことを「アルデバランさん」と呼ぶ。しかし鑑定結果が出た途端に「ミスターカラット」と呼び始めるのだ。つまり、サンドローは鑑定士としてではなく、事件解決に向けて動いてくれる協力者として「ミスターカラット」という呼称を使っているのだ。

 カラットはそれが分かったとき、非常に不快だった。なぜなら自分は誇りを持って魔法具鑑定を含めた鑑定の仕事をしている。それなのに、サンドローときたら「アルデバランさん」と呼ぶ回数よりもずっと「ミスターカラット」と呼ぶ回数の方がずっと多いのだ。

 要するに彼が用があるのは協力者としてのカラットということになる。それが不快だった。しかし、事件の内容を無理くり聞かされて、困っている人がいるのだと言われてしまえば、事件について考えるな忘れろと頭の中の自分が言ってきてもそれがどうしてもできなかった。

 しかしカラットは今日初めて「ミスターカラット」に感謝した。これがなければこの、ユーリエという恋し愛する少女の友人となり得るかもしれないライラという少女に手を差し伸べてやることなどできなかっただろうから。


「さあさ。それではご説明いただきましょうか、ミスターカラット。事件の概要と防犯カメラの映像、ゲーム実況の生配信のアーカイブのみでいかにして犯人に辿り着いたのか」


 サンドローはやっと自分から舞台に上がってきてくれるカラットのためにそう口上を述べた。


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