第12話 短剣の預けどころ
「……サンドロー警部」
「はい、なんでしょう?」
ライラとサンドローの話の行く末を黙って見ていたカラットが声をかけた。その声は、つい先ほど知り合ったライラですら分かるトゲのある鋭いものだったのに、返事をしたサンドローの声と表情には今までにない色が乗せられていたようにライラには見えた。ライラの経験値から予測するにその色は、愉悦とか期待とかそういったものに分類されるものだった。
カラットは初めライラが殺人事件の容疑者であるという話を聞かされてそんなまさかとは思っていたが、彼女の訴えを聞いているうちに、口を出さずにはいられなかった。
「先ほど、私の意見も聞きましょう、とおっしゃいましたね」
「ええ、そうでしたね」
サンドローはそういえばそうだったという表情をしながら内心ほくそ笑んでいた。カラットはそれが分かって眉をピクリと動かした。
これは当然のことだが、未解決の殺人事件の容疑者と共にいたからといってただの鑑定士のいる前で事件の概要を簡単に話していいわけがない。もちろんサンドローだってそんなことは承知しているし、普段だったらこんなことは絶対にしない。そう、ライラがいた場所がこの「アルデバラン鑑定所」でなかったのなら。
カラットとサンドローは既知の仲である。その出会いは大学時代だった、とかバーで出会った、とかであればまだ素敵だっただろうし、また違った関係性になっていたかもしれない。しかし残念ながらこの二人の出会いはある強盗殺人事件を追う一警察官とその捜査協力者という少々血生臭いものだった。
カラットはそのマジックイミテーションの力の特殊性から国をはじめ公的機関から秘密裏の依頼を受けることもままあった。そしてあるとき警察から依頼されたのが強盗殺人事件の証拠品の鑑定で、その事件の担当の警察官の一人が当時まだ警部補だったサンドロー・アルクトゥールスその人である。
この事件は被害者がカラットに依頼した過去を持つ品が盗まれ、殺されてしまったことに始まる。そして犯人逮捕のきっかけと、絶対的証拠の一つがカラットの鑑定によって得られた結果、犯人逮捕に繋がったというわけだ。
その当時、サンドローは今よりも野心的だった。いや、今も変わらず、むしろ変に煮詰めたような野心を抱えているが、当時はもっと純粋培養で青臭い野心を持っていた。そんな時にカラットと出会ったものだから、彼はこう思ってしまったのだ。こいつは使える、と。
そんなわけで何か魔法具に関係があるのではないかという事件が発生するたびに早期解決という言葉をたてに意見を聞きに来る日々が続き、それにうんざりしながらも一市民として、まあまあの良心を持ち合わせる人間としてこの街で起こる事件の解決に協力しないわけにはいかないカラットと、散々カラットの良心につけ込み続けるサンドローの構図が完成するのに時間はかからなかった。
サンドロー個人の能力は決して低くない。むしろ高い方である。しかしながら、効率的な選択肢を選び取る人間かつ、適材適所という言葉が座右の銘とまではいかないものの、胸に刻まれているせいで、これならカラットに聞いたほうが早いかもしれないという、あやふやなものもアルデバラン鑑定所の門を叩いてきた。
しかも実際には魔法具となんの関係がなくとも、無理やり事件の話を聞かされたカラットが度々数日後に電話をかけてきて、「もしかしてこういうことなのではないか」と解決につながるヒントを提供してきたものだから余計サンドローの「適材適所」に拍車をかける形となった。
しかしなんとなく最近は減ってきたなと思っていたらこれだ。ただ減ってきた理由は魔法具関連の事件が最近は起こっていないという喜ばしいものと、彼が上司に協力者ではあるものの一市民であるカラットのところに行き過ぎだと怒られたという残念な理由によるものであるが、それをカラットは知る由もない。
カラットが、人が傷ついているだとか、困っているのだという言葉に弱いのを知っていて、たとえ容疑者といえどカラットが絡んでいるのであれば、自分から協力を申し出たりしないかなと思ってサンドローはわざわざこんなことをした。
つまり、ライラか実際に犯人であるかは置いておいて、目の前で困り果てている少女を見捨ててはおけないだろうという考えがあったわけだ。
「その事件、私という一市民に協力できることはありますか?」
そしてサンドローの思惑通りカラットはそれに乗ってきた。カラットもサンドローが自分をこの事件に関わらせたいのだろうということは分かっていたし、サンドローもバレているだろうと思っていたがそんなことは関係ない。あくまで今回はサンドローから依頼したのではなく、カラットの方から申し出てきたのだ。サンドローにしてみればカラットの申し出で捜査協力が成立したという事実があればいい。
「それでは、ミスターカラット、捜査に協力していただけるということですね?」
「……ええ、彼女は私の大切な依頼人ですから」
ライラは初めて警察の車に乗った。いや、普通はほとんどの人が乗ったことがないはずだ。ライラにとって幸いだったのはそれがパトカーではなく普通のセダンであったことだろうか。サンドローが運転する車の後部座席で彼の部下一人とユーリエに挟まれてライラは肩を内側に丸めて猫背で運転席と助手席の間を睨みつけていた。本人に睨みつけているつもりは一切なかったが、自然とそうなってしまっていた。
カラットは助手席に乗っていて腕を組んだまま窓の外を見ているようだった。ライラはもちろん自分が無実であることを知っているので自分が巻き込まれてしまった側であることは承知していたが、それでもこんな面倒ごとに二人を巻き込んでしまったことを申し訳なく思って余計背中を丸めた。
ライラはチラリと左隣に座ったユーリエの方を見た。カラットがサンドローに協力できることはあるかと不服そうな顔で申し出てついてきているのも不思議なのだが、カラットが共に警察署に行くことになったとしてユーリエはアルデバラン鑑定所で留守番をしてきっと一緒に来ることはないだろうと思ったのだ。しかし彼女は自らの意思でこの車に乗った。
「……カラットさん」
鑑定所の奥の部屋に引っ込んでいたはずのユーリエはいつの間にかサンドローからの死角になるようにカラットの後ろに立っていた。ユーリエはカラットのジャケットの裾をついと軽く引っ張って主張した。
「ん? なんだいユーリエ」
「私も、行きます」
カラットはユーリエの言葉に目を見張ったが、すぐにサンドローの方を睨むような鋭い視線を向けて言った。
「私の助手も連れて行きます。構いませんね?」
サンドローはいつの間にかさっきまでのせていた愉悦の色を引っ込めて読めない表情で数度瞬きをしたが、やがて呆れたようにため息をついて「まあそれくらいなら許可しましょう」と言った。
カラットはその言い方に少々、否だいぶ腹が立ったが、ライラという哀れな少女と大事な助手の手前なんとか我慢して「ありがとうございます」と一音一音をはっきりと発音しながら返した。
その後カラットは支度をするから先に店を出て待っているようにサンドローに言い放った。サンドローはそれに目を細めたが何も言わずにドアを開けて外に出た。この店には裏口というものが存在せず、出入り口となる扉がひとつしかないことをサンドロー知っていたので、例えライラが逃走を図ろうとしても意味がないことを知っていたのだ。
サンドローが外に出て扉がきちんと閉じられたことを確認したカラットは店の奥に引っ込んで準備を整えるわけでもなく、まず机に向かって置いたままにしていたの短剣を紫の布で包みなおした。
「この短剣はどうする?」
「あ……」
ライラはこれから警察署に行く。もちろん家に一度寄ってなどできるはずもない。家に置いてくる暇など当然ない。しかし持っていくにしたって自分は容疑者のはずだからカバンの中の確認だとかスマートフォンの確認はされる可能性が高い。少なくとも所持品検査はされるのではないだろうか。そうなるとこの短剣がどうなるか分からない。おそらく預かられることになるとは思うが……。
「一応、私の方で預かるという手段はある。ただその場合私が勝手に自分のものしてしまうことが決して難しくない」
ライラは悩んだ。しかしカラットに預けなかったとして、自分で持っていることになれば結局警察に預けないくてはいけないことになるだろう。それならば。
「カラットさんが、預かっていてください」
「……いいのかい?」
「はい。カラットさんがどうして一緒に警察署に行ってくださるのかも分かりませんが、短剣が盗られる可能性についてわざわざ教えてくれるような人がそんなことするとも思えません」
カラットは甘いなと思った。例えばカラットの言動全てがライラを信用させるための嘘だったらどうするつもりだったのだろうか。それこそ短剣がカラットのものにされる可能性を提示することで預けることを譲渡だと判断したなんて支離滅裂なことを後で自分が言い始めでもしたら……。カラットは当然そんなことをするつもりはなかったが、ライラのことがまた少し心配になった。
「それでは時間があまりないので急ごしらえだが、預けたことを紙に記録しよう」
カラットは持っている短剣を一度ライラの両手のひらの上に移すと急いで店の奥に引っ込んで、二枚の紙を持ってきた。
彼は両方の紙に「ライラ・リゲルはカラット・アルデバランに鑑定依頼の品を預ける旨をここに記す。カラット・アルデバランはライラ・リゲルが希望した時点で直ちに依頼品を返却し、鑑定結果を伝えること。また返却時に一切の金銭の要求をしないこと」と走った文字で書き記した。短剣と記さなかったのは後で警察に見られた時に面倒そうだなと思ったからだった。もし聞かれたらその時に答えてもらうことにしよう。
カラットは両方の紙に素早くサインをして、同じくサインをするようにライラに求めた。ライラが言われるがまま二枚の紙にサインし終えると、カラットは書き忘れていた日付を慌てて右上に入れて二枚の紙の上辺同士を合わせるとその真ん中に判を押した。
カラットは片方の紙をライラの手のひらに乗る短剣と入れ替えてライラの手を引いて店の奥に進んだ。ライラは少し入って良いものか躊躇して一度足が止まりかけたが、時間がないことを思い出し案内されるまま店の奥へと歩みを進めた。
店の奥もまた雰囲気たっぷりといった感じだった。さっきまでの場所はそれこそ宝石の洞窟を利用して作られた魔法使いによる魔法使いのための店と言った感じだが、奥は魔女の家のキッチンダイニングといった感じだった。天井からはランプではなく、ドライフラワーのようなものがたくさん吊り下げられていて、ぱっと見調理家電のような色々な機械が置いてある。しかし実際のキッチンスペースは端っこのこじんまりとした部分だけのようで、調理台のように見えたのはただの作業台のようだった。小さいフライヤーに見えたのはテレビで見た金かどうかを判別するためのものだろうか。
階段もあるのでこの店には二階のスペースもあるらしい。
ユーリエはいつの間に移動したのか店の奥で片付けをしているようだった。カラットはユーリエをチラリと見て、ライラを高さが天井ほど近くまである両手を広げても幅が足りなくらい大きな本棚の前に連れてくると立ち止まった。
「私がいいと言うまで目をつむっていてくれるかい?」
「わ、わかりました」
ライラは手にある紙を小脇に抱え、目をぎゅっとつむって手のひらで目の当たりを覆った。すると目の前にある本棚のあたりからカタカタカタという音が聞こえてきた。
「もういいよ」
カラットの声にライラがぎゅっとつむっていた瞼を何度かパチパチしてから見えた視界には先ほどまで本棚があった場所がずれて金属の扉が出現していた。
「この金庫に君の短剣をしまっておく。いつでも君のタイミングで取りにおいで」
ライラは呆然と金属の扉が開かれ、その中に大切そうに短剣がしまわれる様を見ているしかできなかった。
「ユーリ、もう出られるかい?」
「はい」
カラットは金庫の扉を閉めるとジャケットの襟を整えてユーリエに声をかけた。カラットはカバンなどを持つことはなく、作業台の上に乗った何かを掴みジャケットの内ポケットに収めていた。ユーリエも手ぶらでカーディガンを羽織ったのみだった。ライラは急いで紙の上辺に半分になったハンコが押されている紙を、先ほどもらった念書と一緒に丁寧に折りたたんでカバンの中にしまった。
ライラが促されるまま店の出口に向かうと、後ろから先ほどと似たカタカタカタという音が聞こえた。カラットは手前のスペースに戻るとまず吊り下げられたランプを全て消灯し、店の扉にかけられたクローズドをひっくり返してこちらからオープンが見えるようにすると店のドアを開けてライラとユーリエに外に出るよう促した。ライラはこちらをじっと見てくるサンドローとその部下の視線に萎縮しながらら外に足を踏み出した。最後に店を出たカラットはスラックスのポケットから取り出した鍵でドアを施錠した。
「それではまいりましょう」
サンドローの言葉でライラたちは彼の車が停めてあると言う方へ歩き出した。