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7.急襲!火の公子2

「存じません」


 ディーナは疑わしげな視線を注ぐ父の目を見返すことなく、苦しい言い逃れを試みた。

 夜会に招かれドレスに身を包んだ令嬢が、武装した複数の賊を退けるなどありえないことだ。

 普通ならば。


 しかしそれが女性騎士や魔術師などではなく、デビュタントを迎えた清楚な白いドレスの少女であったとするなら……その正体がディーナ・シュネーヴァイスであったとしてもなんら不思議はない。


 ノルベルトはもはや白状しろと言わんばかりの形相だが、ディーナはどうにか言い逃れできないかと、表情には出さずに頭の中であれこれと拙い計算を始めた。


 しかし冷や汗を流し無駄な抵抗を試みるディーナに、オスカーが容赦なく追い打ちをかける。


「これに見覚えは?」


 探るようにディーナの目を覗き込みながらオスカーがテーブルの上へ差し出したのは、美しく艶のある白いリボンだった。

 これといった特徴はないが、年若い貴族令嬢の髪を飾るのにふさわしい、清楚で可憐なデザインだ。

 この可憐なリボンが賊の手を縛り上げるのに使われたなど、いったい誰が思うだろう。


 しかしリボンが誰のものであるのか、ノルベルトには一目瞭然だった。

 獅子と称される男の太い眉がキリキリと吊り上がっている。


 これ以上の言い逃れは無意味だ。ディーナは観念してため息をつき、降伏を宣言した。


「お届けいただきありがとうございます。………無事に回復されたようで安堵いたしました」

「………貴女は、私の命の恩人です。ぜひお礼を言わせていただきたいと思い、伺いました」

「大袈裟におっしゃらないでください。向こう見ずな真似をして怪我もせずに済んだのは、ただ運がよかったのです。わたしもあのとき、ヴァールハイト様の炎で助けていただかなければどうなっていたか」


 深く頭を下げようとするオスカーを、ディーナがあわてて押しとどめる。

 事実、オスカーの援護がなければ態勢の立て直しに少し苦戦したはずだ。

 一瞬の隙が命取りになることもある。それを理解できないほど、ディーナは自分の力を過信してはいなかった。


「恩など感じていただく必要はありません。わたしが出しゃばらずとも、解決は時間の問題だったでしょう」

「なぜ、そう思うのです?」

「薬が致死毒ではありませんでしたから、目的は暗殺ではなく誘拐だったのでしょう。しかし賊は統率が取れておりませんでした。早々に仲間割れをして騒いでいたようでしたし……王宮から追手がかかれば、逃げ切れるとは思えません」


 あのとき、オスカーに目立った外傷はなかった。

 身体の自由を奪ったところでとどめを、という段取りだった可能性もゼロではないが、生きたまま身柄を押さえることが当面の目的だったのだろう。


 警備の厳重な王宮まで侵入を果たし、公爵令息に薬物を飲ませ、人気のないところへ身柄を運び出すまでやってのけたにしては、詰めが甘いと言わざるを得ない。

 仲間割れの所為で、ディーナが介入する猶予を与えてしまっている。

 本当にディーナが首を突っ込まずとも、巡回の衛兵が事態に気づきさえすれば、早々に解決した可能性はありそうだ。


 正直、事件の不穏さと顛末のお粗末さを比べると、これですべてが解決したと考えてよいのかという引っ掛かりはある。

 とはいえ、彼を攫ってどうするつもりだったかなどディーナにわかるはずがないし、それを考えるのはディーナの領分ではない。


「余計なことをいたしました。デビュタントの日に剣を振り回し、賊相手に大立ち回りをしたなど、外聞もよろしくありません。礼をとおっしゃっていただけるのなら……どうか、すべてお忘れください」


 ディーナはソファに座ったまま頭を下げた。

 ダークブラウンの髪がさらりと揺れ視界が遮られたが、黙したオスカーの視線がひたりと向けられているのを感じる。


 淑やかさが美徳とされる貴族令嬢が剣を振り回して賊を叩きのめしたと広まれば、結婚適齢期の令嬢にとっては大いにマイナスだろう。

 誰だって、凶暴な花嫁は遠慮したいに決まっている。


 ディーナ自身はそのような話いまさら痛くも痒くもないが、一般論として誰しも醜聞は避けたいものだとオスカーも承知しているだろうし、恩人と考える相手の将来を積極的に潰すような真似はしないはずだ。


 つまりディーナの言葉は『表沙汰にしませんよね?』という要求だ。

 しかし目的は、醜聞の回避などではない。


 ディーナは、オスカーと距離を置きたいのだ。

 周囲にも、ふたりに何らかの繋がりがあると思われたくない。


 事件はすでに、王都でかなりの噂となっている。その噂話の渦中に自分の名前を登場させて、脚光を浴びるのはまっぴらごめんだ。

 この件にわずかにでも自分が介入したことを、誰にも知られないようにしなくては。



 それにしても、とディーナは内心首をかしげた。

 リボンという証拠を残してしまったとはいえ、オスカーはどうやってここへたどり着いたのだろう。


 あの大夜会で、オスカーは明るいホールでディーナの姿を見ていない。

 襲撃現場の夜陰では顔もわからなかっただろうし、せいぜい『白っぽいドレスの女性』くらいの手がかりしかなかっただろう。

 全身が白いドレスはデビュタントくらいだが、それだってひとりやふたりではないし、暗闇で白っぽく見えるドレスとなると、あてはまる対象は大勢いたはずだ。


 決定打のように出されたリボン自体も特徴のあるものではなく、そこから身元を割り出すことなど果たして可能なのだろうか。

 不可能が可能になるのが公爵家の力だと言われれば、それまでなのだが……。


 会話が途切れ、ディーナがぐるぐると考えている間、こちらも思わし気な表情を浮かべていたオスカーが、ふと思いついた雑談でも始めるように口を開いた。


「話は変わりますが。ご令嬢にはまだ決まった婚約者はおられないと聞いていますが」

「は?………ええ、まあ、確かに」


 脈絡の感じられない唐突な話題に戸惑いながらも、確かにそれは事実なのでノルベルトは頷く。


「ご覧の通りの気性です。娘可愛さに私もずいぶん甘やかして育ててしまった。並みの者では手に余るでしょう。これの手綱をさばける肝の太い男が現れるかどうか、父親ながらはなはだ疑問ですよ」

「お父様! わたしは馬ではありません!」


 豪快に笑いながら娘のお転婆を案じる風ではあるが、ノルベルトがディーナを見る表情には確かな愛情があった。

 ディーナの型にはまらない個性を認め、そんな娘の器にふさわしくない軟弱な男を夫として認める気はさらさらないという、確固たる親バカ気質が透けて見える。

 婚姻を政治の手段ととらえる貴族が多い中、ノルベルトの考え方は大層風変りだ。


 しかしノルベルトは妻のラウラと確かな愛情で結ばれ、それを至上の幸福としている。

 自分の子供たちにも同じように心から望む伴侶を得て、幸福を掴みとってほしいと考えているのだ。


 生まれたのがシュネーヴァイス家でなければ、ディーナはこれほど自由に生きられなかっただろう。

 この家に生まれてよかったと、思わず心からの笑みを浮かべたときのことだった。


「それでは」


 突然声の調子を改めたオスカーの言葉が、ふたりの注意を引きつけた。

 おだやかな声の中に不思議と、ひやりとするような響きがある。

 長い指を備えた手を自らの胸に押し当て、強い目線をノルベルトに向ける。


「私が立候補させていただいても?」


(…………は?)


 ノルベルトとディーナはそろって、ぽかんとした顔でオスカーを見た。

 事態を吞み込めないでいる、よく似た表情をした父娘に、オスカーはさらに言い募る。


「私が彼女に………ディーナ嬢に婚約を申し込むことを、お許しいただけませんか?」



 今、彼は。なんと言ったのだろう。


 確かに声は耳に届いたが、なぜだか内容が上滑りして頭に入ってこない。


 オスカーは驚きで声もないディーナを、榛色の視線でとらえる。

 少しやつれ青ざめた顔に浮かぶ表情は、普段のおだやかなものとはどこか違って見えた。


 請う言葉とは裏腹に、なぜかその声音には、ひとかけらの熱さえ感じることはできなかったのだ。




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