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6.急襲!火の公子1

 騒動の翌日、『火の公爵家の公子が夜会で毒を盛られ、賊の襲撃を受けた』というセンセーショナルなニュースが、瞬く間に王都を駆け抜けた。

 オスカーが危篤状態だとか、毒物による死亡説や発狂説、さらに、実は盛られたのは媚薬でそれはそれは大変なことに、などという根も葉もない噂までが流れ、情報が激しく錯綜(さくそう)しているようだ。

 オスカーが事件の日から公に姿を見せないことで、噂に歯止めがかからないらしい。


(いや、媚薬とか……いくらなんでもデタラメすぎでしょう)


 迅速に事後処理されていたと思ったが、襲撃が大夜会の日だったこともあり、やはりどこかには人の目があったのだろう。

 箝口令を布くのは難しかったかもしれないが、それにしても噂話が広まるのがやけに速く、内容もいささかスパイスが効きすぎている。


 捕まった賊から全貌が明らかになればいいと思うが、部外者であるディーナにこれ以上できることはない。

 今はただ、オスカーの体調が早く回復するようにと願っていた………のだが。



 ******



 数日後の午後、シュネーヴァイス辺境伯邸に急な来客があった。

 玄関ポーチに寄せられた黒塗りの馬車は紋章こそ入っていないが洗練されており、引いている馬の上等さや御者の身形からも、乗っている者の身分の高さがうかがい知れる。


 客人は応接室に通され、ノルベルトの指示でディーナもまた応接室に呼び出された。

 ディーナは客人が誰であるのかは知らされていなかったが、父の知人に引き合わされるのだろうと思い込んで警戒していなかった。

 ただ、前世のこの時期に来客などあっただろうかと少し首を傾げただけだ。


 ノックして応接室に入室した瞬間、ディーナが身を翻して退室したくなったのも無理はないだろう。


 応接室にいたのは、ノルベルトと………なぜか、オスカーだったのだ。



 ******



 ディーナはオスカーの姿を目にした瞬間『しまった』と思った。

 きっと、なにかをしくじったに違いない。

 なにがどうなったのか見当もつかないが、このタイミングでの彼の来訪など、言わずとも用件はわかろうというものだ。


 入室すべきだとわかっているのに、脚が逆方向へ向かいそうになるのを堪えるのに必死だった。

 なんとなく『敵前逃亡』という言葉がディーナの頭を掠める。


 目だけでちらりと様子を伺うと、当のオスカーはソファに浅く腰かけ俯き加減で、視線は合わず表情も見えない。

 扉のところで固まったままのディーナを、ノルベルトが無情にも手招いた。


「ディーナ、こちらへ。私の隣に」


 棒立ちしていても事態は変わらない。

 ディーナは密かに深呼吸をして気持ちを切り替え、ノルベルトの横に歩み寄った。

 何食わぬ顔で正面を向くと、ドレスをつまんで優雅に腰を落とす。


「お初にお目にかかります。ノルベルト・シュネーヴァイスの娘、ディーナと申します」


 目の前の()()()の男性に、丁寧に自己紹介をする。

 オスカーはディーナに合わせてソファから立ち上がり、礼儀正しく胸に手を当てて応えた。


「オスカー・ヴァールハイトです。急な訪問となってしまいました。無礼をお許しください」


 オスカーは謝意を表すように軽く頭を下げた。

 見慣れた美しい耳飾りが、彼の頭の動きに合わせてシャラリと揺れる。

 ゆっくりと顔を上げたオスカーを改めて見て、ディーナは思わず息を呑んだ。


 ひどく顔色が悪い。

 整った容貌に拭い難い疲労が見え、表情もどこか気だるげで険しい。

 もしかすると、痺れ薬による後遺症が思いのほか深刻だったのだろうか。


 最初の警戒も忘れてオスカーの様子を食い入るように見たディーナの視線と、顔を上げたオスカーの視線が、カチリと嚙み合った。


 オスカーは、ディーナをただ真っ直ぐに見つめた。

 ディーナから目を逸らすことが不可能であるかのように。

 そしてディーナもまた、縫い留められたようにオスカーから視線を外すことができなくなった。


 ―――その刹那。オスカーの榛色の瞳の中に、紅蓮の炎が燃え上がったかのようだった。


 真紅、赤、橙、黄色、そして金色。

 炎を構成するあらゆる色が、彼の瞳の中で踊り、対流し、煌めいている。

 その色彩は一瞬も停滞することなく刻々と模様を変え続け、まるで内側から光を放ち乱反射する生きた宝石のようだ。


 激しく燃えさかる瞳の色がディーナの心の深いところまでを照らし、暴き、かき乱す。

 人ならざるものの祝福を得た証である、奇跡の輝きがそこにあった。


精霊(せいれい)(がん)………」


 無意識につぶやいた自分の声でディーナが我に返ると、オスカーもはっと息を呑んで恥じ入るように片手で目元を覆い、顔を逸らした。


「………すみません、普段は気をつけているのですが。精霊眼は『祝福者(スティグマ)』の感情が強く動いたときや、精霊力を行使する際に発現します。そうと知れば、この瞳の色を攻撃の意志の表れだとみなし、恐れる者も多いのです」


 オスカーが束の間沈黙し、俯いて固く目を瞑る。

 ふうっとひとつ、息を吐く気配がした。


 そして再び顔を上げた時には、すでに彼の瞳から宝石の輝きは失せ、普段通りの落ち着いた(はしばみ)(いろ)を取り戻していた。

 あれほど不安定に揺れていた表情もきれいに消して、おだやかに微笑んでいる。

 ディーナは驚嘆した。


(なんという、自制心の強さだろう………)


 ディーナは、二度と見ることはないと思っていた紅い瞳に打たれ、微動だにできないでいるというのに。


「不快な思いをさせてしまいましたね」

「………不快になんて、思うはずありません」


 オスカーの少し気鬱そうな言葉に、上手く返すことができない。

 この感情を揺らすものは不快さなどではないのだと、ただ首を振ることしかできなかった。


「………それなら、よかった。未熟で申し訳ない。恩人を前にして気持ちが高揚してしまったようです」

「恩人、ですか?」


 ノルベルトは心当たりのない話に首を傾げながらも、立ったままのふたりに着座をうながす。

 しかし若干の心当たりがあったディーナの感情は、急激に感傷から焦りへとげ替わり、そわそわと挙動不審になる。

 ぎこちなくノルベルトの隣へ座ると、オスカーもやや緩慢な仕草で椅子に掛け、姿勢を正した。


「先日、おふたりも出席された大夜会の折に、私が賊の襲撃を受けた件はすでにご存じかと思います」

「ええ、驚きました。ご無事でなによりです」


 ノルベルトが相槌を打つ。あの襲撃事件は、広まった噂の内容はともかく、事件の発生自体は事実だ。

 未だ体調が優れない様子のオスカーを見ると『ご無事』という言葉が適切なのかわからないが、少なくとも自分の足で歩き、こうして他人の屋敷を訪問できるくらいには回復している。最悪の事態が避けられたのは幸いだった。


 オスカーは眉をひそめ、寄った眉間をほぐすように指先で揉みながら言葉を続ける。


「私は迂闊(うかつ)にも身体の自由を奪う薬を盛られ、賊に囲まれました。朦朧とし碌に身動きもできないありさまでしたが、精霊力を使って悪あがきをしたので連中の手に余ったのでしょう。あの場で私を傷つけ立ち去るか、そのまま拉致するかで揉めだしました。正直、際どい状況だった」


 一度大きく息をついたオスカーがちらりと意味ありげな視線をディーナに流した。

 話の行き着く先を予測して背中がひやりと冷える。


「しかし助けが現れたのです。しかも若い女性でした。暗闇で姿こそはっきり見えませんでしたが、その女性は武器を持たなかったにもかかわらず、手に持った扇ひとつで武装していた複数の賊に立ち向かったのです」

「………扇?」


 一拍の間をおいて、ノルベルトはぐるりと首を巡らせて真横に座る愛娘を見た。


 ノルベルトは覚えていた。

 あの大夜会の日、ディーナが手に持った美しい扇をへし折り、綺麗に結っていた髪も解いて戻ってきたことを。


 普通の感覚を持つ貴族ならば、娘の身になにかよからぬことがあったのではないかと騒いでもおかしくない状態だったが、()()大雑把なノルベルトは、「退屈になって庭を探検していたら木から落ちた」といい加減な言い訳した娘の言葉を、「そういうこともあるか」とこれまたいい加減に流してしまっていた。


 しかし、そもそも夜会で扇がへし折れたりするのは普通のことではないと即座に気づくべきだったろう。


「ディーナ?」


 ノルベルトの問う声に、ディーナの視線があらぬ方向へ泳いだ。


お読みいただきありがとうございます。

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