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5.王宮の大夜会3

「ん~~~!」


 ディーナは令嬢らしくない大きな伸びをした。幸い、人気(ひとけ)はほとんどない。

 宴が盛況なこの時間帯に、ディーナがいる側の出入口には人はまばらにしか来ないようだ。


 ひんやりとした夜気が心地よかった。

 庭園の瑞々しい緑の香りが、纏わりついた雑多なにおいを洗い流してくれる。

 知らず緊張していたようで、身体のあちこちが固く()っていたらしい。深呼吸しながらくるくると腕を回し軽く身体をほぐして、やっとひと心地ついた。


 軽装に慣れてしまっているディーナには、淑女の装いは荷が重い。

 ディーナの個性に配慮してか過度にヒラヒラしてはいないが、デビュタントとしての正装となる清楚な白いドレスは、もっと可憐なお嬢さんにこそ似合うのではないかと思う。


 気晴らしに、丁寧に手入れされた王宮の中庭をあてもなく歩く。

 今のところ作戦はうまくいっている。このまま問題が起こらなければ、今日の目的は果たせそうだ。

 ただ、ディーナはしばらく前からオスカーの姿を見失っていた。

 しつこくあとを追うようなことはしていないので、彼の姿をずっと視界に入れ続けるのは難しい。


 彼は誰かを誘ってテラスへ出たのだろうか。

 いや、もしかすると早めに帰宅したのかもしれない。


 そうだったら、いいのに。


 ディーナが手の中で扇を弄びながら考えを巡らせていた時、唐突にそれは起こった。



 ざわり、と肌が粟立った。


 突如、音の出ない楽器が激しくかき鳴らされたような、奇妙な大気の震えがビリビリと身体中に走った。

 神経を逆撫で、けたたましく鳴り響く大音声(だいおんじょう)に驚き、思わず耳を押さえながら急いであたりを見回す。


 しかし目に映るものに変化は見られず、ただ灯りに照らされた静かで美しい庭があるばかり。

 一見なにも起こっていないかのような平穏な景色に反して、ディーナの背筋が凍った。


(なに⁉ いったい何が………⁉)


 あまりの音に耳を押さえながらも、これが耳に届いた音ではないことにディーナは気づいた。

 これは、普通の人には聞こえない音だ。


()()()()()()()………!)


 精霊の声。

 しかもこれは悲鳴、切迫した状況を伝える声だ。


 ディーナに精霊の姿を見る力はない。

 でも、これは()の精霊の声だという確信があった。

 ならば、危機に瀕しているのはきっと。


 《たすけて》

 《おねがい》

 《あぶない》

 《おすかーが》


 《ころされちゃうよ!》


 ディーナはドレスの(すそ)をたくし上げると、精霊の導く方へ全速力で駆けだした。



 ******



不思議と衛兵とすれ違わない。王宮でこれほど警備が薄いなどあり得るのだろうか。

 疑問に思いながらも、声をたどり迷いなく駆け抜ける。


 やがて広大な王宮の庭園の奥まで進むと、ディーナは複数の人間の気配を感じて、手近な低木の陰に素早く身を潜めた。


 いつのまにか精霊の声も聞こえなくなっている。

 ここが目的地で間違いなさそうだ。

 物音を立てないように、弾んだ息をねじ伏せ整える。


 不穏な空気だった。


 複数人が抑えた小声で言い争っているが、距離があって内容までは聞き取れない。慎重に低木から顔を出し、そこにいる者たちが持つ灯りが照らすあたりに目を凝らした。

 そこには妙に体格のいい三人の男たちと、男たちに抜き身の剣を向けられ、地に臥している男性が見える。

 薄明かりの中でそれが間違いなく彼であることを悟ったとき、ディーナは戦慄した。


(オスカー様!)


 オスカーは意識はあるものの、身体の自由が利かないようだ。

 普段なら、こんな賊に後れを取るような彼ではないのに。


 ロープなどで拘束されてはいない。

 暗くてはっきりとはわからないが、血の匂いも感じられなかった。

 動けないほど殴られたのか。

 それとも。


(まさか、薬を盛られて………⁉)


 ディーナの身体に緊張が走った。

 痺れ薬程度ならいいが、もし致死性の毒を盛られているのだとしたら事は一刻を争う。このあと賊がどういう行動を取るつもりなのかもわからない。

 背に冷たい汗がつたう。


(援軍を呼んでいては、間に合わないかもしれない)


 王宮では警備上の理由から、事前承認されている者にしか魔術は使えないと聞いている。

 賊の武器は物理的なものに限り、不確定要素は少ないはずだ。


 ディーナは一瞬で心を決めた。


 気配を消しつつ慎重に、髪に結ばれていたリボンを解き、足さばきの邪魔にならないようにドレスをたくし上げ裾をまとめる。

 手ごろな小石をひとつ拾い、花飾りのついた扇を短剣のようにして軽く握りこんだ。

 動きを見る限りあまり手練れには見えないが、油断は禁物だ。


(不意を突いて、攪乱する。落ち着いて)


 準備が整うと、深くゆっくり息を吸い……フッ、と鋭く息を吐いた。



「うわっ! なんだ⁉」


 ディーナが鋭く投げ込んだ小石が、狙い通り賊のひとりに当たり、男たちが怯む。

 小石を投げたと同時に低木の陰から飛び出し、陽動の投石に気を取られて背を向けていた賊の背後を取り、扇で膝裏を強打する。

 足を(すく)われ、勢いよく仰向けに倒れこんだ賊の無防備な鳩尾へ、体重をかけて(ひじ)を打ち下ろした。


 ぐうっと呻り声を漏らして悶絶した男が取り落した剣を素早く拾い上げ、二人目の賊へ打ちかかる。

 突然の襲撃者に対応しきれていない男たちを見て、ディーナは瞬時に賊の練度を判断した。


 力任せに斬りかかってくる岩のような大男の剣を、刀身に角度をつけて受け流し、相手がバランスを崩したところで空いた胴をめがけ、剣の柄を使って渾身の力で殴りつける。

 鳩尾への強力な殴打に賊は声もなく崩れ落ちたが、気を失った大男の体重を剣で支える形になったディーナは一瞬たたらを踏んだ。


「ご令嬢(フロイライン)………っ!」


 突然、オスカーが掠れた声をふりしぼるようにして警告を放つ。

 危険を察知し、ディーナは咄嗟に剣から手を放して虚空へと身をひるがえす。

 白いドレスが夜陰にふわりと弧を描き、死角から迫っていた最後の賊の剣が目標を失い、(くう)を切った。


 同時にオスカーの手の中に紅蓮の炎が生まれ、闇の中まばゆい軌跡を描いて賊に襲いかかる。

 突然炎に包まれた男は、恐ろしい悲鳴をあげて地面に倒れこんだ。

 パニックになってのたうち転げまわり、燃え盛る炎をどうにか消すと、精魂尽き果てたように気を失った。


 しん、と音が潰えたような、痛いほどの静寂があたりを包んだ。

 油断なく気配を探ったが、追撃がある様子はない。

 安全を確信し剣を拾い上げると、ディーナはすぐにオスカーのもとへ駆け寄った。


 灯りが少し離れた場所に落ちており、照明のない暗闇を淡く照らしていた。もともと賊が持ち込んでいたものらしく、光量はかなり落とされている。

 ディーナは灯りを背に受けるようにして彼の傍らに跪いた。


 オスカーは仰向けに倒れたまま浅い呼吸を繰り返し、首筋にまでじっとりと汗をかいて腕は細かく震えている。

 幸い大きな怪我はなさそうだが、この状態であの炎を放ったのかと驚くほどの有様だった。


「毒を盛られたのですか?」


 オスカーの襟元を緩めてやり、首に触れて脈をとりながら簡潔に聞く。

 毒なら処置を急がなければならない。

 しかし肩で息をしながらも、オスカーはゆるりと首を振った。

 左耳の紅玉を抱いた金色の耳飾りが、しゃらりと微かな音を立てた。


「いや……おそらく、しびれぐすり、だ。 『まひるの、あくむ』……」


(『真昼の悪夢』ですって⁉)


 ディーナも聞いたことがある。かなり強力な痺れ薬のはずだ。

 飲んでしばらくすると強い痺れで身動きが取れなくなり、放っておいても丸一日ほどで効き目は切れるが、その間は全身が痺れたまま一切眠ることができないという。


 対象を無力化したり、精神的苦痛を与えるために使われることがあるらしい。

 しかも無味無臭なのが一層悪質だ。


 大昔はよからぬことに色々使用されていたが、今は、製造、使用ともに国の管理下に置かれているはずで、一般には禁止薬物扱いだ。


 なぜそんなものをオスカーが飲む羽目になったのかわからないが、話を聞きながら素早くオスカーの状態を観察する。

 症状は告げられた痺れ薬の効能と矛盾せず、体調が極端に悪化している様子は見られない。薬物の影響で舌が回りづらいようだが、緊急性はないとみていいだろう。


(よかった………)


 ディーナは安堵のあまり、ほうっと息を吐いた。

 喉の奥が熱くなったような気がして、声が震えないよう慎重に呼吸を整える。

 まだ駄目だ。彼を安全な環境に置くまでは、気を抜いてはいけない。


「賊を縛ったあと、すぐに人を呼んでまいります。お辛いでしょうが、このまま、ここで安静になさっていてください」

「……ご令嬢(フロイライン)……貴女、は………?」


 わずかな光源、しかも逆光の中で、霞む目を眇めてどうにか相手の顔を見定めようとするオスカーの視線から逃れるために、ディーナは素早く立ち上がって背を向ける。

 不測の事態で接触してしまったが、これ以上は危険だ。


 オスカーの元を離れ、髪を飾っていた残りのリボンを引き抜くと、意識のない賊の手首をひとりひとり後ろ手にきつく縛り上げる。


 ふいに、出かける前にケイトが今日の夜会のことを戦場だと評したことを思い出した。

 とはいえ、こんな荒事に巻き込まれるなんて、さすがのケイトも想像していなかっただろう。

 せっかく綺麗に結ってもらった髪を台無しにしてしまい、また小言をもらってしまいそうだ。

 手櫛で乱れた髪を整えながら、ディーナは苦笑を浮かべた。


 背中に強い視線を感じたが、振り返らずにそのままその場を立ち去った。

 もと来た道を辿り衛兵を見つけると「あちらで痺れ薬を盛られた人が助けを呼んでいます」と告げる。

 すでにある程度水面下での動きがあったようで、そのあとの展開は迅速だった。


 華やかな大夜会が滞ることなく、事件は静かに処理されていく。

 ディーナは、オスカーの救護と賊の確保が行われたのを密かに確認すると、誰に見とがめられることなく、父とともにひっそりと王宮を後にした。

 馬車の揺れに身を任せながら瞼を閉じ、先ほどの出来事を思い返す。


 ………彼が無事でよかった。


 関わらないようにとは思っても、オスカーの不幸を望んでいるわけではない。

 彼の体調は気がかりだが、手厚い治療がされるはずだ。


 あの暗闇、あの体調では、ディーナの容貌はろくに確認できなかったに違いない。

 だからオスカーにとってディーナは変わらず見知らぬ他人のままだ。

 最後にとんでもない事件に巻き込まれたが、当初の目的は果たせたと言ってよい……と思う。


 しばらくは夜会のたびに気をつける必要があるかもしれないが、それも彼が本命と出会うまでのこと。そう長い期間ではないだろう。



 このときは確かに、そう信じていたのだ。


お読みいただきありがとうございます。

ヒーロー登場までは一日で投稿したかったので、今日のところはここまで。

ペースは落ちますが、明日も投稿予定です。


ブックマーク、評価いただけると、夜中に小躍りして喜びます。


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