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番外編:願い



 オスカーはめずらしく緊張していた。


 身形に乱れがないかを入念に確かめ、ひとつ深呼吸をしてから、豪奢な花束を抱えて馬車を降りる。身に馴染んだ精霊の耳環が、頼りない持ち主を鼓舞するように音を立てた。


 花束はもちろんディーナのために持参したのものだが、今日オスカーが辺境伯邸を訪れたのは、彼女の父ノルベルトと話をするためだ。

 大夜会でディーナに助けられ、恩に報いるという名目で仮初めの婚約を申し出たとき、ノルベルトが不快そうな様子であったことをオスカーは忘れていなかった。


 あのときのオスカーは、回帰前に起こった出来事に打ちのめされ、ディーナの安全が確保されたら今度こそ身を引くべきだと思い詰めていた。


 しかし今は違う。

 偶然に起こった回帰から新たな巡り合わせにも恵まれ、様々な困難を乗り越えて、ついにディーナは死の運命に打ち勝った。

 そして彼女自身の意思で、オスカーとともに歩く道を選んでくれたのだ。


 火の公爵家からシュネーヴァイス辺境伯家への正式な婚約の申し入れは、すでに済ませている。

 だからこそ今日は、オスカーが心からディーナを愛し望んでいるということを、誠心誠意ノルベルトに伝えなければならないと意気込んでいた。




 ………しかし。

 応接室でオスカーを出迎えたのは、シュネーヴァイス辺境伯ではなかった。



「オスカー、わたしと勝負してください!」



 ふたりしかいない部屋で声高らかに宣言したのは、オスカーがこの世で唯一愛する女性だった。

 鮮やかな瑠璃色のドレスを纏ったディーナは長椅子から立ち上がり、凛々しい瞳でひたりとオスカーを見据えている。


 数日ぶりに見る彼女は一層愛おしく、会えない日を重ねるごとに美しさを増すようだった。

 腑抜けて見惚れそうになる己を戒めつつ、言葉の意図を尋ねる。


「勝負とは……穏やかではありませんね。いったい何事ですか?」

「言葉のままです。あなたとわたしで勝負をし、負けた方は勝った方の願いをひとつ聞いていただきます」

「………? 勝負などせずとも、貴女の願いなら喜んでなんでも叶えますが」


 彼女の願いなら、それがどんな些細なことでも叶えたい。むしろ本望だ。オスカーは首を傾げたが、しかしディーナはきっぱりと首を振った。


「オスカー、それでは駄目なのです。なんでも叶えるとおっしゃるのなら、この勝負を受けてください」

「………勝負の方法は?」

「公平に勝負がつくものなら、なんでも構いません。チェス、カード、コイン………。剣の真剣勝負でも」

「剣は許してください。僕は貴女に剣を向けられないから、始めから勝負にならない」


 オスカーは腕組みをしてしばし考え込む。

 コインでもいいと言うことは、勝負は運任せでも構わないのだろう。


 勝負ごとに勝ちたければ、普通は自分に有利な条件を望むものだ。

 しかし今日の彼女には、勝利に対する執着のようなものは感じられない。

 その割に、彼女の表情は真剣そのもの。

 真意を量りかねたが、このような勝負を持ち掛けてまで彼女が願うものには興味があった。


「わかりました。コイントスで勝負をお受けします。どちらが投げますか?」

「では、わたしが投げさせていただきます。オスカーはわたしが投げたあとで、裏表を選んでください。わたしは残った方へ賭けます」

「仰せのままに」


 ふたりの視線がディーナの手の中のコインに落ちる。

 一瞬の張り詰めた静寂の後、彼女がコインを強く弾いた音が部屋に響いた。

 高く上がったコインをディーナが真っ直ぐな目で追う。そしてオスカーは、ディーナの横顔を見つめていた。


(貴女の願いは………僕の願いだ)


 コインは吸い込まれるようにして再びディーナの手の中に納まる。



「………僕は、裏を」

「では、わたしが表ですね」



 互いに確認し頷くと、ディーナが覆っていた手をそっと開いた。

 勝負の結果を確認したオスカーはふっと軽く息を吐き、微笑む。



「………貴女の勝ちです、ディーナ」



 ディーナの手の上には、女神の横顔が刻印されたコインの表側が見えていた。



 ******



「この勝負、貴女の本当の目的は何だったのですか?」

「もちろん、わたしの願い事をオスカーに聞き届けてもらうためですよ?」


 ディーナはどこか含みのある顔でにっこりと笑った。


 そもそもオスカーは、ディーナの願いは何でも叶えると事前に宣言していた。

 だから、ディーナが単に自分の要求を通したいという理由では理屈が通らない。

 そもそも、彼女は勝ちたいと思っていたかどうかも怪しい。



 訝しんでいたオスカーを、ディーナは真剣な表情で見つめた。


「では勝者の権利としてあなたに尋ねます。だから、嘘偽りなく答えてくださいね」

「ええ、何なりと」

「オスカー、あなたの『一番の望み』を教えてください」

「………? はい?」

「あなたが心の奥に描いている『最も強い願い』を、わたしに開示してください。ごまかしや拒否はできませんよ? この質問は、勝負事の正当な報酬ですから」

「………!」


 呆けたオスカーの手をディーナがぎゅっと握った。


「オスカー………あなたはわたしに、命と幸せをくださいました。でも、ただ与えられるだけの幸せを、わたしは望みません。わたしがあなたをこれまで苦しめた分だけ………いいえ、それ以上に、あなたを幸せにしたい。だから、その場しのぎではない、あなたの心からの、本当の望みが知りたいんです。………あなたの幸せは、わたしの幸せですから」


 やっと理解した。

 オスカーが勝てば、ディーナは素直にオスカーから望みを聞き出して、それを叶える。そして彼女が勝てば、敗北の対価としてオスカーに望みを白状させ、それを叶える。

 これは彼女にとって、そういう勝負だったのだ。


「貴女は………」


 オスカーの声が掠れる。

 ディーナが健やかでいるだけで、オスカーの願いなどほとんどすべてが叶っているようなものだ。

 それだけでなく、これからの人生をともに歩くことを、彼女は受け入れてくれている。これを幸せと言わずしてなんと言おう。


 しかしそれ以上の()()があるとするなら………。



「わかりました。僕の願いを言いましょう」


 オスカーは微笑みながらディーナを抱きしめ、やわらかな頬に口づけを落した。


「オ、オスカー………?」


 ディーナは突然のオスカーの行動に目を白黒させている。

 あわてた声までもが可愛くてオスカーはひっそりと笑い、反対の頬にも口づけた。


「勝者に敬意を捧げて、嘘偽りなく僕の望みを告白します。聞いていただけますか?」


 オスカーの真摯な声にディーナは少し戸惑った様子を見せたが、なにかを悟ったように表情を改め、深く頷く。


「………僕は、貴女なしでは生きられません。貴女がいない場所で、生き続けていたいと思えない。今回、理不尽な運命を打ち破ることができましたが………それでもいつの日か、寿命で終わりを迎えるときは必ず来ます。僕も……そして貴女も。それが生きるものの自然な姿であることは承知しています。でも貴女のいない世界に、僕はきっと耐えられない。だから、この先の人生でもし貴女が僕より先にいなくなるようなことがあったら………僕が貴女の後を追うことを、許してくださいますか?」


 オスカーとディーナはしばらくの間言葉もなく、互いを見つめ合った。

 相手の瞳の奥に記されている真実を覗き込もうとするように。


 オスカーは自分の奥底にあるこの昏い願望を、本当はディーナに伝えるつもりはなかった。

 しかし、オスカーの心からの望みを知りたいとディーナいう強い願いに、情けないほどあっけなく心の内をさらけ出してしまっていた。


 ディーナの零した小さなため息に、裁きを待つ者のようにオスカーの心臓が跳ねる。


()()()()のわたしはすでに動かせる身体を失って、あなたのどんな行動も止めることはできないのでしょうね。でも………ごめんなさい。わたしの口から、()()を許すとは言えません」


 オスカーの言葉を拒否しながらも、ディーナの声には嫌悪や失望は感じられなかった。強い想いのこもった瞳が空色に輝き、オスカーを捉える。


「わたしはこれからの人生を、あなたとともに生きます。その道のりの中で………たとえわたしが先にいなくなるのだとしても、あなたが後ろ髪を引かれ、すぐに死ぬには惜しいと思うだけのものをあなたに残します。だから、オスカーは寿命を迎えるまで、寂しく思う暇もないと思いますよ? それから………来世というものがあるのなら、わたしは必ずまた、あなたを探し出して恋をします。そして『またわたしと一緒に生きて欲しい』って求婚します! ………これでは、あなたの願いに対する答えにはなりませんか?」 



 オスカーは言葉もなく、ただディーナを見つめた。


 今、腕の中に、自分の幸せのすべてがある。

 来世というものがあるのかどうか、オスカーにはわからない。

 しかしディーナの言葉だけで、オスカーは死したあとも、そしてまだ見ぬ来世でも、彼女とともに在るということを信じることができた。


「来世の約束をいただけたのは大変光栄ですが、情けないことに僕は、今生の婚約さえ調えられていません。まずは一刻も早く、貴女の父上にお許しをいただかなくては」

「ふふ、そうですね。気が早かったでしょうか。………でも父はわたしに『望むとおりにしろ』と言ってくれました。『お前が幸せになり、そしてお前が相手を幸せにする道を自分でつかみ取れ』と。だからわたしは………あなたを本当に幸せにする方法をどうしても知りたかった」

「ディーナ………」


 オスカーはディーナの前に跪いた。

 そしてただひとつの望みに手を伸ばす。


「ディーナ・シュネーヴァイス嬢、貴女を心から愛しています。僕が欲しいのは………過去も現在も未来も、貴女だけです。どうか、僕の妻となっていただけませんか」

「オスカー・ヴァールハイト様。喜んで求婚をお受けします。わたしも、心からあなたを愛しています」

「ディーナ………!」


 オスカーは思わず立ち上がり、ディーナを抱き上げた。

 宝物を壊さないように、二度と失われないように、腕の中に大切に閉じ込める。

 喜びに頬を染めたふたりの唇が、微笑みの形のまま自然と重なった。



 偽りの求婚は、かくして真実のものとなる。







*あとがき*



これにて番外編も終幕。グランドフィナーレとなります。


番外編は蛇足だったかもしれませんが、『神話』と『プロローグ(sideオスカー)』は、物語冒頭のプロローグとほぼ同時に書いたもので、この物語を裏で支えていた骨子となるものです。


『神話』を載せてしまったのでどうせなら出し切ろうと『プロローグ(sideオスカー)』を投稿し、でもハピエンのはずなのに悲しい終わり方は嫌だなと思い、『願い』を書き下ろし、計三話の番外編となりました。

『願い』は番外編と言うよりは本編のラストシーンのようになってしまいましたが、大目に見ていただきたく…。


初めての小説をどうにか年内で完結させることができ、感無量です。

初心者の拙いお話でしたが、思いの外たくさんの方に読んでいただくことができました。


10万pv、総合評価1000p、ブクマ200、いいねもたくさんいただき、下位ではありますが日間ランキングに載ることもできました。

誤字報告にも本当に助けられました。まさかあんなに間違いがあるとは…。

(今後も読みにくい文章の手直しなどするかもしれません)

この一か月間、すべてが勉強になりました。


温かく寛大な心で応援してくださった皆様のおかげです。

本当にありがとうございました。


それでは、来年が皆様にとって良い年となりますように!



守野ヨル

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[一言] とても面白かったです。 次の作品も楽しみにしています
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