エピローグ
今日は建国祭。
王宮で大夜会が開かれる、華やかな夏の夜だ。
火の祝福者オスカー・ヴァールハイトは、いつものように美しい刺繍が入った漆黒のジュストコールを華麗に着こなし、いつものように耳には特等の紅玉が見事な精霊の耳環が輝いている。
しかしいつもと違うのは、美術品のように整った顔に蕩けるような甘い笑みを浮かべて、ひとりの女性を恭しくエスコートしていることだ。
周囲の人々は驚きに目を瞠り、何度も目を擦ってはオスカーたちを二度見、三度見している。
ディーナは燃えるような薔薇色のドレスを身に纏い、身に着ける宝飾品にも紅玉石と金剛石が贅沢にあしらわれている。
オスカーからの贈り物で頭の先からつま先までが美しく紅く染め上げられ、さながら大輪の紅薔薇のようだ。
………中身が伴っていれば、なのだが。
「なかなか、すごいな………」
「ミハ………いえ、公爵様、ごきげんよう」
そこへミハエルが現れ、ディーナの装いに率直な感想を漏らした。
ディーナは丁寧なカーテシーで新しい風の公爵に挨拶をする。
彼の左耳には、風の祝福者の証である翠玉をあしらった精霊の耳環が輝いていた。
「やめてくれ、落ち着かない。今まで通りで頼む。………ところでヴァールハイト。ディーナ嬢のドレス、もう少しどうにかならなかったのか?」
「女性の美しい装いは、まず褒めるのが礼儀ではありませんか閣下? それに、どうにかとはどういう意味でしょう。なにか問題でも?」
オスカーが眉を上げてしれっと答える。
ミハエルは苦虫を噛みつぶしたように眉を顰め、額に手を当てた
「君も、閣下は勘弁してくれ。あー……、ディーナ嬢。今日の装いは、ずいぶん華やかだな。………驚いた」
さすがは女性の扱いには慣れている。ミハエルは無難な誉め言葉をさらりと述べた。
しかし本音は、最後の「驚いた」の部分がすべてだろう。
さすがのディーナにも自覚はあった。
羞恥で顔までが赤く染まる。
(オスカー………。このドレスと装飾品、主張が強すぎです………!)
オスカーからこの日のために贈られたドレスは確かに美しかったが、問題はそこではない。
かつての贈り物はすべて、オスカーの象徴である赤を含まなかった。
その意味を取り違えていたこともあったが、オスカーがディーナに赤を贈らなかったのは、ディーナをいつか手放さなければならないという自身への戒めの意味があったのだそうだ。
つまり、このドレスの意味するところは………。
「君は、大変な男に捕まったな。………まあ、頑張れ。ちゃんと似合ってるぞ」
ディーナにかける言葉はからかっているようだったが、ミハエルは萌黄色の瞳を眇めて優しい笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます。ミハエル様も、精霊の耳環、とてもお似合いです」
「そうか? ありがとう。歯の浮く世辞にうんざりしていたんだが、君に言われると悪い気はしないな」
「エーデルシュタイン、そろそろ別のところへ挨拶に行った方がいいんじゃありませんか?」
「どうも俺は、君の性格を量り違えていたらしいな………」
ミハエルは呆れた顔でオスカーを睨んでから、軽く手を振り立ち去った。
向こう側では、彼に話しかけようとたくさんの人が待ち構えている。
「ミハエル様、お忙しそうですね」
「ろくな準備もなく公爵位を継いで間もないですからね。祝福者としても新人です。火の公爵家も援護していますが、しばらくは忙殺されるでしょう」
でもミハエルならやり遂げるはずだ。
風の公爵家は、きっと生まれ変わる。
ミハエルの背を見送っていると、横でオスカーが跪く気配がした。
驚いてそちらを振り向くと、オスカーが優雅な仕草で手を差し伸べ、やわらかな微笑みを浮かべている。
「空色の瞳の美しい姫君。どうか僕と踊っていただけませんか?」
おだやかな声は限りなく甘やかで、紅い瞳には深い感情の光が宿っている。
取りこぼされていた記憶の欠片が浮かび上がる。
それは、前世の大夜会でオスカーにダンスに誘われた時と同じ言葉だった。
だからディーナも思い出をたどり、幸せな笑みを浮かべて同じように答える。
「はい、喜んで。………紅葉の君」
ディーナがオスカーの手を取ると、踊っている人々の輪の中へ導かれる。
互いに一度手を離し、礼をする。再び手を取り合い、自然に身体を寄せた。
ゆったりとした音楽に合わせ、滑らかに足を踏み出す。
ダンスのリードを取りながら、オスカーがディーナを見つめた。
「ディーナ。今度一緒に、銅貨の噴水へ行ってもらえませんか?」
「銅貨の噴水ですか?」
ディーナは視線を上げて、息づかいを感じられるほど近い彼の顔を見上げる。
そこはオスカーが願いを掛けることを愚かしいと断じた場所。
ふたりが言い争いをした場所だ。
「貴女の知らない回帰の中で、僕は……貴女とともに、あの噴水に願いを掛けたことがありました。………願いは、叶わなかった。願いをかけたその二日後、貴女は呆気なく命を落としました。劇場の火災に巻き込まれて」
ディーナは言葉を挟まず、オスカーの言葉に耳を傾ける。
「貴女の躯を何度も腕に抱きながら、僕は祈ることの無益さに絶望していきました。祈りが届かないのなら、僕は、僕の持つすべての力を使ってやり遂げるしかないと、そう思って長い時間を渡ってきました」
オスカーの手に力が籠り、ディーナを引き寄せ、くるりとターンをする。
「僕に力を与えてくれている精霊に対してさえ、絶望のあまり、憎しみに近い感情を抱くことさえありました。祝福者失格ですね」
苦笑いするオスカーに、ディーナは小さく首を振ることしかできない。
「ですが今は……あの日の小さな願いが、かつての無力だと感じた無数の祈りが、今日という日へたどり着くための礎となったのなら……僕は、もう一度貴女とあの場所を訪れるべきだと、そう感じるのです」
ディーナは溢れそうになった涙をどうにか堪えて、愛する人へ向けて大輪の花のように笑った。
「ええ、行きましょう。ふたりで「一緒にいたい」と祈るのではなく、「一緒にいる」と誓いを立てるために。オスカー、もう嫌だと言っても離してあげませんからね?」
オスカーは紅い瞳を瞬くと、咲くことを拒んでいた極上の紅薔薇の蕾が綻ぶように、心から幸せそうに微笑んだ。
「光栄です。僕と共に生きてください、愛しいディーナ」
ふたりを祝福する精霊たちの笑い声がどこかから聞こえたような気がした。
軽やかな音楽に乗せたふたりのステップは、終わることなく続いていく。
<完>
これにて完結です!
連載を始めて三週間、幸せな気持ちで過ごせました。
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それでは、拙いお話に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!




