50.おわりとはじまり
ミハエル視点。
事件後の事情聴取のあと精霊力枯渇のため昏倒したミハエルは、しばらくの間王宮預かりで療養を余儀なくされた。
経過観察のために魔塔より派遣されたアレクシア・イーリスという名の魔術師はずいぶん変わった女性だったが、ミハエルに色目を使うタイプではなかったので気は楽だ。
しかし魔術師ならではの研究者気質にしばしば困惑させられた。
そして、食べ物があるわけでもないのに「いい匂いだね~」と鼻を動かしているときがあるのが不気味である。
事件の二日後、ミハエルの体調が少し落ち着いたのを見て、ディーナとオスカーが見舞いに現れた。
アレクシアとふたりが親しげに挨拶をかわすのを見て、意外なつながりにやや驚かされる。
空になったポーションの瓶を振りながらアレクシアが退室したあと、寝台から上半身を起こしたミハエルは、まずオスカーに目を向けた。
「ヴァールハイト。すまないが、ディーナ嬢とふたりだけで話をさせてもらえないだろうか」
暗に『出ていってほしい』という要求に、すでに独占欲を隠そうともしないオスカーは眉を吊り上げたが、ミハエルは肩をすくめて寝台から出られない自分の身体を指し示した。
「このザマで、君が心配するような何かが起こると思うのか? もう少し寛容という言葉を覚えたらどうだ」
「そんな言葉は初めて聞きますね」
「この男、開き直ったぞ………」
ミハエルは唖然としながら半眼になったが、表情を改めるともう一度オスカーに真剣に願った。
「頼む、ヴァールハイト」
「………」
オスカーはしばらく眉を顰めてミハエルの顔を見ていたが、ため息を吐き渋々同意する。
「僕は部屋の外にいます。扉は開けておいてください。盗聴防止の魔術具を使えば声は外に漏れませんから」
「感謝する」
「ディーナ。何かされそうだったら、とりあえず殴ればいいですから」
「おい………」
オスカーはひらりと手を振ると部屋を出て行った。
ディーナはオスカーの後ろ姿を見送ってから、ミハエルに視線を戻した。
空色の瞳が楽しそうに笑う。
「なんだか、仲がよさそうに見えますね」
「冗談だろう? 君、目が悪くなってないか?」
「目は良い方ですよ!」
ディーナは軽口をたたきながら、椅子を引き寄せて寝台横へ座った。
芯の通った姿勢で腰かけ、話を聞くために真っ直ぐにミハエルを見つめる。
澄んだ空色の瞳は力強く、不思議なほどの生命力が感じられた。
今のミハエルになら、オスカーがこの少女に惹かれてやまない理由が少し理解できる気がする。
ミハエルはディーナを見返し、あらためて頭を下げた。
「本当に、すまなかった」
「もう、そこまでにしてください。これ以上謝られると、わたしが居づらくなってしまいます」
「そうか? ………そうだな。君は、そういう人だ」
ミハエルは苦笑いした。
彼女に不快な思いをさせたいわけではない。
償いは、これからのミハエル自身の課題だ。
「………」
「……?」
ミハエルは、労わるように優しく微笑むディーナをじっと見つめた。
今、部屋にはふたりだけだ。もうこんな機会はないかもしれない。
ずっと、彼女に聞きたかったことがあった。
「君は、『何』だ?」
ディーナが目を見開いた。
言葉の意味が理解できないという、純粋な驚きの表情だ。
ミハエルは記憶をたどるように説明を始める。
「俺が自分の祝福者の力に気づいたのは、君と街で会った日の夜だ。窓を開けると強い風が吹き込んで、無数の精霊の光が部屋中を駆け回った。そして鏡に映った自分の目の色に気づいて………あのときは本当に驚いた。でも思い返せば………街で君からあの白い花を受け取り、『風の加護があるように』という言葉をもらったとき。たぶん、俺の中で何かが起こった」
核心に触れる前に、ミハエルはごくりと息を呑んだ。
「祝福者としての力を得た今ならわかる。あれは『祝福』だった。俺の中で、産まれてからずっと閉じられていた精霊力が、君の言葉で表に出ることを赦されたんだ。………君は一体、何者なんだ?」
ディーナは真剣な顔でミハエルの言葉を聞き、なにかを考えるように口元に手を当てた。
ミハエルは祈るような気持ちで彼女の言葉を待つ。
答えてくれるだろうか。
あの日の奇跡の秘密を、明かしてくれるだろうか。
ディーナは少しだけ緊張した表情で口を開いた。
「祝福なんて………そんな大げさなことではありません。実はわたし、少しだけ精霊の声が聞こえることがあるんです。望んでも聞こえないこともありますし、会話ができるわけでもないのですが」
今度はミハエルが驚く番だった。
祝福者としての力を得たミハエルも、精霊の声というものは聞いたことがない。
以前はわからなかった精霊の存在が光の軌跡として見えたり、気配を感じたりできるようにはなった。
しかし祝福者ではない彼女が、精霊の声を聞くことができるとは………。
「街でミハエル様にお会いしたとき、あなたの周りで楽しそうに笑う、たくさんの精霊の声を聞きました。夜会でお会いしたときに感じたことはなかったので、屋外だからこそだったのでしょうね。………祝福者だと気づいたわけではなかったのですが、オスカーが火の精霊に好かれているように、ミハエル様は風の精霊に特別に好かれているんだなと感じました」
ミハエルは、風にさらわれた彼女の帽子が、意志あるもののように手元に舞い込んだことを思い出す。
「精霊に見放され、忘れられているとあなたが言ったとき、精霊たちは悲しそうな声を上げました。だから………『風』は確かにあなたを慕っているということに、気づいてほしかった。………それだけなんです。わたしがなにか、特別なことをしたわけではありません」
「………そうか。『それだけ』、か」
ディーナを見たミハエルは、眩しいものを見るように目を細めた。
そして目を閉じて、小さく笑う。
ミハエルは理解した。
きっと彼女自身わかっていないのだ。
あの日、彼女がどんな奇跡を起こしたのか。
それはもう、ミハエルだけの秘密となったのだ。
開いている扉をちらりと見る。
ここからでは見えないが、扉の外では黒髪の美しい猛獣のような男が苛立ちもあらわに待ち構えているに違いない。
「そろそろ君を解放しないと、風の公爵家が歴史上から抹消されそうだな。………迷惑をかけた。君にも、彼にも。今後、俺に可能なことであればなんでも言ってほしい。力になると約束する」
「ありがとうございます。では、失礼しますね。ミハエル様のお身体が、早く回復しますように」
部屋を辞する前の、ミハエルの体調を気遣う何気ない言葉。
そのときまた、やわらかい風がふわりとミハエルを包んだ。
ミハエルは少しだけ驚いたが、もう「君は何者か」と問うことはしなかった。
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ミハエル・エーデルシュタインは新たな風の公爵となった。
そして、彼が眠らせていた力を発現させ、『風の祝福者』として覚醒したことが大々的に発表された。
実に百二十年ぶりの風の祝福者の誕生、そして四大公爵家すべてに祝福者が揃うという慶事に、国民は大いに沸いた。
精霊に愛され祝福者となった、若く見目麗しい公爵の存在は、国中の令嬢の目の色を変えさせ星の数ほどの縁談が押し寄せたが、かつて女遊びが激しいと言われていた新公爵は、「この手の話は懲りたから、しばらく遠慮したい」と逃げ回っているとか、いないとか。
お読みいただきありがとうございます。
次回が最終回となります。
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