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4.王宮の大夜会2

 (きら)びやかに輝くシャンデリアの灯りが、王宮の広いホールの隅々にまで散りばめられていた。

 夜を忘れさせる光の洪水の中で、華やかに着飾った女性や正装に身を包んだ男性たちが笑いさざめく。


 人々は楽団が奏でる耳触りの良い音楽を聴き流しながらグラスを傾け、来場者の名がコールされると時折視線を入場口に注いでいた。

 ディーナたちが入場するといくつかの親しげな、あるいは無遠慮な視線が集まり、すぐさま散っていく。


 ディーナは父にエスコートされ、知人に次々と引き合わされた。

 儀礼的な社交を好まない父の意外な顔の広さに驚きはあるが、二度目なので慣れたものだ。

 とはいえ、すでに顔も名前も、そして父との関係性も理解している人々に対し、不自然にならないよう挨拶をするのは思いのほか緊張を強いられる。


 ひと段落して、久しぶりに顔を合わせた友人と談笑を始めた父から少し離れ息をつくと、開いた扇で慎重に顔を隠しながら、ディーナは広いホールを見渡した。


(いる)


 ディーナたちから離れた場所で歓談している人々を視界にとらえ、鼓動がひとつ大きく跳ねた。


 視線の先に映るのは、先程来場時にコールされホール中の視線をさらった、我が国の四大公爵家のひとつ、『火の公爵家』であるヴァールハイト家の人々だ。


 ヴァールハイト公爵と公爵夫人。

 そして、次期公爵たる令息。


(オスカー・ヴァールハイト………)


 ディーナの命を絶った男が、目の前にいる。

 扇を持つ手にわずかに力がこもった。


 艶やかな黒髪の男性が身に纏う、朱の刺繍も鮮やかな漆黒のジュストコール。

 それを一層引き立てるのは、左の耳朶を彩る見事な紅玉の耳飾りだ。

 背は高いが、細身なので威圧感はなく、均整の取れたしなやかな立ち姿をしている。

 後姿なので顔は見えないが、その瞳は……()()おだやかな(はしばみ)(いろ)に違いない。


 前世の彼のやわらかな声が、閉じていたディーナの記憶をわずかに押し開いた。



『ご令嬢(フロイライン)、僕と踊っていただけますか?』



 あのときも、ディーナはこの場所に立っていた。

 この大夜会で、すべてが始まったのだ。


(そうだ………思い出したわ。このあと、オスカー様が急になにかを探すようにあたりを見回したのよ。わたしと目が合った途端にすごい勢いで押しかけてきて、ダンスに誘われた………)


 唖然としたまま、おだやかだが強い熱に押されて彼の手を取ると、夜会の作法も知らずに三曲続けて踊り終えるまで離してもらえなかった。

 そのあと真摯に想いを告げられ、恋人同士になったのだ。


 前世で聞いてみたことがあった。

 大夜会のとき、なぜ前触れもなくディーナの方へ視線を向けたのかと。

 オスカーは少し考え込んだ後、『そうしなければいけない気がしたから』とだけ言って、それ以上は教えてくれなかった。

 思い返せば、なかなか奇妙な始まりであったと思う。


(………移動した方がよさそうね)


 ここにいては、前世と同じシーンを再現することになる。

 ディーナは友人と話が尽きない様子の父に一言断り、静かに、そして速やかにその場を離れた。


 この時点では、オスカーはまだディーナという人物の存在自体を知らない。

 存在を知らなければ、関係が深まることもありえない。

 オスカーから死角となるような位置に立ち、ディーナは壁の花となってひっそりと息をついた。



 ******



 ディーナが息を潜めている間、オスカーはたくさんの令嬢から次々に話しかけられていた。


 家柄は申し分なく、年齢も二十一歳と適齢期であるにもかかわらず、どういうわけか婚約者はまだ決まっていない。

 結婚を考える年齢の娘を持つ貴族が、どうにかして公爵家との縁をつなぎたいと目の色を変えるのも無理はない。

 おまけに素晴らしい美貌の持ち主ともなれば、親に焚きつけられたからではなく、一夜の夢だけでもと望む令嬢も大勢いるだろう。


 オスカーとは別に『適齢期を迎えた四大公爵家の令息』は他にもうひとりいるのだが、今夜はどこへ隠れたものか姿が見当たらない。

 そのためもあって、オスカーに群がる者がいつも以上に多い。


 大夜会には高位貴族から下位貴族までが一堂に会するので、なかなか高位貴族との接点が持てない下位貴族のご令嬢方は、またとない機会にはりきってしまうのだろう。

 ディーナは華やかな集団からしっかり距離を取った。


(ふふ。上手にかわしているけど、大勢に囲まれて少し困っているみたい)


 ディーナは扇の陰でくすりと笑った。

 この様子では、ディーナに目を向ける暇はないだろう。


 今の彼は、特定の誰かに視線を注いでいるようには見えなかった。

 でもいずれ、あの中の誰か………もしくはここにいない誰かに、思いを寄せるようになるのだろうか。



 前世でディーナはオスカーに裏切られ、彼自身の手によって殺された。

 彼に大切にされていると信じていたが、そうではなかったのだ。


(………わたしは、彼に殺したいと思うほど憎まれたのかしら。それとも、他に愛する人が現れ、遊びの恋が邪魔になった?)


 そう考えるのは少し胸が痛んだが、すでにそれは存在しない未来だ。


 今度こそ、オスカーはディーナと出会う前に、その『真に愛する女性』と出会って添い遂げればいい。

 そうすれば、彼はディーナを殺してその手を汚す必要もない。

 ディーナもまた、殺されず生き延びることができれば、違う未来を望めるはずだ。


(そうすれば、お互い『幸せ』になれるでしょう?)


 物思いに耽っていたそのとき、横から声をかけられた。


「あの、ご令嬢(フロイライン)……」


 振り返ると、オレンジ色の髪の身形(みなり)の良い少年がディーナを見つめていた。

 ディーナより少しだけ年下だろうか。

 少年は頬に赤みのさした緊張の面持ちで、おずおずと手を差し出す。


「もし、よろしければ……、その、ぼ、ぼくと踊りません……か?」


 ディーナは扇の陰で、少しだけ思案する。


 少年は女性を誘い慣れてはいない様子だ。

 しかし、彼がディーナに興味があって声をかけてきたかどうかは、非常に疑わしい。


 ホールには美しく装った魅力的な女性がいくらでもいる。

 わざわざ、誰の興味も引かない地味な壁の花に声をかける必要があるだろうか?

 おそらくディーナは、声をかける練習台に選ばれたのだ。

 正直、あまり嬉しくはない。


 慎重に行動したいと考えているディーナは、神妙な顔を作って丁寧に膝を折った。


「お誘いいただき光栄です。ですが、申し訳ございません。わたし今日は………どなたとも踊ることができないのです」

「あ、そ、ソウデス、か。あああ、あのあのだだ大丈夫ですっ」


 さらりとかわされた少年は、茹で上がったように真っ赤になり「失礼しまスッ!」と裏返った声で叫んで唐突に(きびす)を返した。

 ディーナの前から急いで立ち去ろうとバランスを崩し、近くを歩いていた女性とぶつかりそうになる。


「きゃっ………!」


 小さな悲鳴と同時に、女性の手にあったグラスが手から離れた。

 落下しフロアに落ちて砕けるか、という瞬間、ドレスの(すそ)(さば)いて踏み込んだディーナの手が間一髪グラスの柄を掬い上げる。

 零れたカクテルが少し手を濡らしたが、グラスの砕ける音を響かせずに済みほっと息をついた。


「まああ……騎士のよう……いいえ、魔術のようでしたわ!」


 女性は驚きに見開いた檸檬色の瞳を、ぱちぱちと瞬かせた。

 ぶつかりかけた少年は、事態に気づかなかったのか逃げ足が速いだけなのか、すでに姿が見えない。

 ディーナは彼が立ち去ったであろう方へ視線を向け、思った以上に打たれ弱かった少年に対し、もう少し婉曲に断るべきだったかと眉を下げる。


 しかし女性にぶつかりかけて詫びもせず立ち去るのはやはりいただけない。

 出直してきたまえと心の中で呟いておく。


「急に人が横切って驚きましたわ」


 不機嫌で気位の高そうな声を聞いてディーナは女性に向き直り、空になってしまったグラスを掲げ、指先で揺らした。


「お怪我がなくてよかったです。でも中身は零れてしまいましたし、別の飲み物をお取りになった方がよろしいと思います」

「そうしますわ。まったく、わたくしにぶつかりかけて詫びもせず立ち去るだなんて! どこの家門の方かしら」


 女性は華やかなキャンディピンクの髪を揺らして不快そうに眉を顰める。

 ディーナが給仕にグラスを渡し汚れたフロアの後始末を頼むのを見届けると、豪奢なドレスを翻し立ち去っていった。


 ディーナは、はっと我に返って周囲を見回したが、今のゴタゴタで特に人目を引いた様子はなく、オスカーの姿も見当たらない。

 安心してほっと息を吐き、ハンカチを取り出してカクテルで濡れた手を拭く。


 ドレスを汚さずに済んでよかった。

 せっかく頑張ってくれたケイトが泣いてしまうかもしれない。


(う~ん、少し新鮮な空気を吸いたいわね)


 ディーナはハンカチを仕舞うとパチリと扇を鳴らし、気分転換に屋外へ出ることにした。


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