45.炎よりも激しく、風よりも疾く
「隠し通せないと思いますけどね」
オスカーは冷たい声で、身も蓋もなく言い放つ。
情け容赦のないオスカーの物言いに、ミハエルは渋い顔をした。
「これ以上、便利な駒扱いはごめんだ」
長椅子にどさりともたれかかり、長い脚をぞんざいに組む。
ミハエルの礼儀正しいとは言えない態度にオスカーは眉を顰めてみせたが、内心では彼に対する評価を変えざるを得なかった。
(この男がディーナを害する可能性は………低いような気がする)
前触れもなく現れた風の公子は、現れ方同様、話の内容も恐ろしく突拍子もないものだった。この話をわざわざオスカーに持ち込んだことに対しても、道理にかなっていると言えなくもないが、それでも驚きを隠せない。
しかしなぜそんなことが起こったのか、オスカーでさえわからない。
今までの無数の回帰の中でも、まったく未知の話だった。
そこに少なからずディーナの存在が関わってくることも気にかかる。
(しかし………なかなか興味深い)
さて、次期火の公爵として、どう判断すべきか。
顎先に手を添え、思考を巡らせる。
「君自身はどうしたいのです?」
「………さあな。自分でもよくわからない。ただ、ほとほと嫌気がさしたんだ。特に、父の醜悪さにはな。だから先輩にご教授いただこうと思ったのさ」
ミハエルは偽悪的にニヤリと笑ったが、嫌気がさしたという言葉に嘘は感じられない。そしてミハエルが『父』と言った言葉に、親愛の情が欠片も含まれていないことにオスカーは気づいた。
風の公爵家の父と子の間に、修復し得ない亀裂があるのは間違いない。
オスカーは書類の束からひらりと一枚を抜き取り、慎重に口火を切った。
「………話は変わりますが。君の崇拝者は、君と同じ香水を好んで身につけるそうですね?」
「? 何の話だ? 崇拝者? ………ああ、まあ、なにをつけているか聞かれて答えることはあるな。確かに同じものを使っている令嬢もいるようだ。特に気にしたことはないが」
「このリストの中に、君が引っ掛かりを覚える人物はいませんか? ディーナとなにか小さな諍いがあったとか。どんなことでも構いませんから」
「ディーナ嬢? これは………俺と同じ香水の購入者リスト⁉ なんだこれ?」
ミハエルは顔を顰めながら書類とオスカーを見比べる。
しかしオスカーの真剣な様子を見ると、怪訝な顔をしながらも再びリストに目を落とした。
「そもそも俺とディーナ嬢はそれほど接点がない。彼女の交友関係なんて、俺が知るわけがないだろう。君の方が、よほど詳しいんじゃないのか?」
「それでも、君の視点から見てほしいんです」
「うーん………うん?」
ミハエルはリストの一点を見つめた。
「何か気になることがありましたか?」
「この、『シェリル・デルファ』って、ちょっと目立つピンクの髪の令嬢だよな?」
「………そうですね。デルファ侯爵家のご令嬢です。ディーナは今日、彼女の家のお茶会に招かれていますよ」
「へえ、仲が良いのか」
ミハエルはどこか渋い顔をする。
その表情を見て、オスカーは少し眉を顰めた。
「どうしました? なにが気になるんです?」
「………魔獣騒ぎが起こる前………彼女に好きだと言われた。恋人にしてくれと。まあ、断った。最近はあまりそういったことに乗り気になれなくてな。そのときに、ずいぶん泣かれたんだ。どうして、なんで、あの女のせいなのかって。興奮してて、ちょっと厄介だったな」
「あの女………?って誰のことです?」
「さあな。最近は誰も側に置いてないし、過去のことならなおさら見当がつかない。それと昨日、彼女が公爵邸にいるのを見かけて、あわてて身を隠したんだ。あれは驚いたな」
「なんですって?」
「義母とお茶をしていたようだ。顔までは見ていないが、あの目立つ髪色は、たぶん間違いない。義母は身体が弱いし内向的だから、屋敷に人を招くことはほとんどない。めずらしいこともあると思ったんだが………」
(シェリル・デルファとヘンリエッテ・エーデルシュタインに、接点がある?)
風の公爵夫人であるヘンリエッテについても調査は行われ、交友関係も書類に記されていたが、その情報は初耳だ。ふたりのお茶会とやらは昨日の話だから、まだ情報が上がってきていないのだろう。
そもそもヘンリエッテは邸宅に籠りがちで、ろくな社交歴がない。
社交が不得手で有名な風の公爵夫人と、侯爵家でありながら斜陽の一途をたどっているデルファ侯爵家の令嬢に個人的交流があるのは奇妙な話だ。
オスカー自身はどの回帰でもシェリルという令嬢と深く関わったことはなく、常にミハエルに心酔している女性という印象しかない。
ディーナとシェリルの関りも同様になかったが、今回ディーナと彼女の間に僅かながら交流が生まれたのは、アレクシアとの間に新たに築かれた友情のように、彼女が回帰の記憶を持ったことによる影響のひとつにすぎないと思っていた。
今日のお茶会は、ふさぎ込んでいるシェリルを励ますための、彼女の母親からの招待だと聞いている。
デルファ家当主にたいした力はなく、身の程をわきまえないようなギラついた野心も持ち合わせていない。ディーナには今日も密かに護衛をつけており、特に問題はないと思っていたが………。
オスカーは背に嫌な汗が流れたことに気づいた。
自分は、なにか重大な見落としをしていないだろうか。
「ヴァールハイト?」
黙り込み、青ざめるオスカーをミハエルが訝しむ。
そのとき、突如として執務室の中に何本もの火柱が吹き上がった。
「……っ!」
「なにっ⁉」
轟音を上げふたりを取り囲むように激しく燃え上がり、始まったときと同じように、瞬く間に書き消える。
後には何も残らない。
ただ、オスカーの瞳だけが紅く染まっていた。
「な、んだ………今の? 君の精霊力か?」
ミハエルが戸惑い、炎の現れたあたりを見回したが、それには返事をせず、オスカーは蒼白になりながら掌に聖剣を顕現させた。
急に現れた抜き身の剣を見たミハエルは一瞬自分が何かされるのではないかと焦り、腰を浮かせた。
しかしオスカーは聖剣の刀身が光っていないことを確認すると、またすぐに剣を消失させる。
大丈夫だ。まだ、失われてはいない。
しかしさっきの現象は間違いなく精霊の警告だ。
このままでは、また取り返しのつかないことが起こる。
「ディーナが危ない」
「は?」
「行かなければ………!」
「な、ちょ、どうした⁉ ヴァールハイト!」
何の説明もなく、周りが見えていない様子で執務室から飛び出そうとするオスカーの腕をミハエルが掴み、強引に引き留める。
「離せ! ディーナが………っ」
「落ち着けっ! 彼女がどうした⁉」
「このままじゃ、殺される‼」
「⁉ は⁉ ………待てっ、どこへ行く気だ! 場所はわかっているのか⁉」
「場所ならわかる!」
デルファ侯爵邸の場所は把握している。
しかし、今から馬を用意して駆けつけたとして、果たして間に合うのか。
今この瞬間にディーナの命は脅かされているのに。
(駄目だ………っ!)
血にまみれた冷たい躯を思い出し、絶望に気が遠のく。
しかし思いがけず力強い声がオスカーを叱咤した。
「なら、俺が連れて行ってやる」
「何を」
「来い! ヴァールハイト!」
ミハエルはオスカーの腕をぐいぐいと引き、扉ではなく掃き出し窓の方へ導いた。
大きな窓を勢いよく開くと、オスカーを睨みつけるように見据える。
「荒っぽくなるからな、覚悟しておけよ‼」




