表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

41/55

40.あの日の答え合わせを

 オスカーが辺境伯邸を訪れた。

 今回は以前のような急な訪問ではなく、きちんと先触れを出した上での正式な訪問である。


 花束を抱えて微笑むオスカーは、それは美しかった。

 ただ立っているだけで目が眩むほどの美貌なのに、ディーナの手を取って口づけを落とし、「会いたかった」と甘い声で囁かれたとき、ディーナはひっくり返りそうになった。

 ………使用人たちはひっくり返っていたかもしれない。



 しかし応接室へ入り、当たり障りのない挨拶から始まった会話は、すぐに途切れがちになった。久しぶりに会ったオスカーは確かに嬉しそうにしていたのに、段々と表情が曇りがちになり、今は緊張して顔色もあまり良くない。


「オスカー。今日は、夏至祭の魔獣の件でいらしたのですよね?」


 今日彼がディーナを訪ねてきたのは、二週間前に中型魔獣が出現した事件について、ディーナの視点での話を聴きたいという用件だったはずだ。

 しかしディーナの問いに、オスカーは表情を硬くした。


「そうですね。そういう口実でした」

「口実? ………というと、実際は違うのですか?」

「貴女に訊きたいことがあるのは本当です。………僕は今から、貴女に酷な質問をしなければなりません」


 膝の上に置いた拳をきつく握りしめ、オスカーは怖いほど真剣な表情でディーナを見つめた。


「………あの最期の日、青薔薇の咲く庭園で貴女になにが起こったのかを。貴女の覚えているすべてのことを、聞かせて欲しいのです」

「!」


 思ってもいなかった言葉に、ディーナは目を見開く。


「惨いことを言っているのはわかっています。しかし、回帰した貴女の記憶があれば、僕だけではわからなかったことが見えるかもしれません。この回帰での言動から推察すると、おそらく貴女の記憶は不完全なのだと思います。しかし、一見欠けている記憶の中に、わずかにでも手がかりが残されているのなら、僕はそれが欲しい」


 オスカーが意志のこもった強い眼差しでディーナを見つめていた。

 ディーナに死の追体験を強いなければならないことで、おそらく彼は自分を責めている。それでもディーナの命を掬い上げるために、憎まれ役を買ってでも困難な道を切り開こうとしているのだ。


 ディーナはおもむろに長椅子から立ち上がりテーブルを回り込むと、オスカーの横に並んでぽすりと腰を下ろした。


「? ディーナ?」


 わけがわからず驚いた顔をしているオスカーの手を取り、彼の肩へもたれかかって目を瞑る。


「どうしました? 具合でも………」

「お話しします。わたしが覚えていることすべて。そして、忘れてしまっていることも、頑張って思い出してみようと思います。だから、こうしていていいですか?」


 目を閉じ、頭を預けたままディーナが言葉を紡ぐと、彼が息を呑む気配を感じた。大きく温かな手が、ゆっくりとディーナの髪を撫でる。


「もちろんです。聞かせてください。貴女の苦しみを、どうか、僕に分けてください」


 死を正面から見つめるのは、容易いことではない。けれどここにはオスカーがいる。ディーナは決意とともに大きく息を吸い、閉じた瞼の裏にあの日の光景を克明に思い描いた。



「青い薔薇が、たくさん咲いていました。あれがどこなのか………今のわたしにはわかりません。酔うほどの薔薇の芳香があたりに満ちていて、気づいたらわたしひとりで。ここを刺されてたくさん血を失って、もう動くことはできませんでした」


 ディーナは自分の腹をドレスの上からそっと押さえた。

 夢を遡るように、ゆったりとした口調で語る。


「どれくらい経ったのかわかりませんが、オスカーが庭園に現れて………。あなたの、笑った声を聞きました。それから………苦しいかと訊かれて……たぶん、なにも答えられなかったと思います。銀色の短剣が青白く輝くのを見て、あなたの………口づけを感じて………。そして、胸を刺された衝撃を感じました。それでおしまい、です」



 覚えている限りのことを話し終えると、オスカーは無言のまま、堪えきれないようにディーナをかき(いだ)いた。

 ディーナは身体を預けて彼の背に手を回し、広い背中をそっと撫でる。


 なにも言葉は発さなかったが、オスカーは震えていた。

 ディーナは、裏切っていたのがオスカーではないと知って、一番つらいと感じていた哀しみは拭われている。

 たぶん、この件で深く傷ついているのは、ディーナよりもオスカーなのだ。


 少し落ち着いてから、オスカーが青褪めた顔を起こした。


「あれは、王宮に数多くある庭園のひとつです。あの日、貴女は王宮にある火の公爵家の執務室に来る予定でした。でも、時間が過ぎても貴女は現れず………都合が悪くなったのかとも思ったのですが、そうしているうちに、執務室に差出人不明のメッセージが届きました。………不愉快な内容が書いてあり、貴女を探しに出ました。やっとあの場に辿り着いたときには、聖剣が………光を帯びていました。僕は……、また、間に合わなかった」


 ディーナの頭をするりと撫でてからダークブラウンの髪を一筋すくい取る。


「笑っていたのは………おそらく、自分の愚かしさに絶望していたからでしょう。正直あまりよく覚えていません。あのときの僕は、壊れていました。いや、今もきっと壊れたままだ。貴女がここにいるから、どうにか正気を保っていられるだけです」


 オスカーは手に取った髪に口づけを落とし、憂いを含んだ瞳でディーナを見た。


「口づけにも、意味はありません。ただ、僕がそうしたかっただけ………いや………もしかすると、意味はあったのかもしれません。本来、回帰は所有者にしか起こりません。たとえ貴女が僕の半身とはいえ………。もしかしたら、口づけと聖剣を同時に受けたことが、例外的な貴女の回帰を招いたのかもしれません。今となっては、証明のしようもありませんが」


 たとえ聖剣の正当な所有者であっても、聖剣のもたらす神秘のすべてを知っているわけではないようだ。

 オスカーはディーナに向き合い、肩に手を置いた。


「ディーナ、思い出していただけませんか。僕が庭園へ現れる前のことを。貴女がなぜ火の執務室には現れず、青薔薇の庭園へ足を運んだのか、誰に刺されたのか」


 ディーナはオスカーの強い眼差しを受け止め頷くと、静かに目を閉じて自らに問いかけた。



 自分は何を忘れているのだろう。

 ディーナを殺したのが、オスカーではないと知った今ならば、思い出せるだろうか。


 深く集中したそのとき、頭にズキリと痛みが走り、ぱちぱちっと何かが弾けるような音が聞こえた気がした。



『~~~第四王女殿下と―――』

『―――は捨てられ………』

『ふしだらな====』



 詰るような声の断片が、記憶の底から浮かび上がる。

 性別も年齢もわからない。一方的に投げられる呪詛の声がディーナを蔑み、オスカーの裏切りを告げていた。



 ディーナはぱちりと目を開く。


「刺されて朦朧としていたとき、誰かが耳元で囁いたんです。『オスカーは第四王女殿下と婚約をする。お前は単なる火遊びの相手。どうせすぐ捨てられるくせに調子に乗って、ふしだらな女』………とか」


 記憶を写し取るように言葉に出してみると、思った以上に正確に再現できて自分で驚いた。言われた内容がショックだったからだろうか。

 しかし、相手の嘲るような口調は思い浮かんでも、声音が思い出せなくてもどかしい。


「嘘だ‼ 僕は貴女以外を望んだことなどない!」


 オスカーが激しい言葉で否定する。


「隣国の王子と我が国の第四王女殿下の婚約が破談になるのは事実です。王女の新たな嫁ぎ先として、婚約者を持たない僕が候補に挙がる可能性は確かにあります。しかし、僕はその話の結末を知っている。王女は、近衛騎士団の副団長と相愛なのです」

「えっ⁉」

「破談が公になると同時に、副団長が陛下に王女の降嫁を願い出ます。王女の命を救ったことのある副団長はその功績を考慮され、降嫁が許される。だから、僕との婚約が具体化することはありません」


 それは、オスカーが巻き戻りを繰り返す中で知った未来なのだろう。

 ディーナは意外なロマンスに素直に驚いたが、オスカーの憤慨は収まらなかった。


「許しがたい偽りを………! 『ふしだら』という言葉、執務室に届いた『ふしだらな悪女に制裁を』と書かれた不審なカードと犯人像が重なります。何者です、ディーナ。貴女を貶めたのは………!」



 誰、だっただろう。

 ディーナに偽りを語ったのは。

 目を凝らしても、霞みがかった記憶の向こうがどうしても見えない。


 それになぜ、ディーナは、オスカーよりも偽りを信じたのだろう。

 死に瀕して正常な判断力を失っていた所為もあるのかもしれない。

 しかしぼんやりとだが、それ以外の理由もあった気がする。


「………匂い」

「匂い?」


 ディーナは首を傾げた。

 自分の口から出てきた言葉を吟味するように考える。


「よく、わかりません。急にふっと浮かんできて………。そう、あのとき。オスカーから嗅ぎなれない匂いがしたのです。確か………あのときのわたしは、それを女性ものの香水だと感じた覚えがあります。それが、オスカーに別の女性がいる証のように思えて」

「貴女以外の女性なんて興味ありません。……それにあの日、特に女性と接触した覚えもないのですが」


 自分の記憶を辿り首を傾げるオスカーを見上げて、ディーナは頷く。


「もちろん、今は違うとちゃんとわかっています。ただ、ごめんなさいオスカー。あのときの感情が強烈な刷り込みのようになって、あなたのありもしない裏切りを、ずっと信じてしまっていました」

「いえ。状況から、貴女がそう感じるのは無理もないことです。……それにしても、僕から他の誰かの香水の匂い、ですか。まさか、内ポケットに入れていたメッセージカードか? 確かに、何か香りが………」


 オスカーは表情を険しくし懸命に思い出そうとしていたが、やがて首を振った。


「すみません。あのとき冷静ではありませんでしたから、匂いについてはあまり思い出せないようです。貴女はどうです? 具体的には、どんな匂いでしたか?」

「薔薇とは違った甘く華やかな花の香りの中に、スッとする……ティートリーのような香りが混じっていました。……そういえば、最近どこかで似たような香りを嗅いだような………」

「どこです⁉」


 いつか、どこかで。ふわりと風に乗った香りを。


「………ミハエル様………?」

「ミハエル? ミハエル・エーデルシュタイン⁉ あの男………!」


 ディーナははっと我に返って口元を押さえたが、一度零れた言葉をなかったことにはできない。


「いえ! ただ似ているような気がしただけで、まったく同じ香りかどうかはわかりません! それに、ミハエル様はそのようなことをする方ではないと思います」

「ディーナ………あの男を庇うのですか?」

「そうではありません!」



 普段温厚なオスカーが、地を這うような声を出し敵意をむき出しにする姿にディーナはあわてたが、必死に宥めてどうにか冷静さを取り戻してもらった。

 夜会での一触即発の場面といい、どうも現世のふたりの間には、今まで以上の対抗心があるような気がする。


「しかし、香水か………。僕はあの日、他人と香水が移るような接触をしていない。なのに僕のものでない香りがしたとすれば、内ポケットに入れていたメッセージカードのもののような気がします。………喉から手が出るほど欲しかった、貴女の記憶の欠片です。エーデルシュタインの香水について、調べてみることにます」


 オスカーだけでは得られなかったひとつの手がかりに、固く閉じられ続けた扉が開かれようとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ