3.王宮の大夜会1
ヒーローは次回から登場します。
しばしお待ちください。
時計塔の修理は恙なく終わり、何事もなかったように正しく時間を刻み始める。
花綻ぶ春の訪れとともに、ディーナは故郷であるシュネーヴァイス領を離れ、再び王都へ戻ってきた。
今日は『水の精霊の日』だ。
この世界は、原初の女神がお創りになったと言われている。
そしてディーナの祖国であるガイスト王国は、女神によって生み出された精霊たちに愛され、特別な加護を授かる国として知られていた。
火、水、風、地。
それぞれの『精霊の日』には王宮で神聖な儀式が行われるそうだが、それは王家と四大公爵家が執り行うもので、一般には公開されていない。
しかし謎めいた儀式に関心はなくても、この日はシーズンの開幕を告げる大夜会が行われるため、貴族にとっては気合の入る一日だ。
そしてディーナにとっても、社交界への正式なデビューとなる重要な夜である。
………前世を加味すれば、二度目のデビューとなってしまうのだが。
ケイトがディーナの髪を丁寧にブラッシングする。
ほのかな花の香りのする香油を指先に馴染ませ、両サイドの髪を高い位置まで、すいすいと器用に編み上げていく。
おろしている部分の髪も細く編み、それぞれの場所をドレスの共布で作られた艶のあるリボンで華やかに飾りつける。
「前から思ってはいたけれど。ケイトって妙に髪結いが上手よね?」
ドレッサーの鏡越しにケイトと目線が合う。
鏡の中のケイトは、にんまりと得意げに口の端を吊り上げた。
「それはもう! いかに! お嬢様を! 美しく飾り上げるかを! 日々研究しておりますから! ………妄想の中でですけど」
ブラシを握り締め、言葉を区切って力説するケイトは、最後の一言を非常に無念そうな表情で付け足した。
ふてくされたように唇を突き出す仕草がなかなかに子供っぽい。
確か、ディーナより三歳ほど年上のはずである。
「……妄想………?」
「だって、お嬢様は身軽に過ごしたいからとおっしゃって、簡素な装いばかりじゃありませんか」
「むやみに着るものばかり派手にしても仕方ないでしょう。中身が地味なのだし」
幼いころからディーナに対する誉め言葉として、利発そうだとか将来が楽しみだと言われることはある。
しかしそんなあからさまなお世辞にすら、可愛いとか美しいという言葉を聞いた覚えはない。
ディーナの母の容姿は、血のつながった家族としての欲目を差し引いても、なかなかに美しいのではないかと思うのだが、残念ながらディーナは「獅子のようだ」と表現される父に似ていると言われることの方が多い。
美醜で言えば、醜いとまではいかずとも、とりたてて言及するべきところのない凡庸な容姿であるという自覚があった。
「なにをおっしゃいます。お嬢様は『純真さで誑かす清楚系美少女』とか、『色香で骨抜きにする妖艶系美女』というような、わかりやす~く男ウケするタイプではありませんが、輝き弾けんばかりの健康美がございます!」
興が乗ってきたのか、ケイトは熱く語っている。
『健康美』は美人云々(うんぬん)とは尺度が少し違うのではないかと言えば、「独自路線です!」と持論を押し込んでくるケイトに押されて、とりあえずこくりと頷いておく。
「御髪は高級チョコレートみたいなダークブラウンですし、お肌も普段あれだけ陽の光を浴びていらっしゃるのにうらやましくなるほどつやつやですし、唇も頬も血色がよくて、色づいた果物のような瑞々(みずみず)しさです。そしてなにより、瞳の色が」
使命であるかのように力いっぱい主を褒めちぎるケイトが、鏡越しにディーナの瞳をじいっと見つめた。
「明け始めた空の色のような、底まで見通せる澄んだ湖のような、月の光を浴びた青い花のような―――」
「ちょ、ちょっと、ケイト! 吟遊詩人でも目指してるの? 空色の瞳とは言われるけど、さすがにその表現は盛り過ぎよ⁉」
これから愛の告白でもされてしまうのかという勢いに慌ててケイトの言葉を遮ったが、彼女は至極真面目な表情で首を振った。
「いーえ。お嬢様のことを地味だなどとほざく馬鹿どもは、お嬢様のお顔をきちんと見ていないのです。メイクなんて、本当は必要ないくらいなんですけど。戦場に向かうには戦略が必要ですからね。顔の造作ばかりがケバくて中身のないご令嬢方にどれほどの価値がありましょう。そのような者たちに、わたしのディーナ様が侮られることがあってはなりません。ですから今日こそは! わたしの日頃の妄想力の見せ所なのです!」
ケイトは両手指に化粧筆をずらりと並べて構え、ギラリと目を光らせた。
ディーナは基本的に、外見を繕うことには無頓着だ。
そんなディーナにとって、本人よりもディーナの美に情熱を傾けてくれるケイトが、貴重な戦力であることは間違いない。
「さ、仕上げをいたしませんと」
「………ええ、お願いね」
燃え滾るケイトの使命感に圧倒されながら、そわそわとディーナは居住まいを正した。
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「なんだか戦いを前にした戦士のような顔をしているな?」
大きな身体を窮屈な正装に押し込んだノルベルト・シュネーヴァイス辺境伯は、美しく装い階段を降りてくる愛娘に目を瞠った。
ディーナが引き締まった表情で背筋を伸ばし足を運ぶさまは、淑女教育の行き届いた貴族令嬢ではなく、隙のない騎士を髣髴とさせる。
帯剣してないのが不思議なほどだ。
ディーナは武骨な剣の代わりに、優美な花飾りのついた扇を手にしていた。
「お待たせしました、お父様」
ディーナはノルベルトの前に姿勢よく立ち会釈をした。
国境に面した領地を治め、国防の要たる強力な軍事力を保持する辺境伯家当主であるノルベルトもまた、貴族というよりは鍛え抜かれた軍人のような風貌の持ち主だ。
その風貌を獅子のようだと評する者もいる。そして中身も違わず、獅子のような苛烈さを備えていた。
しかし猛き獅子も、守るべき家族には違う顔を見せるものだ。
いつの間にか健やかに頼もしく成長した娘の姿を見て、ノルベルトは嬉しげに目を細めた。
「見違えたぞ。月日が経つのは早いものだ。デビュタントのときのラウラを思い出すな。よく似合っている。しかし死地へ向かうわけではないのだから、もう少し気楽にするといい」
「………どのようなときも、油断は大敵です」
これからの時間を思い、ディーナは一層表情を引き締める。
ノルベルトは口角を上げた。
「いい面構えだ。お前が後継者だったら、我がシュネーヴァイス家も安泰なのだがな」
「シュネーヴァイスには、リアムという立派な後継者がおります」
可愛い弟をないがしろにするような父の言葉にディーナは空色の目を吊り上げたが、ノルベルトはいたずらが見つかった子供のような表情で肩をすくめた。
「リアムは優秀だが………気が優しいし、ラウラに似てあまり身体も丈夫とは言えない。それに、どちらかといえば頭脳派だろう? お前が辺境伯軍を率いてくれればこれほど頼もしいことはないのだが」
現在近隣諸国の情勢は安定しており、紛争などの緊迫した事態は長らく起こっていないが、いざ事が起これば、先陣を切り国境を守るのは辺境伯軍の役目となる。
統率力のあるトップの存在は欠かせないのだ。
リアムはまだ九歳で成長の余地はあるものの、今のところ剣術の素質はあまり期待できなかった。
はっきり言えば十人並み以下である。
そして、ディーナの剣術のレベルは女性ながらに頭一つ抜きんでており、いざとなった折の胆力もある。
注ぐ愛情に差がなくとも、典型的な脳筋タイプのノルベルトの目線からふたりの資質を判断すると、どうにもディーナに軍配が上がるのだ。
例外はあるものの、爵位の継承は基本的に男子優先が慣例だ。
後継として男女を同格に考えるノルベルトの考えは、めずらしいタイプと言える。
しかしそれが家族と領地と国にとって望ましいことであるのなら、そうするべきだというのがノルベルトの主義だった。
ディーナが溜め息を吐き、どこか呆れたようにノルベルトを見上げる。
「お父様が真に望まれるのでしたら、リアムが辺境伯となった暁には、わたしが領の騎士団長にでも就きましょう」
「それは良い考えだな!」
ノルベルトは破顔した。
今宵夜会デビューする自慢の娘を恭しくエスコートし、誇らしい気持ちで馬車に乗り込んだ。
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