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34.夏至祭5

 同じ賊相手でも、前世のオスカーは精霊の炎を使って応戦していた。しかし今回は周囲に木造の建造物が多かったので、炎を使うことを控えたのだと思う。


 だから、あの銀色の剣を使った。

 それがディーナを激しく動揺させるとは思いもせずに。


 神秘的に輝くその剣を見て、ディーナは一瞬、自分が青薔薇の咲く庭園にいるような錯覚に陥った。

 緊迫した状況であることを思い出しすぐ正気に戻ったが、事態が落ち着いた今になって揺り戻しのように感情が乱れている。


 もう、あの剣が憎しみによって自分に向けられるとは少しも思わない。

 しかし―――。


 頭の奥に、覚えのある痛みが走る。記憶の奥底を覆う薄い殻のようなものが、細くひび割れる音が響いた。

 その不快さにディーナは思わず眉を顰める。


「怖かったですか?」

「………え?」


 ぽつりと呟かれたオスカーの声が届くのに、少しの時間がかかった。


「先程の襲撃です。貴女は並の女性とは違う。しかしそれに甘えて、僕も忘れそうになることがある。勇敢な貴女も、あのような状況に恐怖を感じるかもしれないということを」

「違います。わたしは………」

「でも、震えています」


 オスカーはディーナの手を取り、繋いだ手に力を込めた。

 労わりと苦悩の眼差しがディーナを見つめている。


「貴女を苦しめたくない。恐れるものがあるのなら、いくらでも僕を盾にしてくださって構いません。しかし、もし貴女の恐れるものが………僕なのだとしたら」


 オスカーは陽が消えていく宵闇の中で静かに微笑んだ。


時期(とき)が来れば………危険が去り、貴女が無事でさえあるなら。………僕は、喜んで貴女の前から消える」


 やわらかな笑みの奥に覗くあまりに深い悲しみに、ディーナは目を見開き、身動きができなくなる。



(()()()()()、恐れる? わたしが? ………違う、そうじゃない。わたしか怖いのは………)



 なにかを言わなければと口を開きかけたそのとき、キィィ―――ンと強い耳鳴りがディーナを襲った。

 反射的に耳を塞ぎ、しかし覚えのある状況にあわてて顔を上げる。


(また、精霊の悲鳴………!)


 しかし今回は、オスカーは目の前にいる。

 オスカーを見上げると、厳しい表情でどこか遠くを睨むように見ている。


「ディーナ。向こうで何かあったかもしれません。精霊の様子がおかしい。見に行かねばなりません。貴女は………」

「わたしも行きます!」

「………そうですね。その方が安全かもしれない。別行動は、かえって危険を招きそうだ。しかし貴女は自分の身を護ることを最優先してください。約束できますか?」

「善処します」

「貴女って女性(ひと)は………」


 善処という言葉にあまり期待できないことを感じたオスカーは苦い顔をしたが、今はあまり猶予がないと判断したらしい。指を口元に充て、ピィッと高く口笛を吹いた。するとそれまで目立たぬようについてきていた護衛二人が素早くオスカーの元へ集った。


「異変が起こったようです。人命に関わるかもしれない。僕の指揮下に入ってください」

「「承知しました!」」

「行きますよ、ディーナ」


 全員で駆けだしてすぐに、夏至祭で集った人々の悲鳴が前方から響きだした。





 川に架かる大きな橋へ辿り着いたとき、あたりはパニック状態だった。

 まさかの光景に全員が目を見開く。


「王都に魔獣……中型が二体も⁉ おまけに小型の群れまで………!」

「なんということだ………!」


 護衛の騎士が驚き強張った声で叫ぶ。


 突如として王都の中心部に現れた魔獣が、夏至祭を楽しむために集まった多くの人々に襲い掛かっていた。

 恐怖に呑まれた人々が逃げ惑い、押し合い、倒れる者もいる。

 真っ先に我に帰ったのはやはりオスカーだった。


「ジークは王宮と公爵家へ急ぎ伝令を! ランディはディーナと一緒に民間人の避難誘導。ディーナ、頼めますか?」

「わかりました!」


 ジークと呼ばれた騎士の背を見送ると、オスカーは邪魔な眼鏡を外し、手の内に銀色の美しい長剣を顕現させる。

 ディーナがはっと息を呑んだときには彼はすでに身を翻し、魔獣の群の中へ身を踊らせていた。


 オスカーは人に襲いかかっていた狼のような魔獣を一体薙ぎ払ってから、真上に手を翳し、眩く輝く大きな炎の塊を打ち上げる。それは花火というよりは号砲のように、ドンッという衝撃音と共に爆ぜた。


 人々の間から恐怖に怯えた悲鳴が上がったが、音の主が魔獣ではなくひとりの人間であることに気づくと、気を取られた人々の乱れた足が一瞬鈍る。

 これを好機と見てディーナが声を上げた。


「火の祝福者様が魔獣を足止めしてくださいます! 力のある男性は動けない怪我人を運ぶのに手を貸してください。慌てず、転ばないように進んで。騎士様の誘導に従ってください!」

「火の祝福者だって⁉」

「あれが火の公爵家の………」

「すごいわ」

「おお、精霊よ………」


 祝福者と聞いて、救いの手が現れたことに気づいた人々が希望に湧いた。


 オスカーは飛び掛かってくる小型の魔獣を剣と炎で切り払い、翻弄していた。

 始めは民衆を無差別に襲っていた魔獣も、すでにオスカーを無視できなくなっている。


 戦いは危なげのないものだったが、オスカーの表情は険しくあまり余裕が感じられなかった。

 彼は上手く魔獣たちの気を引き付けているが、はぐれた魔獣に他の人間を無作為に襲われると数に押されて被害が出かねない。それに、近い距離に守るべき人間がいると大きな力を振るいづらいだろう。

 なるべく早く、人々を魔獣から遠ざけなければ。


 少しずつ人々を避難誘導しながら、ディーナはオスカーの様子を伺う。


 精霊眼が宵闇で獣のように光り、鋭く紅い軌跡を描いている。

 オスカーが身軽に橋の欄干に飛び乗ると、熊のような中型の魔獣が丸太のように太い手でオスカーに襲い掛かり、轟音と共に欄干が破壊された。

 戦いを見守る人々の間に悲鳴とどよめきが起こる。


 しかしオスカーはとうに空中へ逃れており、そのまま体重をかけて長剣を振り下ろした。

 炎を纏った長剣が中型魔獣の身体を裂き、魔獣がどうっと倒れ込む。

 そのまま魔獣は黒い塵となって崩れ、消えていった。

 しかし息を吐く間もなく、飛び掛かってくる小型に炎で対処しながら、もう一体の中型に向かって飛ぶように駆けていく。

 その姿はとても人間とは思えない優美さだった。


(綺麗………)


 吸い寄せられるようにオスカーから目が離せなくなる。

 脆弱で哀れな人間を救済するために地上に降り立った、火の精霊の化身。

 そんな言葉が自然と思い浮かんだ。

 すると、緩んだ警戒を咎めるように、鋭い精霊の声がディーナに向けて発せられた。


 振り返ると、背後から小型の群れの中でもひときわ大きな体格の魔獣が迫っていた。どういうわけか、この個体はオスカーではなくディーナに敵意を見せている。


 ディーナは咄嗟にスカートの裾を跳ね上げ、ベルトで腿に留めた短剣を引き抜いて躊躇なく魔獣の眉間に打ち込んだ。

 異形の黒ずんだ輪郭がぼろりと崩れ、滅んでいく。その様子はどこか、呪具が浄化され崩れ落ちたときと似ていた。


 しかし間の悪いことに、避難中で牙をむいた魔獣を見た小さな男の子が恐慌状態に陥って叫び声を上げた。


「いやあああああ~~~! 助けて! 怖いよおおお!」

「⁉ だめよ! そっちは………‼」


 恐怖から小さな手で両目をふさいだまま、見当違いの方へ走り出す。

 しかし子供が向かった方向は、大型魔獣の怪力で橋の欄干が壊されている場所だ。

 普段ならそこまで水量の多い川ではないが、連日続いた大雨の影響による大幅な増水で、水深も深く流れも速い。

 泳ぎを知らない子供が落ちてただで済むとは思えない。


 ディーナはただ夢中で子供を追いかけた。

 崩れた欄干に突っ込む寸前で身体を入れ替えるように押し返す。


 驚いた子供と、一瞬目が合った。

 濃い茶色の髪と、濃い青色の瞳。

 顔はまったく違うけれど、領地に残してきたディーナの愛する弟を思わせる色合いだった。


(ああ………まにあって、よかった)


 踏みしめるべき場所を失ったディーナの身体は増水した川へ吸い込まれるように落ちていく。

 誰かの絶叫が聞こえた気がしたが、すぐに水音に呑まれてなにも聞こえなくなった。



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