30.夏至祭1
数日間続いた国中を水浸しにするような大雨がようやく止み、明るい陽光が雲間から差し込んだ。久しぶりに姿を現した太陽の下で、使用人たちは溜まっていた仕事を片付けようと忙しく動き回る。
そして訓練場の一角では、模造剣が激しく打ち合わされる音が響いていた。
カンッと鋭い音とともに、片方の剣が弾き飛ばされる。
「そこまで!」
審判役の騎士が制止をかけた。
ディーナがふっと息を吐いて剣を下ろすと、剣を飛ばされた騎士はがっくりと項垂れる。
「ああ、また………。お嬢様に勝てない護衛って存在価値あるんスかね………?」
「ロジャー、悪くなかったわよ。あなたの目の良さはさすがね。ただ、相手の動きを目線から読もうとし過ぎて、フェイクに引っかかるのが難点だわ。経験を積んだ兵士はあらゆる手段で裏をかこうとするから、目線だけでなく、重心移動と動きの必然性も同時に俯瞰で把握しないと」
「はああ………。お嬢様は腕力があるわけじゃないのに、打ち合うとあっという間に態勢崩れて無力化されちまう。おかしな魔術にでもかかった気分だ………」
ロジャーと呼ばれた騎士は落とした剣を拾い上げて礼をすると、次に控えていた騎士と交代する。
「お嬢様、お手合わせ宜しくお願いします!」
「よろしくね。いくわよ!」
「両者、構え! ………始め!」
合図とともに新たな試合が始まった。
******
「お嬢様、護衛の騎士を全員潰されては困ります!」
ケイトが苦々しい顔をするのとは対照的に、ディーナは涼しい顔だ。
「潰してなんかいないわよ。騎士の底なしの体力相手じゃ、わたしなんか勝負にならないもの。技術的な手合わせだけだから、たいした疲れもないだろうし。仕事に支障は出ないわ」
「皆、精神が潰れてます! 守るべきお嬢様が護衛の誰より強いだなんて、勤労意欲に支障が出るんですよ!」
ディーナは久々に辺境伯邸の騎士たちと手合わせをして、鈍っていた身体を存分に動かした。
シャワーで軽く汗を流し、さらりとしたデイドレスに着替える。
ケイトが用意してくれた冷たい果実水を飲み干すと、ディーナは晴れやかに笑った。
「自分の身ひとつくらいは自分で守りきる覚悟でいたいの。何かあったときに、誰かの所為にはしたくないから」
巻き戻って以来どこか不安定だった感情は、涙と雨に洗い流されたように落ち着きを取り戻していた。
頑なに目を逸らしてきたものを受け入れたことで、静かで温かな、濁りのない気持ちになる。
ディーナの心は、ディーナが決める。
矛盾だらけでも、合理的でなくても、最善でなくても。
その在り方こそが、自分自身という人間を形作るから。
ケイトがディーナの顔をじっと見つめたあと、ふーっと息を吐いた。
「? どうかした?」
「いーえ。でも、ご自分から危ない場所へ突っ込んでいくのは………ほどほどにしてくださいよ?」
「ほどほどなら首を突っ込んでもいいということかしら?………ふふ、冗談よ」
ディーナがちゃんと笑うと、ケイトもつられたように笑顔になる。
夜会のあと、ディーナの様子がおかしかったのはわかっていたのだろう。
ケイトはなにも言わなかったが、それでも気にかけていてくれる味方がいると感じられて嬉しかった。
「はい、こちらお嬢様あてのお手紙ですよ」
ケイトがシルバートレイに乗せて差し出した手紙を手に取ると、オスカーからのものだった。
ドキリとしたが、何食わぬ顔で受け取り手紙を開く。
「夏至祭………」
「まあ! ヴァールハイト様から夏至祭デートのお誘いですか⁉」
「デートとは書いてないわよ?」
「でも、お誘いですよね⁉」
「………ええ、そうね」
一年で最も日が長くなる日を、この国では火の精霊の日と定めている。
王宮では火の公爵家による大切な儀式が行われる。
しかし国民にとっては、通りに屋台が立ち並び、様々な催し物が行われ、夜には盛大に花火が打ちあがる、いわゆる夏至祭の日だ。
家族連れや友人、そして恋人たちにとって、もってこいのイベントである。
「当日はおしゃれしないといけませんね。お祭りを見て回りやすいように動きやすくて、でもデートにふさわしいきちんと感もあって、お化粧はほんのりと………ああ、夜会とは違う楽しみがあります!」
「………まだ、お誘いを受けるとは言ってないわよ」
「でも、お受けするんですよね?」
「………」
否定できずにディーナは黙り込んだ。顔が少し熱い。
前世でも、オスカーと夏至祭を見て回った。
戸惑いがないと言えば噓になるが、また夏至祭をふたりで過ごせるのは嬉しいと感じる。
当日の天気は問題ないはずだ。
前世ではちょっとしたトラブルに見舞われたが、大事にはならずに済んでいる。
またふたりであの美しい花火が見られると思うと、自然と口元に笑みが浮かんだ。
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火の精霊の日当日、前世と同じように快晴である。
今日のディーナの装いは、襟元と袖口に花の刺繍が小粋なオフホワイトのブラウスと、ふくらみの少ないすっきりしたシルエットの丈長のスカートだ。スカートの裾にも布地と同色の刺繍が施されており、陽に当たる角度で花の模様が綺麗に浮かび上がる。そして夜会用とは異なった、血色の良さを引き立てる薄化粧。
ケイトの技術が遺憾なく発揮された、お出かけ仕様だ。
なんとなく気分を変えたくて、あえて前世とは違う服装を選んでみた。
火の精霊の日は、赤系統の色を身につけると火の精霊が喜ぶとされ、道行く人も帽子だったり、靴だったり、鞄だったり、何かしら赤いものを取り入れた装いが多い。
前世は柘榴石の嵌った髪飾りをつけていたが、今回はスカートを鮮やかな緋色のものにした。
少し緊張しながら待ち合わせ場所を目指す。
嬉しいのか怖いのか自分でもよくわからないが、普段より鼓動が早いことだけは確かだ。
待ち合わせの場所が見えてきたが、ディーナは思わず立ち止まった。
まだ少し距離があるのに、すらりと背の高い黒髪の青年の視線がすでにこちらを捕えているのがわかる。
そして彼を取り巻く周囲の人々の視線は、もれなく彼に吸い寄せられていた。
堂々と凝視している者もいるし、通りすがりにちらちらと視線を送っている者もいる。
(また浮いてる………)
場違いな存在感を放っているオスカーに近づくのは大変な勇気が必要だったが、あちらはすでにディーナに気づいているようなので逃げ帰るわけにもいかない。
諦めの境地でオスカーに近付くと、頭一つ高い彼の顔を仰ぎ見て声をかける。
「お待たせしてしまいましたか?」
しかしディーナはオスカーの顔を見上げて、驚きに目を丸くした。