28.貴女に請う、あるいは、あなたを恋う3
オスカーに伴われ、人気の少ない方へと足早に歩を進める。
「家族と会わせる話は作り話なのでお気になさらず。あの場から貴女を引き離す口実です。ご存じでしょうが、エーデルシュタイン家は我がヴァールハイト家と長年緊張関係にあります。ローデリヒ・エーデルシュタインは突出した有能さはないものの、妙に立ち回りが上手く隙を見せない。無駄に質の悪い男ですよ」
幾重にも折れ曲がる回廊を抜ける間、淡々と紡がれるオスカーの声は決して大きくはない。しかし彼の瞳は怒れる内面を証明するべく、炉に放り込まれた石炭のように赤々と煮え滾っていた。
「普段から奔放な息子の女性関係に、公爵が口を挟むところを見たことはありません。それが、貴女に近づいているときに限ってわざわざ侮蔑の言葉を吐きに現れるとはね………」
美しく整えた黒髪をくしゃりと乱暴にかきあげる。普段冷静な彼にしては、ずいぶんと感情的な仕草だ。
「貴女が巻き込まれている、大夜会で僕が襲撃された件………風の公爵が裏で糸を引いているかもしれないと僕は考えています。加えて今日、エーデルシュタインの公子といるところを見られて、さらに目を引いてしまったようですね。まったく、親子そろって忌々しい」
吐き捨てるように言ったあとで自分の感情があれていることに気づいたのか、オスカーは不快そうに眉を顰めたあと、額を押さえてふーっと深く息を吐いた。
少し怒りが収まった様子で、今度は気づかわしげな表情でディーナの顔を見つめる。しかし何かにきづき、綺麗な瞳を瞬かせた。
廊下の途中でぴたりと立ち止まる。
「ディーナ。ここ………赤くなっています」
オスカーの指がディーナの額に伸び、前髪をさらりと揺らした。
しかし指先は肌に触れることなく、宙で止まる。
ディーナは最初なにを言われたのかわからなかったが、扇で自分の額を打ったことを思い出して顔が赤くなった。
「あ、これはその………自分に活を入れるために、自分で打ったのです。ちょっと………自分が情けなくて」
理由を正直に言うことはできないが、かといって上手い言い訳も思いつかず、ディーナは眉を下げた。
「誰かに、なにかをされたとかではないのですね?」
「もちろんです! こんな場所でそう頻繁に荒事は起こりませんよ………たぶん」
最後にちょっと小声になったのは、デビュタントとして参加した大夜会で大立ち回りをし、別の夜会の最中に派手に階段から落とされたことがあるからだ。
しかし最初は少し疑い気味だったオスカーも、今日のディーナの言葉に嘘はないと感じたらしく、肩をすくめてため息をついた。
「困った女性ですね。なにがあったかは知りませんが、もう少し自分を大切にしてください」
オスカーのため息は、呆れというよりもやわらかな慈しみのような色を帯びていて、ディーナはどこか落ち着かない気持ちになった。
彼の指先が傷の有無を確かめるために、ディーナの額にほんの少しだけ触れる。
まるで壊れ物を扱うような繊細な指の感触に、ディーナは思わずオスカーの顔を見上げた。
束の間、ふたりの間の言葉が失われる。
そしてほんの一瞬だけ、ディーナの無防備な口元にオスカーの視線が落ちた。
しかしディーナがその意味に思い至る前に、離れた場所から届いた招待客の笑い声が微かに聞こえ、我に返ったオスカーの指がディーナの頬からするりと離れる。
顔を背けたオスカーに再び手を引かれ、また静かな廊下を進み始めた。
「………貴女は時折、不用心すぎです」
呟いたオスカーの声は小さくて、内側から響く音の騒々しさに狼狽えていたディーナには聞き取ることが難しかった。
ホールから遠く離れたテラスには、他には誰もいなかった。
涼やかな夜風が吹いていて、夜会の喧騒が遠ざかる。
前触れもなく、オスカーがディーナの前で跪いた。
「………オスカー?」
細い月と星の光と、淡い魔術灯の灯りがふたりを照らす。
夜闇が滲み、オスカーの表情すべてが見えるわけではないが、彼の瞳は篝火のようだった。
「………ディーナ。先日のことを謝らせてください。貴女を傷つけたかったわけではありません。ただあのとき、自分の愚かさを貴女に暴かれたようで、取り乱しました。だからといって、僕の考えを貴女に押し付けるのは………ひどく傲慢でした。許してください」
オスカーは跪いたまま胸に手をあて頭を下げた。輝く精霊の耳環が、シャラリと小さな音を立てる。
そのあまりに真摯な謝罪に、ディーナは慌てた。
「頭を上げてくださいオスカー。考えを押し付けたのは、わたしも同じです。感情のままに、あなたを詰ってしまいました。わたしの方こそ………ごめんなさい………」
オスカーは顔を上げると、やわらかく微笑んだ。
そして両手でディーナの手を掬い取る。
「ありがとうございますディーナ。貴女の寛容に、敬意を」
光を受けた白い手を、オスカーは己の額へ押し戴いた。
オスカーの額の熱とさらりとした黒髪が肌を優しくくすぐり、ディーナはどうしたらいいかわからなくなる。
「オ、オスカー………」
「貴女を護らせてくださいディーナ。僕はもうずっと前に、貴女を護ると誓いました。他の何かにではなく、己自身に。すべての脅威が去れば、そのときはこの手を離します。だから、それまではどうか」
オスカーは精霊の力を宿した瞳で、ひたむきにディーナを見上げた。
「貴女を護る権利を、僕に」




