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25.三つの質問と一つの願い

「ご機嫌麗しく、ディーナ嬢。再びお目にかかれて光栄です。よろしければこちらをお受け取りいただければと」


 キリっとした声で爽やかに挨拶をしたのは、オスカーの従者であるテオドールだ。差し出されたのは可憐な薔薇の花束で、贈り主はもちろんオスカーである。


「薄紅色の、ロゼット咲きの薔薇ですね。瑞々しくてとても綺麗。それにすごくいい香り………!」


 毎回公爵家の使者が届けに来ると聞いてはいたのだが、花束を抱えたテオドールを見てディーナは驚いた。


「もしかして、これまでもテオ様が届けてくださっていたのですか?」

「他にも(あるじ)の手の者はいるので、毎回ではありませんが。俺がお届けしていることが多いですよ」

「知らなかったわ………。ごめんなさい」


 テオドールを知ったのはつい最近のことだが、おそらく彼がオスカーに最も近い側近なのだろう。

 そんな腹心が花の配達人なんて、いいのだろうか。


「いえいえ、いつもはこちらの使用人に渡して帰るだけなので、ご存じなくて当然です。今日は主からの伝言を預かって来ているので、特別にお目通り願った次第です」

「オスカー様からの伝言ですか?」

「はい」


 テオドールはキリっと表情を改めて、姿勢を正した。


「まずひとつ。ディーナ嬢は、トゥーゲントヘルト公爵家の夜会へのご招待を受け取っていらっしゃいますか?」

「ええ、確かに招待状をいただいています」


 トゥーゲントヘルトは四大公爵家のひとつ、『水の公爵家』だ。

 水の公爵家の主催する夜会は、大夜会には及ばないものの、高位貴族が揃う華やかなものとなるだろう。


「我が主、オスカー様より、是非ディーナ嬢をエスコートさせていただきたいとの言伝(ことづて)を申し付かってまいりました。可能でしたら、このまま口頭でお返事を承りたく存じます」


 テオドールは胸に手を当て、恭しく腰を折った。

 一瞬ディーナは返答に困り、咄嗟に言葉が出ない。

 しかしテオドールは顔を上げると、気負いなくにっこりと笑った。


「ディーナ嬢。お心のままにお答えくださって結構ですよ。先日のこともありますし、主は良い返事を期待して貴女をお誘いしたわけでもないのです。ただ結果がどうあれ、主は貴女以外をお誘いすることはあり得ませんので」


 ディーナは複雑な気持ちで目を伏せた。

 先日あんな別れ方をしたというのに、それでもディーナの身の安全を護ると言う約束を彼が違えることはないのだ。


 しかしまだ気持ちの整理がついていない。気遣いを無碍にする罪悪感が募るが、今は顔を合わせて表情を繕う自信がなかった。


「申し訳ありません。大変光栄なお話なのですが、辞退させてください。わたしは父とともに参加することになっています。母は領地にいますので、父もパートナーがわたししかいませんから」

「承りました。そのように伝えます。では、二つ目を。先日の無礼に対する謝罪のために、近いうちにお時間をいただきたいと主が申しております。日時については後日改めて。今は、主がそのような心づもりであるということだけ、お心に留めておいてください」

「………はい、わかりました」


 ディーナの返答を待ってテオドールは落ち着いて頷き、再び口を開いた。


「そして三つ目です。ディーナ嬢は近々観劇のご予定はおありですか?」

「え? いいえ。今朝ちょうど父に誘われはしたのですが、断ったばかりです。今はあまり気が乗らなくて………」


 気が乗らなかったというのは真実ではない。


 今朝の朝食の席で、オスカーとの一件で沈みがちだったディーナを気遣って、ノルベルトが観劇に誘ってくれた。

 演目はディーナの好きな冒険譚だったので興味はあったのだが、断っていた。

 それには、ディーナなりの理由があったのだが。


 謝罪のために観劇に誘うという話だろうか。


「ならよかった。主からの三つ目の言伝です。最近劇場の周辺に不審者が出没しているという情報があります。これからしばらくの間、観劇は控えられた方が安全だと言うことです」

「え………?」


 声を上げて固まってしまったディーナに、テオドールが反対に驚く。


「? なにか問題がありましたか?」

「あ、いえ、その………。不審者がいるというのは、確かな情報なのでしょうか?」

「俺は直接確認してはいませんが、主には多くの情報が入ります。主が言うのなら根拠のある情報だと思いますよ」

「そうですか………。ご忠告ありがとうございます。気をつけますね」


 ディーナの返事を聞いて頷くと、テオドールは丁寧に礼をした。


「お時間をいただきありがとうございました。では、失礼させていただきます」


 必要な話を終え、踵を返し玄関を潜ろうとしたテオドールは、思い直したように振り返り、彼らしくなく言葉にするのを躊躇う様子を見せた。


「テオ様?」

「………いえ、俺なんかが口を出すべきでないのはわかっているのですが。最近、仕事でも上の空のことが多くてちょっと見ていられなくて」


 テオドールはもう一度向き直り、孔雀色の瞳でディーナをじっと見たあと懇願するように深く頭を下げた。


「俺は、オスカー様の乳兄弟なんです。でも、あんな様子は今まで見たことがありません。主は、先日のことを深く悔やんでいます。おそらく、貴女が想像される以上に。これは俺の身勝手な願いに過ぎませんが………主が、貴女を傷つけるのが本意でなかったことだけは、汲み取っていただきたいのです」




 言いたかったことを伝え終えると、テオドールは今度こそ帰っていった。

 部屋に戻ったディーナは、受け取った香りのよい花束を抱きしめながらテオドールが話していた内容を思い返す。


 謝罪よりも夜会のエスコートの話を先にしたのは、たとえ謝罪が上手くいかなくても、エスコートする意志は揺らがないということを示したのだと思う。

 気まずくても、たとえ嫌いになったとしても、ディーナの危険が去るまでは護り続けるという約束を果たすために。


 そして彼は、仲違いでディーナが傷ついたかもしれないと心を痛めているのだという。

 オスカーの誠実な人柄に、喜びと、少しの寂しさを感じた。


(今度会ったら、謝らなきゃ………)


 しかし三つ目の話を思い出すと、ディーナはやわらかな芳香を放つ薔薇から顔を上げ、首を傾げる。


(劇場に不審者………?)


 ディーナが観劇を避けたのは、実は前世が関係している。


 この時期、劇場で放火騒ぎが起きるのだ。

 幸いボヤで済み、放火犯は速やかに捕縛された。

 犯人はなんと、劇場所属の俳優のひとりで、演者同士の恋愛トラブルだったらしい。

 美しい女優の恋を巡った嫉妬の末の犯行は、その後、演目よりもよほど恰好の話題となっていた。


 ディーナはボヤの起こる日を正確に覚えてはいなかったし、怪我人も出ずに終わった騒動だったので、無理に首を突っ込むつもりはなかった。

 その時期の観劇を控えればいいだけだと気楽に考えていたのだが。


 テオドールは、『不審者』と言った。

 不審者というのは、身元の分からない得体のしれない人物を称する言葉だ。

 しかしボヤの犯人は劇場の俳優、つまり劇場にとってよく知っている人物のはず。


(もしかして、ボヤとは関係ない不審者がいるのかしら………?)


 ディーナは首をひねったが、ボヤの犯人以外の情報をディーナは知らない。

 とりあえずはもともとの予定通り、そしてオスカーの忠告通り、劇場付近へ近づくのをやめておこうと決めた。



 ******



 一週間後、俳優が劇場に火を放ち、想い人である女優を巻き込んで心中しようとする事件が起こった。

 幸い、警戒中の騎士が素早く対処をし、小道具を少し焼いただけで済んだようだ。

 犯人の俳優も速やかに捕縛され、号泣しながら引き立てられていったらしい。

 劇場で起こったドラマチックな事件に、上演中の冒険譚よりもよほど民衆の関心を集めてしまったのは皮肉なことだ。


 しかし劇場にそれ以上のトラブルが起こることはなく、しばらくすると公演も再開され、劇場は平穏を取り戻していった。


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